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◆◇◆    メールマガジン【いなむらL7通信】 第9号       ◆◇◆
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                        2001/11/20 vol.09
              
獅子座流星群、みなさんはご覧になれましたか?
運良く見ることができた人、なにか願い事を唱えましたか?
それにしても、流れているうちに三回唱えろなんて、
物理的に不可能ですよね。
ですから、いっぱい流れるときには、
流れ星一個につき、ひとことを、大急ぎで三回言うのです。
・・★・・「おおお!」・・★・・「かかか!」・・★・・「ねねね!」
こうすればきっと願いが叶うことでしょう。
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■■■          芥川賞作家・保坂和志公式ホームページ       ■■■
■■■        【湘南世田谷秘宝館】            ■■■
■■■          http://www.k-hosaka.com             ■■■
■■■    未発表小説『ヒサの旋律の鳴りわたる』をメール出版中!  ■■■
■■■    http://www.k-hosaka.com/sohsin/nobel.html      ■■■
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★☆★----------もくじ--------------------------------------------★☆★

■今月の特集【インタビュー】 「女優・友里千賀子さん」
■連載【小説論番外篇】vol.09 「近況報告」保坂和志
■ゲスト劇場・第六回 へなちょこ研究者の日常「日記を書く」by/よ
■今月の【わたしのオススメ】(オススメ人)
 ◆乗り物:『空中電車ひばり号』(くま)
 ◆本:『暮しの手帖別冊 ご馳走の手帖』 2002年 暮らしの手帖社(ぐら)
 ◆音楽:『サニーデイ・サービス』(ポイ)
 ◆写真集:『路傍の猫/津田明人』<メディアファクトリー>(ちい)
■新連載【はやねはやお記】#1・by/おくい
■連載【興味津々浦々】vol.09「ジャパニーズ・ガウンの巻(8)」春野景都
■編集後記
※文集編集作業のため、高瀬がぶん「稲村月記」は休載させていただきます。
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                ★次週特集予告★2001/12/20 配信予定
          さー、今のところ未定です。
     どんなものになるのでしょうか?  おたのしみに!
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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆今月の特集◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
         【インタビュー】 女優・友里千賀子さん
「みんなのおかげで生きている、ひとりじゃなんにもできないもの」
はじめてお会いして話している時に、友里さんが何気なくおっしゃった一言が今
でも心に残っている。
◆◇◆この続きは参照写真付きの、以下のWEBページでお楽しみ下さい◆◇◆
         http://www.k-hosaka.com/inamura7/chika/chika.html
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■連載【小説論番外篇】vol.09「近況報告」 保坂和志
今月は「小説論」でなくて近況報告です。すいません。
 いまはずうっと新しい小説を書いているところなんですが、エッセイやら何や
らいろいろ仕事が入って、なかなか進みません。思えば、94年の10月に『季
節の記憶』を書き始めたときには、ひっきりなしにエッセイやら何やらの依頼が
あったわけではなくて、ほとんど毎日『季節の記憶』だけを書いていることがで
きました。毎日書いていると、それ専属のモードが出来上がっていて、3時間も
やれば1日3枚~5枚の生産量が持続されていましたが、いろいろほかのことが
入ると、同じだけの量を書くのに5時間とか、かかります。それも5枚じゃくて
3枚がやっと。
 いまの小説を書き出したのは、去年(00年)の10月でした。で、1月末頃
までに200枚弱まで書いたのですが、どうしても芯ができてこない。そういう
とき、たいてい私はジャズのイメージが頭にあるのですが、5、6人編成のバン
ドがそれぞれ勝手に音を鳴らしているだけで、テーマが聞こえてこない(これは
「小説のテーマ」ではなくて、曲としてのテーマということで、どんなフリージ
ャズにも必ず「こういう感じなんだな」というメロディないしメロディの萌芽が
あるものなんです)。そのときどきのソロイストが誰なのかもわからない。
 「そういう音楽や小説もありなんじゃないの?」と言うのは簡単だけど、それ
はあくまでも概念とか一般論とか理想論であって、現実の小説として何も芯がな
いのは――それも200枚も進んで何も見えないのは――やっぱり、「苦痛」で
あったり「退屈」であったり「???」であったりするしかないわけで、2月に
入って、最初から書き直すことにしたのでした。
 で、2、3、4月はそれなりに順調にいきました。そこまででほぼ200枚で
す。が、4月の末に突然、体がドドッと疲れてしまい、毎日眠いこと眠いこと。
たっぷり寝て、昼ごろ目を覚まして、机に向かうんだけど、眠くて背中を垂直に
していられない。で、横になる。そうするとすぐに眠ってしまう……。それがほ
ぼ1ヵ月つづきましたね。
 で、6月からようやく元のペースに戻ったのですが、6月末になるとあの猛暑
です。私の部屋にはエアコンがありません。32度までなら大丈夫ですが、33
度を越えると仕事ができないどころか部屋にいることができません。それでも猛
暑の合間を縫って書きました。8月は猛暑ではありませんでした。が、今度は奥
さんが夏休みです。私は最近自分のことを、「なんて集中力がなくなったんだろ
う」と思うのです。96年に『残響』を書いていた頃は、いまより狭い家の中に
奥さんがいても、平然と仕事ができましたが、最近は家の中に人がいると思うだ
けで、気が散って落ち着いていられません。まだ会社勤めをしていた頃は、喫茶
店の中でどんどん書いていたものでしたが、いまではそんなこと想像もつきませ
ん。
 奥さんは大学の先生なので夏休みが7月末から9月末までたっぷり2ヵ月あり
ます。まあ、それでも、猛暑と家の中の人の気配と戦いながらも、6月から9月
までで400枚まで進みました。
 さて、10月になったら猛暑も人の気配もありません。「よしっ!」と思って
いたら、なんだかやたらと仕事があったんです。そのひとつが慶応大学の講演
会。私はこれと言って特別何か準備したりしませんが、何となく落ち着かない。
「ああ、受けなければよかった」とばかり考えている。それから、岩波書店から
出る、『講座・文学』とかいういろいろな人が書く、文学についての本のエッセ
イ、約40枚。これは去年の暮れに依頼が来て、断りつづけたんだけど押し切ら
れてしまった。結局これで10日間。1週間ぐらいでできると思っていたのが、
意外に手間取ってしまった。
 そして10月に入ってからの天候不順。10月は記録的に(?)日照時間が少
なかった。これは11月になってもつづいています。2年くらい前から薄々気が
ついていたことだっただけど、私は空がパーッと晴れないと頭が冴えない。雨が
降っていると1日中頭に靄(もや)がかかっている。その状態が今年に入って、
非常に顕著になってしまった。調子がいいと結び付いていたはずのAとBが、靄
(もや)を隔てていつまでもばらばらになっている。つまり考えが出てこない。
 そんなことを感じていたら、日本テレビ金曜11時からの藤原紀香司会の『f
an』に桑田圭祐(字はこれで良かったっけ?)が出てきて、「最近、詞が浮か
ばない」と、同じことを言っていました。『いとしのエリー』なんか1時間か2
時間で作ったのに、最近の歌は2週間もかかってしまうと。彼は靄(もや)とは
言わなかったけれど、つまり集中力が落ちているということです。将棋の棋士の
ピークは、30代で、40歳を過ぎると下り坂です。将棋は決められた持ち時間
の中で戦わなければならないので、頭の調子の悪いときには、手が読めなくなる
んだと思います。さいわい、小説家は持ち時間制ではありません。ただ長引くだ
けです。ひたすらひたすら長引くのです。これは幾何級数的な長引き方になりま
す。
 30分で1ユニットを考えついていた(1)ものが、1時間かかるようになっ
た(2)とします。1日4時間働くとします。(1)では1日8ユニット考えつ
きます。ところが、(2)が4ユニットにはならないんです。それは(1)でい
う8ユニットがバラバラの8個ではなくて、C=A×B、D=((C+A)×
(C+B))×((A+B)×(A+C))というような構造になっているから
で(ま、いい加減なイメージ式ですが)、それを8個つづけられるのと、4個し
かつづけられないのとでは、「すごい違いだ」ということだけは、おわかりいた
だけると思います。
 話を戻します。で、さっきの岩波のエッセイを書き始める前に、小説は470
枚まで進んでいました。ちょうどそこで「なんか違うなあ」と考えていたところ
だったので、エッセイを書いているあいだ、「違うなあ」「違うなあ」と、ずう
っと思っていました。――で、結論から言うと、その章のはじまる400枚のと
ころまで戻って書き直すことにしました。10月に入ってからの天候不順が原因
だったのでしょうか。いや、きっと違います。10月になって、「よしっ!」と
思ったために、ちょっとわかりやすい展開に誘惑されてしまったのです。その部
分自体は、まあ悪くはないけれど、私が全体として書きたかったのはそういうこ
とではなかったのです。具体的な内容を何も書かないまま、ひたすら話を進めて
すいません。ついでに、月日の進行と枚数の進行をリンクさせにくい書き方であ
ることも謝ります。
 そういうわけでエッセイを書き終わると、私は書き直しを決意して、書き直す
ために、300枚目から400枚目までの章を読み直しました。今回、私はほと
んど読み直さずに書いています。その日に書きはじめる準備として前日に書いた
分を読み直しているだけです。私はB4サイズの400字の原稿用紙に書いてい
ますから、100枚を手に持つだけでけっこう重いんですよ。で、読んでみまし
た。
 これが、おもしろい! 自分でもここまでおもしろくできていることを期待し
ていなかったので、非常に喜んでいます。
 が、これをそれなりの形に持っていくには、まだ200枚は必要でしょう。そ
の200枚を書くのにあとどれだけかかるのか。1月末には第1稿を書き終えて
いたいのですが、今日はすでに11月13日。年末年始という、やっぱり働かな
い時期もある。忘年会も、いくら出無精の私でも、ひとつかふたつはある。私は
酒を飲むと自分で「終わり」と言えない。淋しがり屋さん? なのか、ただ酒グ
セが悪いのか。飲むと深夜に及び、翌日は二日酔いで何もできない。……でも、
小説を書いているときが――というのは「そこそこ満足できる内容を満足できる
量だけ書けているとき」という意味ですが――、やっぱり一番しあわせだった
り、充実してたりするんだけどね。
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■ゲスト劇場・第六回 へなちょこ研究者の日常
「日記を書く」 by/よ   *以下のURLへどうぞ
     http://www.k-hosaka.com/inamura7/620yo/yosan2.html
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   まぐまぐ版「いなむらL7通信」配信登録・削除ページのご案内
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上記URLで登録・削除ともできますが、創刊号0号より申し込んだ記憶がない
にもかかわらず配信され、尚且つ、そんなもの読みたくない!、という方が
おりましたら、ごめんどうでも以下メルアドまで「よせ!」とメール下さい。
また、こちらの手違いで二重配信されている方がおりましたら、これまた誠に
申しわけございませんが、「やめろ!」と、メールにてお知らせ下さい。
          gabun@k-hosaka.com 高瀬がぶん
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           今月の【わたしのオススメ】(おすすめ人)
■乗り物:空中電車ひばり号
直線上を平行に向かってくる物体が好きなような気がする。たとえば、電車(単
線でなければならない)が揺るぎなくだんだんにやってくるのがたまらない。
(ドレミファソラシドの高いほうの「ド」の音を「あ」に置き換えて)「あー」
という高音を発してこちらに向かってきてくれる(ように思う)。そんなわけで
私はロープウェイが好きだ。それが渋谷の駅の上空を走っていたというのだから
大変。渋谷駅北口の東急百貨店東館の屋上から山手線を見下ろす形で横切り、西
館にあった「玉電」ビルの屋上に達する全長75メートルのケーブルカーの名前が
「空中電車ひばり号」。チビッコ(!)に大変人気で屋上はこれに乗ろうという
客で長蛇の列だったそうな。『とうよこ沿線』編集長、岩田忠利さんのホームペ
ージを見てほしい。交差点から斜めに走る道が道玄坂だ。それにしてもなぜ昭和
26年から28年までしか運転されなかったのだろう。
乗れないじゃないか。(くま)
http://www.ynet.co.jp/touyoko/mukasi1.html

■本:暮しの手帖別冊 ご馳走の手帖 2002年 暮らしの手帖社
-なんでも おいしいと思ったら それが ご馳走と私たちは思います-
毎号表紙の裏にある言葉のように、国内外のレストランの記事やレシピだけでな
く日々の食事をちょっと「ご馳走」にするアドヴァイス、そして結局何度も読み
返すことになるご馳走に関する数々のエッセイなどおいしいものでいっぱいの一
冊です。書店で見つけてからほぼ毎年買っていて、レシピを目当てに(とは言っ
ても私の腕前では果たしてご馳走になっているのかどうか疑わしいのですが…)
バックナンバーをめくっていて読みふけってしまうこともあります。りんごのお
菓子や横浜の特集記事の94年版、サラダと鎌倉の特集の95年版は特に何度も手に
取ってしまいます。おいしいものについて書かれた文章は読んでいるだけでしあ
わせな気分になれるのです。暮しの手帖らしいつややかな写真も好き。今年はロ
シアの旅行記がお気に入り。書いてるうちに、なんだかお腹が空いてきました。
-----(ぐら)

■音楽:「サニーデイ・サービス」 
サニーデイ・サービス MIDI.inc

サニーデイ・サービスは、確か7年か8年か前に結成されて去年に解散した、3
人組の日本のバンド。当のアルバムは、古ぼけたアコギの音と「さあ出ておい
で」という呼びかけから始まり「赤い舌を出して逃げて行く」恋人へ、列車の出
発時刻を告げる声で終わる。20代を通過した人間なら、おおよその人に経験が
あるだろう、静かな諦念に入り混じる”見知らぬ何処か”を思いながら、窓から
ふと、外を眺めやる透明な感覚。そんな切なさがギターを強調した何処か懐かし
げな音質に載せて、淡々と紡がれていく45分間の白黒サイレントフィルム。そ
んな風情だ。はっきり言って、どの曲も名曲と呼ぶにふさわしい。中でも“NO
W”は特に素晴らしく、ポップス史上に残る名曲だと思う。歌詞の情景はほとん
ど秋のものが多く、この季節に聞くと、古傷に沁みるようで、ひんやりと心地よ
い。忙しくて音楽なんてまったく聞いていないあの人もどの人も是非、聞いてみ
て欲しい。必ず満足される手応えがあるはずだ。そして、興味をもたれたら、他
のアルバムも聞いてみて。きっと彼らを好きになるはずです。 (ポイ)

■写真集:路傍の猫/津田明人(メディアファクトリー)

猫と写真が好きな友達から半年くらい前に「この人の写真はいい」と紹介された
のだけど、ぼくはこの写真家についてはいまだに何も知らない。それは単にぼく
が写真に関心がないからというだけのことで、だからぼくには写真全般に関する
知識がほとんどないけど、それでもこの写真集が好きだ。ここにはいわゆるかわ
いい猫は写っていない(ただしかわいい猫は撮らないという意図も感じない。例
えば階段にいる3匹の子猫はかわいい)。ぼくはかわいい猫が好きだし、飼うん
だったら絶対顔がかわいい猫がいいとも思う。だから、かわいい猫が写ってるか
らとかいないからとか、そういう明確な理由がこの「好き」には見つからない。
この写真集の猫たちは強い。それは写真からも伝わってくる過酷な野良生活で培
われた強さだ、なんてのは勝手な解釈で、そういう勝手な感情移入を拒む強さが
この写真集の猫たちの強さだ(「強さ」の説明にはなっていませんが)。ぼく
は、この猫たちが世界のどこかにいることをこれから先もたぶん忘れない。
(チイ)
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            読者投稿【わたしのオススメ】コーナーのお知らせ
 みなさんのお気に入りの本、映画、音楽、芝居、飲み屋、雑貨、漫画など、
 なんでもありのオススメ文を募集します。
 字数は本文のみ(題名、名前、出版社などは別)400字以内
 オススメの理由や感想など書き方は自由ですが、自分らしいものをお願いしま
 す。一応その月の〆きりは毎月10日、構成その他の都合上、必ず載るとは限り
 ませんが     keito@k-hosaka.com まで、待ってます。
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■新連載【はやねはやお記】#1
「2001年11月11日の桜木町のことなど」 おくい

 昨日、2001年11月11日に、横浜の桜木町でやっている横浜トリエンナ
ーレをみにいった。パシフィコ横浜のほうには創作展示が多くて、赤レンガ倉庫
には映像作品が多かった。私は先にパシフィコ横浜のほうを見て、会場内の区分
が細かくかっちりしすぎていて、おもしろいものも少なくて、なんでこんなに人
がたくさん来てるんだろう、祭りみたい、美術作品なんてただのつくり物なのに
なあ、この桜木町付近の景色をみたり歩いたりすることのほうがよっぽど重要な
ことなのになあ、などなどといろんなことを考えながら、赤レンガ倉庫のほうに
歩いていった。海と船と建設中のビルと大きな円形の歩道橋と観覧車と空などが
あった。道の横にあったビルのガラスに夕方の光がすこしだけ映りこんでいて、
そのガラスをみていると、そのガラスの中を歩いているような気がするくらいに
きれいな絵のようになっていたけれど、当然それは絵ではなかったし、誰もそん
なガラスなんてみていなかった。
 歩きながら、すこし前に書いた文章のことをおもいだしていた。それは、自分
のみているものを記述することに関する文章だった。例えば、「私の目の前にあ
るディスプレイ」と書いたとき、文字だけを読むと、そのディスプレイがどこに
でもあるようなものであってもかまわないような意味作用になってしまう。私の
目の前にあるディスプレイはひとつだけで、ここ以外のどこにもないのに、言葉
にするとどこにでもあるようなものと同値になってしまう。
 その文章の中では、今はこれ以上細かく考えられない、と書いたけれど、昨日
の時点ではもうその疑問は解けていた。それは、言語分節、ということで、ひと
かたまりで在る世界を言葉は分節するから、分節したものどうしが類似してしま
うということが起きるんだろう、と考えていた。

 歩きながら、もうひとつ別のことも考えていた。それは、なんで芸術作品にこ
んなに人が集まるのか、ということだった。そのことと言語分節のことがうまく
かみあって、芸術は文節のたまもの、ということをおもった。芸術作品は普通、
ひとつしかないし、そこにしかない。作品には固有名をもった作者がいて、ひと
つひとつに作品自体の固有名がある。草間弥生というとき、それは一人しかいな
いし、「ナルシスの庭」という作品はひとつしかない。「ナルシスの庭」はどこ
にあっても「ナルシスの庭」で、どこにあっても「ナルシスの庭」と名ざすこと
ができる。
 そのときに見落としていることがひとつある。それは、「ナルシスの庭」の周
囲のことだ。展示室の天井や壁や照明のことはほとんど記憶に残らない。「ナル
シスの庭」をみにその展示空間に入った人は、その経験を言い表すのに、「『ナ
ルシスの庭』をみた」というだろう。そういうふうに言ってしまうことで、その
経験は、文字の上では、どこにでもあるものになってしまう。
 けれど、作品をみたときに、その展示室の天井や壁のことを詳細に記憶する、
というようなことをしていたら、生活ができないだろう。その経験を人に伝える
ことも容易ではない。言語は世界を分節するものだから、その分節作用に抵抗す
るような形で言語を使っていれば、無理が生じるのは当然かもしれない。
 けれど、言語にそった形で生活していると、やっぱり、芸術作品の周りの、額
のことだとか、壁のことだとか、床の傷のことだとか、学芸員の着ている服の色
とか、観客の会話とか、そういうことが、なんというか、心残りに感じることも
確かで、私は最近は、むしろそっちのほうにばかり気がむいている。文章で一般
化されてしまうものよりも、一般化されないもののほうに気が向いている。そん
なことは当り前のことかもしれないけれど、でも、実際にそうしている人は少な
いんじゃないかという気がする。例えば、2001年11月11日の午後3時こ
ろ、パシフィコ横浜の入り口の前のベンチに赤いマフラーをしている女の子がひ
とりで座っていたこととか、会場の隅に赤い消火器があったこととかを覚えてい
る人はほとんどいないだろう。「横浜トリエンナーレに行った、あれとこれとそ
れをみた、あれはどんな具合だった」などというとき、前述のような細部はまる
でなかったかのようになってしまう。といって、現実にみたもの全てを話してい
たら、かなりの時間がかかってしまう…。やっぱり話がもとに戻ってしまった。

 要するに、言語分節は便利で、芸術作品のような固有名をもつものについて特
に優れた効果を発揮するけれどそれでは伝えていないものがたくさんある、とい
うことで、赤レンガ倉庫に入るのを待っているあいだに暇だったので吉田健一の
「金沢」を読んでいたら、「絵が必要なのは視界に精神に呼び掛けるものがない
時であって視界にあるものが精神が遊ぶ境地になれば絵は余計になる」という文
章がでてきて、その内容を、この桜木町付近の景色をみたり歩いたりすることの
ほうがよっぽど重要なことなのになあ、とさっきおもったことと同じことをいっ
ているんだろう、とおもってすごく感動した私の前には紺色のセーターを来て紀
伊国屋書店のカバーをつけた本をもった男と紺色のコートをきた女の子が並んで
いて、後ろには、ミントのガムを食べながら、ホントに6時までに入場できるん
ですかねぇ、最後尾のプラカードのお兄さんも大変ですねえ、と友達にですます
調で話すおもしろい声のフチありメガネをかけた女の子とその友達の金色の髪の
女の子がいて、周りが話しているときに文章を読むのは難しい、とおもった私は
岩館真理子の「えんじぇる」というマンガを読みはじめて、それを読み終わった
すぐあとの5時10分ころにようやく入館することができた。
 中は写真や映像を使った作品が多くて、やっぱり良くて、創作よりも記録のほ
うが絶対に好きだ、というおもいを新たにした。記録ということに奉仕しよう、
などとおもった。
 よかったもののひとつにペーター・フィッシュリ・アンド・ダヴィッド・ヴァ
イスという人たちの、「視覚世界」という作品があって、それは世界各地を写し
た写真のスライド2800枚を、5つのテーブルにわけて配置し、展示している
ものだった。部屋は真っ暗で、テーブルの明かりだけが光っていた。それでも充
分明るかった。そこに写っているロバや山やビルや海や果実や中学生や道や草原
や雪や街は全部実際にあるもので、それが記録されていた。みんなほとんどだま
ってみていた。ここ私が勤めてた会社だ、と言った女の子がいた。

 会場を出て帰るとき、桜木町の夜景のきれいさにびっくりした。観覧車が光っ
ていて、ジェットコースターが光っていて、ビルが光っていて、街灯が光ってい
て、道の両脇のオブジェが光っていて、車のライトが光っていて、上空にオノ・
ヨーコの「フライト・トレイン2000」から放たれた光の柱が光っていて、海
の水面が揺れていろんな光を反射して光っていて、そういう中を何人もの人が、
話したり黙ったりして歩いていた。

 今は2001年11月12日で、昨日は家に帰ってきて、疲れていたし、早寝
早起きをしたかったので、なにも記録をつけずに眠った。今、また0時になろう
としていて、13日になる合図で、早寝早起きをするためにこのへんで文章をと
めておこう、と私はおもっている。こんな調子で連載を続けていけたらいいの
で、連載の名前を「はやねはやお記」にすることにした。
                       (2001年11月12日)
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    春野景都【興味津々浦々】バックナンバーはこちらからどうぞ。
       http://www.k-hosaka.com/inamura7/tutu.html
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■連載【興味津々浦々】vol.09
         「ジャパニーズ・ガウンの巻(その8)」春野景都
今月はなんにもなかったのだ。椎野さんは、血圧が高くて、なんだか具合が悪そ
うだし、フランスのアヤさんからメールもこない。できあがった色付き繭を絹糸
にしようと座繰り機を手に入れて、いざやろうとチョウ子さんに来てもらった日
に雨が降り、それもできなかったのだ。なぜ他の日にできなかったかというと、
絹糸を取る時に繭を茹でながら繰るのだが、その時、繭の中には死んだ蛹がある
わけで、匂いが相当きついということで外でやらねばならず、また、座繰リ機に
足りない部品があるためにひとりじゃ無理ということなので、チョウ子さんが来
た時じゃないとできない、という訳だ。結局その日はビール好きのチョウ子さん
と数えきれない程の空き缶を残しただけで終わってしまった。
ただ、京都服飾文化財団の周防珠実さんから、「服飾研究」という小冊子と、「
メイド・イン・ジャパン展」の案内が届いた。その小冊子のなかで、周防さんは
「明治初期の輸出室内着ー椎野正兵衛店を中心としてー」という研究論文をまと
められていた。今月の終わりに、その話を聞きに京都に行く予定なので、くわし
いことは次に書こうと思っているのだが、論文中に、「椎野正兵衛輸出記録1875
年6月年から1876年8月まで」が表にして載せられていた。これによると、ほぼ一
週間に一度くらいの割合で絹寝衣、鼻拭、襟巻き、日傘、扇子、団扇が送られて
いる。蒲団まであって、時に扇子は4万3千本、団扇は2万5千本、ほんとに、頻繁
に大量に日本からヨーロッパに椎野正兵衛店の絹製品が輸出されているのであ
る。当然、相当の儲けがあったはずで、しかも、100年程前のことであるわけだ
から、なにか椎野正兵衛の店に関わるもの、あるいは財産がひ孫である椎野さん
の家に残っていてもよさそうと思うのだが。椎野さんにお聞きしてみると、ほん
とにほんとに残っていないそうなのだ。それにはちょっとした訳があるという。
椎野正兵衛には息子と娘がいた。ほんとなら、自分の家業を息子に継がせたい所
だったそうなのだが、どうも、息子にはまかせられない。それよりは、娘婿のほ
うがまだ頼りになると考えた正兵衛は、ヨーロッパへの視察や商売に関すること
は娘婿と一緒に進めていくこととなったそうなのだが、ところが椎野さん曰く、
「それが、娘婿がひいじいさんの寝首をかいたんだな」ということ。「えー、寝
首をかく、、ってなにそれ? なにしたの?」と問いただすわたしに、椎野さん
は「とにかく、寝首をかいたってことしかわかってないんだよ」と言うだけ。ふ
ーんとうなずくしかなかったのだが、そのあと、つまり椎野正兵衛が娘婿に寝首
をかかれたあとは、とにかく、秘密主義に徹し、商売やそれにまつわる諸々のこ
とが外にもれないようにしたために、結局、正兵衛が死んだあとにはなんにも残
っていなかったという訳である。ちなみに、今でも、正兵衛の息子方と娘方はほ
とんど行き来がないそうである。そういえば、横浜シルクセンターの方と話した
時も、「椎野正兵衛の資料はほんとに信じられない程残ってないんですよね。な
にか、強い力が動いたんでしょうかねえ」などと言っていたんだった。ところ
で、このことについて、チョウ子さんと話していて、はたと気づいたんだが、椎
野さんは椎野正兵衛のひ孫である。当然その血をひいているのだから、寝首をか
いた理由くらい知っていて隠してる、なんてありはしないか、あるいは、相当の
財産がどこかの蔵に眠っていたりしてるのも秘密にしてるってこともあったりし
て。まあ、とにかく、椎野さんがわたしたちに秘密にする理由なんて見当たらな
いので信じることにするけれど、歴史的に見ても西欧ファッションに多大なる影
響を与えたであろう明治初期の椎野正兵衛の絹製品が、いまだに一点しか見つか
ってないってことはとっても残念なこと。鼻拭一枚でも発見したいなあ。
                                              (つづく)
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■編集後記
きょうのテレビのニュースによると「豚丼」が流行ってるらしい。以前、「豚丼
が好き!」と言ったら、「なにそれ?」と言われ、豚丼が北海道のそれも帯広近
辺の十勝地方でのみで使われる料理名と知ったんだけど、小さい頃から、わたし
はよく豚丼を食べていた。焼いた豚肉をごはんにのせてタレをかけると言えば、
それまでだけれど、豚肉は炭火で焼き、それがダメな場合はフライパンで強火で
焼いたらすぐに取り出し、油とか汁とかがない状態の肉に秘伝のタレをからめる
と言う具合。秘伝のタレ、これはきょうのテレビでも帯広の人が言っていたのだ
けれど、おおげさなようだが、たしかにうちでも秘伝のタレらしきタレがあっ
た。テレビに出てたお店の人は75年前からのタレと言っていたけれど、うちのは
一日かけて母が作っていた。今でも時々、同じものを伯母がわたしに送ってくれ
る。久しぶりに伯母に電話をかけて作り方を聞いてみたら、「へっ」というほど
簡単な作り方だった。秘伝だからここには書けないけどさ。ちなみに母が一日か
けてたのは、たぶんよく食べるわたしたちのために大量に作り置きしてたせいじ
ゃないかと伯母は言っていた。(けいと)
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2000/11/20 vol.09 メールマガジン【いなむらL7通信】9号
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