ひなたBOOKの栞

神話編

日本の神話の世界 (1)
日本の神話  赤羽末吉 絵   舟崎克彦 文

第一巻 くにのはじまり
第二巻 あまのいわと
第三巻 やまたのおろち
第四巻 いなばのしろうさぎ
第五巻 すさのおとおおくにぬし
第六巻 うみさちやまさち

赤羽末吉の絵は、なんといっても、モンゴルの馬頭琴の話「スーホの白い馬」が有名
ですが、わたしは、「ももたろう」が好きです。おばあちゃんの抱える重たそうな
「ももっこ」がほんとに、おいしそうだからね。で、このごろ、なんだか、日本の神
話が気になって、そういう絵本を探していたら、古本屋で、「中朝事実(ちゅうちょ
うじじつ)」の絵本をみつけ、横浜そごうのきれいになった本屋さんで、赤羽末吉が
絵を描いている、この日本の神話シリーズ全六巻をみつけました。その他にも、何册
か見つけたんだけど、絵が幼い感じはなんだか、よくない。
赤羽末吉の絵は素朴なんだけれど、洗練された色使いで景色の広がりが感じられる荒
涼とした空気を醸し出していて、特にスーホのなんかは、はじめて見た時には、ちょっ
と寂しくなったけれど、何度か見ていくうちにひきつけられていくような感じです。
ところで、この六冊の絵本は古事記、日本書紀がもととなっていて、かなり、忠実に
しかもわかりやすく絵本にしあげているんだけれど、題名をみれば、わたしくらいの
年代でも、40代くらいってことですが、まあ、なんとなく、知ってるような話でしょ。
自分たちがこどもの時代に、いなばのしろうさぎも、やまたのおろちもおおくにぬし
のみことのおはなしも、一度は聞いたことがあると思うんだけれど、今のこどもたち
は意外と知らないのね。でも実は、これらの絵本を読みながら、よーくわかったの、
わたしもくわしく知らないなってことが。特に、それぞれがつながってるのはわかる
んだけれど、そのつながりがつかめないので、すごく、未消化な感じで、気持が悪い
のね。なまじ、自分の国のおはなしだしね、しかも、聞いたことあるような地名や単
語が随所にでてきて、なおさら、知りたくなってくる、それで、古事記とか日向神話
とか、神々の世界とか、そういったものを読みあさっていたら、わかってきちゃった、
これはほんとに、おもしろい!

ところで、わたしが古本屋で買った「中朝事実」の絵本は、300年以上も前に山鹿素
行と言う人が漢文で書き記した本が題材になっています(そうそう、ホサカホームペー
ジで、ちょっと話題になった松蔭吉田がもっとも愛読していた本で、片時も手許から
離さなかったんだって)。この絵本、結局、天地開闢(てんちかいびゃく)から天孫
降臨、神武東征など、神話そのものに、ちょっとした教えを加えてわかりやすく作ら
れた絵本なんだけれど、なんだか、おもおもしいあとがきが、ちょっと不思議な感じ
もするし、そもそも、日本の神話自体が、戦後、旧憲法の天皇制崩壊とともに、否定
されてきた歴史があって、いろんな意見があるってこともわかるけれど、わたしとし
ては、そういったことにこだわらずに、読んでるだけでおもしろい日本神話の世界を、
これから、ちょこっとしらべていこうかなーーと思ってる所です。それにとにかく、
日本の神々はおおらかで、たのしくて、ちと残酷で、エロチックでね、あるがままっ
てところがいいですね。

第一巻、くにのはじまりでは、そもそものはじまりが、高天原(たかまがはら)とい
う天のかなたにある国にあって、そこにいる神様が天之御中主神(あめのみなかぬし
のかみ)。天地が開けた時に最初に成り座せる宇宙の中心の神と言うことなのね。こ
の神様から数えて七代めにあたる伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)がは
じめての男神と女神。天之御中主神がふたりに、「くらげのようにたよりない下界を
すみやすい土地につくりかえなさい」といって天の沼矛(あめのぬぼこ)を授けて、
それで、ふたりがかきまぜて、矛からしたたりおちた雫でできた島が淤能碁呂島(お
のごろじま)というのね。そこで、ふたりはこんな会話をかわすの。

「汝が身はいかに成れる」
(あなたのからだはどのようにできているのか)

「吾が身は成り成りて、成り合わざる処一処あり」
(わたしのからだには足りないところがひとつあるのです)

「吾が身は成り成りて、成り余れる処一処あり。成り余れる処を成り合わざる処に刺
し塞ぎて国生み成さん」
(わたしには、余った所が一ケ所あるので、あなたの足りない所を、わたしの余った
もので刺し塞いで、国を生みましょう)

ということで、ふたりは国生みをはじめるのね、淡路島、隠岐の島などからはじまり、
今の日本の国である八島の国土をつぎつぎに生んで、その後、神生みに移り、家の神、
川の神、海の神、農業の神、風の神、野の神、山の神、船の神など、これら三十五人
の神様の、最後に生んだのが火の神だったのね、それで、伊邪那美は御陰部(みほと)
におおやけどをおって死んでしまう。そして、死者の国である黄泉の国(よみのくに)
にいってしまったの。日本の神道の考え方では、他の宗教につきもののような天国、
地獄的な考え方はなくて、つまり、いいことしたら天国に行けて、悪さしたら地獄に
おちるとかね、そういうのがない、ただ、黄泉の国と常世の国があるだけなんだそう。
で、伊邪那岐は悲しくて身悶えして悲しんで、ひと目、伊邪那美に会いたくて、黄泉
の国にたずねていくの。そこで、伊邪那美は石のとびらのむこうから、とにかく、自
分の姿は見てくれるなと頼むんだけれど、誘惑に負けて、伊邪那岐は見てしまうのね。
それで、伊邪那岐は驚くわけ、だってそこには、生きてる時とは似ても似つかない程
腐り果てて、ウジがたかり、八雷神(やくさのいかづちかみ)がとぐろをまいている
醜い伊邪那美の屍だったから。それで、伊邪那岐は、情けないことにいそいで逃げ出
しちゃうの。それを知って追いかけてくる伊邪那美はものすごく怖いんだけれど、結
局、黄泉の国と、常世の国の境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)で叫ぶの。
「かく為(し)たまわば、汝の国の人草、人日に千頭(ちがしら)絞り(くびり)殺
さむ」
つまり、あなたがそのようなしうちをなさるのなら、わたくしはこれから、あなたの
国の人達を一日に千人しめころしてやります、ってこと。
そうすると、伊邪那岐はこう答えるの。
「吾は一日に千五百産屋(ちいおのうぶや)立てむ」
つまり、おまえがそのつもりなら、わたしは日に千五百人ずつ子どもを生ませてやる
、ってこと。
こうして、黄泉の国からもどってきた伊邪那岐は死者の穢れを祓うために、筑紫の日
向の橘の小戸の阿波岐原(あわぎはら)でからだを浄めるのね。左目を洗うと、天照
大御神(あまてらすおおみかみ)、右目を洗うと月読神(つきよみのかみ)、鼻を洗
うと須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれ、天照は高天原、つまり天上界を、月
読が夜の国を、須佐之男が海上をおさめるようになったということ。

第二巻のあまのいわとは、有名な天照大御神が天の岩戸にかくれちゃうお話ですが、
今月、わたしは、九州の天の岩戸神社に行ってくるので、次回はそこのところに続き
ます。高千穂、霧島神宮なんかも廻る予定。


日本の神話の世界 (2)


前回書いた、伊邪那岐が黄泉の国(よみのくに)から常世の国(とこよのくに)にも
どってきて禊ぎ(みそぎ)をおこなったといわれている池に行ってきました。そこは、
宮崎県の一ツ葉海岸沿いの阿波岐原町(あわぎはらちょう)にありました。つぶれて
しまったフェニックスリゾート「シーガイア」のすぐ近くにあるんだけど、もともと
そこらへん一帯は、松林の樹海が広がってて、長い間、自然そのままに風光明媚な場
所だったらしいのですが、シーガイアのせいで、すっかり、人工的に整備された景色
になっていました。ただ、伊邪那岐、伊邪那美を祀る江田神社からつづく禊池までの
道の雰囲気はやはり、ひとっこひとりいなかったせいか、ちょっと神秘的な感じで、
池そのものは、睡蓮がびっちり群生してるので、「こんなどろどろしたところで、体
あらってアマテラスオオミカミが産まれたの?」と次女が驚いた程、きたなかったけ
ど、私自身はなぜかぞくぞくするほど感動しちゃった。古事記にも、祝詞の中にも
「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に」という言葉が出てくるんだけど、この地名が、
ここらへんには残っていて、橘は、宮崎市街地に「橘通り」「橘橋」というのがあり、
鶴の島という所に移された小戸神社もこの池のそばにあったというし、ホテルで買っ
た地元の「かたりベの会」で発行している薄い小冊子によると橘三喜の「一の宮巡詣
記」の古文書にも小戸の地名が出てくるということで、古くからこの地名がここらへ
んで使われていたことはたしかです。

今回たずねた鹿児島県から宮崎にかけては、それこそ、「神話の里」として、観光地
化されているんだけれど、古事記に書かれている天照大御神の孫である邇邇芸命(に
にぎのみこと)が地上界におりてきたという天孫降臨の地、高千穂が鹿児島県の霧島
にある高千穂峰だという説と、宮崎県の西臼杵群高千穂町だという説があり、たしか
に行ってみると、どちらでも、「天孫降臨の地へようこそ」って文字がいたるところ
にありました。わたしはまず、鹿児島県霧島のほうから先に行きました。指宿(いぶ
すき)で墓参りする予定もあったので。
鹿児島の指宿には、夫の先祖の墓があるんだけれど、結婚してから今までに一度しか
行ったことがない、というのも、夫の父方の祖父母はもうはるか昔、父がこどものこ
ろに亡くなっていて、親戚も2.3人住んでいるだけで、夫の両親もそこから離れて暮
らしているし、なにより指宿が南の果てにあって、なかなか行きにくい場所というこ
とで、不義理をしてしまっていた。ところで、夫の名字はとてもめずらしい名前で、
こっちでみかけることはほとんどなく、たいてい「変わった名前ですね」と言われる
のだが、先祖の墓のまわりには、その名前の墓が、5.6個あったり、街でみかけた法
律事務所の立て看板がおなじ名字だったりして、けっこうポピュラーな感じでちょっ
とおかしな感じでした。
ちょうど霧島に訪れた日は全国的にあったかくなった日で、もう、初夏の陽気で太陽
もまぶしく、からからに晴れて気持のいいそよ風がふいていました。そのうえ、桜は
満開!これでもか、これでもかというように咲き誇っている桜は、たとえば鎌倉の段
葛の桜並木のすごさとも、どこかが違ってるようで、特に、空港からレンタカーで、
市街地にいけばいくほど、山裾や民家の脇にたっている桜の木の枝振りとかが絶妙に
バランス悪かったりして、大きな化け物が両腕を広げているように見えたりしてすご
かった。
霧島では霧島神宮、霧島東神社、狭野神社と、廻りました。
それらの神社から見える高千穂峰の頂上の石積みのてっぺんに、邇邇芸命が天上の高
天原から天照大御神にさずかってもってきたという「天の逆鉾」がつきたっていて、
これは霧島東神社の神宝とされているんだそうです。これは一巻にでてきた「天の沼
矛」を逆さにつきさしているので「天の逆鉾」と呼ばれているんだけれど、実際には、
いったいこんな場所に、誰がいつどうやってさしたんだろうと思って、神主さんに聞
いてみたら「実は、なにもかもよくわかってないんですよね、いつごろからささって
いるのかも定かではなくて、青銅製だと言われているんですが、それも、近頃、調べ
たところによると、どうもそうでもないらしく、はっきりしないんですよ」とのこと。
ここは、修験道の霊場として有名な場所らしく、そこに行くまでの細い道も、杉木立
が連綿と続いていてミステリアスな気分になった。
霧島の西を守る霧島神宮は御祭神が邇邇芸命、西暦540年から続く九州を代表する大
きな神社で、さすがにおごそかなで立派な雰囲気。参拝の栞には、伊邪那岐、伊邪那
美から昭和天皇までの系譜が書かれていて、神話なのか、史実なのか、わかんなくな
ってしまうような説明つき。
宮崎県西臼杵郡の高千穂町にむかったのは九州についてから二日目の夜で、高千穂峡
につくあたりで、すごい雨になり、それでなくても、灯りひとつないくねくねの山道
だったので大変だったけど、途中で道を横切るタヌキに出会いました。今まで見たタ
ヌキの中でも、いっとう貧弱なからだつきで、ぼろぼろにやせこけて、猫背でとろと
ろと道をわたっていくのが、なんともいえず、愛嬌があったなあ(それで、結局、タ
ヌキのせいではないけれど、遅くなってしまって高千穂神社で見たかった神楽が見れ
なかったのよ、阿蘇の秋嶋さん、またこんど、行こうと本気で思ってます)。
第二巻、あまのいわとでは「伊邪那岐の神は三人の子、天照(あまてらす)と月読
(つきよみ)須佐之男(すさのお)にそれぞれ高天原と夜の国と海上を治めさせたが、
末の子須佐之男は、すなおにいいつけを守るような神ではなかった」というところか
らはじまります。それで、須佐之男のあらくれぶりはたいそうひどくて、たとえば、
気に入らぬことがあると、泣き叫んで地団駄をふんだり、山をゆすって木をからした
り、屎をまき散らしたり、皮を剥いだ馬を、はたおり女のところに投げ込んでおどろ
かせて、殺してしまったりしたので、怒った天照は天の岩戸という洞窟に身を隠して
とびらを閉ざしてしまうのです。全く、神様と言っても、ほんとに、神聖さとはまっ
たくほど遠い感じの須佐之男だけど、後にでてくるヤマトタケルや、他の男神はほん
とに野蛮。
天照は日の神様なので、岩戸に隠れて、世の中は真っ暗やみになってしまうの。それ
で、困り果てた高天原の神様達は天安河原(あまのやすかわら)に集まって相談する。
そして、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が進み出て、にわとりの声にあわせて、
おがたまの木の枝を振りながら踊り始めるのね。宇受売が踊り始めてだんだん興がの
ってきて、そのうち、身にまとった服までぬいでしまう、古事記ではここの場面は、
「胸乳掛き出で裳緒(もひも)を番登(ほと)に忍し垂れき」と書かれていて、結局、
御陰部までだして見せちゃうの、で、見ていた神様たちは大喜びで大笑い、そこで、
いったいなにやってるのかしらーーと不思議に思った天照がちょこっと、岩戸を開け
て覗き見た時に、一気に力持ちの天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が天照の手
をとって引き出してしまう、それで、もとのように世の中があかるくなったという話。
須佐之男はどうしたかというと、手足の爪をひきぬかれて地上に降ろされることにな
ったのね、地上でたどりついたところが、なんと出雲の国、ここで、やまたのおろち
退治する話はつぎの三巻です。つまり、やまたのおろち退治をしたのは、このあらく
れものの須佐之男だったんですよ。
ところで、この話にでてくる天の岩戸は実際あるんだけど、高千穂町の天の岩戸神社
の対岸の絶壁に洞窟があって、そこは、この神社の御神体で神官でさえ入れない御神
域なのです。神主さんに頼むと、神社の中に入れてもらえて、その洞窟を対岸から見
ることはできるんだけど、その岩戸は、入っちゃ行けないというより、絶対に人間に
は行くことができないような断崖絶壁にあって、もう、下を見るのも恐ろしいほどで
軽い高所恐怖症気味のわたしなんか、ぶるぶるふるえちゃうほどで、たぶん、がぶん
さんは大丈夫だけど、ほさかさんもだめだと思う。神社の境内にはりっぱな「おがた
まの木」があって、はじめて見たんだけど、ちょうど実もたわわになっていて、これ
を宇受売が持って踊ったのね、とうれしくなりました。わたしは、宇受売が好き。赤
羽末吉の絵の宇受売も陽気で可愛い表情で、いいのです。
(高千穂の話はもうちょっとつづく)

end