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<訪問>茶藝楽園店主 森田学さん

                   

 
 

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お茶の香りの立つところには仙人や神様が集まってくる…という中国の古い言い伝え、森田さんに会うと思い出してしまうのだけれど、彼は知る人ぞ知る中国茶の達人。
なにか、使いふるされた言い方で、達人なんて書くと返ってその雰囲気が伝わらないけれど、仙人と言うには若すぎるし、名人、スペシャリティなんていうと、いっそう離れてしまうし、もちろん先生も似合わない。森田学さんは、32才、東麻布に「茶藝楽園」という中国茶の店を開いている。

実は森田さんのことをうまく伝えられるかどうか自信がない。
森田さんに初めてお会いしたのは、今年の一月。鎌倉のティギャラリー陀陀舎(だだや)で、彼が煎れてくれた鳳凰單叢(ほうおうたんそう)をいただいた。その時の気持よさを今でも覚えていて、森田さん自身が発信する力強いエネルギーみたいなものも忘れられず、そのあと、会う人ごとに森田さんのこと、中国茶のことを話して聞かせていた。それは、なにかにのめり込んでしまった人が、相手の反応などおかまいなしにそのことばかり喋ってしまう感じで、まわりにとっては、さぞ、はた迷惑な事だったかもしれない。しかも、わたしはそうして話したあとに、うまく説明できないもどかしさに、いつも、もやもやしてしまっていたのだ。そう、この感じ、なんだかちょっとなつかしい。こんなこと書くのも気恥ずかしいのだが、わたしは、森田さんの煎れる中国茶に恋をしたのかもしれない。中学生の頃の恋みたいなね。

「茶藝楽園」は地下鉄麻布十番駅から歩いて数分、大通りに面したこじんまりとした店で、茶葉、茶器を扱うほかに、茶藝講座を開いている。森田さん自身は、香港にある「茶藝楽園」の本店のオーナーである陳國義(チャン・グォイー)老師との出会いがきっかけで、この道にすすんだそうだ。よく言われるように、何千年の歴史を持つ中国茶は奥が深い。伝説や迷信、お茶にまつわるさまざまな話は、うそかほんとかわからなくなるほど奇妙でおもしろい。
たとえば、お茶を発見した神農という神様のお腹は水晶でできているので、お茶の葉を食べた時にぐるぐる動きながら汚れを洗い流している様子がみてとれた、とか、西太后の愛したお茶の木が残っているとか、猿が茶摘みをしなければ採れないような岩場に生えているお茶の木だってあると言うし、こどもがほしい女の人は月の光の下で乾かした白茶を飲むといいが、相手は太陽の下で乾かしたお茶を飲まなければだめというのもある。分類の仕方も、発酵の度合い、色合いから、一般的に青茶、緑茶、白茶、黄茶、紅茶、黒茶の6つに分けられ、それに花茶を加えて7種類とも言われるけれど、福健省や雲南省など、産地によっても製法が変わり、春茶、夏茶、秋茶、冬茶とか明前など、どの季節に摘んだ葉なのかということで、味、呼び方、等級も違ってくる。
そして、当然、茶葉によって、お湯の温度から分量、蒸らし方など、煎れ方もそれぞれにあわせてしなければそのおいしさを引き出す事はできない。もちろん、森田さんの煎れるお茶がおいしいのは、それぞれの茶葉の特性にあわせた煎れ方をしているからなのだろうけれど、どうもそれだけではなさそうな気がする。

まずは浙江省(せっこうしょう)の緑茶「顧渚紫筍(コショシジュン)」を煎れていただいた。緑茶は一般的には、はじめから冷ました湯で煎れるけれど、森田さんは一煎目は熱湯を入れる。もちろん、その熱湯は一瞬にしてだしてしまうのだが、捨てるわけではない。飲んでみると、ほのかな香りがたち、あっさりとした味わいである。
これが森田さんが言うところのお茶の皮の味、一煎目である。お茶には皮、肉、骨があり、茶葉に水が入っていく道を作ってあげるために、熱湯を使うのだそうだ。はじめから、低めのお湯で、皮を通り越して肉、骨の味わいを出すことはできないと言う
(でも、中国茶の茶房に行って、熱湯なんて入れたりすると、そこの御主人に「あ、ダメダメ、渋みがでちゃうよ」と注意されちゃうのが一般的)。そして、二煎、三煎、四煎目、そのつど、茶葉の状態を見ながらほどよく冷ました湯を入れる。そうすると、優しい甘味と豊かな香りが出てくるのだ。
森田さんはお茶を飲む時、口に入ったお茶を満遍なく口中にひろげ、ほんの少し、ぶるぶるとでもいうような音をたてる。そうして目を閉じ、鼻から大きく息を吸い込みゆっくりと吐き出す。この時、お茶が身体の隅々までゆきわたっていくような様子なのだが、実際、森田さんの腕を見ると、まるで鳥肌がたつような感じで毛穴が開いていくのが見えるのだ。そして、髪の毛までもが逆立つように見えるのも、たぶん気のせいではない。
「お茶は鼻で香りを楽しみ、口で味わい、そして、首から下、身体全体で韻(ひびき)を感じるんです」
韻を受け止める時、お茶が持つ生命のエネルギーが身体中に満ちあふれ、肉体と精神が整えられていく感じがするのだそうだ。身体の中の気が滞りがちな場所、病んでいる部分に静かに浸透して、自然の治癒力をうながしてくれると言う。こういう説明はどんな風に言葉を尽くしても、し尽くせるものではなく、それどころか逆効果になってしまう恐れもあるので、本当は、言葉の代わりに一服のお茶を差し出したいところなのだが。
実際、森田さんも、陳さんに出会うまでは中国茶に興味もなく、その道具、所作などを見ながら、どこか金持ちのお道楽としか感じられなかったと言う。
陳さんのお茶に出会い、そのお茶のエネルギーに気付いてから、古い文献で自分の体験とおなじような記述を発見する。江戸時代の岡倉天心の喫茶の仕方についての書物には、お茶は全身で飲み、香りを嗅ぐと毛穴が開き、自然の息吹きがはいってくると同時にたまっていた余分なものが吐き出される、とある。また、中国では廬同(ろどう)が詩の中で、お茶を飲むことによって移り変わる精神と肉体の様子を具体的にあらわしているのだ。


「お茶のもつ癒す効果を広く知らせたいし、自分が死んだあとにも残していきたいと思ってるんですけどね、茶の文化は、なにも大人だけのたしなみである必要もないと思ってますし、形あるものとして残そうと思ってるわけじゃないんですよ。ただ、感性の豊かな若い人たちに、もっと伝えていきたいですね」
お茶と言うと、中国ばかりではなく、日本の優れた文化であるとともに、どこか形骸化された側面をもちあわせる。文化を成熟させるために、規範を残すことに配慮する余り、そのもとにあったものを忘れ、さらには時代に即応することなく日常生活に入り込む余地すらなくなってくる。また、ちょっと、流儀が違うというだけで、互いに合いまみえることをきらう。
「こどもはもちろん、性別や国を越えて現代にあったスタイルでたのしみながら、何千年もの時を経て伝えられてきたお茶の力によって、肉体も精神も健康になってほしいですよね。不思議なことにお茶を身体で感じられるようになってから、それは年ごとに確実に増していくんですけど、身体で味わうレベルが高まっていくというのかな、感覚というか感性が鋭敏になっていくのを感じますね。野球を見ていても、それぞれのポジションの人がどのくらい真剣に関わっているかとか、ひとりひとりの役割があきらかに見えてきて、楽しみの度合いが強くなりました。」
お茶の種類や飲み方にしても、いろんな人がいろいろ言っていてなにがほんとうなのかわからないという現状、余分で無用なことは知らなくたっていいのに、そんなことに惑わされるからお茶と距離ができてしまう、と言う森田さん、こどもでもだれにでもわかりやすく楽しめるお茶の客観的な真理、哲学をみつけるのに、これからの時間と力を使っていきたいそうだ。
「ティセラピーって言葉はまだ一般的ではありませんが、味や好みだけではなく、その人の体質や状況にあわせての茶葉の選び方や飲み方をアドバイスしたり、現在はここで、茶藝講座も開いていますから、気軽に来て、お茶を飲んでその魅力にふれてほしいですね」

最後に、無人島にひとつだけ持っていけるのならこのお茶というほど、特にお気に入りだというプアール茶を煎れていただいた。40年も前に摘まれ寝かされていた40年物のすごいプアール茶である。実を言うと、わたしはしっかり発酵された黒茶であるプアール茶が苦手だった。ダイエット効果があると一時ブームになった頃にはじめて飲んだのだが、なんとも言えないカビ臭さと、中途半端なほろ苦さ、そして、かなりお腹に刺激的ということで、もう二度と飲みたくないお茶として、私の中で烙印が押されてしまっていた。しかし、森田さんが煎れてくれたお茶は、いとも簡単にその烙印を消してくれた。なんとも風味ゆたかなおいしさで、くるみとか干しぶどうのような乾いた香ばしい匂いがして、やわらかな味なんだもの。
その日、森田さんのお話をうかがっている3時間の間中、ひっきりなしに中国茶を飲んでいたことになるのだが、不思議なくらい、お腹ががぼがぼにならず、鏡を覗いてびっくり、お肌がぴっかぴかになっていた。娘にも夫にも言われたんだから、これはまちがいなく気のせいじゃない。恋をするときれいになると言うけれど、相手が中国茶なんだからその効果ははかりしれないんじゃないかしらと思っている。


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