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<訪問>薩摩琵琶奏者、荒井靖水さん
 


 
 

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うちの近くの大きな竹林のそばを通るたびに、なんだかちょっと昔にタイムスリップするような不思議な気持になる。それは、竹の葉が風に吹かれてざわざわと鳴る音のせいだと気がついたんだけど、荒井靖水(あらいせいすい)さんの琵琶の音を聞いた時、同じような不思議な気持がした。音って、からだの奥のほうを刺激して、いろんなものを呼び覚ますみたいな、ほら、動物だって、虫だって、好きな音楽があるそうで、その音楽をならすと、いきなり踊り出しちゃったり、鳴き出しちゃったりするらしい。靖水さんの琵琶をはじめて聞いたのは、去年の9月、地歌舞で源氏物語「落葉の宮」を古澤侑峯さんの舞いとともに、お座敷きで演奏した時だった。幻想的で儚気な源氏物語の世界。しかし、と言ってはなんなのだが、演奏前、靖水さんはよくしゃべった。若くて親切なおしゃべりは非常におもしろく、時折、笑いも起こる程で、と言うと、もしかすると、そのあとにくる演奏と合わず興醒めなんじゃないかと思う人もいるかもしれないけれど、それは全くそうじゃない。靖水さんが今の若者であればある程、琵琶によって連れていかれる時代までのタイムスリップがわくわくしてくるのだ。そんなことも、昨今、日本の伝統芸能がちょっとしたブームになっている原因のひとつなんじゃないのだろうか。
荒井靖水さん、29才。現在、日本中はもちろんのこと、アメリカ、フランス、チェコなどでも演奏活動を行い、古典だけではなく現代邦楽を軸に他ジャンルとの共演も数多く試みている薩摩琵琶奏者である。横浜の蒔田(まいた)にある彼のお稽古場に入って目をひくのは何十台もの琵琶と、彼のおじいさま、今は亡き薩摩琵琶の名手中谷襄水(なかたにじょうすい)さんの大きな写真。彼のおかあさまである荒井姿水さんもまた、独特の円熟された世界を持つ薩摩琵琶奏者である。お稽古場に飾られた絵や、テーブル、小引き出し、どれをとっても、さりげなくセンスのいい骨董品で思わず見入ってしまう。なんでも姿水さんの趣味と言うが、お稽古場に入る時にさっと顔を出し、挨拶してくれた普段着の彼女の顔もすてきだったなーとためいき。そう、芸人の顔は全てを物語る。靖水さんもまだまだ若手だけれど、こういうおかあさまに育てられたのだから、見込みあるぞと、これからが楽しみなのだ。

彼が本格的に琵琶をはじめたのは6才の時。もちろんそれまでも、そして、習いはじめたあとにも、琵琶は日常の中に当たり前におかれ、ご飯を食べたり、寝たりするのと同じように毎日欠かさず弾いていたと言う。小さい頃から、本牧亭などで開かれた琵琶の演奏会に連れていかれ、それは公園に行くのとなんら変わりはないような感覚で、自然に琵琶の演奏を聞いていたんだそうだ。そのころは歌舞伎の「○○屋ー!」のかけ声のように、琵琶の演奏中も声がかかったそうなのだが、今はもう、そういう合いの手を知ってる人もいなくなりましたねと、靖水さんはおっしゃる。
戦後、クラシックなど洋楽の普及によって、琵琶そのものの存在が影をひそめていったのは、三味線や箏(こと)など、日本古来の他の音楽も同じことだ。日本は鎖国していたからその独自の文化が守られ充分に熟したとも言われるが、真偽の程は定かではないけれど、島津藩では呪術などを大切にしていたため、徳川幕府が気味悪がり琵琶法師を外に出さぬようにということで、結局藩内で温存された独特の薩摩琵琶が生まれたという説もある。とはいえ、もともと琵琶は日本のものではなくリュートから派生した楽器である。今もなお、古代ササン朝ペルシャ紀元前8世紀の象徴である月のマークが琵琶の表面に付いている。
ひとくちに琵琶と言ってもいろいろあるけれど、正倉院に残っている琵琶がもっとも古い形と言われ、雅楽に用いられる楽琵琶、平家琵琶や盲僧琵琶、その他に薩摩琵琶や筑前琵琶がある。
薩摩琵琶は桑の木でできていて、その強さから荒々しい男芸とも言われるが、なるほど、演奏を見ていて、こわれやしないかと心配になるほど、撥(ばち)で琵琶の胴をたたく。また、薩摩琵琶の撥は驚く程大きく、両サイドがとがっているのだが、これまたほんとかどうか、一説には、武士は琵琶を弾く時に刀を自分の身から離さねばならず、撥が刀の替わりになり身を守れるように、これほどまでに大きく鋭くなっているとも言われていたりして、なるほど、握ってみると怖いほど。
「弾くのに、ほんとはこんなに大きくなくってもいいですけどね」と、靖水さん。でも、その大きさのせいで、なんとも言えないあでやかな男の色気が醸し出されるような気もする。
ところで、靖水さん、音高、音大ではフルートを専攻している。琵琶について言えば、小さい頃から身近にあって特に強制されたわけでもなく、また、かといって強く興味ひかれるものでもなかったと言う。それでも、いざ、音楽の高校に行きたいと考えた時に、もちろん薩摩琵琶でと思ってみたのだけれど、楽琵琶はあっても、専攻に薩摩琵琶というのはどこを探してもなかったのだそうだ。じゃあ、フルートで受けてみよう、というところが、また、肩の力が抜けた今の若者らしい。そんな靖水さんにとって、師匠でもあるおかあさま、姿水さんに対する思いを伺ってみた。
「いつか、母を追いこしたいという思いはありますが、たちうちできるかどうか。いつでも新しいことにチャレンジしているんですよね。古典じゃ無理でも、現代邦楽なら、と思っても、母はジャンルや枠にとらわれずになんでもやっちゃいますからね、こっちも驚く程です」
今年の9月11日に国立能楽堂で行われる創作能舞「アルハンブラ幻想」もギターと姿水さんの琵琶のセッションだ。W・アービングの「アルハンブラ物語」をもとに、能の舞いで語られていく世界。その世界を創り出すきっかけは姿水さんがゴーチェの詩「モーロ人の嘆き」の断片に出会ったことがきっかけだったそうだ。年を経ても、いつでも、師匠は先を歩いていて、いつか、亡くなった時には、それこそ、手の届かない伝説の金字塔になってしまう。こどもにとってこういう関係はある意味で厳しいけれど、なんてしあわせなことだろうか。

ところで、わたしが二度目に靖水さんの琵琶を聞いたのは、今年の春、こんどは、琵琶と二十五絃箏による演奏だった。曲名は「忘れ水」、靖水さんと、箏の弾き手で彼の新婚の奥様である荒井美帆さん、おふたりで作った曲である。「忘れ水」とは、俳句の季語などで用いられる言葉なのだが、美帆さんの言葉によると、「忘れ水とは、人間に忘れられた水の流れ、夏は生い茂る緑に隠され見えず、冬は積もった雪におおわれているけれど、それでも、止まることなく流れ続け、ほんのひととき雪解けの春と、落ち葉の季節にその流れが人目に触れる。その忘れ水のひそやかな物悲しさ、そして、枯れることなく流れ続ける力強さを表現しようと思ったんです」
琵琶と箏というのは演奏形態が違うということや、それぞれの持つ個性が違うということから、一緒に演奏することが今まではほとんど考えられなかったそうである。また、普通は13本である絃(げん)の本数が25本あるという箏ができたのも、1991年と歴史は新しく、その演奏方法も従来のきちんと正座して弾くのと違い、中腰で、かなり、激しく力強いのだ。絃の数が増えた分、演奏の幅も大きく広がったのだけれど、「忘れ水」の場合には、互いにMDで少しづつ録音しながら作る過程で、時間をかけて苦労して出来上がった曲ということだ。
おふたりのお稽古場で久しぶりに「忘れ水」の一節を聞かせてていただいた。あの音の世界、たぶん、思いがけず現代的でテクニカルな演奏に、はじめて聞く人は驚くと思う。そして、やはり、どこかからだの奥の自分の何かが呼応する感じを覚えるはず。なつかしい古の日本人の姿がちょっと浮かんできて、まちがいなくわくわくする不思議な気持になれると思う。そういえば、この春、聞いた時と何か違う印象、そう、あの時はもうちょっと、ふたりのコンビネーションが初々しかった。こういう変化って、見る側にはなんだかとってもうれしくて、何十年かたってすっかり有名になって貫禄のついたおふたりの演奏を聞きながら、「あのころはかわいかったのよ」なんて、言ってみたい。

演奏予定
9月29日(土)開演午後3時(開場2時半)
「音草紙 月丸」薩摩琵琶 平家物語「敦盛」・忘れ水 他
 演奏:荒井姿水 荒井靖水
 場所:西岡酒造・酒蔵
    八王子市八木町5-4 TEL0426-25-0052
 料金:2500円(当日3000円)
 
*毎年春には、師匠である姿水さんの「襄水会」の演奏会が横浜能楽堂であり、もちろん弟子であ る靖水さんも演奏します。ほとんど、公に告知してないそうですが一ヶ月前には券が売り切れる 程の人気です。大きな所ばかりではなく、靖水さんはジャズ喫茶や料亭、地方のお祭りなどにも 参加して演奏活動を行っています。機会があったら是非一度、聞いてみて下さいね、そのうちCD も出る予定です。
 

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