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稲村月記 vol.20  高瀬がぶん

特異体験!?

え〜〜〜いっ!!

 

にゃ〜〜〜〜ごっ!!

 
 

2002.11.19

それはある日の朝。車やら家やらのカギがひとまとめになっているカギ束がどうしても見つからなくて、もしかしたらバイクにつけたままかもしれないと、裏のバイク置き場まで探しに行ったのだが、やっぱりバイクにはついてない。これはどうしたことかと、もう一度家の中を探すことにして戻りかけたその時、道路の端っこに落ちているカギ束を発見! 「あっこんなところにあった、しかもこのカギ束、車に跳ねられてるじゃん。なんだよ〜、カギがこんなに曲がっちゃってるよー」。まったく猫ばっかりじゃなくカギ束も轢かれる危険な道路だこと。
というわけで、上の写真、別に超能力で曲げたわけじゃありません。そうじゃなく、曲がっちゃったカギをなんとか超能力でまっすぐにできないものかと、挑戦してるところなわけです。もちろん失敗しましたが・・・・。
で、今回の「特異体験」と、この話とは案の定まったく関係ありません。

がぶ姉の仕事仲間のR君という男の人のお話です。彼とはこれまで何度か会う機会があったのですが、こないだ初めてこんな話を聞いたのです。彼は40才ほどになるアートディレクターなのですが・・・・。
「そうそう拉致っていえば、自分も北朝鮮に拉致されちゃうんじゃないかとマジに思ったことあるんですよ」
「え〜、なんでR君が!」
「話せば長いんですけどね、昔、自分は東宝って映画会社にいたんですよ」
確かに話が長かったので、できるだけコンパクトにして綴ることにします。
その昔、R君は東宝で撮影スタッフとして働いていたそうなんです。主に怪獣映画の撮影が多かったということですが、ある時、突拍子もない話が舞い込んできたというのです。それは、金日成体制当時の北朝鮮の政府筋からの依頼で、「北朝鮮で初めて怪獣映画を作ろうとしているのだが、なんとか日本の特撮映画スタッフに協力をお願いできないだろうか」というものであったそうです。R君はそのころアルバイトに毛が生えた程度の雑用係だったそうですが、なんか恐ろしそうだけどちょっと面白そうかもしれないと思い、他のスタッフ十数人とその撮影に参加することにしました。ところで、これは日本国家的には非公式であり、民間レベルで、直接、東宝に依頼があり、社内で希望者を募り秘密裏に北朝鮮への派遣を決定したそうです。

ここでちょっと、後にボク自身が調べたそのへんの事実関係を報告。
その映画とは、知る人ぞ知る『大怪獣・不可殺而(ブルガサリ)』(1984年製作)という怪獣映画で、特撮監督はR君たちと一緒に渡朝した日本人の中野昭慶氏。そして現地の総合監督は申相玉という人物。加えて、実質的なプロデューサーは金正日だったと言われている。ところがこの申相玉という監督は、実は数年に渡って北朝鮮に「拉致」されていたといういわくつきの人物。申相玉氏は在北中に幾つかの作品を撮っており、そのうちの一本がこの「ブルガサリ」だったのである。そして、この映画を最後に申相玉氏は脱北している。ところでいま「拉致」という言葉を使ったが、北朝鮮の公式発表では「申相玉は北朝鮮に自らの意思で亡命した」ことになっていて、その時点で、それが拉致であったかどうかは定かではなかった。しかし、脱北後に、申相玉氏は夫婦共著というかたちで、「拉致」から「脱出」までの経緯を『闇からの谺』という本に詳しく書いている。
その後申相玉氏は、韓国で『政治犯・金賢姫 犯罪史上衝撃の大韓航空858便爆破事件 真由美』 MAYUMIという、もちろん反北的な、TV用映画を撮っており(日本ではTBSで放送され、出演者の中には大信田玲子などもいる)、そのために北朝鮮からは裏切り者呼ばわれし、おかげで日本からせっかく大勢のスタッフがお手伝いに出かけたにもかかわらず、「大怪獣・ブルガサリ」は本国では配給されることなくお蔵入りとなった。しかし、その後、密かにコピーが日本に渡り、大阪で劇場映画として一度公開され、その後、レンタルビデオとして売り出された、という、今となっては、まことにレアできなくさい映画だった。

さて、実際、十数名の撮影スタッフが渡朝し、現地のスタッフと一緒に仕事をすることになりました。
場所は聞いたけど忘れてしまいましたが、平壌の近くの山裾の方だったそうです。山の中に突然撮影所らしきものがあるのだそうですが、なにしろ電気の供給も不安定で、撮影の途中でいきなり電源が落ちるというようなことが何度もあったそうです。その撮影所から車で30分ほど離れた所が彼らの宿泊場所だったのですが、それはなんと金日成の別荘で、とにかく中は宮殿のように豪華で、居間には大型テレビが置かれており、衛星放送もバッチリでNHKニュースも毎日見ていたそうです。さすがに金日成の別荘のことだけはあります。他の一般市民が衛星放送を見るなんていう機会はほとんどないそうですから。特にある日のニュースでは「北朝鮮の工作船が韓国の沖合いに現われ銃撃戦となった」というのをやっていてびっくりしたとのことです。思えば彼ら撮影スタッフは北朝鮮にとってはVIPだったわけです。
ある日の撮影所でのこと。R君はスタッフの中でも一番下っ端のほうですから、後片づけやらなにやらで忙しく、気がついてみると他の日本人スタッフがだ〜れもいなくなっていたそうなのです。陽も落ちてるし、あわてて駐車場に行ってみても、そこにはいつもの送迎用のマイクロバスの姿もすでにありませんでした。歩いて帰ろうかとも思ったそうですが、なにしろあたりは真っ暗で、道順さえ定かではないし、街灯なんかもちろんないし、もしかしたら山道で迷子になっちゃうかも、と途方にくれていたところ、後ろからポンと肩を叩かれ、それが現地スタッフの中でも一番仲のいいK君という若者だったので、身振りでバスに乗り遅れて帰れない、という意思表示をしたそうです。現地に入ってからすでに2週間ほど経っていたので、片言の日本語と朝鮮語をお互いに駆使し、なんとか分かり合えたとのことです。するとK君が「ぼくのあとをついて来い」というような素振りをするので黙ってついて行ったそうなのですが、撮影所を出ると、いつもバスが帰る方向とは正反対の方へと歩き始めました。R君はなんだか不安になり、「おいおい、そっちには何にもないじゃん、山奥に入っちゃうだろが」と独りごちてみるものの、K君はさっさと暗い道を歩いて行きます。
すると、どこからか二人の男がスッと現われ、、、「いやぁ、ほんとびっくりしたけど、知ってるスタッフたちだった」、、、というわけで、、、R君は三人の後をついて行くことになりました。それにしても、どこに行くのだろうか?
しばらく歩いて行くと、木々に囲まれた山の中に突然コンクリートの構築物が現われ、それが地下鉄への入口だと知ったときには、「なんでこんな変な場所に駅が?」と思ったそうです。ズンズン階段を降りて行くと、
「いやぁびっくり、地下帝国みたいな所でね」
と表現したように、そこに巨大で立派な地下空間が出現したそうです。
壁のあちこちには金日成の肖像画が描かれ、彫刻を施した柱が何本も立っている。
そう、ここまで聞いてボクも察しがついたのですが、そこは共産国特有の核シェルターを兼ねている構築物なんですね。ソビエトにも同じようなものがあるし、間違いありません。
で、R君はどこ行きかは分からない地下鉄に乗せられ、二つばかり駅を過ぎたところで降ろされました。
地上に出てもそこは知らない場所だったそうですが、K君がちょっとそこで待ってろ、というような素振りをするのでそうしていると、K君だけが戻ってきて、さらに五分ほどすると一台の軍用車が現われました。中から軍服を着た人が二人降りてきて、なんだか知らないけど、険しい顔つきでK君と会話を交わし、とにかく二人に車に乗れと指図しました。そのときのことです、R君が「あ〜、やべぇよ、オレは拉致されちゃって、このままもう一生日本に帰れないかもしれない」と真剣にそう思ったのは。
幸いそんなことにはならず、車は走り続け、なぜか再び、あの無人の撮影所の前で止まり、K君だけをそこで降ろしたそうです。R君は「なんでこんな所でK君を降ろすんだろ?」と不思議に思ったそうですが、口を挟むわけにもいかず、そのまま黙っていると、さっさと車は発進し、やがて、無事にみんながいるいつもの宿泊所に到着したそうなんです。めでたしめでたし。
ところが翌日、いつも通り撮影を始めると、K君の姿が見えないことに気付き、様子を聞いてみると風邪をひいて休んでいるとのことでした。しかし、その翌日も、そしてその翌日の翌日も、ついに、その後R君が北朝鮮に滞在している間、一度としてK君の姿を見ることはなかったのです。R君は短絡して「もしかして殺されちゃったのかもしれない」と思ったそうです。理由は、重大な軍事施設を外国人に見せたから・・・・。なるほど、あり得ないことでもないような気がしてきます。殺されたりはしないかもしれませんが、何らかの処罰を受け、スタッフから外されるぐらいのことはありそうな気がします。
撮影が最終段階を迎えるころになると、日本人スタッフも三々五々と帰国することになったそうですが、R君はどうしてもK君のことが気にかかり、結局、最後の帰国メンバーまで残ったそうなんですが、現地の誰に聞いても知らない知らないの一点張りで、K君の消息はついに分からずじまいでした。
帰国してしばらくすると、一通の葉書が届いたそうです。それはK君からで、自分は元気でやっているから心配するな・・・・というような内容が書いてあったそうです(翻訳してもらったところによれば)。なんだかわざとらしい、と思ったそうです。それがK君の直筆であるかどうかなんてまったく分からないし・・・・それでも、一応、届くかどうかは分からないままにそれなりの返事を書いたそうです。
それからまたしばらくすると、再びK君からの手紙が届きました。でも、その時たまたまR君は一週間ほど家を空けて仕事に出ていたそうで、自宅に帰って来て、初めてk君からの手紙に気付いたそうです。
そこには、「●月●日の午後●●時に電話をします。こちらの国では勝手に外国に電話ができないので、あらかじめ申し込み、特定の場所から電話をすることになるので、必ず出て下さい」と書いてあったそうです。
しかし、残念ながら、その指定された日時は留守にしていた間のことで、すでに過ぎてしまっていたのです。
それきりK君からのアプローチはないそうです。それにしても、なぜ電話? どうせ言葉も分からないし、元気でやってる? あそう! で終わるだけなのに、敢えて電話をしてくるっていう態度がアヤシー。
R君はここまでボクに話して、あ、そういえばこんなこともあったと・・・・。
「金日成の別荘生活に飽きて、なんとか街のホテルに変えてくれないかと頼んだところ、最後の一週間はそうしてくれることになって、わいわいとみんなでそのホテルに移ったんです。で、毎日地下のバーで酒飲んでたんですけどね、ある時、片言の日本語を喋るスーツを着た中年の男がやってきて、ボクに話しかけるんです」
「あなた、にっぽん人ですね、めずらしいねぇ、こんなところににっぽん人がいるなんて!」
で、どこから来たのか、何しに来たのか、と色々訊ねるそうなんですが、なぜか話が例の地下鉄のことに及び、そこでどんなものを見たのか、しつこく訊ねるそうなんです。そして、
「トンネルの中間ぐらいに、大きな鉄の扉があったのを見ましたか?」
「いやぁ、気がつかなかったなぁ」
「そうですか、ならいいんですけどね」
「? なんなんですか? その扉って」
「・・・・いやぁ、そのなかには大変なものがあるらしいです」
うーーーん、気になる、、R君もだろうけど、このボクも。
R君は断言してました。
「あいつは工作員に違いない。ボクに近づいた時だって、どこ住んでるの? 武蔵小金井?、おう偶然ね、あの駅の前にあるパン屋さんは私の親類がやってるのよ・・・・とかなんとか、いま思えばあやしーあやしー」
・・・・というR君の特異体験でした。
で、どうなんでしょうねぇ、北朝鮮って国は!!


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