稲村月記トップページへ
稲村月記 vol.18  高瀬がぶん

秋雨の降る朝・・・・そして中秋の名月の夜
 
 
 


 
 
この写真を撮ったのは九月何日だったのか、はっきりとした記憶がない。ただ、その前日から雨が降り続き、ほんとにもう秋だ、と痛感するほど空気が冷たかったのをよく覚えている。それに生ゴミの収集日だから、九月初旬の月曜日か木曜日の朝だということも間違いがない。
写真の背景のブロック塀はがぶん家のもの。うちの真ん前がゴミ収集場所になっているのだけれど、ここに引っ越して来た時からそうだったので、少なくとも15年以上前からずっとゴミ収集場所になっているはずで、別にそれが嫌じゃないし、場所を変えて欲しい! とも言い出さないので、たぶんこれからもずっとゴミ収集場所であり続けるのだろう


 
 
《”猫”死骸 よろしく処置お願いします》
その箱はゴミと一緒にぞんざいに捨てられていたわけではなく、道路の縁にきちんと置かれてあるという感じで、書かれている文章にも置いた本人の心づかいがよく現われている。でも、その心づかいにも微妙な距離感があって、おそらくその猫は自分の飼っていた猫ではなく、時折見かける野良猫といったところで、まったく知らない間柄でもない猫の突然の死に対する思いやり、といったものが感じられた。
でも、どんな猫なのだろう。まさか開けてみる気にもなれないけれど、かなり気になることはたしかだ。
野良だとしたら、いつもうちの台所に入って来ては猫メシを盗み喰いして行く白黒のブチニャンかもしれない。そいつはオスの顔デカで、喧嘩もけっこう強くて、時折スミちゃんと出くわしては、両方でフーハー! 唸っているのを奥の部屋で聞くこともある。まだチビのフガチャンは、そんなときは決まって、奥の部屋に目をまん丸くしてシッポを大ふくらみさせながら飛び込んで来る。普段、スミちゃんに対しては滅法強気のくせに、所詮チビなものだから、やっぱり大人猫の本気を目の当たりにするとビビりまくるのだ。たぶん、そんなときフガチャンは、心のどこかでちょっとスミちゃんを尊敬したりしているに違いない。


 
 
他の生ゴミと一緒に出されているその箱を目にしてから、ちょっと用事を済ませにバイクで出かけ、しばらくして帰って来ると・・・・悲しいかな、その箱はひとつぽつんと取り残されてしまっていた。
猫の死骸は生ゴミとして出してはいけない、というのが鎌倉市のルール。市役所に電話をかけ、事情を話し取りに来てもらうというのが決まりなのである。
さてどうしたものか? 勝手に庭に埋めちゃおかしらと、しばらく箱を眺めていたが、そのうちその箱の中身が再び気になりだし、知らず知らずのうちに、これまで死んでいった我が家の猫をそこに置き換えてみていた。
ギーニャン、シマニャン、ノボド、メンマ、ナルト、チーニャン、てるくん、キクちゃん、ブンちゃん、フクちゃん、(ここにイチが入るけど死んだかどうか分からない)、てんこちゃん・・・・。
そして、これを書いている途中に、ほんとになんていうタイミングなのか、ついさっき、フガちゃんが道路の真ん中で車に轢かれて死んでいるのを発見したのだ。
今夜は中秋の名月だってさ。今は夜中の三時。悲しいよ悲しいよ悲しいよ。
生れて五ヶ月の命だったのだけれど・・・・お前はここにもらわれてきて幸せか? 幸せだよな幸せだよな、とついつい声に出してフガちゃんに言い聞かせてばかりいたけれど、ここにもらわれて来さえしなければ死ぬこともなかったのにと、もう取り返しのつかない現実を怨んでもみるけれど、これも運命、いや、僕は運命を否定する者なので、避けられなかった偶然と受け止めることにして自分を納得させる。そうするしかない。
これまでこの家で死んでいった猫のほとんどは庭に埋まっているのだけれど、玄関先に寝かせたフガちゃんの亡骸を眺めていて、不意に思い立ち、バイクをとばして稲村が崎公園に行き、岩場からフガちゃんを海に流した。
薄曇りの中秋の名月がぼんやりと。


稲村月記トップページへ