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◆◇◆    メールマガジン【いなむらL7通信】 第5号      ◆◇◆
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                        2001/7/20 vol.05
                編集部より
暑い夏です、こんにちわ。
ゲスト劇場は早稲田大学の学生おふたりが書いてくれました。
おくいくんは10代です。若い!
がぶんさんちの猫イチがいなくなってしまいました。
クーラーが壊れたがぶんさん家が暑いので
どこか居心地のいいネグラでもみつけたのでしょうか?
今回も、えぞももんがさんのおすすめ「馬」は次号につづいちゃいます!
保坂さんの小説論・番外篇、「中原昌也のことからはじまって」は
もともと質問保箱に届いた質問からはじまったのです。
また、質問、感想、お待ちしてます。
             (keito@k-hosaka.com)
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■■■          芥川賞作家・保坂和志公式ホームページ        ■■■
■■■          http://www.k-hosaka.com            ■■■
■■■   未発表小説『ヒサの旋律の鳴りわたる』をメール出版中!  ■■■
■■■    http://www.k-hosaka.com/sohsin/nobel.html      ■■■
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★☆★----------もくじ--------------------------------------------★☆★

■今月の特集【訪問】
 薩摩琵琶奏者、荒井靖水
■連載【小説論番外篇】vol.06「中原昌也のことからはじまって」 保坂和志
■ゲスト劇場・第三回 (おくい、チイ)
■ネコラム『今ごろどうしているのやら』・がぶん@@
■今月の【わたしのオススメ映画・舞台・音楽】(文・オススメ人) 
 ◆『シーズンチケット』2000年英/マーク・ハーマン監督(文・くま)
■今月の【わたしのオススメ本】(文・オススメ人)
 ◆「空からの民俗学」宮本常一/岩波現代文庫(文・めざ)
 ◆「ギャシュリークライムのちびっ子たち」「うろんな客」「優雅に叱責す
  る自転車」エドワード・ゴーリー著、柴田元幸訳/河出書房新社
  (文・たかこ)
 ◆「タンゲくん」片山健 福音館書店(1992)(文・ぐら)
 ◆ホープ・エーデルマン「母を失うということ―娘たちの生き方」(NHK
  出版)メリー・グールディング「さようならを告げるとき」(日本評論社)
  (文・むく)
■今月の【私のオススメ】(文・オススメ人)
 ◆馬2!(文・えぞももんが)
■連載【稲村月記】vol.05 『なんの変哲もないこだわりの風景』高瀬がぶん
■新コーナー・保坂和志の『質問保箱』
■連載【興味津々浦々】vol.06「ジャパニーズ・ガウンの巻(5)」春野景都
■編集後記
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               ★次号特集予告★2001/8/20 配信予定
        <宮いつき、天井画からエルベ・ギベールまで>
                  (画家)
宮さんはすっごい美人、そのうえ、声がよくっておもしろい。東京芸大で日本
画科専攻だったのに、彼女の画歴を見ると、まあ、よくぞここまでやってるな
あというほど、精力的にいろんなところで書き続けてる。でも、実際の彼女は
ゆったり優雅なたたづまいなのね。こないだ、一年がかりで仕上げた九州のお
寺の天井画のモチーフは「絶滅する動植物」、23平方メートルの天井にどんな
絵が描かれたのか、ちょっと想像できないよね。
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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆今月の特集◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
             
■【訪問】薩摩琵琶奏者、荒井靖水

うちの近くの大きな竹林のそばを通るたびに、なんだかちょっと昔にタイムス
リップするような不思議な気持になる。それは、竹の葉が風に吹かれてざわざ
わと鳴る音のせいだと気がついたんだけど、荒井靖水(あらいせいすい)さん
の琵琶の音を聞いた時、同じような不思議な気持がした。音って、からだの奥
のほうを刺激して、いろんなものを呼び覚ますみたいな、ほら、動物だって、
虫だって、好きな音楽があるそうで、その音楽をならすと、いきなり踊り出し
ちゃったり、鳴き出しちゃったりするらしい。靖水さんの琵琶をはじめて聞い
たのは、去年の9月、地歌舞で源氏物語「落葉の宮」を古澤侑峯さんの舞いと
ともに、お座敷きで演奏した時だった。

・・・・・・つづきはWEBページで・・・・・・
◆◇◆この続きは参照写真付きの、以下のWEBページでお楽しみ下さい◆◇◆
        http://www.k-hosaka.com/inamura7/biwa/biwa.html
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■連載【小説論番外篇】vol.06「中原昌也のことからはじまって」 保坂和志

 今回は、はじめQ&Aの「中原昌也の小説について、何かおもうところはあ
りますか?」という質問箱の答えのつもりで書き出したのですが、本来の回答
から大きくそれてしまったために、「小説論・番外篇」にしました。

【質問】中原昌也の小説について、何かおもうところはありますか?
 中原昌也の短い小説は好きです。というか、すごいと思います。あるいは、
「こちらが試されているような気持ちになる」のかもしれません。
 ゴダールが『映画史』の中で、ブニュエルの映画を褒めるのに「みだしなみ
の悪い映画」という言葉を使っています。ゴダールがブニュエルについて語っ
たのと同じ意味かどうかは、その箇所にもう一度あたって読み直してみないと
確かなことは言えないけれど、中原の小説も相当「みだしなみが悪い」と思い
ます。
 小説を書く人はみんなそれなりに小説についてすごくよく考えているわけで、
小説を読むとそういう「意識」がよくわかります。もちろん小説についてちっ
ともきちんと考えないで書いている人もいるわけですが(ただしこの手の人も
本人の意識では「よく考えている」と思っているんだけど)、そういう人の小
説は文芸誌の新人賞をとるのがせいぜいで、ものすごく古臭い小説に仕上がっ
ています。小説というのは怖いもので、よく考えないで書くと、オーソドック
スで古臭い小説になってしまうのです。

 ――もっとも、まれに『岸和田少年愚連隊』のように、ぽっと書いた小説が
すごくおもしろい、という例はありますが、そういう小説はあくまでも娯楽と
して筋がおもしろい、つまり、その人の経験がおもしろいわけで、経験のおも
しろさに生来の語り部的な語りのおもしろさがプラスされたということです(
だから『岸和田少年愚連隊』はいろいろな映画や小説に似ているわけです)。
 語り部的に語りのおもしろい人は間違いなくいるのです。それはたぶん家庭
環境か風土的なものでしょう。が、しかし、小説というのは、その「生来の語
りのおもしろさを断念した人」が、あれこれ工夫してはじめるものなのです。
――という言い方は、とても観念的でわかりにくいかもしれませんが、事実そ
うなのです(ここで私に「生来とはどういうことか。そういう考えはおかしい
んじゃないか」などと反論するのは勝手ですが、こんなところで反論していて
も、小説が書けるようにはなりません)。ガルシア=マルケスの『百年の孤独
』は、生来の語り部的な語り口のおもしろい作者によって書かれた小説のよう
に見えるかもしれませんが、彼は、「生来の語り部」みたいにしてあの小説を
書くように意識したのです。それゆえに、風土的な感じが濃厚に出てきてもい
るわけです。 
 話を戻します。中原昌也の小説は「小説についてよく考えないで書いている」
ように見えてしまうところが、すごいのです。もしかしたら、本当に小説のこ
となんか何も考えてないのかもしれない。三島賞になった『あらゆる場所に花
束が……』は、語り口が全体にとてももっさりしていて、私は読みはじめて「
あれ?」と思いました。
この「もっさり感」は、たぶん「長い小説を書く」という一種の重圧のような
ものの産物ではないかと私は想像します。部分としては4箇所か5箇所くらい
唐突でおかしいところもあったけど、そのおかしさはいままでの短い小説のお
かしさと変わらないと私は思う。いまの日本では、小説を書いて一定以上の収
入や評価を得ようと思ったら、“それなりの”長さのあるものを書かないとダ
メという暗黙の了解みたいなものがあって、中原自身もそう忠告(?)された
ために、あの小説を書くことになったのだと思うけれど、語り口の「もっさり
感」によって、はからずも、その重圧があらわれてしまった……というところ
が本当ではないかと思う。
それはそうと、中原は本当に「小説についてよく考えないで書いている」のだ
ろうか? 私の想像では、あれこれあれこれいろいろいろ考えて、考えすぎて
面倒くさくなって、「もう、いいや!」で、書いたのが一連の短い、通り魔の
ような小説で、彼は毎回毎回、「もう、いいや!」の境地に達しないと、あれ
らの短い小説を書くことができなかったということなのではないだろうか。―
―もちろん、この方法では『あらゆる場所に……』のような長さの小説は書け
ないわけですが。
ところで、その「もう、いいや!」の境地を「方法」と呼ぶことができるでし
ょうか。私は紛れもなく方法だと思います。
『巨人の星』という漫画がありました。あれに出てきた「大リーグボール3号」
というのは、バットの風圧によって球がよけてしまう魔球です。(ちなみに1
号はよけたバットに当たる魔球で、2号は砂を巻き上げて消える魔球でした。
当時のグラウンドはどこも人工芝ではなくて甲子園のような砂のグラウンドだ
ったので、そういう想定も可能だったのです。)その大リーグボール3号を打
つために、敵方(たしか中日ドラゴンズ)の監督になっていた父の星一徹は、
伴宙太に試合の開始直後からベンチの隅でずうっと倒立をしていることを命じ
ました。そしてついに9回になって伴が代打で出てくるのですが、そのとき伴
の筋力は限界をはるかに越えていたために、バットをほとんど振ることができ
ませんでした。が、そのために伴が弱々しく振ったバットは星飛雄馬の投げた
大リーグボール3号がよけてしまうほどの風圧を起こすことができず、バット
は見事にボールに当たるのだが……という展開になるのですが、中原昌也の「
もう、いいや!」の境地とはこれと同じことだと思うのです。
彼はきっと毎回毎回「もう、いいや!」が訪れるまで悩みに悩んでいたんだろ
う、と思うのです。ちょっと美化しすぎかもしれませんが……。
ま、しかし、中原自身の創作のプロセスはどうであれ、できあがった通り魔的
な短い小説は、それほど特別なもので、小説について普通に考えていたのでは
出てこないものだと思います。          
◆長編なので、後半はここで→http://www.k-hosaka.com/Q&A/shousetu6.html
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■ゲスト劇場
 ●きまぐれ生活記 「日傘をさしてみること」の巻   by/おくい
 ●チイさなことからコツコツと「ちび猫と「生きる歓び」のこと」 by/チイ
  写真もありますので、こちらでお楽しみ下さい。
 http://www.k-hosaka.com/inamura7/guest/okuitii.html
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■ネコラム『今ごろどうしているのやら』・がぶん@@
猫の飼い方というのも色々あるだろうけど、ボクの場合は自由放任主義という
か、ほっぽりぱなしというか、家の中と外の境目がないバリラックス状態なの
で、実際のところ猫を所有しているという感覚があんまりない。ついでに「食
器」もバリラックス状態で、洗っちゃえばみな同じというわけで、手近にあっ
たお皿がそのまま猫や人の食器となっている。
ま、とにかく、猫っていうのは、外に行けば交通事故の危険はあるし、喧嘩は
するし、病気はもらってくるし、ノミは連れてくるし、などなど、心配すれば
きりがない。でも、そういったことから猫を守ってやらねば、という意識も悲
しいかなあまりない。基本的には、猫は猫なりに自分で自分の身を守る義務が
あるのだと思ってる。もちろん目に見えて困っていることがあれば、助けてあ
げるし、できるだけ快適に生活させてあげようとは思っている。でも、猫にと
っての快適な生活とは何なのか、を考えるとちょっと悩ましい。
あらゆる危険から守ってやろうとすれば、家の中で飼うしかないわけだし、そ
れじゃ可哀想だと言えば、いやそんなことはない、家の中しか知らなければそ
れはそれで幸せだ、という反論もあるに決まっている。
亀は飼っている入れ物に相応しい大きさにしかならないというけれど、猫をそ
ういう風に飼うのはボクは反対で、それじゃ猫の体はともかく、心の方が家の
体積分にしかならないのではないかと思う。
だから色んなリスクを背負っても、外で元気に遊んで欲しいし、それで死んじ
ゃったとしても、それはそれで仕方ない。嫌だけど諦める。
実際、これまで何十匹となく猫を飼ってきたけれど、皆同じ飼い方なもので、
交通事故では三匹(稲村に来てからだけで)死んでるし、たぶん伝染病と思わ
れる病気でも五、六匹は死んでいる。それに、家を出たっきり帰って来なかっ
た猫も、五匹以上はいるだろう。
というわけで、少なくともボクは、交通事故と家出については初めから諦めて
いて、本心を言えば、「予防注射をする」「食べ物をあげる」、ほぼそれだけ
でいいのではないかと思っている。あとはその猫の体力とか気力とか運動神経
とか運とか、そういうもので寿命が決定されるのだ。
イチの姿を見かけなくなってからもう20日以上経つけれど、本人(本猫?)
が健康ならば、その時間的長さは大して問題ではないだろう。イチ的には一ヶ
月くらい帰って来なかったこともあった。イチどころかフクちゃんもこのとこ
ろ家に寄りつかず、五日にいっぺんくらいしか帰って来なくなった。
もちろん原因は新参のスミちゃんの存在だと思うわけだけれど、これはこれで
世の習い。新しくやってくるチビ猫は、やがて家の中で天下をとり、結局のと
ころ古参猫に嫌われる運命なのだ。でも、普通はそれも一時期だけの話であっ
て、一ヶ月もすれば元の鞘に収まるという寸法なのだが・・・・。
その点、てんこちゃんの存在は特別のものだ。てんかんという持病と、それと
やっぱりあんまり目が見えていないのと、30cmの段差を自分で越えることが
できないほど極端に運動神経が鈍い、というハンディを抱えている。だから、
飼っている以上、ボクにはてんこちゃんを守ってやる義務があるので、トイレ
以外は外には出していない。家の中で、フクちゃんやイチの分まで、スミちゃ
んに嫌というほどしつこくされてブーブー怒っているけれど、ま、そのくらい
は安全生活のリスクと思って我慢してくださいな。そのうちスミちゃんも飽き
るからさ。
さあ、イチは帰って来るのだろうか?
イチのことだから、今頃どこかの家に上がり込んで、「あー、もうがぶん家は
あの小うるさい『スミちゃん』がいるし、しばらくここでやっかいになるべ」
とでも思っているのかもしれない。
とりあえず元気で暮らしてろよー、イチ。
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         http://www.k-hosaka.com/maga.html
上記URLで登録・削除ともできますが、創刊号0号より申し込んだ記憶がない
にもかかわらず配信され、尚且つ、そんなもの読みたくない!、という方が
おりましたら、ごめんどうでも以下メルアドまで「よせ!」とメール下さい。
また、こちらの手違いで二重配信されている方がおりましたら、これまた誠に
申しわけございませんが、「やめろ!」と、メールにてお知らせ下さい。
          gabun@k-hosaka.com 高瀬がぶん
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         今月の【わたしのオススメ映画・舞台・音楽】
■「シーズンチケット」2000年英/マーク・ハーマン監督(文・くま)
サッカーが好き、もと不良(今でもいいけど)、イギリス映画がなんか好きみ
たいだという方におすすめ。上映は6月で終了しちゃったのでビデオを待って。
『ブラス!』『リトル・ヴォイス』の監督が、28歳のジョナサン・タロック、
これが長編デビューの原作に惚れて撮った。少し昔の話なのかと思って観てた
けど、ほぼ現在を描いた作品ということになる。原作はもっと救いようがない
らしいから怖い。アル中、ヤク中、虐待、不登校…深刻な状況のオンパレード。
だけどほとんど笑って観てた。おかしくて笑い切なくて笑った。中心となるの
は少年二人。大好きなニューカッスル・ユナイテッドの試合をスタジアムで観
戦したくて一人500ポンドもする“シーズンチケット”を手に入れるため酒もタ
バコも薬もやめ、セコイ商売や万引きに精を出す。全編を覆うニューカッスル
弁のリズムにまずズッコケて。出演者の顔つきがいい。犬がいい。ニューカッ
スルの町がいい。さびしく楽しいのがいい。
          今月の【わたしのオススメ本】
■「空からの民俗学」宮本常一/岩波現代文庫(文・めざ)
宮本常一というと「忘れられた日本人」が有名だが、それよりも「空からの民
俗学」の方が読みやすくて楽しい。前者が集落の人間関係を主軸としてまとめ
ているのに対して、オススメの方は風土を中心としたもので、航空写真を見な
がら民俗学的考察を行ったエッセイである。
例えば「畑がまるく広がっているのは抱持立犂(かかえもつたてすき)という
農具で渦巻型に開墾されたからで、鉄の産出がない土地ではこの犂が使われて
いた…」などと解説されると、見知らぬ集落の生活ぶりが想像されてくる。気
候、風土、農具の種類などによって土地はさまざまな方法で使われる。渦巻型
の耕し方は直線型に畝を作る方法とは異なるものの、そこでは非常に合理的だ
ったこともわかる。機械が導入され、道路が整備されると昔の生活は変化して
しまうけれど、現代の生活はこのような生活が幾世代もあってこそなのだから、
もっと丁寧な暮らし方をしなくてはと思うのだった。
■「ギャシュリークライムのちびっ子たち」「うろんな客」「優雅に叱責す
  る自転車」エドワード・ゴーリー著、柴田元幸訳/河出書房新社
  (文・たかこ)
それぞれ1963年、'57年、'69年の本。しかし古くさくないんだなぁ。昼休みの
あき時間、書店に通い一冊ずつ読んだ。明日売れてなかったらやだなとか気に
しながら過ごした。そんなんだったら買えよと思うが、余裕があるわけでなし、
物ごとは吟味せねばとか考えていたときで、三回通って三冊売れることなく、
結局三冊買った。線は太めで単純で色も明快な絵本が好きなのに、黒でうめ尽
くされた線画の、考え込んじゃうような神経質な感じのを三冊も買ってしまっ
た。なんでだ。欲しいときに見つからないのが絵本だし、決断したのだったけ
ど。24人の子がかたっぱしから死ぬ話、ヘンな生き物が家に住み着く話、乱暴
な兄弟の前に自転車が来る話。どれもとびきり暗い。なのに読んでいると楽し
い。むくむく元気が湧いてくる。どうしたことだ。だれか教えてください。と
にかく三冊ともへんなので気を付けてください。お屋敷に半ダ-スの猫たちと
暮らしたゴーリーはもういません。
■「タンゲくん」片山健 福音館書店(1992)(文・ぐら)
ねこのタンゲくんはけがをして片目が見えないので、丹下左膳のタンゲくん。
表紙いっぱいに描かれたタンゲくんは不敵な笑みを浮かべ、しっぽをかっと持
ち上げて堂々と立っています。語り手の女の子は、家に突然現れて何居着いた
タンゲくんが、外で会ってもしらんぷりをするので、わたしが見ていないとこ
ろではどうしているんだろう、と想像します。目の前にいないのにねこのこと
を考えてしまうこの部分がいちばん好きです。
どのページのタンゲくんも力強く描かれていて、ねこは一見無表情なようだけ
どいろんな表情に描きこまれているのも楽しい。なによりあふれんばかりの豊
かな色がすてき。この絵本を読んだ子どもは、どんなことを思うのかなあ。読
み返して女の子の部屋に大島弓子の漫画があることに気がつきました。
■ホープ・エーデルマン「母を失うということ―娘たちの生き方」(NHK
  出版)メリー・グールディング「さようならを告げるとき」(日本評論社)
  (文・むく)
私事だが、私は母を膵臓ガンで6年前亡くした。入院して3ヶ月。死に至る母
と、私の生き方との葛藤が、あまりにも短い間で起こり、この喪失の体験は、
私の深い傷となった。最初の一冊は、様々な形で母親というものを亡くした「
娘」たちの心をレポートしたものだ。カバーにコメントされている母を亡くし
たある女性の言葉が、この本の内容をいちばんよく語っている。「母の死は人
生の一部であり、何をするにしても、その影響をこうむるでしょう」。2冊め
は、著者の夫であり共同執筆者でありゲシュタルトセラピーの一つ再決断療法
のセラピストとして名高いロバート・グールディングの死によって体験した悲
嘆と孤独の深淵、抑鬱状態からの再生を描く。多くの人々に救いの手を貸して
きた著者が、夫の死後、旅先での年齢・性別を超えた他者とのつながり、そし
て死者との会話、死の場面を再体験し、書くことによって癒しを得ていく場面
はリアルで感動的だ。2冊に共通しているのは、「死」を描いたことではなく、
遺された者たちの「生」を描いたこと。悲嘆や癒されそうもない傷を抱えなが
ら、「生きること」を選択した人々の勇気を描いた2冊である。
■今月の【私のオススメ】(文・オススメ人)
 ◆馬2!(文・えぞももんが)
ギャンブル石に導かれ、馬券師・飯田雅夫さんと出会うことができた。
当時、勤めていた場所が芝浦で、田町から歩いて仕事場に向かっていたが、タ
クシー運転手をしていた飯田さんも、なんと田町駅に車をつけていたのだ。車
の番号を教えてもらったので、たまに見かけると、先週取れたばかりの万馬券
の話しなどをしてくれた。飯田さんの馬券の買い方は変わっている。
保坂さんの名作「草の上の朝食」に出てくる、陰陽五行説などを駆使して競馬
予想をする人みたいに、普通に競馬をしている人からみると、「こんな馬鹿な
買い方、俺にはできない。」と思わせる買い方をする。なにせ、飯田さんは馬
の名前も、騎手の名前も、ほとんど知らないのだ。それでいて、年間トータル
500万以上(公称)・・・と聞くとますます首をひねりたくなるだろう。
普通に競馬をやる人のなかで収支をプラスにできる人はほとんどいない、と思
う。競馬の神様と呼ばれた人でさえ数億のマイナスになっていたという。
つづく? 
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           読者投稿【わたしのオススメ】コーナーのお知らせ
 みなさんのお気に入りの本、映画、音楽、芝居、飲み屋、雑貨、漫画など、
 なんでもありのオススメ文を募集します。
 字数は本文のみ(題名、名前、出版社などは別)400字以内
 オススメの理由や感想など書き方は自由ですが、自分らしいものをお願いしま
 す。一応その月の〆きりは毎月10日、構成その他の都合上、必ず載るとは限り
 ませんが     keito@k-hosaka.com まで、待ってます。
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■連載【稲村月記】vol.05(フォトコラム) 高瀬がぶん
◆『なんの変哲もないこだわりの風景』
※写真付きWEBページでお楽しみ下さい。
 http://www.k-hosaka.com/gekki/gekki05/gekki05.html
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■新コーナー・保坂和志の質問保箱
私の独断で、質問はすべて匿名とします。名乗りたい人は、掲示保坂で名乗っ
てもさしつかえありません。
●質問1
【1】中原昌也の小説について、何かおもうところはありますか?
   この答えは「小説論番外篇」の方にまわしました。
●質問2
【2】好きな女優さんは誰ですか?
●質問3
【3】ほさかさんの結婚観について教えてください。
 ※回答は http://www.k-hosaka.com/Q&A/hobako3.html で。
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今までの「ジャパニーズ・ガウンの巻」を読んでいない方はこちらから。
 その1 http://www.k-hosaka.com/inamura7/ina01.html#silk
 その2 http://www.k-hosaka.com/inamura7/ina02.html#silk
 その3 http://www.k-hosaka.com/inamura7/ina03.html#silk
 その4 http://www.k-hosaka.com/inamura7/ina04.html#silk
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■連載【興味津々浦々】vol.06
         「ジャパニーズ・ガウンの巻(その5)」春野景都
         
さて、小学校で持ち上がっている蚕についての問題とは、、。
留守のあいだに届いていたファックス。それは、次女のクラスの父兄からのも
のだった。買ってからまだ、二年しか使ってない電話機なのに、調子が悪くて
しばらくファックスを受信できずにいたので、まず、受信されたことにちょっ
と驚いたのだけれど、内容はざっとこんな感じ。「学校で子供達が蚕を飼って
いますが、その蚕は最終的にゆでて殺してしまうことを知っていますか?こど
もたちがかわいがって育てているのに、そんな簡単に授業だからと言って、一
つの命を殺してしまっていいのでしょうか、こどもたちに命の大切さを教えて
いかなければと考えているので、なにか別の方法があればと思うのですが、、」
と言うようなもの。実は次女が蚕を家に連れてきて、桑の葉をやったりウンチ
の掃除をしたり、いそいそとお世話していたのは分かっていたけれど、もとも
と虫の中でも芋虫系がなにより苦手なわたしとしては、蚕の箱がテーブルの上
にあるだけでも鳥肌がたつほどだった。そのうえ、こんなにまぢかで蚕とおつ
きあいするのははじめてで、生まれ育ったのが北海道ということもあり、養蚕
農家を見たこともなかったものだから、実際、繭をとるために蚕をゆでるなん
てことも初耳。そのうえ、電話をしてみると「途中で蚕の背中に油性のマーカ
ーを塗り、繭を色付きにするという実験もするんですよ。生きている蚕に有機
溶剤であるマーカーを塗るなんて残酷じゃないでしょうか、もしやるとしても
自然のものを使うとか、もっと、事前にそういうことに対して説明があっても
いいですよね」と、こういう具合。
そうして、これはうそでもなんでもなく、驚く程のグッドタイミングで、ファ
ックスのあと電話をかけるまでの間に、チョウ子さんから連絡が入ったのだ。
「こないだ言ってた色付き蚕の試験場のことなんだけどね、こんどの木曜日に
いくことになったわよ」ということだった。
これはさておき、話をもとにもどすと。これまでに、蚕そのものについては、
私自身及び腰ではあったけれど、実際に次女のクラスで蚕を飼うということに
なってから、偶然手に入れた大正時代の繭箱や糸巻きを、なにか授業の参考に
なればと思い、担任の先生持っていったりもしていたし、今年はわたし自身ク
ラス役員と言う立場もある。そうだ、ここは、思いきって先生に、この父兄の
疑問をぶつけてみようと思いたった。そこで、次の日、次女に手紙を持たせた。
その日のうちに、すぐに返事がきた、その内容は、「父兄の方の心配もわかり
ますが、ただやみくもに命を粗末にするわけじゃなく、蚕を育て、また、それ
で、さまざまな実験をすることもこどもたち自身の興味にとっては大切なこと
だと思います。こどもたちの興味は大人が考える以上に多岐に広がりますから。
このことに限らず、よかれと思って先まわりして大人が結論を与えることは、
こどもたちが自らの力で考える機会を奪ってるのではないでしょうか。私達大
人はそろそろそういうことを反省すべきなんじゃないでしょうか。わたしは、
蚕についての様々な実験を全て、強制するわけではありません。こどもたちは
本を読んで蚕について様々な実験があることは知っていますが、果たして、す
べてのこどもたちがおなじ実験をするでしょうか。わたしはそうは思いません。
あるこどもは繭をきれいな状態で残すためにゆでるかもしれませんし、ある子
はかわいそうだといって泣くかもしれません。きれいじゃなくてもいいから孵
化させて自然に出てくるのを待ってあげるかもしれません。マーカーの実験に
ついても同じです。色をつけるのはかわいそうだけれど、色をつけて観察した
い、それならば、もっと違う方法はないのだろうか、と考える子が出てくるか
もしれません。かわいがっていた蚕の死をみつめるのはつらいことです。自分
達の実験のために、と考えれば、また、特に抵抗があってあたりまえですが、
この社会も、人間そのものも矛盾をかかえた存在で、わたしたちはその矛盾と
折り合いをつけて生きていかなければいけないのです。だからこそ、こどもた
ち自身で考えてほしいと思っています」ということだった。わたしはすぐに返
事を書いた。
「いろいろ考えさせられました。こんど、色付きの繭をつくることに成功した
群馬の養蚕農家に見学に行ってきます。蚕について、こどもたちとともに考え
ることができるような何か発見があるかもしれません。行ってきましたら、御
報告します」

梅雨真っ盛りのその週の木曜日は、朝から雨で天気予報でもつぎの日までやま
ないと言うような空模様。その上、むしむし、なんとなくうんざりしながら、
待ち合わせの東京駅へ行くと、朝からイキのいいチョウ子さんが待っていた。
「今日、行くところは養蚕農家じゃなくて、蚕業試験場なんだからね、まちが
えないように」
そう、わたしは、こないだから、試験場の事を農家と勘違いして、そう言い続
けていた。考えてみると、一番最初に色付き繭ができたというテレビニュース
を見た時からそう思っていたようで、思い返しても、農家のおばあさんが色付
き繭から糸を繰っている様子が浮かんでくるのだ、変だなあ。でも、日本で色
付き繭はここだけというし、どうして勘違いしたのかしらん、考えてもきりが
ないからやめるけど。
群馬県蚕業試験場は前橋にあり、蚕種の研究をはじめ、蚕糸業の振興を図るた
めにさまざまな調査を行っているところ。もともと群馬県は養蚕、製糸、絹織
物業が盛んで今でも蚕、生糸の生産量は日本一なのだ。試験場のほかに、「日
本絹の里」という博物館や、おかいこさまの神社や、養蚕業にさまざまな貢献
をした人などの碑が多数存在する。もちろん、あの有名な映画「野麦峠」の女
工哀史の世界もここ群馬県だ。蚕業試験場でわたしたちを親切に迎えてくれ、
さまざまな面白い蚕の話を聞かせてくれたのが栽桑養蚕部長の清水治さん。研
究室には見たこともないような世界中の繭、布地、そして、生きてる蚕がそこ
らへんに点在している。
「蚕のさなぎはつくだ煮で食べるとうまいですよ」
うわー、もう、息もつけないほどびっくり。
「でも、ほら、かわいいでしょ、きれいでしょ」
日本の養蚕業の衰退を心から危惧し、そのために様々な研究と開発に日夜没頭
し、そして、なによりも蚕を愛してやまない清水さんは不思議な蚕博士みたい
な人物だった。(つづく)
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■編集後記
先月ここで書いたオリーブの実、3メートルもある木に、たったのひと粒なの
ね。そのひと粒を見つけだすのにも3分くらいかかる。まだ緑色で、直径は1㎝、
長さは1.5㎝に成長してはいるけれど、どうも、わたしにはオリーブの実には見
えない。そうだ、植木屋のうめさんに聞いてみよう。「やっぱり、オリーブの
木になってるんだから、オリーブの実でしょう」という当然の答えだった。だ
けど、たぶんまちがってなってしまったんでしょうね、ということ。どういう
ことかというと、オリーブというのは、同じ庭にオスとメスの木ニ本なければ
実はならないんだそう、うちには一本しかないから、本来実はつかないのだ。
ひとつぶだけだけど、黒く熟したらサワー漬けにしてみようかな。(けいと)
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2000/07/20 vol.05 メールマガジン【いなむらL7通信】5号
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