◆
「原因不明の三つの出来事」
4月7日(その1)
午前4時ごろだったろうか、いつものようにPCをいじっていると、突然、聴いたこともないオルゴールの音色がどこからか聞こえてきた。そして10秒ほどしてピタリと止まった。
ひょっとしてM子ちゃんの仕業だったりして・・・・。
ところで、このオルゴール、M子ちゃんの残した物だったら話はできすぎだが、残念ながらそうではない。たしかそれは、離婚した妻がフリーマーケットかなにかで買ってきたもので、彼女がこの家を出てゆく時に、たいした意味もなく、そのまま置いていったものだ。
|
4月9日(その2)
春になって、我が家の裏道でのてんこちゃんの散歩を再開した。この日もいつものように「明楽(みょうらく)さん家」の石段に腰かけて、てんこちゃんの様子をうかがっていた。しかし、てんこちゃんはなぜか道の真ん中にに座ったきりで、ちっとも動こうとしない(その理由は次の話で分かる)。 そうこうしているうちに、突然、まさに突然! 背後にある門柱のインターフォンが「ピンポーン!」と鳴ったのだ。ついで、「はい、どちらさまですか?」という、聞き覚えのある、明楽さんの奥さんの声が聞こえて来た。 え! そんなこと言われても、ボクはボタンを押してないし、どうしよう、と思ったが、放っておくのもなんだかイヤな感じがするので、 「あ、もしもし、高瀬ですけど、あのー、ボクはインターフォンのボタン押してないですよー」 「・・・・え? はい、そうですかぁ・・・・」 (明楽さん夫婦は大の猫好きで、うちの猫をよく可愛がってくれるので、よくお話をする仲だった) 「変ですねぇ、でもとにかく押してませんから」 「はいわかりました、どうも」 2日前のオルゴールの一件が頭をかすめ、 ひょっとして「ピンポンダッシュする背後霊」かもしれないと思った。そして2分も経たないうちに、またまた、ピンポーン!! と鳴った。 ふたたび、向こうからの声。 「はい、どうかされました?」 「え、いや、だからボクは押してないですよー、弱ったなぁ」 「あ、そうなんですか?」 「はい、てんこちゃん見てるだけで・・・・、勝手に鳴ってますよ、このインターフォン」 「あらまぁ、そうですか、分かりました、はい」 二度も続けて勝手にインターフォンが鳴り始めたりして、ほんとに奇妙だ。理由は分からないけれど、ボクがここに座っているせいかもしれないと思い、試しにその場を10メートルほど離れてみた。 「・・・・」 鳴らない、もう一度同じ場所に座ってみよう。もしそれでまた鳴ったら、「ちゃんと変」だということになるかもしれない。そう思って再びその場所に戻ってみたのだが、それ以後、インターフォンが鳴ることはなかった。 その翌日、同じように動かないてんこちゃんを眺めているところに、明楽さんの奥さんが玄関の方から石段を降りてやってきた。 「あらまぁてんこちゃん、すっかり大きくなって。あら、すみちゃんも! こっちいらっしゃい・・・・あら来ないわ、主人が呼ぶとすぐ来るのにねぇ、すみちゃんたら。きっと男の人に慣れてるのねぇ」 「そういえば昨日は変な具合でしたねぇ、インターフォン」 「そうそう、今は止めてあるんですけどね、昨日、あれからも何度か勝手に鳴ったんですよ。主人が気味が悪いって言うんで、さっそく交換してくれるように頼みましたの、ほほほ」 そういって、明るく楽しく笑った彼女は、精神科医の夫が待つベンツの方へ足早に去って行った。 |
4月11日(その3)
この日も、昨日と同じように明楽さん家の石段に座って、やっぱり動こうとしないてんこちゃんを眺めていた。時々すみちゃんが退屈がって、てんこちゃんに飛びかかり、そのたびにてんこちゃんがフーッフーッと怒るものだから、「このやろー、あっち行け」とすみちゃんを追い払ったりしていた。 すると、向こうの方から、小学校低学年と思われる二人連れがやってきた。一人は女の子で、もう一人はさらに低学年と思われる男の子だった。見たことのない子供たちだったが、女の子の方がボクの隣にちょこんと座って、「わー、可愛い猫ちゃん」と、てんこちゃんを興味深げに見つめた。 「あれ、君たちは七里ヶ浜小学校の生徒?」 「ちげーよー」 立ったままそのへんをうろついていた男の子がそう言い、女の子は、 「ううん、稲小で〜す」と答えた。ちなみに稲小とは、極楽寺にある稲村小学校のことだ。 「そっか、この辺の子はみんな稲小なんだ」 そんな話に興味はないらしく、女の子が、 「ねぇねぇ、おじちゃん、この猫ちゃんだっこしていい?」 「えー、重いよー、君に抱けるかなぁ?」 「だいじょーぶだよー、抱けると思うよ」 「そっか、じゃ、いいよ、でも噛まれるといけないから、後ろからこーして・・・・」 そういって、てんこちゃんの背後から脇の下に手をいれ、上に引き伸ばすようにして女の子に手渡そうとした。てんこちゃんはかなりおデブになっており、しかも体がちょっと不自由なので、自力で足を引きあげようとしないものだから、ずるずるずると、重力に引きずられるように体が上下に伸びていった。 その時、両脚が左右に開き・・・・、 「うげっ、なんだこりゃ!」 「わー、痛そー!! おじちゃん、この猫ちゃんどうしたのー?」 なんと、内腿の付け根に500円玉大ほどもある穴がぽっかりと空いているではないか(そう、だからここ数日、動こうとしなかったのである)。まさにそれは穴と呼ぶに相応しいもので、皮膚が完全に破れ、体液で光る内部の筋肉組織が露出しているのだ。ただし、血は一滴も流れていないし、流れた形跡もまったく見当たらない。いったいいつの間にこんな傷をつくったのだろう? 「わー、たいへんだぁ、こりゃ、すぐに医者連れて行かなきゃなんないな」 「ほんと、かわいそ〜」 「ごめんね、じゃ行くから」 こうしてボクは部屋にとってかえし、すぐにてんこちゃんをカゴに入れ、バイクでもって行きつけの病院に駆けつけた。 そして・・・・、一泊二日の入院の末、写真のように傷痕を3針ほど縫うことになった。 それにしても、見事にスパッと、一滴の血も流さぬ状況で皮膚を切り裂いてしまうとは。医者も不思議がることしきりだった。 「かまいたちじゃない?」 けいとさんはそう言ったが(たぶん本気で)、まんざらそんな気がしないでもない気分になってきた。 |
(追記)
4月20日未明 最終号となった「いなむらL7通信」の編集作業中、てんこちゃんのテンカンの発作が激しくなり、もうどうにも手をつけられない状態になった。いったん発作が収まっても、全身が激しく震えたまま、床に両脚を広げてベタッと張りついた状態で、立ち上がることもできず、口に水を含ませようとしても嚥下できず、ただだらしなく口許から零れ落ちるだけだった。ボクは無力感に苛まれながら、その様子を見守るほかに術はなかった。全身の震えはいっこうに止まらず、意識があるのかないのか、たぶん、2時間くらいはそんな状態が続いた。これまで何匹も猫の最後を看取ってきたけれど、これほどまで長い時間、死にゆく生命を見詰めた経験はなかった。お願いだからスッと死んでくれと願ったりしたが、皮肉なことに、まだ十分に若いてんこちゃんの肉体は、そんな簡単に死を受け入れようとはしないのだ。こんなとき、ボクが手を貸してあげるとしたら、いったいどうしたらよいのだろう。首を締めれば安楽に死ねるというのだろうか。一瞬そんなことも考えたが、とてもできやしなかった。 やっぱりてんこちゃんは、死ぬまでは生きていたいのだろうと思う。 それでも、やがて来るべき限界がやってきて、てんこちゃんは最後に「ふぅ」と小さな溜め息をついて息をひきとった。 安心したかのようなその声が、救いといえば最後の救いだった。 真っ暗な中、庭に穴を掘り、てんこちゃんを埋葬し、写真を一枚撮った。 その時はまさに真っ黒で気付かなかったが、パソコンに画像を取り込んでみると、そこにすみちゃんが映り込んでいた。合掌。 そして、ボクが送ったメルマガ原稿の校正メールを読んでてんこちゃんの死を知ったけいとさんは、6時半ころに花束とお線香をもってやってきて、即席のお墓の前でひとしきりウォンウォン泣いて帰っていった。けいとさんにとっても、色々な意味で忘れがたい、思い入れのある猫だったのだ。 あの足の傷を「かまいたちじゃないの?」と、けいとさんは言ったけれど、ボクの飼い猫人生の中で、まさにてんこちゃんの存在そのものが「かまいたち」のようだったと、つくづくそう思う。 |