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◆◇◆    メールマガジン【いなむらL7通信】 第12号      ◆◇◆
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                        2002/2/20 vol.12
みなさまお元気ですか、げほっ!
どうもインフルエンザやらおたふく風邪やらが、
大人の世界、こどもの世界で流行っているようなので、
どうかお気をつけください、ぷくっ!
とか言ってるうちにもうすぐ春、
花粉もそろそろ舞ってます、へ~くしょい!
それではまた、ばたっ!
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■■■          芥川賞作家・保坂和志公式ホームページ       ■■■
■■■        【湘南世田谷秘宝館】            ■■■
■■■          http://www.k-hosaka.com             ■■■
■■■    未発表小説『ヒサの旋律の鳴りわたる』をメール出版中!  ■■■
■■■    http://www.k-hosaka.com/sohsin/nobel.html      ■■■
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★☆★----------もくじ--------------------------------------------★☆★

■特集・訪問 季刊『銀花』(文化出版局) 編集長 山本千恵子さん
■連載【小説論番外篇】vol.12手書きとワープロのことから始まって…保坂和志
■ゲスト劇場・第九回 ご隠居倶楽部(3) ゴイ
■今月の【わたしのオススメ】(オススメ人)
 ◆果物(?):『アボカド』(ミメイ)
■連載【はやねはやお記】#4「矢口真里の不思議な横顔」 by/おくい
■「稲村月記」vol.10 「微冒険」その1 高瀬がぶん
■連載【興味津々浦々】vol.11「ジャパニーズ・ガウンの巻(10)」春野景都
■編集後記
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                ★次週特集予告★2002/3/20 配信予定
          さー、今のところ未定です。
     どんなものになるのでしょうか?  おたのしみに!
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◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆今月の特集◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
   【訪問】 いつまでも手許においておきたい雑誌「銀花」
                      編集長 山本千恵子さん 
・・・・2月26日から4月7日まで両国にある「江戸東京博物館」で「こどもの世
界展」が開かれる。これは江戸博と銀花編集部が協同して主催するのだが、2月
25日発売の「銀花」129号がその図録の形になっている。一年半前から準備
をはじめ、通常より50ページの増刷、ちょうど、お話を伺った時に校了が済んだ
ところで、その一部を見せていただいた・・・・
◆◇◆この続きは参照写真付きの、以下のWEBページでお楽しみ下さい◆◇◆
         http://www.k-hosaka.com/inamura7/bunka/bunka.html
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■連載【小説論番外篇】vol.12
「手書きとワープロのことから始まって…… 保坂和志
 
 いま書いている小説がいつまでも長引いていることに痺れを切らした(?)
「新潮」の担当者がついに掲載月を一方的に決めてきてしまったために、私はい
よいよ本気で小説の決定稿を書かなければならなくなってしまった。
 と言っても、最初彼が「2月末締切りで5月号(4月7日発売)から掲載」と
言ってきたものを、電話でやりとりするたびに1月ずつ延ばして、ついに8月号
から掲載ということになったので、「新潮」の担当編集者は巷間言われているほ
どの悪人ではない。が、善人というわけではない。誤解のないように書き添えて
おくけれど、私は善人より悪人の方が好きだ。善人はとかく自分をそのまま出し
てしまい、いいときにはいいんだけれどうまくいかないときのリカバリーが下
手、というかできない人が多い。そして、善人が“地のまま”で通用すると思い
がちなのに対して、悪人は“地”がダメだから表面を取り繕う、つまりせめて仕
事において有能であろうと心掛ける。だから私は少なくとも仕事でつきあうのは
(もしかしたら友達としてつきあうのも)善人より悪人(と自覚している人)の
方が好きだ。私見ですけどね。
 「8月号に掲載」ではなくて、「8月号から掲載」です。600枚(予測)を
一挙に掲載するのではなくて、100枚とか200枚とかずつに分けて、12月
号までで完結しようという話で、だから私はたぶん10月ぐらいまで、いまの小
説を書いていることになるのだろうと思う。辞典の編集というのは傍から想像す
るほど悠長なものではなくて、まとめの段階に入ると朝から夜まで毎日毎日とて
もストイックにやらないとできないという話を聞いたことがあるが、私にとって
小説を書くのもほとんどそういう感じで、毎日毎日書きかけの小説について考え
ていないと先に進むことができない。だからできれば外で誰かと会ったりしたく
ないし、エッセイの仕事なんかもしたくない。
 だいたい、「作家です」と言って、毎日何時間も原稿ばっかり書いていればい
い人たちと違って、私に与えられている時間は限られている。12時から5時く
らいまでの5時間くらいしかない。猫の相手をしたり、猫の世話をしたり、猫と
遊んだり、猫に邪魔されたり、私は忙しいのだ。本当はもっと早い時間から仕事
を始めたいけれど、夜遅くまで猫の相手をしているから、朝だってそんなに早く
起きられない。そういうわけで、外で人と会ったりしている暇がない。
 実際、『プレーンソング』も『草の上の朝食』も『季節の記憶』もそういう環
境の中で書いた。『プレーンソング』と『草の上の朝食』のときはまだ会社員だ
ったけど、仕事が終わると真っ直ぐ家に帰り、ほとんど誰とも酒を飲んだりしな
かった。『季節の記憶』のときにはもう専業作家になっていて、あの頃はまだエ
ッセイなんかの依頼もほとんどなかったので、毎日毎日書きかけの小説のことば
かり考えていられた。仕上げの段階で芥川賞受賞という騒ぎがあったものの、柳
美里とか辻仁成みたいな評判には全然ならなかったので、私の場合には2ヵ月で
沈静化して仕上げることができたし、その間に小説から離れて考え直すことがで
きたりして、いいインターバルになった。(そのあたりのことは、『季節の記憶
』の創作ノートに書いた記憶があります。)
 で、そういうわけで、私は去年の秋ぐらいから、「やっぱり来る仕事来る仕事
いちいち引き受けてたらダメだな」と思い、ほとんど断り(もともとよく断って
いたけど、それ以上に気合いを入れて断り)、ついにいまでは産経新聞に4週に
1度ずつ書くエッセイだけなった(が、これも向こうの紙面刷新とかの都合で、
3月いっぱいで終了かもしれない。このホームページの更新ネタがなくなること
だけが心配だけれど、そのときには本来の『小説論』を少しは書いていることで
しょう。ア、ソンナコト言ッテタラマタ1件依頼ガ……。コレハ許容範囲カモシ
レナイ。連載ナノデ更新ネタニモチョウドイイ――以上、独白)。

 さて、前置きが長くなりましたが、本題はここからです。

 いままで私は決定稿をワープロで打ち込んでいた。決定稿とは、第2稿か第3
稿のことで、それに先行する手書き原稿とは大幅に違うものを打ち込んで、打ち
込んだら刷り出して、それに赤を入れて、もう一度直して完成という感じです。
 今回もそういうプロセスでいこうと思っていたのだが、2つの欠点を発見して
しまった。
 その(1)。私はパソコンでなくて、ワープロを使っている。この原稿もいま
ワープロで書いている。このワープロがもし途中で壊れたらどうする? 修理に
出しても何日か掛かるし、修理の効かない箇所かもしれない。そして、もうワー
プロなんて売ってない。いまここで、パソコンの使い方なんか覚えたくない。っ
ていうか、パソコンなんて、インターネットが使えればそれでいい。
 その(2)。ワープロはものすごく肩が凝る。いまここまで(約2300文字
かな?)打ち込んだだけで、もう私は肩が痛くなり始めている。入力という動作
そのものとモニターを絶えず見ている目の両方から肩に来るらしい。理由はとも
かく、こんなこと毎日やったら肩から背中までバリバリになる。それはすでに『
草の上の朝食』を頑張って入力しすぎたときに一度経験している。
 そういうわけで、結局、決定稿も手書きでやることに決めて、いま約100枚
まで来たところだが、いろいろ発見があった。その発見が本題なんだけど、前置
きより短いかもしれない……。

 それは「書く」行為の差です。
 ワープロで書く場合、とりあえず書いて、――いったん仕上がりを見て、――
それに手を加えて、――完成、となる。特に私の場合、ワンセンテンスが非常に
長くて、関係節が入り組むようなセンテンスを書いてしまう(書かざるをえない
)ことがあって、そういう場合、決定稿以前は、つまり手書きの段階では挿入だ
らけでわからなくなってしまうので、適当に要素を並べておいて、ワープロで「
これなら一番わかるだろうな」と思う状態にもっていっていくのだけれど(長く
て入り組んだセンテンスを書いて、わかりにくくして読者を翻弄しようという意
図は、まったくなくて、完成された状態が最も「これならわかるかな? 感じて
もらえるかな?」なんですが)、手書きだとそういう書き方ができない。
 というか、「発見」とは、ワープロの場合、頭よりも目を使っている、という
ことです。
 「書く」というのは、手書きでも本質的に頭よりも目で最終決定を行っている
ように思うのだが、ワープロだと目が働きだす時機が早い。手書きの場合、一応
200字から400字分の内容を決めてから「書く」を始めることになって、「
書く」が始まるまでは文章は頭の中に“仮・確定”の状態であるんだけど、ワー
プロの場合、頭の中で“仮・確定”させずに、書きつつ直していく。【あ、だか
ら私は肩凝りがひどいのかもしれない。書いたものを読み直してばっかりいるか
ら、目が疲れて肩凝りになるという意味だけど、でも、みんなそうなんじゃない
の?】
 この、頭の中でどれだけ完結させるか? ないし、“仮・確定”させるか? 
というのが、脳の負担にすごく影響するらしいことに気がついた。
 たとえば計算には3通りの方法がある。(1)電卓を叩く。(2)紙に書いて
筆算する。(3)暗算でする。3桁プラス3桁なんて、もうここ何年も電卓でや
るか、計算しないかのどっちかだったけど、暗算しようとするとものすごく頭に
負担がかかる。筆算は紙とペンを探すのが手間なだけで、頭はその場その場の「
ハチトナナデジュウゴ」ぐらいのことだから負担はない。それに対して暗算は、
全部が終わるまで最初の計算の結果を覚えていなくちゃならないから大きな差が
ある。
 文章を書くのもこれに似た差があると思う。で、私は4ヵ月前にエッセイに書
いたことを思い出した(産経新聞2001年10月28日読書欄『見る読む想
う』(8))。
こういう内容だった。
 『……しかし、社会学者の宮台真司が『少年たちはなぜ人を殺すのか』(創出
版)という香山リカとの対談集の中で、この“データベース願望”に対する疑問
を語っている。データベースが充実したら生き字引のような教員は不要になって
、クリエイティブな人間だけが学者になると、彼はかつて考えていた。しかし実
際にはそうはならなかった。データベースによる「記憶の外部化」で、私たち自
身が短期的な時間性にしか反応できない擬人会話プログラムのようになってしま
ったのだ。
 そして、「記憶の外部化が進んでいなかった昔は、扱う情報の総量が増えれば
増えるほど、そうした膨大な情報を記憶する主体の『主体性の構造』が前面に出
て来ざるを得なかったのですが、記憶の外部化が進んだ最近になるほど、短期的
な編集能力ばかりが前面に出てくるしかなくなり、主体は入れ替え可能になって
しまうわけです」と言う。この指摘は非常に重要だ。
 主体とは、思考とは、本人が能動性をもって、時間をかけて、少しずつ養成(
?)していくもので、……』
 もちろん、これもこんな引用でお茶を濁さないで、ここの文脈に沿うように書
き直せば私の頭は負担を感じるわけですが、私はいまは負担を感じたくないため
に、引用で片付けました。

 データベースの時代にはデータベースの時代なりの思考の形態があって、それ
はデータベースとデータベースを一段高次のレベルで構築することなわけだけれ
ど、それが果たして人間にはできるのだろうか?
 人間の脳というのは、もしかして、暗算したり、漢字を覚えたり、英語のスペ
リングを覚えたり、歴史の年代を覚えたり……という、一見ものすごく鈍臭いこ
とを積み重ねていかないと鍛えられないものなのではないか? という疑問が私
には日増しに強くなっている。
 もちろん理想というか目指すはデータベースを“高次のレベル”でつなぎ合わ
せるような思考なんだけれど、そのためにはじつは、暗算みたいな漢字を覚える
みたいなことが必要なんじゃないか。何故なら、情報群と情報群をメタレベルで
つなぎ合わせる作業は、もう目で追うことができないから。そういう作業は頭の
中でぐっとこらえて、頭の中だけで完結させることしかできないのだから。
 え? 保坂さん、何のことを言ってるんですか?
 何をイメージしているんですか?
 いま書いている小説の話をしたいんじゃなかったんてすか?
 はい、いま書いている小説の話をしたいんじゃありません。私は認識のことを
書こうとしていまこれを書き始めたのです。が、量が多くなってしまったので、
来月につづきます。
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■ゲスト劇場・第九回 ご隠居倶楽部(3) ゴイ
 それでも結局は楽しかった月島
 
なんとなく出かけたい気分になってくると「じゃあどこで呑もうか」と考えてし
まう。何か用事があって出かける場合でも同じことで、頭の中に入っている「呑
み屋リスト」を検索してしまう。出かけるということは、僕の場合、呑むという
こととほぼ同じで、呑まないときは家から一歩も出ないこともあるぐらい。で、
そのうちあーでもないこーでもないという具合に迷いはじめ、すぐに決まらない
場合は「カレー屋リスト」の名前も出てきたり、ぼんやりといくつかの地名がそ
の街並のイメージとともにオーバーラップしてきたりする。そこでやっと行き先
が決まることもあれば、それでも決まらないこともあって、そのときは「まぁい
いや」と、とりあえず出かけてしまうことになる。
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また、こちらの手違いで二重配信されている方がおりましたら、これまた誠に
申しわけございませんが、「やめろ!」と、メールにてお知らせ下さい。
          gabun@k-hosaka.com 高瀬がぶん
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           今月の【わたしのオススメ】(おすすめ人)
■果物(?):『アボカド』(ミメイ)

アボカドは、「アボがど」ではなく「アボかと」でもなく、「アボかど」ですよ
と教えてくれたのは薄暗くさびれた八百屋の兄さんだった。
熟れたアボカドは美味しい。気品あるバター色の実をひと噛みしたとたん、口の
中にとろりと溶けて、ふぅっと広がる濃厚な植物の香り、かすかな甘み。が、じ
つは。その「熟れぐあい」をはかるのは、たいそう難しい。鮮やかに青くごつご
つとした固い皮が、しだいに赤茶けて、やがては鉱物のように黒光りしはじめた
ら、親指と人さし指でそっとアボカドをはさみ、ほんの少しだけ指先で押してみ
る。鎧のように無骨な皮の内側で、わずかに崩れゆく予感を感じたなら、まさに
食べ時。1日でも早ければ芯が残り青くさく、1日遅ければ黒いシミが散る実は
、ぐずぐずとだらしない。その日、その時だけの美味。だからこそ。うまく「そ
の時」を捉えたときの喜びはナニモノにも代えがたい。どうよ、と言わんばかり
誇らしい。
その快感にとりつかれ、わたしは今日も煤けた段ボールに転がるアボカドの黒光
りする皮を、そっと指で押さずにはいられない。八百屋の兄さんの目を盗んで。
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            読者投稿【わたしのオススメ】コーナーのお知らせ
 みなさんのお気に入りの本、映画、音楽、芝居、飲み屋、雑貨、漫画など、
 なんでもありのオススメ文を募集します。
 字数は本文のみ(題名、名前、出版社などは別)400字以内
 オススメの理由や感想など書き方は自由ですが、自分らしいものをお願いしま
 す。一応その月の〆きりは毎月10日、構成その他の都合上、必ず載るとは限り
 ませんが     keito@k-hosaka.com まで、待ってます。
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■連載【はやねはやお記】#04「矢口真里の不思議な横顔」 by/おくい

 2月の初めに矢口真里の写真集が発売された。私は矢口真里のファンなのでさ
っそく買ってきて、同じ日に買って来た嵐の新曲「a Day in Our life」を聴き
ながら幸せな気持ちでページをめくった。そのときはとても幸せで、嵐の新曲が
さわやかに豪快に気持ち良く鳴っているところに矢口真里の人形のようなぱっち
りした顔が大きく写っている写真がめくるたびに出てきて、その両方の興奮が同
居していてとにかくひたすら快感だった。

 嵐の新曲は500円のワンコインシングルというもので、2曲しか入っていな
い。ただし、インストの後にメンバーの雑談が5分くらい収録されていて、しば
らくは、
「今年は嵐は何しよっか?」
「嵐的に?」
「嵐的に」
「なにやる? 旅行いく?」
「ははは」
「めっちゃプライベートじゃん」
「シゴトさき語れよ」
「でも温泉とか行きたい」
「雪ンところがいいな」
「日本海のほうとか」
「いいね~」
「いいね~」
「温泉かぁ」
 とか言っているのを聴きながら矢口真里の写った写真をみていた。矢口真里は
金髪にしてからメイクも変わって、大雑把にいうとそれ以降いわゆる「キャラ」
が立つようになったんだとおもうけども、写真集ではそういうキャラクターっぽ
い写真がやっぱり多かった。というより、そういう風なものを撮ってファンに提
供するのが今のタレントの写真集の売り方なのかもしれない。
 そうすると、金髪にする前(今と比べれば全然落ち着いている茶色の髪のころ
)の矢口真里は何だったのか。といってもアイドル雑誌というのは奇特なもの
で、どんなつまらないものでもそのタレントに関する写真であれば喜んで載せる
ので、その頃の矢口真里一人だけを写した写真もちゃんと残っている。「DUNK」
という1980年代からある雑誌の2000年2月1日号に載ったその写真で
は、なんだか頼りなさとか所在のなさのようなものがどこかしらに漂っていて、
作りこまれている写真とはおもえないし、「写真として」の質はどうか、とかい
うようなことを訊かれたとすると、えええと、う~ん、まあ、う~ん、みたいな
返答になってしまいそうな、そんな微妙なあいまいなあやふやな感じの中に、そ
れでも、良いといえるようなものはやっぱりあった。
 嵐の雑談も終わりに近づいた頃、あるページに目が止まった。観覧車に乗って
ごつごつしたシルバーのアクセサリーをつけた手を手すりにかけて窓の外の景色
を眺めている右横顔が写った写真だった。そこに写っている矢口真里のはずの人
間は矢口真里のようにみえなかったのだ。
 
 リピートにしてあったので部屋にはもう一度初めから嵐が流れていた。
 名前のある人物を写したはずなのに、誰のようにもみえない写真というものが
あって、そういう写真をみるときにいつも不思議な気分になる。それが有名人の
写真だったりするとなおさら不思議さを感じる。身体の一部のアップや、背中を
向けた写真というのもあって、それはそれで別のおもしろさがあるんだけどもそ
れとも違っていて、顔が写っているのにその1枚だけをとりだすと、それは無名
の誰かの写真になってしまう。矢口真里の右横顔にはそういう類の雰囲気があっ
た。素顔に戻った、とか、リラックスした、とか、単純にそういう要素だけに理
由を求められないような、微妙な顔だった。
 あるいは私が過剰に反応しているのかもしれない。でもやっぱりその矢口真里
の顔は、「無名の誰か」にみえてしまう。「無名の誰か」というのは誰か? と
いうより、何か?
 匿名とか見知らぬ人とか、そういうものに触れるときはいつもすんなりと事が
運んでいる。量がたくさんあるからかもしれない。そういうものだ、と決めかか
って接するから、こちらの期待と向こうのそっけなさがつりあう。
 反対に、名前のあるものと接するときにはやっかいなことがたくさん起こる。
極端な話、名前を知るから接近できるのかもしれない。例えば身近な人の顔写真
を何枚も撮ったとして、その中に明らかにその人にみえない写真があったとする
と、それはいったい何がみえているのか。
 嵐が「君の涙笑顔みんな全部」♪とか歌っていて、それを聴きながら、たしか
にこれは「きみ」だなあ、とふと気付いた。無名の誰かを前にしている場合、「
きみ」とか「あなた」とか言う。そして、きみ、と呼びかけて振り返り視線が合
い会話が生まれ名前が交わされるのかもしれない。きみ、というのはそういう親
しさが生まれる一瞬前に出てくる言葉なのかもしれない。無名の誰かから、き
み、という一瞬を介して名前が出てくるのだとしたら、矢口真里の不思議な横顔
の写真は、そういう可能性を持っているものなのかもしれない。
 金髪にする前の矢口真里の写真に漂っていた所在なさや頼りなさは、キャラみ
たいなはっきりした枠におさまりきらない人間の全体があふれていたものかもし
れない。写真集に載っていた矢口真里の不思議な横顔は、そういう言い尽くせな
い豊かさを感じさせたし、無名の誰かにみえるその瞬間には矢口真里は「きみ」
になっていて、今突然連想したけども、そういえば、「I LOVE YOU ☆」という
ではないか。ちょうど嵐も歌っている。「I LOVE YOU いまでもきみを 
ENDLESS LOVE」♪ と。この曲は、過ぎし日のちょっとした過ちから別れてしま
った「きみ」へのなくならないおもいを歌っている曲なのだ。全国の矢口真里の
ファンがそのようにして矢口真里を「きみ」とおもい、全国の嵐のファンがきっ
と「きみ」を自分のことだと一瞬くらいは感じたりしているかもしれないし、そ
うでなくてもカラオケで歌われればもっとその「きみ」が身近になるかもしれな
い。無名から名前への飛躍というか、両者の間にあるものというのはすごく不思
議でおもしろいとおもう。
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■連載【稲村月記】vol.10 「微冒険」その1 高瀬がぶん
近所に存在する秘境を一つづつ踏破するというのが、今回から始まる新シリーズ
で(毎回ではないけれど)、大冒険であるはずはなく、冒険とも言いがたく、し
ょうがないので「微冒険」と命名。
第一回目は、鎌倉山から笛田住宅地に向かう途中にある、水と緑の文化遺産とし
て名低い「夫婦池」である。
ご覧の通り、「立ち入り禁止」「釣り禁止」とかの立札があって、柵には厳重な
有刺鉄線が張り巡らされ、民間人!の侵入を頑に拒む謎のエリアとなっている。
この続きは以下のURLで。
http://www.k-hosaka.com/gekki/gekki10/gekki10.html
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        春野景都【興味津々浦々】バックナンバーはこちらからどうぞ。
       http://www.k-hosaka.com/inamura7/tutu.html
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■連載【興味津々浦々】vol.11 「ジャパニーズ・ガウンの巻(10)」春野景都

前回ちょっと、お休みしちゃったので、その前の月、この話はどこまでいってた
のかしらと今、読み返したら、わたしたちはそうそう、京都に行って、紅葉狩り
なんかして、彦寧坂でひょうたんをみつけたりしてたのよね。ふーん、なつかし
く、遠くを見つめてしまう感じ、あれから時間が経ってしまったということもあ
るけれど、それだけじゃない。というのも、今年になって急展開になってしまっ
た、この椎野正兵衛話。結論からいうと、チョウ子さんと椎野さんが決裂してし
まったのだ。もちろん、二人のあいだに恋愛感情など、これっぽちもなかったわ
けだし、仕事関係というほど、はっきりとした形をとってたわけじゃないけれど
、一緒になにかをやっていこうというのはなかなか大変なものだ。まあ、どんな
ことがあろうと、たとえ、チョウ子さんが見境なく感情的になりすぎたとしても
、あるいは、事の進め方がとんでもなくヘタクソだったとしても、長年、チョウ
子さんの友達で、いいとこも悪いことも知りつくしてるわたしとしては、絶対に
チョウ子さんの味方なので、ふたりが仲直りしない限り、ご挨拶無しで悪いけど
、椎野さんにはこれからは会うこともないでしょう、あしからずというか、すみ
ません、というか、あーん、ちょっと残念。ところで、急展開したのはチョウ子
さんと椎野さんの関係だけじゃない。決裂前の一月の新年会で、また例によって
、場所も忘れちゃうほど高級な料亭でお会いしてごちそうになりながら椎野さん
に聞いたところによると、こんど椎野正兵衛店が桜木町にオープンするんだと言
う。4月からで、場所も決まってると言うのに、売る物、つまり製品がまだ決ま
っていないという不思議な、いや、もしかするとよくある話、なのだそうだ。新
年会での椎野さんは非常に疲れていて、顔色も悪く、聞けば血糖値が尋常な数値
じゃないのだ。
「こないだなんて、400だよ」
ふだんから血糖値なんて気にしたことのないわたしでも、それがどんなにすごい
ことかわかる。
「いや、もうさ、いろいろあってね、会社もそうだし、親戚関係がね」
というのは、椎野さんが先日、正兵衛の墓の門(どんな墓だー?)の扉がこわれ
ているところをみつけ、親戚に、なにも言わずに直したところ、そのことがみん
なに知れ渡り、ほんとは誰がしなくちゃいけないだとか、なにかの魂胆があって
、そんなことしたんじゃないかだのなんだかんだとくだらない言い争いになって
しまい、とにかく、どういう成りゆきか椎野さんがこんど親族が集まる席で謝罪
するとういうことで決着がついたそうだ。こういう世界はほんとにむずかしいの
ね。
ところで、椎野さんたら、顔色が悪く、もう、死ぬかもしれないとか口走りなが
らも、けっこう精力的に動き回って椎野正兵衛について新しい事実をみつけてい
た。昨年10/28から12/24まで横浜美術館で幻の陶芸家宮川香山の展覧会が開かれ
た。それを見に行った椎野さんは、香山の本の中に、椎野正兵衛の名前を全く偶
然に発見したのだと言う。明治27年、椎野正兵衛邸で宮川香山展が催されたと
いう記述。いったいどういうことなのかということでいろいろ調べている最中と
いうことだった。陶芸に精通してる人ならだれでも知ってるというその人の名を
、もちろんわたしは知らなかったわけなんだけれど、その後いろいろ調べてみる
と、興味深いことがちょこちょこ出てきた。
宮川香山はもともと京都真葛ヶ原(まくずがはら)の出身なのだが、横浜に窯を
開いた。それで、彼の焼き物は「真葛焼き」と呼ばれているのだが、「横浜に真
葛焼きあり」とその名をたたえられた程、開国間もない頃、輸出用陶磁器で日本
のみならずヨーロッパで一世を風靡したのだそうだ。明治9年、フィラデルフィ
ア博では賞ももらっている。そ、つまり、椎野正兵衛と同じ時期に、横浜におい
ておなじような功績を残している人なのである。しかも、昭和20年、あとを継い
でいた三代目と、その家族、従業員全てが横浜空襲で戦災死していて、横浜では
全く途絶えてしまった幻の窯ということなのだ。椎野さんによると、横浜空襲で
正兵衛が残した資料も含め財産がすべて無くなったと言うことなのだが、いずれ
にせよ、そこらへんで途絶えてしまったのもおなじである。ただし、香山の場合
、たくさんの作品が残っていて、その点については正兵衛と違うのだけれど。と
にかく、明治のはじめ、ヨーロッパにジャポニスムの波をもたらしたふたりの人
物はなにかの関係で知合い、非常に親しい間柄であったことは確からしい。
椎野一族のごたごたをちらっと聞き及んだすぐあとだったから、インターネット
でこの新聞記事を見つけた時にはちょっとおかしかった。実はこの宮川一族、も
めにもめて、裁判沙汰になっている。実際、横浜では真葛焼きは途絶えてしまっ
ているけれど、なんと京都では今なお、真葛焼きは続いているのだ。茶道界では
有名な宮川香斉、香山の親類の孫にあたるその人物が、戦後、ずっと制作を続け
、京都で真葛焼きと言えば、香斉の作品を示すと言う。
ところが、一昨年、横浜の会社員である香山の直系の子孫が香斉を訴えた。真葛
焼きの名称を使わないようにということで。結局、裁判では直系の子孫の訴えは
棄却されてしまったのだが、その人、会社勤めのかたわら、焼いた陶器を「真葛
」と商品登録してるということなのだ。
椎野さんは直系のひ孫だけれど、正兵衛があとを継がせたのは嫁の婿。そのひ孫
も、そういえば、シルクセンターの部長さんが会って話したことがあり、正兵衛
に興味を持ってたと言ってたので、なにか、ややこしいことにでもならなければ
いいけど、、と思いながら、あ、そうだった。椎野さんとは決裂したんだったわ
。これからは静かに見守りましょう。

そんな折、群馬の蚕博士清水さんから、郵便が届いた。
「ハイブリッド絹展’02」と4月にインドネシアで開かれる国際野蚕学会のお誘
いだった。
              つづく
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■編集後記 2002,2,20
娘がふたり続けておたふく風邪になったので、腫れた顎のところを冷やすのに、
毎日のようにビニール袋に氷水を入れたのを用意している。市販で熱冷ましのシ
ートやパックなども売られて入るけれど、やはり、ビニール袋のほうが気持ちが
いいと言うのだ。
そういえば、わたしも小さい頃、この氷り水入りのビニール袋(氷嚢とか言うん
だっけ)にとってもあこがれていた。というのも、わたしは熱を出したと言う記
憶があまりなくて、たぶん小5のとき、初めて(じゃないと思うが、ものごころ
ついて初めてって感じ)病院に行って体温計を出されてそれが注射だと思って泣
いたことがあったほど。テレビや本のなかで主人公が熱にうなされて寝込んでる
時、必ず頭には氷嚢がのっかっていて、それも、針金スタンドみたいなのにひっ
かかって手で押さえなくても言い仕組みになっていて、なんとも魅力的な形だっ
た。あれってどこかに売ってるのかな。 
ところで、文集「ピナンポ」について、保坂さんになにか書いて下さいなと頼ん
でいたのですが、何について、どう書こうかと、只今思案中だそうで、執筆して
くださったみなさん、もう少し待っててくださいね。(けいと)
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2002/2/20 vol.12 メールマガジン【いなむらL7通信】12号
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