インタビュー・その2 キーワードは【素(ス)】

自然のままに こぼれおちる
保坂和志の言葉は
いつだって 素のままで・・・・。

どこにでもあるような
他愛ないおしゃべりも
深遠な思索へと続く散歩道
 

聞き手:春野景都



◆けいと:具体的にどんな自分になりたいって思われたんですか? 

■ほさか:うーん、それはねぇ…。 


   インタビュー その2 キーワードは「素(ス)」

■ほさか:すっごいくだらないよ。高校のときはさぁ、加川良っていうフォークソングのシンガーがいて、その人の歌が大好きだったんだよね。 

●がぶん:えー、どんな歌ある? 

■ほさか:「屋台じゃ 焼そば二十円 焼酎が二十五円で 靴は水のしみるものさ シャツとはボタンのとれるものさ(歌ってみせてくれる)」。加川良みたいになりたいって。声が格好いいから。あとはね、教わった先生の中でただ一人だけ尊敬してた国語の先生。あー、ああいう人になりたいって。 

◆けいと:どんな先生だったんですか? 

■ほさか:あのね、どんなっていう説明にはなってないかもしんないんだけど、えっとね、俳句の授業のときに「くろがねの 秋の風鈴 鳴りにけり」っていう俳句があって、それ、普通には風鈴が秋になっても取り外されそびれていて、それが、風でチリ−ンと鳴って、なんかわびさびを感じるって解釈なのね。でも、その先生に解釈させると、秋になって風鈴がチリ−ンと鳴ったときに、ビシッと背筋が伸びるってなるんだよね。あともう一つね、「鮟鱇(あんこう)の 骨まで凍てて ぶち切らる」って河東碧悟桐の句だと思うんだけどね。あんな立派な顔をした鮟鱇が、深海からあげられて料理されてあ〜かわいそ、ってなとこなんだけど、その先生に言わせると、「ぶち切らる」という響きで、冬の寒さのなかでバシッとするっていう……もうすべてが、バシッとするっていう表現で……。 

●がぶん:なんか長島監督みたいな表現だなぁ。 

■ほさか:いや、「ビシッ」「バシッ」は僕の表現で、先生じゃない。あ、それからもう一つがね、村上鬼城の「闘鶏の 眼(まなこ)つむれて 飼われけり」ってのがあって、昔はチャンピオンだった闘鶏が、今やそうやって怪我もして、年もとって淋しく飼われているって解釈が普通なんだけど、その先生に言わせると、かつての闘鶏だった記憶を彼は忘れてないから、油断して手なんか出すとツンッとつっ突く、それぐらいの気概があるっていう気概の句なんだっていう、もうすべてがそうやって解釈するんだよね。それで、自句自解なんてのを見つけて詳しく調べてくるようなせこいやつがいるじゃない。そいつが「作者本人がこういうふうに言ってるんですが……」って言うと、「いやぁ、本人は往々にして分からないものなんだよ」なんて言ったりね。それでもう、僕のころにはなかったけれども、僕の三年先輩くらいまでは高校も学園紛争なんてやってるわけで、学校側の先生の話を唯一みんなが静かに黙って聞いたのは、その先生の話だったらしい。その先生のモラルっていうのは、「君たち、学校に世話になっているんだから、世話になってる相手にそんなことをして恥ずかしいとは思わないのか?」って感じで古かったりするんだけど、そんなの関係ないんだよねやっぱり。なんか何もおそれるものがないって感じで……かっこいいんだよね。で、卒業して映画やってる長崎俊一と二人で一緒に挨拶に行って「じゃ、君たち、卒業したんだから酒でも飲むか」とか言って飲んだらすげー弱かったりするの。おととしの暮れに亡くなっちゃいましたけどね。 

◆けいと:お葬式に行かれたんですか? 

■ほさか:それがさ、アッタマきたんだけどね。お通夜と告別式にみんな来ると思ってたし、学校に教師で残ってるやつもいるし、出入りしているのもいるから、彼らがみんなに知らせると思てたんだけど、その先生を尊敬したり、正しく恩師だと思ってるようなやつは、どっか落ちこぼれっていうか……、学校で、なにしろ栄光学園だから厳しくてせこい学校でしょ。常にやめろって言われてるようなところがあって、学校からやめろって言われたことがあるようなやつしかね、そう強く思い入れを持ってなんかいなかったみたいで、僕の本読んでくれてる図書室の人から連絡が来なかったら、行きそびれてたかもしれない。結局、来てたのはほとんど僕が連絡したやつらだった。 

◆けいと:その先生みたいになりたいって思ってたんですね。 

■ほさか:そっ、とかって思うわけ。そうなりたいって思うわけ。長い話でしたね。 

◆けいと:それにしても俳句とか短歌をよく覚えてらっしゃいますよね、「夏の終わりの林の中」でも、「あしびきの……」 

■ほさか:「……山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜をひとりかもねむ」でしょ。そりゃいくつかは覚えてるでしょ。僕がこうやってぺらぺら喋るとまるでたくさん覚えてるみたいだけど〜、まぁ全然覚えてないよ。

●がぶん:えー、ところで、女の人だったらどんな子が好き?

◆けいと:なんか、いきなりワイドショー的になってきましたね。 

●がぶん:いやこれまでの話で、保坂がどんなふうな男になりたいのか分かったんだけど、女にだったら、どんなふうな女になりたいのかなって思ってさ。 

■ほさか:いや、やっぱ女にはなりたいとは思わないから、そういう好きさとはぜんぜん違うんだけど……外見はなんて言っても風俗系だよね。 

●がぶん:でもみっちゃん(奥さん)はそうじゃないじゃん。 

■ほさか:いやぁ、そうだよ。そういう場面で会うから感じないかもしれないけど、やっぱ風俗か水商売系だよ、あれは。 

●がぶん:いや俺はぜんぜんそうは思わない。 

■ほさか:でも派手でしょう。 

●がぶん:たしかに、顔のつくりは派手だけど。 

■ほさか:そりゃ、口きいたら違うかもしんないけどさぁ。 

●がぶん:いやぁ違う、見たって違う。何年前? みっちゃんと出会ったの? 

■ほさか:もう、85年だから15年前。27,28。あのね、中身はね、表面のケバさに似合ってる中身の人がだいたい好きなんだよね。だから、地味なタイプっていうのは、真面目に人生いきてますってタイプは、そういうのは感じないわけ。だからその〜、芸能人で言うと〜。 

◆けいと:ほんとにワイドショー的になってきた。 

■ほさか:外見を芸能人でいうと、20代の時は浅野ゆう子がすごい好きだった。それで、村上里佳子。村上里佳子って、一時期暴走族とかツッパリにすごい人気あったんだよ。背が高いの好きなんだよね。だから、あんまり、ちっちゃい子っていうのは〜。 

●がぶん:痩せてる子? 

■ほさか:痩せてるかどうかってのは、問わないけど、胸は大きい方がいいかな。デブはだめだけど。 

◆けいと:問わないって言ったくせに〜。 

■ほさか:いや、外見でしかものを判断しないってとこあるんで。それでとにかくきちんと化粧なんかもするし、格好なんかも派手でっていう、そういう子の方がものを考えてるっていう先入観があるんだよね。 

◆けいと:あ〜なるほどね。 

●がぶん:ものを考えてないから、風俗行っちゃうんだろ。 

■ほさか:いやぁ、僕の場合は、ものを考えてるから風俗行ったに違いないって、なるんだよ。派手な顔を与えられてしまった自分が、その派手さに見合った人生を生きるにはどうしたらいいのかって考えてる、と僕は思ってしまうわけ。電車に乗ったら絶対痴漢もされ続けただろうし、っていうようなタイプが僕は圧倒的に好きなわけ。 

●がぶん:なんかエロじじいだね。 

■ほさか:エロじじいじゃない。おれは触らないんだから。 

◆けいと:でもそういう保坂さんの女性に対する感覚って、小説にはあんまり反映されてないようですね。 

■ほさか:いや、でも、離婚したナッちゃんていうのも、見てくれはケバいって書いてあるんだよね。「草の上の朝食」の工藤さんなんかはモロその路線のつもりだし。で、美紗ちゃんは、「もうひとつの季節」の挿し絵で、なぜか三つ編みの頭になっているんだけど、じつは全然そうじゃなくて、美紗ちゃんのイメージとかは、村上里佳子とか? あの娘をブスとか地味とか、思わないでしょ? 

◆けいと:そうですね。 

■ほさか:で、怒るとツッパリみたいな目になるって……あと、つみきみほ、みたいな目の感じとか……、ところが、最近ねぇ突如として本上まなみのファンになっちゃったの。ああいうなんかさ〜、実体は知らないけどさ〜、汚れを知らないっていうかさ〜。 

◆けいと:え〜、本上まなみってそういうイメージなんですか? 

●がぶん:ね〜、トンチンカンでしょ〜、ちょっと保坂って、トンチンカンなんだよ。 

◆けいと:本上まなみって、なに考えてるかわかんないって感じのイメージだけど。 

■ほさか:いや、あの、「アナザヘブン」っていうドラマで巫女さんみたいな役やったんだよね。それでファンになったの。それまでは、「眠れる森」とかに出てくる、なんかキムタクをひたすら追っかけるような役どころをするような感じは好きじゃないんだよね。 

◆けいと:中身の好みはなんとなく分かるような気がするんですが、外見に関してはよくわかんないですね。 

■ほさか:あと外見でいうと、ジョディ・フォスターが大好きでしたね。 

●がぶん:え〜、そう? ジョディ・フォスターは典型的な美人ではないよ。 

◆けいと:典型的な美人ってよく分からないですね。

●がぶん:関係ないけど、僕が好きなのはホテルニューハンプシャーの時の、ナスターシャ・キンスキー。 

■ほさか:あ〜、ナタキン? 

●がぶん:ナタキン? なんだそりゃ、そんな言い方しねぇよ〜。 

■ほさか:ナタキンって言うよ〜。 

●がぶん:変なの〜、じゃあ、ズマリって言う? 

◆けいと:え? なにズマリって。 

■ほさか:え? あ〜、逗子マリーナね。 

◆けいと:聞いたことないな、そんなの。誰がズマリって言ったの? 

■ほさか:ズマリが言ったんだよ。 

◆けいと:え? ズマリって誰? 

■ほさか:だから、逗子マリーナが言ったんだよ。 

◆けいと:えー、そうなの? 

■ほさか:灰皿とかにズマリって出てるはず。 

◆けいと:なんか保坂さんて、書いてるのと話してるのでは別人のよう。 

■ほさか:「生きる歓び」って本に「生きる歓び」と「小実昌さんのこと」を書いて、あとがきを長く書いて、三つを書いてるうちにね、多田なんかにも、あの蛯乃木のモデルの、言われたんだけど、だんだん保坂の「素(ス)」が出てきたって……。 

◆けいと:そうですね、私もそんな気がします。 

■ほさか:それまでね、書くってのは不便なことなんで、あの、小島信夫ふうに言わせると、“君は身をやつす”という。書く時にね、そういうふうにしないと、どっかね、書けないようなとこがあったんだけど、あの〜、「生きる歓び」の三つを書いてる過程でどんどんどんどん素が出せるようになって。で、だから、出す話題もすごい強引にいろんなものに結びつけるでしょ。それとか、語り口とかもそうで〜。 

●がぶん:そりゃデビューしてさ、定評を勝ち得れば自由になるんでしょ。 

■ほさか:そうじゃなくて、書くときの自由度の問題なんだよね。で、それから、この一年の間に文章の一人称を「僕」から「私」に変えたんだよね。 

◆けいと:あ、そうか、そうですね。 

■ほさか:でね、「私」で書いてる方が、けっこう自由に書けちゃうんだよね。なんか「僕」ってのは、僕を演じている「僕」みたいな感じなんだけど、「私」っていうともっとね、その「私」自体は文章の中では、記号化させられる。僕と関係ない人格として、ふっきれたところがあって、「私」って書いてる方がほんとの自分が出せたりするんだよね。「私」っていう相乗効果と、やっぱりその、文章が書き慣れてきたっていうのが一緒になって、わりとみんなが、親しいまわりの人間が「ホサカ」って思ってるイメージのような書き方が最近できるようになって、書いてる自分はね、前より楽しい。 

◆けいと:私も「生きる歓び」とかを読んでいてそんな気がしました。今までの作品よりもあっという間に読めましたしね。 

■ほさか:「生きる歓び」なんていうのは50ページくらいかな? 今までの書き方をしていたら、あんなふうには書けなかったと思うんだよね。後半で草間彌生(くさまやよい)のこととか、友だちの全盲の子どものこととか、ばんばん書くでしょ。前の書き方だったらああいうふうには入れられないよね。好き勝手に書けるから入れられたっていうのがあって、あんまりその書く過程で、あの、今までは、なんて言うか、4分の4拍子のモデラートで始めたら、途中の転換はなんとかにしなければならない、アンダンテにしなければいけない、とかって、あんまり選択肢がなかったんだけど、もう最近、そういうテンポとかも関係なくて、もう自分の思ってることがそのまま出てくる。 

◆けいと:じゃあ、一人称で書くのと、三人称で書くのはどう違いますか? 

■ほさか:今、次に考えてる小説は、一人称じゃ手が回り切らないんで、三人称にせざるを得ない……かな? ただ「残響」と「コーリング」っていうのは、三人称って言っても、全部のセンテンスの終わりに「……と美緒は思った」とか、「……と感じた」ってなってるでしょ? 本来の三人称小説っていうのは、その書き手がまるで全部自分が分かってるかのように「……と思った」なんてなしで書いてるのね。全部「……そう思った」で、こう、美緒の考え、浩二の考えっていうふうに、カチッカチッとはめてくって言うのは、オーソドックスな三人称とは言えない。で、そういう距離感っていうのを作らなければいけないっていうのは、大ざっぱに言うとそれが現代文学なわけで、つまり、自分は分からない。「美緒はそう思ったそう思った」って書くと、むしろ、書き手は分かってませんって言ってるようなもんでしょ。っていう感じは読む人も、どっかすると思うんで、「……と思った」とか抜きにすると、もっと書き手が美緒の内面を把握しているように感じると思うんだけど、そういうふうにはやっぱりできない。だってわかんないもん。で、僕はもともと、どの登場人物のことも、自分なりにこういうやつだって解釈してるだけで、分かっているとは言ってないからねぇ。言えない性格だからねぇ。それはでも日常生活でもそうで、人のこと分かってるなんて思ってないからねぇ。生まれてから一度も人のこと説得したこともないしねぇ。 

●がぶん:結婚の時くらいは説得したんじゃない? 相手をさ。 

■ほさか:むこうから言ってきた。僕はだから結婚しようとかさ、そういう相手の人生に関わるようなことを、自分から言うっていうのは〜。 

●がぶん:イヤなんだ? 

■ほさか:イヤっていうかさ、だってそんなのどう思ってるかしらないもん。 

◆けいと:じゃあ、自分のお気持ちは? 

■ほさか:自分の気持は、あの〜、小説書いてる時も結局そうかもしれないけど、自分の考えってのはね、普段の生活では基本的にないんだよね。相手がそう言ったら、じゃあそうかなっていう。だから、昔さ、デートとか行って、私の知ってる所に行こうって言ってくれる人じゃないとさ、もうほんと困ったね。 

◆けいと:じゃあ、がぶんさんのお姉ちゃんみたいな人がいいよね。 

■ほさか:そうかも。どこ行こうなんて、ほんとになんにも頭にないんだよね。メシを食うのも飲み屋に行くのも、どこに行こうなんてないんだよね。 

◆けいと:じゃあ、たとえば女の人に誘われたら、すぐ誘いに乗っちゃうほう? 

■ほさか:あ〜、そりゃもう、簡単に乗っちゃう。相手の気持ちしかないんだから。 

●がぶん:そういうやつだ、保坂は。ま、それはそれとして、今度は保坂の俳優時代の話し聞いてよ(けいと、に向かって) 

◆けいと:え! 保坂さんて、俳優なさってたんですか! 

■ほさか:ははは、それはね……。 

               つづく


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