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稲村月記 vol.28   高瀬がぶん

「千ちゃんのこと」


庭にボクの背丈の2倍ほどのコスモスが咲いている畑があって、その中でボクがハーモニカを吹いている。たぶん4歳くらいの自分の姿。そんな古い写真がアルバムの中にあって、53歳になる今日まで、折りに触れ何度となくその写真を目にしているのだけれど、その出来事が実際の「思い出」として記憶に残っているのか、あるいは、その写真を見ることで「思い出」として記憶を捏造しているのかよく分からなくなってきている。なぜそんなことが起こるのだろうか。それは、脳内で記憶の再構築がなされ……、
つまら〜ん! お前の話はつまら〜ん!! はいはい、つまらない話はこれで終わり。その代わり捏造なんかじゃなく、歴史的事実(大げさ!)としてハッキリと覚えているふる〜い話をひとつ。

千ちゃんという初老の人の話だ。この人は大工さんなのだが、まともに働いているのは見たことがない。ようするに大酒飲みの遊び人で、ボクが物心ついたときから我が家に出入りしている人物だった。いつもいつもお酒の臭いをプンプンさせていて、家に来てはおばあちゃんが振る舞うお酒を飲み、景気のいいホラ話に花を咲かせるのが常だった。たぶん極貧の大酒飲みだったわけで、ボクの家に来るのも、もちろんおばあちゃんの振る舞い酒が目的だった。親戚付き合いと言えば聞こえがいいのだが、実は、おばあちゃんの旦那(ボクが生まれる前に亡くなっている)、つまりボクのおじいちゃんと言う人が藤沢警察署のお偉方で、この千ちゃんは酔っぱらっては暴れ警察のご厄介になる、いわば犯罪者。当時、我が家は国道1号線に面していて、藤沢警察署はうちの真正面にあり、おじいちゃんは酔っぱらった千ちゃんを警察で叱り諭しては我が家に連れて帰ってきたという。ま、おじいちゃんにとって千ちゃんという人は憎めない人物だったのかもしれない。
というわけで、おじいちゃんが亡くなったあとも千ちゃんは我が家に出入りし、のちに婿に入った父などは、千ちゃんには生涯「雅美!」と呼びつけにされていた。
その千ちゃんが、お祭りの夜に、一升瓶を片手に顔面を血だらけにして我が家に現れたことがある。もちろんベロベロに酔っぱらっており、玄関で仁王立ちした千ちゃんは「ふざけんじゃねぇぞ、アメ公め!!」。そういって、その場にバッタリと倒れた。それでも、医者に連れて行くでもなく、家に上げ、おばあちゃんが濡れてぬぐいで血をぬぐい「ま〜た喧嘩したのかい、だめだよあんたは飲むとタチが悪くなるんだからさ!」。
この時、千ちゃんは「アメ公5人に囲まれてよ、全員血だるまにしてやったぜい!」と言っていたのだが、後に現場を目撃した近所のおじさんの話によれば、血だるまになったのは千ちゃんだけで、しかも相手はアメリカ人などではなくばりばりの日本人、それも一人で、ビール瓶で頭を一発ゴツンとやられたということだった。なんでも最初に絡んだのは千ちゃんの方で、飲むならビールか酒かで言い争いになり、ついにそんな事態に至ったのだという。なんだよアメリカ人5人を相手に! だったらカッコいいのに、この大ボラ吹き! とボクは口にこそ出さなかったが呆れたりガッカリしたりしたのだった。
そんな千ちゃんがいつも言っていたことなのだが……。
それはテレビで大相撲を見ているときに限ってのことだった。
「お〜、トチ! あいつはよう、今は理事長だってんだろ? ははは、昔はよ〜、いやぁまだトチがふんどし担ぎの時代だけどよ、いっつも小遣いやって酒おごって寿司喰わしたもんだぜ」
この話を何度も繰り返すのだ。トチとは「栃錦」のことで、当時の「春日野理事長」のことだ。
栃錦と言えば、「栃若時代」という言葉で言い表されたように「若乃花」の好敵手として名を馳せた大横綱である。いくら大ボラを吹くにもほどがある、とボクも子供ながらにそう思っていた。ただ、千ちゃんが貧乏なのは相撲に肩入れし過ぎたせいだ、という話を伝説のように聞かされた覚えはあった。
そして、「マー坊(ボクのことをこう呼んでいた)おらぁよ国技館は顔パスだから、行きたかったら、いつでも連れてってやるからな」、というのも口癖だった。
で、ある時、ボクはその口癖に乗って、「えー、ホント、じゃ今度の場所(何場所だったか?)に連れてってよ!」と、千ちゃんにねだった。すると「お、そうか、いいよ。じゃ行こう!」
、、、というわけで、実際に行くことになったのである。
当日、ボクと父と千ちゃんの三人で国技館に向かった。なんで父も行くことになったのかよく分からないが、たぶん、父は千ちゃんを信用してなかったのだ。いつも酒を飲んでは暴れ回る千ちゃんに自分の息子を一日預けることなどできない、というところだったと思う。
そして、国技館に到着し父が入場券を買おうとすると、千ちゃんが「なにしてんだよ! オレについてくりゃいいんだよ」、そういって、ボクと父を促し、さっさと入り口に向かった。木戸番が二人立っているのだけれど、千ちゃんは「おう! じゃまするよ!」、そう言ってさっさと中に入って行ってしまったではないか。ボクと父は躊躇し、なんだかウロウロウロウロ。すると「ほら、早く来い!」と、千ちゃんが再びボクらを促す。ふと見ると木戸番の人も、なんだか戸惑っている様子で、フラフラと入って行くボクと父を黙って見過ごしたのだ。よく観察すると、木戸番の二人は確かに「千ちゃん」を見知っているようなのだが、言葉にはしなかったが、「また来たのか、しょうがないなぁ」と言っているようようにも見えた。……なるほど、それでも顔パスは顔パスである。
場内に入ったはいいが、よく考えれば座席は指定席でそこらへんに勝手に座るわけにはいかない。それに気付いた千ちゃんが「ちょっと待ってろ、座席券をふんだくってくるから」、そう言ってどこかに姿を消し、ほんの数分ほどで意気揚々と戻って来た。手にはたしかに券を三枚持っている。そして、「え〜○○○番だから……」と、場内をうろうろ。そしてようやく探し当てボクたち三人が座ると……、まったく驚いた! なんと目の前に幅2メートルぐらいのふと〜い柱があって、土俵などまったく見えないのだ! 現在はどうなってるか知らないけれど、そんな席を有料で売っていいのか、と思えるほど酷い席だったのである。千ちゃんは怒る怒る! 「ふざけるな! こんな席寄越しやがって!」。
ついで、「マー坊、俺について来い! 土俵の目の前で相撲を見せてやるから」。そういって、父をその場に残しボクをずんずん引っ張って行く。そして、まさしく土俵下(砂かぶり)までやってきて、座る席なんかないのに、花道の脇にドッカと座った。いいのかなぁ、こんなとこに……ボクは気もそぞろなのだが、それでも、文字通りここは「砂かぶり」で、戦う力士の汗に混じって土俵の砂がバシバシとんで来る。二人の力士の体はぶち当たった瞬間に真っ赤に染まり、その迫力は物凄くて、見ていて怖いほどだった。その勝負が終わると、千ちゃんがふと立ち上がり、目の前にやってきた羽織袴の大きな背中をポンと叩いた。
「よう、トチじゃねぇか!」
振り返ったその羽織袴は、まさにテレビでしか見たことない栃錦その人であった!
ボクは、その瞬間、どこかに消えてしまいたいと思った。栃錦がどんな反応を示すのか、それはそれは千ちゃんにとって悲惨な結果が待っているに違いないと確信していたからである。
そして、その結果は、、、
「おっ、親方! おひさしぶりです!」
なんと! そう言ってあの栃錦が千ちゃんに頭を下げたのだ!
「げ〜!おやかた〜!? マジかよ〜!!」 昔はそんな言葉はないので、そうは言わなかったと思うが、ようするにそんな気分で、感動して、開いた口が塞がらないとはまさにこのことだった。
それから先、どんな会話がなされ、ボクらはどうしたか、まったく覚えていないのだが、とにかく、日頃からでかいことばっかり言っている酔っ払いの千ちゃんが、、一瞬にして尊敬の対象になったのは言うまでもなかった。
そこから記憶が途絶えているのだが、ひとつはっきりと覚えているのは、それが千秋楽で優勝力士が春日野部屋の「佐田の山」だったこと。つまり栃錦の部屋なわけで、千ちゃんが大喜びし、帰りがけに「おうマー坊、トチが祝いに寄ってってくれっていうから、一緒に行こう! うまいチャンコが食えるし、さあ行くぞ!」
「ほんと〜!! うん行く行く!」
当然そう答えたのだが、なんと! 父が「申し訳ないが、千ちゃん一人で行ってやって下さい。帰りが遅くなるし、雅文と僕はお先に失礼します」
こともあろうに、そういって断ってしまったのだ! ボクはその場で「やだやだ!」と大泣きし、千ちゃんも「いいじゃねぇか雅美よ、めったに連れて行けるとこじゃないんだし」と父を説得するのだが、なぜか父は頑に「いや帰ります」と言い張ったのだった。
あの時ほど憎らしいオヤジはいなかったと今でもボクはそう思う。しかしよく考えてみると、あの時、千ちゃんと栃錦の会話やその関係性を父は見ていなかったわけで、「千ちゃんが栃錦に、お祝いに寄ってって、など言われるわけないし、勝手に押し掛けていって迷惑がられるのがオチだ」と、おそらくそう踏んでいたに違いないと思い付く。
結局、千ちゃんは一人で春日野部屋にでかけ、ボクと父はまっすぐに帰ったのだった。それにしても、千ちゃんは、ひょっとして父が思っているように、栃錦に誘われたりしてはいなかったのかもしれない。
ボクは思う。その昔、タニマチだった千ちゃんに多少なりとも恩義を感じている栃錦は、勝手に押し掛けてきた千ちゃんを半ば迷惑に思いながらも、「まあ一杯」と苦笑いを浮かべながら、祝い酒のひとつでもすすめたのではないだろうかと。
              つづかない

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