劇団・弘前劇場公演[アザミ]

写真左:保坂和志 写真右:弘前劇場主宰・長谷川氏     長谷川氏との再会にはしゃぎまわる保坂和志


長谷川孝治が作・演出する弘前劇場の芝居は、「静かな芝居」と言われています。しかし、その「静か」というのが曖昧で、人それぞれの概念が違う言葉なので、どういうことかというと……、たとえばチェーホフの芝居は、とても淡々とした芝居なのですが、誰が演出しても必ず大仰な演技になってしまって、チェーホフの戯曲や小説からイメージしていたことを失望させます。チェーホフでは人は絶対に人前で涙を見せないし、声を荒げたりしません。彼らはきっと深く絶望して、もう気持ちの起伏が本人たちにとってウソくさくなっているのだと思う。蛭川なんかは当然、その絶望を知りません。大きな演技をすることが絶望を表現することであり、そもそも感情というものだと思い込んでいます(とにかく私は蛭川が嫌いなんですが)。
もっともこれは蛭川にかぎったことでなくて、外国のどの劇団がきても、チェーホフは大仰になってしまいます。そのチェーホフを演じられる唯一の劇団が弘前劇場である、という意味での「静か」なのです。彼らがいつも小さな劇場で公演する理由もそこにあって、役者はみんな芝居っぽくならないように、「普通」に発声しているから、大きな劇場ではたぶん演技そのものを壊してしまうことになるのです。しかし、弘前劇場の役者たちは実は深いところに暴力性を持っていて、それを強く抑え込んでいる。そうでなければ、舞台の上で「普通」なんかにならない。彼らの暴力性はいつもの芝居でもときおり不意に垣間見られるけれど、今回はその暴力性が前面に出た。たまにこういう面を見ておくと、次の芝居でまた淡々とした会話のやりとりを見るときの緊張感が違ってくるだろう。
人って、つい忘れてしまうから、本当は喧嘩がものすごく強い人がいつも穏やかにしていると、調子に乗ってその人を馬鹿にしたりからかったり煽ったりしてしまうんだけれど………

                                   保坂和志


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