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稲村月記 vol.14  高瀬がぶん 

「鈴木タケさんの世界」



 
そうかいそうかい、アンタも稲村・・・・5丁目、えっ、高瀬? はぁ、なんか聞いたことあるよ。それにあんた見たことあるよね。ちょくちょくこの前通るよね。アタシはね今年で91になるけど、ずぅっと稲村。猫? うん、昔はずいぶんノラがいてさ、そこの石段なんかひな祭りのお飾りみたいだったよ。で、女の子はみんな私がお医者さん連れてって手術してもらってさ、ほら、いまそこにいる猫もそうなんだけど、あの子にはもう一つ女の子の姉妹がいてさ、手術代が一匹15000円で、二匹となりゃ3万円でしょ、そりゃいくらなんでもきついからお医者さんに言ったら、一匹1万円でいいからって、それで2匹で2万円。そしたらあとで動物愛護協会の人がやってきてさ、5500円づつの二匹分を返してくれて、そりゃあ助かったさ。
でもほんというとさ、私は犬が大好きでさ、昔っから名前なんか呼ばれたことなくて、「犬きち娘」とか、よく呼ばれたもんさ。ほら、そこに写ってるのは5年前に死んじゃったけど、22年も生きてた「チビ」っていう犬だよ。もう可愛くてね。え? ほらそこに新聞の切り抜きがあるだろ。それは高畠華宵っていう有名な挿し絵師でね、大正時代のひとだけど、よ〜く雑誌かなんかで見かけたものさ。で、そこに描かれている犬、そのモデルがうちの「チビ」なんだよ、へへへ。「チビ」の隣の男? ははは連れ合いなんかじゃないよ、私の弟だよ、弟。ずいぶんと若いねぇ、その写真は。はいはい、今でも元気だよ。ちょくちょく様子を見に来てくれるわさ、「まだ生きてるかぁ?」って、ははは。
 

 
そうそう、このお店も5年前までタバコ売ってたんだけどね、さすがにもう歳だからやめろやめろってウチのもんがいうからやめちまったけどさ、でも毎日ヒマでヒマで、あんまりヒマしてるとボケちゃうもんだから、用はないんだけどね、毎日ここに来てるの。そうすると色んな人が声かけてくれて、色んな話ししてくれるからそりゃ楽しいよ。え? このポスター? そうそう、私は野球が好きでねぇ、巨人のファンなの。そうそう、高橋のファンだよー。ま、昨日負けちまって頭きたけどさ、ったくあれじゃ工藤を見殺しだよ(2-1で巨人が負けた)。でもさ、ウチのひとは「おばあちゃん、野球だけじゃなくて、サッカーを覚えなきゃ」っていうんだよ。いやぁそう言われてもねぇ、なんだか人がいっぱいぐちゃぐちゃ動き回ってるし、もう面倒くさくて覚える気はしないねぇ。でも、お相撲は今でも大好きだけどね。
あっ、そうだちょっと待っといで・・・・ほらこれね、上手く煮えてるかどうか分かんないけど持ってお帰り。あたしゃね、好き嫌いが激しくてフキもたいしてスキじゃないんだけど、作って人様に食べてもらうのが大好きなのさ。そうだねぇ、次に来る時にはサンドイッチ作ってやるから楽しみにしておいで。
え? そうそうプロマイドね、映画も大好きでね、クラーク・ゲーブルとかジョンウェインとか大好きだけど、あれだね、ここに写ってる人はもうみんな死んじまってるね、ははは。日本映画? ま、見ないこともないんだけどね、ほらパンフレットがなんかペラペラで、やっぱり外国映画のほうが豪華でさ、見る気になるじゃないの。でもほれ、ここにある写真、これ誰だか分かるかい? 長谷川一夫の若いころだよ。そそ、林長次郎の頃だよねぇ。七里ヶ浜の砂浜だよその写真撮ったのは。

 
このウチのすぐ近所にはさ、ほらそこの神社のところ、小説家の中村光夫さんってのが住んでてね、あの人は今は扇ヶ谷の方で二番目の奥さんと住んでるけど、あたしは最初の奥さんとはとっても仲がよかったよ。二人娘さんがいて、ついこないだは、久しぶりに上の娘さんが訪ねて来てくれたんだけどね、大学生くらいの息子さん連れて、「おばあちゃん覚えてる?」って言われたけど、すっかり変っちゃってて名前を聞くまで分からなかったよ。そうそう、中村さんの最初の奥さんが面白いこと言ってたの思い出したよ。「作家ってのはスケベなんですよ」って。で、「どうして?」って聞くとさ、昔は江ノ電とかで着物を着た女の人がよくいるんだけど、その着物の袖とか襟とかがちょっと汚れてるのを見ると興奮する、って旦那がいうんだってさ。アタシは面白いこと言うもんだなぁと思ってその理由を聞くと、「そのぐらい隙がある女のほうが魅力的なんだ」っていうのさ。なるほどねぇ、と思ったさ。ははは、面白いねぇ。アタシなんかお金にはとんと縁がない人生だけど、面白く生きるっていうのはお金とかに関係なくできるもんだねぇ。あ、お金っていえば思い出した。これもまた面白い話なんだ。これはまだ私がちっちゃな子供の頃の話しなんだけどね、ほら、むかし関東大震災ってのがあっただろ。ま、このあたりは全然被害はなかったんだけど、坂の下や長谷のあたりは津波があがってきて、そりゃもう大変だったんだよ。で、あのあたりに旅館がいくつかあって、ほら、長谷の交差点のところにあるおまんじゅう屋、あれも前は旅館だったんだよ。それで、確か新生館とかいう名前の旅館もあって、そこはまず地震で大火事になったのさ、そしたら津波がやってきて、それで火が消えたんだよ、ま、運がいいっていうか悪いっていうか。で、あのあたりに八百屋があって、田村幸次郎っていう人がいてね、その人がうちの年寄り(当時の)と話してて、それを聞いてたんだけどさ。津波で被害にあったその旅館近くはもう建物はみんな壊れちまって、何から何までバラバラになったんだそうだ。それで、ほら帳場にあったものもそこいらへんに散らばってるわけで、カバンがね、今はほらカバンっていうとチャックがついて閉まるようになってるけど、昔のはそうじゃない、ただ二つ折りにできるだけで、それがパカっと開いて、お札とかがまる見えになってそのへんに落ちていたんだとよ。で、田村幸次郎さんも毎日のようにそれを見てたらしいんだけど、当時はもう震災のあとだから、だーれもお金なんかに興味はなくて、それを拾おうなんて思ってもみなかったっていうのさ。それがさ、えー、なんだっけな、名前は忘れたけど、その血筋の一家はまだそこに住んでるんだけどさ、まとにかくそこのじいさんが、もうとっくに死んじまってるけど、その当時さ、いつもステッキを持ってて、なんでもその旅館あたりを毎日うろついたらしいんだよ。それを田村幸次郎さんが見てて、『ははぁ、あいつはお金を探してやがるな?』って、そう思ったらしいんだよ。ステッキでこう、ちょこちょこと物をよけてさ、下ばっかり見て、うろうろうろうろしてるんだってさ。そんなことがあってしばらくしたら、その男はいきなり大金持になって、家を新築したっていうのさ。で、田村幸次郎さんは「やっぱり!」って、そう思ったんだって。『まったくふてぇ野郎だ』って、そういって家の年寄りと話してるところを、私はちゃんと聞いたんだよ」
え? もう帰るのかい? そかそかまたおいでね、だから、ほら、サンドイッチ作ってやるからさ・・・・。

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