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稲村月記 vol.12  高瀬がぶん 

・・・・というわけで、
あなたはどっちをクリックして、
ここへたどりつきましたか?
どっちでもこのページに来るんですけどね、
つまんないんで、ちょっとからかっただけです。
ははははは・・・・。
さて、今月は微冒険ではなく、通常の稲村月記です。
いくつか、石田チャン的かどうか分からないけれど、
気になることがあったので、それを書くことにしました。

「原因不明の三つの出来事」


4月7日(その1)

午前4時ごろだったろうか、いつものようにPCをいじっていると、突然、聴いたこともないオルゴールの音色がどこからか聞こえてきた。そして10秒ほどしてピタリと止まった。
自分でオルゴールを買うような趣味はないし、いったいどこにそんなものがあったのか? としばし考え込んだが、そういえば、玄関の下駄箱あたりにディズニーキャラのオルゴールらしきものがあったっけ、と思い当たった。
それは、ブリキ玩具のオート三輪と並んで置いてあったが、こうして間近で眺めるは初めてのことだ。背中を向けているミッキーは指揮者のようだが、いったい誰に聴かせようとして指揮棒を振ったのだろうか。季節の変わり目で内部の油が溶け、ちょっとした具合で機械が作動した、と考えてもいいけれど、もっと意味ありげな理由があって、突然音楽を奏で始めたと考えるのも悪くない。

ひょっとしてM子ちゃんの仕業だったりして・・・・。
M子ちゃんというのは、ボクの親友H君の恋人のことだが、悲しいことに、12年ほど前に自宅の鴨居に縄をかけ、首を吊って自殺してしまった人物だ。生きることを途中でやめてしまうにはいかにも早すぎる、24才という若さだった。彼女は死ぬ前日に私物のほとんどを自宅の庭で焼却してしまったということだったが、赤い箱ひとつだけを妹に託し、H君に宛てて残した。そして、それを職場宛の郵送で受けとったH君は、さすがに女房子供がいる自宅に持って帰るわけにはいかず、さりとて職場に置いておくわけにもいかず、悩んだ末にボクの家に持ってきたのだった。どうか保管しておいて欲しい・・・・と。
箱の中には、家計簿やら銀行の通帳やら、H君とツーショットのオリジナルテレホンカードやらハンカチやら下着やら、H君との同棲生活を忍ばせるものが色々入っていた。その中のいくつかは名前入りだったが、乙女心と言おうか、H君の苗字を使っているところがちょっと切なかった。それらの中に紛れて、白い封筒に入った遺書があった。
はたして、その遺書はかなり変ったものだった。どう変っていたかというと、本文はもちろん署名までもがワープロ打ちの印字だったのだ。どんな書類でもサインだけは自筆、というのが普通の感覚ではないだろうか。ましてやこれは契約書などではなく遺書なのである。彼女はおそらく、生きるのが面倒くさくなって死んでしまったのだろうが、まさか、そのごにおよんで手書きが面倒くさくなったというわけではないだろう。
遺書の本文は二十行ほどだったと思うが、どんなことが書いてあったのか、じつのところよく憶えていない。
ただ、文末に、「・・・・だから、あなたを怨んで怨んで死にます」と強烈な言葉が記してあったことだけは鮮明に憶えている。ボクはそこを読んで、ひょっとして署名が自筆でないのは、この遺書を書いたのが彼女ではなく彼女の妹だからではあるまいか、と一瞬そう感じたりしたのだが、すぐに、それは穿ち過ぎだろうと思い直した。
さて、その問題の赤い箱を、いったいこの家のどこにしまい込んだものなのか、今となってはさっぱり見当がつかない。
・・・・おーいM子ちゃん、いつまでもH君を怨んだりしてないでさ、もしなんかの都合でこの世に降りて来ることがあったら、コーヒーでも飲みながらゆっくり昔話しでもしようよ・・・・。

ところで、このオルゴール、M子ちゃんの残した物だったら話はできすぎだが、残念ながらそうではない。たしかそれは、離婚した妻がフリーマーケットかなにかで買ってきたもので、彼女がこの家を出てゆく時に、たいした意味もなく、そのまま置いていったものだ。
あ、そういえば、台所の掛時計は亡くなるずっと前にM子ちゃんにもらったものだった。もっとも、電池はとっくに切れ、少なくともここ10年間は、午前か午後かは不明だけれど、3時20分40秒を示したままになっている(いいかげん電池入れ換えるか外すかしろよ、おい)。



 
4月9日(その2)
春になって、我が家の裏道でのてんこちゃんの散歩を再開した。この日もいつものように「明楽(みょうらく)さん家」の石段に腰かけて、てんこちゃんの様子をうかがっていた。しかし、てんこちゃんはなぜか道の真ん中にに座ったきりで、ちっとも動こうとしない(その理由は次の話で分かる)。
そうこうしているうちに、突然、まさに突然! 背後にある門柱のインターフォンが「ピンポーン!」と鳴ったのだ。ついで、「はい、どちらさまですか?」という、聞き覚えのある、明楽さんの奥さんの声が聞こえて来た。
え! そんなこと言われても、ボクはボタンを押してないし、どうしよう、と思ったが、放っておくのもなんだかイヤな感じがするので、
「あ、もしもし、高瀬ですけど、あのー、ボクはインターフォンのボタン押してないですよー」
「・・・・え? はい、そうですかぁ・・・・」
(明楽さん夫婦は大の猫好きで、うちの猫をよく可愛がってくれるので、よくお話をする仲だった)
「変ですねぇ、でもとにかく押してませんから」
「はいわかりました、どうも」
2日前のオルゴールの一件が頭をかすめ、 ひょっとして「ピンポンダッシュする背後霊」かもしれないと思った。そして2分も経たないうちに、またまた、ピンポーン!! と鳴った。
ふたたび、向こうからの声。
「はい、どうかされました?」
「え、いや、だからボクは押してないですよー、弱ったなぁ」
「あ、そうなんですか?」
「はい、てんこちゃん見てるだけで・・・・、勝手に鳴ってますよ、このインターフォン」
「あらまぁ、そうですか、分かりました、はい」
二度も続けて勝手にインターフォンが鳴り始めたりして、ほんとに奇妙だ。理由は分からないけれど、ボクがここに座っているせいかもしれないと思い、試しにその場を10メートルほど離れてみた。
「・・・・」
鳴らない、もう一度同じ場所に座ってみよう。もしそれでまた鳴ったら、「ちゃんと変」だということになるかもしれない。そう思って再びその場所に戻ってみたのだが、それ以後、インターフォンが鳴ることはなかった。
その翌日、同じように動かないてんこちゃんを眺めているところに、明楽さんの奥さんが玄関の方から石段を降りてやってきた。
「あらまぁてんこちゃん、すっかり大きくなって。あら、すみちゃんも! こっちいらっしゃい・・・・あら来ないわ、主人が呼ぶとすぐ来るのにねぇ、すみちゃんたら。きっと男の人に慣れてるのねぇ」
「そういえば昨日は変な具合でしたねぇ、インターフォン」
「そうそう、今は止めてあるんですけどね、昨日、あれからも何度か勝手に鳴ったんですよ。主人が気味が悪いって言うんで、さっそく交換してくれるように頼みましたの、ほほほ」
そういって、明るく楽しく笑った彼女は、精神科医の夫が待つベンツの方へ足早に去って行った。




4月11日(その3)
この日も、昨日と同じように明楽さん家の石段に座って、やっぱり動こうとしないてんこちゃんを眺めていた。時々すみちゃんが退屈がって、てんこちゃんに飛びかかり、そのたびにてんこちゃんがフーッフーッと怒るものだから、「このやろー、あっち行け」とすみちゃんを追い払ったりしていた。
すると、向こうの方から、小学校低学年と思われる二人連れがやってきた。一人は女の子で、もう一人はさらに低学年と思われる男の子だった。見たことのない子供たちだったが、女の子の方がボクの隣にちょこんと座って、「わー、可愛い猫ちゃん」と、てんこちゃんを興味深げに見つめた。
「あれ、君たちは七里ヶ浜小学校の生徒?」
「ちげーよー」
立ったままそのへんをうろついていた男の子がそう言い、女の子は、
「ううん、稲小で〜す」と答えた。ちなみに稲小とは、極楽寺にある稲村小学校のことだ。
「そっか、この辺の子はみんな稲小なんだ」
そんな話に興味はないらしく、女の子が、
「ねぇねぇ、おじちゃん、この猫ちゃんだっこしていい?」
「えー、重いよー、君に抱けるかなぁ?」
「だいじょーぶだよー、抱けると思うよ」
「そっか、じゃ、いいよ、でも噛まれるといけないから、後ろからこーして・・・・」
そういって、てんこちゃんの背後から脇の下に手をいれ、上に引き伸ばすようにして女の子に手渡そうとした。てんこちゃんはかなりおデブになっており、しかも体がちょっと不自由なので、自力で足を引きあげようとしないものだから、ずるずるずると、重力に引きずられるように体が上下に伸びていった。
その時、両脚が左右に開き・・・・、
「うげっ、なんだこりゃ!」
「わー、痛そー!! おじちゃん、この猫ちゃんどうしたのー?」
なんと、内腿の付け根に500円玉大ほどもある穴がぽっかりと空いているではないか(そう、だからここ数日、動こうとしなかったのである)。まさにそれは穴と呼ぶに相応しいもので、皮膚が完全に破れ、体液で光る内部の筋肉組織が露出しているのだ。ただし、血は一滴も流れていないし、流れた形跡もまったく見当たらない。いったいいつの間にこんな傷をつくったのだろう? 
「わー、たいへんだぁ、こりゃ、すぐに医者連れて行かなきゃなんないな」
「ほんと、かわいそ〜」
「ごめんね、じゃ行くから」
こうしてボクは部屋にとってかえし、すぐにてんこちゃんをカゴに入れ、バイクでもって行きつけの病院に駆けつけた。
そして・・・・、一泊二日の入院の末、写真のように傷痕を3針ほど縫うことになった。 それにしても、見事にスパッと、一滴の血も流さぬ状況で皮膚を切り裂いてしまうとは。医者も不思議がることしきりだった。
「かまいたちじゃない?」
けいとさんはそう言ったが(たぶん本気で)、まんざらそんな気がしないでもない気分になってきた。



(追記)
4月20日未明
最終号となった「いなむらL7通信」の編集作業中、てんこちゃんのテンカンの発作が激しくなり、もうどうにも手をつけられない状態になった。いったん発作が収まっても、全身が激しく震えたまま、床に両脚を広げてベタッと張りついた状態で、立ち上がることもできず、口に水を含ませようとしても嚥下できず、ただだらしなく口許から零れ落ちるだけだった。ボクは無力感に苛まれながら、その様子を見守るほかに術はなかった。全身の震えはいっこうに止まらず、意識があるのかないのか、たぶん、2時間くらいはそんな状態が続いた。これまで何匹も猫の最後を看取ってきたけれど、これほどまで長い時間、死にゆく生命を見詰めた経験はなかった。お願いだからスッと死んでくれと願ったりしたが、皮肉なことに、まだ十分に若いてんこちゃんの肉体は、そんな簡単に死を受け入れようとはしないのだ。こんなとき、ボクが手を貸してあげるとしたら、いったいどうしたらよいのだろう。首を締めれば安楽に死ねるというのだろうか。一瞬そんなことも考えたが、とてもできやしなかった。
やっぱりてんこちゃんは、死ぬまでは生きていたいのだろうと思う。
それでも、やがて来るべき限界がやってきて、てんこちゃんは最後に「ふぅ」と小さな溜め息をついて息をひきとった。
安心したかのようなその声が、救いといえば最後の救いだった。
真っ暗な中、庭に穴を掘り、てんこちゃんを埋葬し、写真を一枚撮った。
その時はまさに真っ黒で気付かなかったが、パソコンに画像を取り込んでみると、そこにすみちゃんが映り込んでいた。合掌。
そして、ボクが送ったメルマガ原稿の校正メールを読んでてんこちゃんの死を知ったけいとさんは、6時半ころに花束とお線香をもってやってきて、即席のお墓の前でひとしきりウォンウォン泣いて帰っていった。けいとさんにとっても、色々な意味で忘れがたい、思い入れのある猫だったのだ。
あの足の傷を「かまいたちじゃないの?」と、けいとさんは言ったけれど、ボクの飼い猫人生の中で、まさにてんこちゃんの存在そのものが「かまいたち」のようだったと、つくづくそう思う。



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