昭和五十五年優秀論文  京都大学文学部哲学科卒業
アルチュセール派イデオロギー論の研究
――後期アルチュセールの理論的活動への探索――
 以下で述べるのは、フランスのマルクス主義思想家ルイ・アルチュセール(Louis Althusser)と彼を中心とするグループの、一九六八年以降、所謂後期アルチュセールと言われている一連の理論的活動への探索の試みであり、とりわけ、そこで中心的な位置を占めるイデオロギー論に対する探索である。その探索の過程で、認識論的と称されている前期アルチュセール派と後期の同派との差異が照射され、更に構造主義的方法論、イデオロギー、更には所謂構造主義的マルクス主義に対する同派の対立点を明確化する試みが行なわれる。
(注)ここでアルチュセール派の理論的活動全体について、ごく簡単な解説をしておく。アルチュセ−ル派の理論は便宜的に次の四系列に分割してみることができる。即ち、一、認識に於ける理論的実践の構造論、二、マルクスに於ける認識論的断絶論、三、生産様式論、四、イデオロギー論及び階級闘争論。

前期アルチュセール派と《イデオロギー》

アルチュセール派の仕事に於て、イデオロギー論は意識的に中心的テーマとして取りあげられることは少ないが、しかしそれは同派の理論的活動に於て、最初から常に前提条件とも言える位置を占めてきた。それは彼らの活動が、(社会)科学に於ける《認識論的断絶》の問題、特にマルクスに於けるヘーゲル、古典派経済学双方に対する断絶という問題提起から出発したことから考えて、しごく当然である。何故なら、《認識論的断絶》というバシュラールに由来する概念は、《認識論的障害物》なる概念と表裏一体として存在し、認識論的断絶を行なうこと、つまり既存の問題構制―諸プロブレマティックの体系を内在的に解体し、新たな諸プロブレマティックの領野へ移行することは、個々の局面に於て、常に既存の諸プロブレマティックの領野を、《認識論的障害物》―《イデオロギー》として見ることができる、《科学》的視点―立場に移動すること(=認識論的断絶)を意味するからである。
従ってエピステモロジックな位相にある前期アルチュセール派に於て、イデオロギーとは古いプロブレマティックによって対象を見ることを命ぜられている(或いは見ないことを命ぜられている)主体の諸表象に対する、新たな科学的視点―意識からみた呼称である(例えば『ドイツ・イデオロギー』以前、『ユダヤ人問題について』等に於ける、そして人間主義的マルクス主義一般に於ける《疎外》の概念。他方では古典派経済学に於ける《労働の価値〔労働力の価値ではなく〕は何によって規定されるのか》という問の構成そのもの、それらは全てイデオロギー的である)。とどのつまり、イデオロギーとは、古い(=イデオロギー的な)プロブレマティックに規定された、世界の歪められた、誤てる《表象》(=イデオロギー)である。しかし、いずれにせよ、この段階ではアルチュセールらはイデオロギーという概念装置について主題的に展開してはおらず、ここでは単に推測的にイデオロギーという語の彼らの使用方法をやや強引に単純図式化してみたにすぎない。
つまり、『マルクスのために』『資本論を読む』の段階では、イデオロギーという語は極めてストラテジックな用法によって登場し、それは常に《イデオロギー的》という形で用いられ、新たな科学的認識の生産(具体的にはマルクスに於ける《歴史科学》の生産。そしてフロイトに於ける《精神分析学》の生産、等)が行なわれたことを断定する場合に、既存のパラダイムを《イデオロギー的》と表現することによって、同語反復的に新たな科学的認識の正当性、革命性を強調する、というふうに使われるにすぎないのである。そこで主題となるのは、《科学的認識》の生産であって、イデオロギーという語は副次的な意義を占めるのみである。
しかしながら、ここで、《イデオロギー(的)》という語は、もともと単に《古いパラダイム》《古い諸プロブレマティックの体系》を指示する語ではなく、すぐれて政治的な、より具体的にはマルクス主義の体系に於て《国家権力》とそれをめぐる《階級闘争》についてのコンテキストで用いられる概念である、という初歩的なことを喚起しておく必要がある。そのことを考えると、前期アルチュセールにとっては、イデオロギーという概念の多用は、もし彼らが一般に言われるように、認識論的マルクス主義者、構造主義的マルクス主義者であったとするなら、自らの理論的地平を自足的に閉じることに対する、障害物となるのである。この意味で、イデオロギーという語は、エピステモロジックな地平が、それのみで閉域を形成することに対して、前期アルチュセールが自らにしかけた(より正確には前期アルチュセール派の立つプロブレマティックの総体が自らにしかけた)理論的ワナ、だと言える。従ってそれはストラテジックなものであり、彼ら自身の用語を用いるなら、移動すべき新たな立場―視点を指示する《実践的概念》(concept pratique)なのである。
もちろん、前期アルチュセール派が純粋に科学主義的、認識論偏重主義的であったとは、とうてい断言し得ないと私には思われる。しかしそれを論じるには、《重層的決定》《生産様式論》等の個々の概念の再発見、という彼らの活動に内在しつつ、《科学》と《イデオロギー》の概念装置について細かく見ていかねばならず、紙数の関係上それはここではできない。従って《イデオロギー》概念はアルチュセール派の活動に於て、最初から不可欠のものとして存在しつつ、かつそれは当初の自覚的理論的地平に対しては一つの剰余としてあったことを確認し、論を急ぐことにする。アルチュセール派のイデオロギー論の意義を見定める作業の一環として、この場には、後ほど遡行的に言及することになるであろう。

イデオロギー論を読む

アルチュセール派のイデオロギー論の骨格は、一九七六年発行の二百ページ足らずのアンソロジー、『ポジション(態度―立場―陣地)』を見ることによって把握でき、とりわけそこに収められた“探究のためのノート”なる副題をもつ論文「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」(一九七〇)はアルチュセール派のイデオロギー原論とも言うべき地位を占め、後のより展開されたE・バリバールの論文集『史的唯物論の五つの研究』(一九七四)の方向性を決定づけるものである。この後者のバリバールの論文集は『資本論を読む』でとった立場を自己批判的に継承し、特にマルクス主義に於けるフェティシズム論(又は疎外―物象化論)を全面的に批判し、他方歴史(生産様式)の一般理論の試みを自己批判し、放棄する等、史的唯物論の全域にわたる理論的活動を展開している。従って、前述のアルチュセールの論文「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」も、狭義での所謂イデオロギー論ではなく、彼らの理論的活動への変更された自己認識の総体を示唆するものとしてあり、言いかえると史的唯物論の理論としての機能全体(の変更)にかかわるものとしてのイデオロギー論、の創造の問題に関わっている。が、ともかく、それらの全体的なパースペクティブに至るには、アルチュセールの《イデオロギー論》をそのものとして検討せねばならない。
そこで以下、この論文について詳細に検討してみることにする。

イデオロギー一般論へ

まずイデオロギー論は、国家のイデオロギー装置の問題として展開され、その後にイデオロギー一般論として展開される。前者は、資本主義的生産様式の再生産を主要に保障するものとしての、より具体的には生産諸条件の諸要素の、とりわけ種別的労働力の再生産に於けるある種の形態維持を物質的に保障するものとしてのイデオロギー装置の問題であり、後者はそのような一つの機能態を、人間の非歴史的な存在様式一般の水準で展開する試みである。
この論理の記述順序は、一見すると各論から原論へ遡行するかのごとき不自然さを感じさせる。しかし、この一見した逆転は、それなりに必然性を持つと思われる。何故なら、《イデオロギー》の概念が使用されるには、つまり《イデオロギー》という言葉に表わされる、一つのプロブレマティックが形成され、《イデオロギー》の一般的存在がそこにある主体にとって可視的になるには、具体的な個々のイデオロギーの存在と、その諸イデオロギーの再生産の現場に於ける、差異の産出過程=階級闘争が前提となるからである。つまり資本主義的生産様式のもとでの様々な階級闘争の歴史(アルチュセールによればパリ・コミューン、ロシア革命等)に於ける、国家権力を一支配階級による《抑圧のための装置》として把握する《国家=道具》観の不適切性の発見、それが《イデオロギー(装置)》の概念を準備するのである。この意味で、アルチュセールのイデオロギー論に於けるディスクールの秩序は、マルクスの『資本論』に於けるディスクールの秩序、「第一篇、商品と貨幣」から「第二篇、貨幣の資本への転化」という《主体=商品のヘーゲル的自己展開》の秩序とは正反対のものとなっており、アルチュセール自身に於ける、『資本論』第一巻の再構成の試みと軌を一にしている。つまり一つの概念―表象―イデアル(ideal)なものは、世界そのもの―レール(reel)なものとは別な次元のものであり、それは常に生産されるものであり、かつその生産を可能にするのは実践的水準に於ける差異化の進行、とりわけ社会科学的範疇に於てはアルチュセール派の言うところの《階級闘争》なのであり、アルチュセールに於て、新たな概念の記述は、それが実践的地平から間主観的に生産されてくる、その生産過程自体を追うべく構成されるのである。以上を一応確認し、この認識点をより明らかにするためにも(そして同時に記述の簡略化をはかるためにも)ここでは逆にイデオロギー一般論から見ていくことにする。

《歪曲》そのものの主題化へ

アルチュセールのイデオロギーの一般的構造―機能の究明はマルクスの『ドイツ・イデオロギー』でのイデオロギー規定の否定によって始まる。マルクスに於てイデオロギーは歴史を持たない。何故なら、諸イデオロギーはそれぞれの歴史を持つが、それは固有の歴史ではなく、物質的生産と物質的交通関係、即ち下部構造自身の固有の歴史の《必然的昇華物》だからである。そこではイデオロギーは全くの《夢》であり、それに対し経済的なるものは、十全たる《現実》として、自律的神聖さを誇る(もちろん、これはイデオロギーに関わる記述について直接的に―非徴候的に読みとれることに関してであって、『資本論』を頂点とするマルクスの理論体系は、アルチュセールらが言うように、自律的要素の《組み合わせ》から歴史の総体を《説明》するものではなく、諸要素の《有機的諸結合》を提示するものであり、つまり直接的ヒエラルキーによる《上部―下部構造論》ではなく、全諸要素が相互規定的自律性を持つ《重層的決定》論である)。
アルチュセールはこれに対し、フロイトを直接的に受ける形で――これは後述するようにJ・ラカンの理論的成果に平行関係を持つまでに至るが――《夢》そのものを主題化する。彼によればイデオロギーの構造―機能は、フロイトの《無意識》の構造が非歴史的であるのと同じ意味で《非歴史的》である。その構造―機能は歴史的に変化しない。
ではそのような汎歴史的存在を持つイデオロギーとは何か。それは《自らの現実的存在諸条件に対する諸個人の想像的関係の表象》である。このテーゼはフォイエルバッハ、青年期のマルクス等でのイデオロギーの意味《イデオロギーは諸個人の現実的な存在諸条件=世界の表象である》に反定立されている。フォイエルバッハ等では、問題は《何故現実の(=真なる)諸関係は、イデオロギーに於て歪曲されるのか》と立てられるが、アルチュセールの問題講制は《人間は、常に自らの存在諸条件、そしてそれを統御する社会的関係に対して、一定の想像的なグリッドを通してそれを見、参加する、という想像的関係をとり結ぶが、この想像的なものとは、どういう本質をもつか》と再構成されている。
ここに於て、既に《真実の歪曲》というプロブレマティックは完全に解体される。もし、《歪曲》があるとするなら、それは常にあるし、《歪曲》そのものが《真実》の条件である(これは後に《観念》と《物質》の問題として詳述する)。フロイトに於て、《夢》が《現実》の付属物でなくなり、両者が同一の構造のもとで統一されたように、《歪曲》された《真実》を求めるのでなく《歪曲=真実》の存立機構を解明することが問題となる。これも後により詳述することだが、《歪曲》(といっても以前の意味は完全に消えている)の再生産の問題、そして再生産されるが故にそこで常に起こりうる非再生産=反イデオロギー的立場(ポジション!)の生成の問題が、この《個人と社会的諸関係の関係》という部分に表現されているのだと言えるだろう。
更に、ここでは《表象》の持つ古典的な意味自体が問題にされている。このような見方をアルチュセール自身が承認するかどうかわからないが、ここでの《表象》は、マルクスに於ける《使用価値》と《価値》が、シニフィアンとシニフィエの不可逆的な関係を解体する方向で概念形成されているとし、疎外は、失われた(=かつて存在した)起源からの離たりとして意味を持つのではなく、人間とその労働無差別性、商品とその等価物の無差別性の理論的自覚化として意味を持つのだ、というリオタールのリビドー経済学的な地平に於ける、表象されるものとするものとの古典的上下関係の破壊、《非表象》(=リビドー経済学)とさほど相違のないニュアンスを持つと思われる。表象から表象されるものへの従属的関係は既に断ち切られており、問題は表象の諸形態と諸表象間の関係―断絶―階級闘争である。従って古典的な表象概念の政治的等価物たるルソー主義、又はその現代版とも言えるレヴィ=ストロースの冷たい社会(=安定した透明な社会)願望とアルチュセールがいかに相容れないものであるかがここで再び確認される(もちろん、アルチュセールは表象されるもの―レールなものを、意味の層に於ける一元論的統合を目ざして否定したりするものでは全くない。その種の一元論――例えばゲシュタルト心理学はその典型的なものだが、ピアジェが批判するように、ゲシュタルト概念はゲシュタルトの構成過程自体に対して閉じられている――は構造間の矛盾―移行関係を包摂できない悪しき〔=統合主義的〕構造主義に連なるものである。アルチュセールに於ける《表象の転倒》は、《物質》と《観念》という古典的なタームによって指示される二つの審級の間に、新たな関係をうち立てることにより、還元されるべき母胎=物質の神聖性を破壊し、両者の新たな関係そのものを主題化することによって両項を再流動化することにある。従って対象の諸審級への分節化――例えば経済過程と政治法制過程というような――は保持される。その分節化こそ、以下に述べる如く再生産の過程の探究の出発点である)。

再生産の問題

さて、このようにして《イデオロギーは、自らの現実的存在諸条件に対する諸個人の想像的関係の表象である》という第一テーゼがうち立てられた。この第一テーゼは新たなイデオロギーの定義によって開かれたイデオロギー自身に関する新たな問題群、視点を指示する作用をもつ。イデオロギーの語によって《歪曲の原因》を問うのではなく《歪曲の再生産》の様相を究明するべく地点が移動したことが指示される。そこで、この新たな地点が古い地点総体に対していかなる距離を持つかということ、この新しい地点は旧来の問題講制を、いかなる形で再統合するかということ、が述べられねばならない。諸闘争の歴史から出発した問題群《イデオロギーとは何か?》は、自らの講制を変革し、問題が出された場に戻さねばならない。そこで第二のテーゼが提出される。《イデオロギーは物質的存在をもつ》。アルチュセールによれば、このテーゼは《証明》されているものではなく、イデオロギーの分析を進めるうえで《必要かつ有用》なものでしかない。それはこの定式が、これから展開されるべきものであること、イデオロギーについての種別的研究が進められるべき総体的地平を決定するだけのものであること、を意味する。
さて、この定式自体の意味するものだが、《物質的存在》とは、まず《観念(又は精神)》に対比されるものとしてある。これは最初のテーゼに関して述べたように、イデオロギーは、現実的なものに単に従属したり、偶然的に発生したりするものではなく、同定できる一定の構造を持つ、という新たな問題講制を、従来の物質―観念(又は精神)の二項対立に於て、物質の項が担っている役割を《利用》して明確化したものである(《精神》は、うたかたの如きものだが、《物質》は、同定できる恒常的構造をもつ)。そしてさらに、《関係表象》としてのイデオロギーが、所謂《観念》《精神的な表象》ではなく、実践的な領野に統合されること、そしてその諸実践は、体系的に制度化されていることがこの定式によって示される。最後に、物質という言葉は、社会の現実的諸関係を意味しており、従来の物質的=現実的社会関係、つまり個々の社会的組織(学校、労働組合、家族等)又は国家、それを包摂する総体としての社会諸関係についてのそれらの構造―機能、再生産過程の究明は、ここで言うイデオロギー論の存在を待たなくては完結し得ないことが示されている。
こうして、イデオロギー論は、自らの出発した場《なぜ社会的現実は歪曲され、その真実をさらさないのか》という階級闘争の歴史が多くの人間に考えることを要求した問題に帰ってくる。イデオロギー論は今や、この問に於て、実は《歪曲=イデオロギー》が問題となっているのではなく《現実》というプロブレマティックが問題となっているのだということ、旧来の《現実》概念は、自らの存立構造―再生産構造に関する問に対して閉じられていたが故に、現実の諸個人が直面する種々の再生産の現場に対して無能力であり、かつ非再生産を構造間矛盾という極めて説明的な概念によって包摂する結果を招いたのだということ、そして、それを補うために《なぜ歪曲されるのか》というイデオロギー論的問いかけが必要とされたのだ、ということを知っている。
つまり《なぜ歪曲されるのか》に於て真に問題とされているのは《歪曲》自身ではなく、即ち、《歪曲―真実》の対立ではなく、ミクロな現場に於ける《歪曲の再生産―歪曲の非再生産》の差異であり《一般的歪曲―変異的歪曲》の差異なのであり、この差異が事後的に社会的諸関係の生産―非生産への差異へと累積されるのである。そしてこの(再)生産と非(再)生産の差異は、非再生産を《実践》する、つまり変異的《歪曲=表象》によって思考し、既与の生産様式の非再生産を実践する者の特権的問いかけ、《なぜ彼らは真実に対して盲目なのか》として問題化されていたのである。
イデオロギー論は、こうしてイデオロギー自身の自律的構造を主題化することにより、歴史=諸生産様式の科学たる史的唯物論が階級闘争の渦中で見せた自らの欠陥、即ちイデオロギー論自身の発生地点へと、自らの母胎(史的唯物論)を破壊―構成する形で回帰し、再統合される。そこでは今やイデオロギーは観念、精神的表象ではなく、《イデオロギーは物質的存在をもつ》。

《物質》と《観念》の形而上学

以上のことはすべて私が再構成したことであり、アルチュセール自身は問題総体をこのような形で再統合しているわけではない(つまり以上はアルチュセールの記述に対するアルチュセール的徴候的読解の実践である)。彼自身は、イデオロギー論を立てることより、新たなプロブレマティックを明確に生産しているが(あるいはプロブレマティックの生産に参加させられているが)、しかし自らの生産活動を対自化してはいないと思われる。それは、とりわけ《物質》という語のもつ(俗流)唯物論的コノテーションによって新たな問題講制の生産が古い問題講制群にひきずり戻される傾向をもつ点に表われているのだが、この点を補足的にやや詳しくみてみる。
まず、アルチュセール自身は、《主体の諸観念が物質的であるのは、何故なら主体の諸観念は、その諸観念が依存する物質的イデオロギー装置によって決定される物質的儀式それ自体によって調整されている物質的諸実践の中に挿入された主体の物質的な行為である》からだ、と端的に、というかややトートロジックに述べるのみである。ここでは、《観念》は、《物質的》な強固さを誇る、既存の諸制度(の概念)に完全に規制され、そこに解消されてしまう響きさえある(例えば、イデオロギーは、階級支配の道具《=モノ》としての国家のイデオロギー装置によって再生産されるにすぎない、というように)。もちろんアルチュセールは、この物質的という形容詞が、種々の様相をもち(宗教的イデオロギーに関してなら、例えば十字を切ること、自分の罪を告白する動作、言葉、そして祈り……等)、その諸様相の種別、差異性はそれ自体主題化されねばならないことを認め(社会学的考察の要請)、物質的という概念を抽象的水準からミクロな場面へと向かって解放する。しかしアルチュセールの記述は自覚的には《物質》そのもの、つまり従来のマルクス主義での《物質―観念》の二項対立を問題化せず、その問題講制を保存したままイデオロギーを《精神》又は《観念》から《物質》へとスライドさせるのみである。或いは、アルチュセールは、《観念》に関する諸問題としてのイデオロギー論を《物質》に関する諸問題群に《転倒》することにより、孤立した(つまり考察されようとされまいとどちらでもいい)領域としての《観念》の問題群を抹消し(むろん、それらは自律的なものではある)、それを従来の諸構造、とりわけ下部構造に関する問題群に再結合し、そこに固有の権利を有するプロブレマティックを生産するが、しかしそのことが、従来の問題講制、社会的諸関係に関する諸プロブレマティックの地平に、一つの変動を生じさせる側面を見ようとはしない。
むろんアルチュセールは、ドグマティックなマルクス主義者一般がそうするように、イデオロギーに関する問題群を社会的諸関係に関する一般的問題群に《解消》してしまうのではない。何故なら、イデオロギーに関する問いかけが発せられるのは、アルチュセールにとって、つまり現実の階級闘争の歴史の中を生きる人間にとって不可避なことだったのであり、グラムシによる暫定的定式《国家を国家の抑圧装置に還元することはできない。国家は教育、学校、組合等の〈市民社会的諸制度〉を包含する》を発展させ、階級支配―階級闘争の現場に於ける《表象》の問題、つまり《イデオロギー的国家装置による説得―諸主体による実践》の問題を定位することは、既存の諸問題群の地平の不十分性から要求される必然的なことだったからである。つまり、アルチュセールは、《国家のイデオロギー装置=物質的なイデオロギー装置》の概念から出発し、そこに戻ることによって社会的諸関係に関する論理に二重の変革、即ち下部構造はその審級のみによっては自らの再生産を保障できないことの定式化、更にその再生産を主要に保障する法律的―政治的上部構造は、そこに不可避的に《説得―表象形式》の過程を含むことの定式化、を遂行し、既与の生産様式論の変形を行なうのである。
しかし、アルチュセールが帰る地点は、国家論という種別的な形態のもとでの《物質》の問題であり、《物質》の変革は《国家のイデオロギー装置=物質的なイデオロギー装置》という種別的変革の中に潜勢的にとどまる。国家論に於て種別的に発せられた問は、イデオロギー論という形で一般化され、そこでは社会科学に於て《観念》の孤立的問題は存在しないことは一般化されるが、それは同時に《物質》の問題も存在しないことを意味する、ということは《国家のイデオロギー装置》という回帰点に於て一般化=自覚化されない。だからアルチュセールに於て、イデオロギー論は《物質的イデオロギー装置》の問題へ送り返されたところで頓挫してしまい、《イデオロギーは一箇のイデオロギー装置によって最終的に決定される儀式によって調整される実践の諸行為に刻みこまれている故、観念的ではなく物質的である》という定式が観念という用語を抹消するものである以上に、物質という用語を抹消するものだということは記述されないのである。
いうまでもなく、《物質》は社会学、経済学的範疇の多くを支えてきた形而上学であり、それは《観念》が哲学的領域に於て演じてきた形而上学的役割に対応する。《物質》という表象は、既与の構造が存在する=存在し続けることを当然とし、構造間移動という局面は特殊な事態であるという考えを生む古典哲学的思想のプロブレマティックの等価物なのである。そこでは《自己同一性、永続性は説明をされる必要はない、なんとなればそれはそれ自身で自分を説明するのだから。自己同一性、永続性は産出される必要はない、なんとなればそれは自分自身の原因であるのだから》という観念が支配をする。一つの構造、特にマルクス主義経済学に於ては経済過程それ自体が自動的メカニズムと同一視されることになる。つまり、所与の生産関係の構造は、水素原子の構造と同じ意味での構造として自らを再生産(というより持続)することになり、その再生産を内的な諸力学関係の事後的な効果としてみるような認識の再分節化、新たな生産は抑圧されることになる。
《物質》の表象がこのように自己同一性、永続性の形而上学であるとするなら、《観念》の表象は、構造の再生産を定式化しない故、その非再生産可能性を排除せざるを得ない《物質》表象の非再生産可能性に於ける補助的役割を担わされている。《観念》は構造の外部であり(サルトル流に言えば主体は実践―惰性体との間にズレをもつものであり)、構造は外部に自らの変動の動因として《観念》を持つ。従って《観念》は自由でなくてはならず、その出自は特権的に構造とは切れている。そこでは目的論と《自由》の表象の共犯によって、事後的に確認される一定の構造維持に至る内在的諸矛盾の重層的効果を究明する新たな認識の生産は抑圧され、《物質》の概念のもとでの認識と現実(想像的なるものと現実的なるもの)の差異の抹殺、構造概念による、闘争の諸実践の諸様相の解消が行なわれる。換言すれば《物質》と《観念》の対立は、《既存の諸認識の体系に諸実践の現場での差異の産出を押しこめる目的論》の誤ちと、《諸実践の現場での差異の産出と既存の諸構造とを完全に切り離してしまう主観主義》の誤ちの対立であり、前者は、史的唯物論の歴史に於て、《原理的に包摂できない》事態の為の潜在的補助装置として後者を保持しつつ、目的論的決定論的に自足してきたのである。そして所謂構造主義的理論が、資本、労働力、その諸結合、等々の諸要素の組み合わせのヴァリアントによって歴史=生産様式の一般理論を形成せんとし、その諸要素の自律性、更に組み合わせの一形態の(自然)傾向的な維持というマトリックスにしがみつく時、《構造間矛盾》《構造間移行》という一見もっともらしい定式は、一般論的水準から《演繹》することはできない種々の様相での闘争=差異化を前にして全く無力であり、結局は主体の理論=ヒューマニズムを復活させることになるのである。
これらのことは、主に生産様式論の、とりわけ移行論の問題として固有に主題化され、厳密化されるべきことであり、これ以上ここではふれない。がともかくも、主にバリバールによって展開される、ゴドリエ的な構造主義的マルクス主義又は『資本論を読む』に於ける自らの構造主義に対する切断の理論的作業等、いかに多くの《転倒》がアルチュセールのイデオロギー論の回帰点《イデオロギーは物質的存在を持つ》に可能的に内在されているかを提示し、先に進むことにする。

イデオロギーは主体をめざす

こうしてアルチュセールのイデオロギー論に於て問われていること、自明的には諸個人の自らの現実的な存在諸条件(これは一般的に《社会》と言いかえてもよい)に対する想像的な関係の種別的表象は、どのような形で再生産され、又はされないか、ということであり、潜在的には、諸個人の自らの社会に対する想像的な関係の再生産と非再生産の累積的結果である、種々の社会的諸関係の再生産は、いかにして行なわれ、又は行なわれないかということであるのが明らかになった。従って既与の社会的諸関係、とりわけ資本主義的生産諸関係が、種々の様相での(階級)闘争から成る社会構成体という場に於て、いかに再生産されるかという点に着目するなら、イデオロギーの問題は諸個人の水準に於て、その《表象―実践》は既存の諸イデオロギー制度(それ自体、諸闘争の歴史の結果である)によっていかに調整されているか(つまり彼はいかに説得されているか)という問題となり、逆に社会的諸関係の構造間移動―革命の面、即ちいかに再生産されないか、という点に着目するなら、イデオロギーの問題は、制度的にその《表象―実践》を調整された諸個人の、自らに対する反逆の問題、更に制度的非調整、そして新たな形態に於ける制度的調整の問題となる。
既存の社会科学諸領域との関係で考えるなら、イデオロギー論の意味は、史的唯物論(=生産様式の歴史学)において生産諸関係、更に生産様式の傾向的再生産の問題に関わる《(政治)経済学》が種々の闘争―差異の歴史的結果としてあり、かつ、そこに種々の闘争的局面が生起する、社会構成体の現場そのものに対して開かれていなければならないことの、原理的確認としてあるのであり、つまり社会構成体の種別的諸相に対する《社会学》的究明の(例えば宗教社会学、社会意識論、家族社会学等)権利確認としてイデオロギー論は意味をもつのである。
アルチュセールは、イデオロギー原論的な記述にのみ自らを限る故、《物質的な諸様相の差異に関する理論》は、ここではもちろん展開されていない。問題となるのは、《物質的な諸様相の差異》にかかわりなく、宗教的諸範疇、政治的諸範疇、市場経済的諸範疇、等々すべての領域にわたる《表象―実践》に於て、その調整、体系化が可能となる、個人的水準での一般的構造である。そしてそういった体系的《表象―実践》(=イデオロギー)の構造の最も基底的な構成カテゴリーは、アルチュセールによると《主体》である。
これはアルチュセールがイデオロギー論に於て問いかけているものが、諸個人の《表象》の構造化の問題であり、つまり、それ自身に於ては抽象的な存在でしかない《諸個人》が《何者》かになることによって、そこから自動的に調整された実践が流れ出すようになり(その累積的結果として、社会的諸関係が再生産される)、一つの《表象―実践》の再生産の機能態としてのイデオロギーが存立するようになることの究明であるとするならば、当然理解できることである。
つまり、イデオロギー(=イデオロギーの作用)とは、世界=社会的諸関係が諸個人に対して自明なものとなることであり、つまり世界=社会的諸関係と諸個人との関係が自明なものとなることであり、即ち諸個人から流れ出る諸実践が世界の自明性と同調され、諸個人が自らの自明なる位置を世界の中に持つことであるとするなら、それはまさに諸個人が《何者》かであることを決定されること、つまり《主体》になることに他ならないのである。イデオロギーが、諸個人の水準で恒常的に生起する、《自明化》の作用である時、諸個人に於て最も自明であり、すべての自明性の産出の基本条件とも言える《主体》が、イデオロギーの最も基本的な構成的カテゴリーとなることは、それこそ自明なことだと言えよう。従って《主体による、又は様々な主体をめざす以外にイデオロギー(作用)は存在しない》。

フロイト―ラカン―アルチュセール

ここで、イデオロギーに関する論考の冒頭部分を解説する際ふれておいた、フロイトとアルチュセールの関係に立ち戻っておきたい。アルチュセールはイデオロギーに関する一般的考察を始めるにあたって、既に見たようにフロイトが無意識を主題化したのと同じ仕方でイデオロギーを主題化する。ところで、フロイトが無意識を主題化したのは、同時に《意識》の自明性が問題にされたわけで、そこではデカルト以来の意識の透明性、《主体》による意識の全的所有という考えが完全に解体されている。《主体》は意識の始まる物ではなく、不透明な《意識―無意識》を基礎づける構造の一つの結果にすぎない。《主体》の自明性は後から生産されるものである。
この考えは、周知の通り、ラカンの鏡像段階論によって整序されるものである。ラカンによれば、人間は、その幼児段階に於て自らを統一的なものとは把握せず、他人の姿の中にひとつのゲシュタルトを見ることによって自らの身体の統一性を想像的に先取りする。この想像的先取りが、将来自我となるものであり、従って自我とは想像的な審級であって一人の他者であり、主体はそこでは疎外される傾向にある。従って、ラカンに於て主体(ラカンの用語では自我)は生産された表象であり、それは後天的な存在である。
こうしてみると、アルチュセールの《主体―個人》の対立が、ラカンの《自我―主体》の対立をそっくりうけついだものであることがわかる。ラカンは、自らの論考の多くが、ヘーゲルの『精神現象学』に於けるHerrとKnechtの闘いに範を持つことを述べている。アルチュセールもまた後述するように、HerrとKnechtの闘いに論及する。アルチュセールのイデオロギー一般論の試みが、フロイトからラカンに至る流れに喚起されたものであることは疑いようがない。アルチュセールにとって、イデオロギーの問題、つまり《表象―実践》の体系的な調整がされるべく、個人が社会的諸関係に対する一定の想像的位置に設置される機構の解明の問題は、最初から世界に対する想像的な関係の物象化としての、主体の生産の問題に他ならなかったのである(更につけ加えるなら、アルチュセールに於ける《主体》は、G・H・ミードの《me》にも親縁性を持つ。しかし、ミードに於ける生物体的な内発的反応としての《I》の概念は《生産されるものとしての主体》の概念と全く相容れないことは言うまでもない)。

《呼びかけ》の構造

こうしてアルチュセールは、イデオロギー(作用)の基礎的な構成的カテゴリーたる《主体》にたどりつく。日常的意識に於ては、《主体》はむろん自由なるものであり、その《実践》を自由に自らの考えにもとづいて選択する。しかし、これは《主体》が、いかに《個人》の諸実践を(アルチュセールの用語を用いれば)《儀式的》に統御すべく完璧に生産され構造化されているか、ということの裏返しにすぎない(主体のない、即ち行動が構造化されていない狂人の行為は、それ故《自由》な行為とは一般に表現されない)。形而上学の歴史に於て、《主体》が占めてきた絶対かつ特権的地位、社会科学の歴史に於て《方法論的個人主義》という名のもとに行なわれた《主体の形而上学》のまき返し、それらは、従って必然的なものだったのであり、だからこそイデオロギー(作用)の構造の解明は《主体》からなされなければならないのである。
では、そのような《主体》の形成は、いかにして遂行されるか、アルチュセール自身の言葉によってまず見てみることにする。
「ここで我々がイデオロギー一般に関して知りえたことを要約しよう。
イデオロギーの二重化された反射的な構造は以下の四項目を同時に保障する。
一、諸主体としての諸《個人》に呼びかけること。
二、彼らを大文字の主体Sujetに従わせること。
三、諸主体と大文字の主体Sujetの間に於ける、また諸主体自身の間に於ける相互的承認、更に究極的には主体の自分自身による承認。
四、こうしてすべてはうまくいく、また諸主体は彼らが何者であり、従って何者として振舞っているかを知っているという条件ですべてはうまくいく、つまり《かくあれかし!》となるということの《絶対的保証》」
ここに挙げたイデオロギー(作用)の構造契機は、直接には宗教的イデオロギーを想定して定式化されている。従ってこの場合の大文字の主体Sujetとは神であり、ここでは神による人間諸個人への《呼びかけ》によって諸個人の《主体》化が起動される。つまり具体的には、神による臣下(=個人)への《呼びかけ》―個人の《主体》化(つまり臣下になる、何者かになること)―主体化した諸個人による相互の《呼びかけ》即ち相互承認―そして諸個人による《主体》としての自己確認、といった過程がここで想定されている。
だが、もちろん《呼びかけ》の構図は、個人の主体への転化過程=イデオロギー作用の一般的なかなめであり、この構造は道徳的、法律的、政治的等々すべての領域でのイデオロギー形態に共通する(たしかにSujetの観念は、宗教的、とりわけキリスト教的局面を想定しなくてはイメージしにくい。このSujetの導入は、後述するように、アルチュセールのイデオロギー論が前述した《物質》の形而上学によって統合主義的に傾く傾向があることと平行しており、ヘーゲル―ラカンの《呼びかけ》のマトリックスを統合主義的に変容させる傾向を持つように思われる)。つまり、この《呼びかけ》とは、例えば市場経済に於ける《交換》、政治に於ける《審問》等、宗教から政治、経済に至る広い意味を持つ。即ち諸個人の関係はすべて《呼びかけ》の関係であり、この関係の総体性(社会関係の総体的運動)の中、諸個人は《主体》に転位する。
この《呼びかけ》の構図はその原形をヘーゲルの相互承認論にもつ(アルチュセール自身、このことを認めている)。ヘーゲルの《不幸な意識》論に於けるHerrとKnechtの闘争、承認と否認の弁証法を通じての相互承認の過程は、まずヘーゲルに於ては二つの意識の闘い(承認のための闘い)であり、それはアルチュセールに於ける個人間(小文字の主体間)の《呼びかけ》(相互承認)に対応し、そしてヘーゲルに於ける意識のより高次への上昇はアルチュセールでのSujetによる諸個人の《呼びかけ》に対応される。
ところでこれを見ると、ヘーゲルに於てよりもむしろアルチュセールに於て、《相互承認》=個人の《主体》への転化は、既定の事として障害なく達成させていることがわかる。アルチュセールは、ヘーゲルが絶対知にたどりついたことをもって非難するが(もちろん、それは全く正しい)、ここに於ては、ヘーゲルの方がまさしく弁証法的であり、アルチュセールの方がより予定調和的である。
この理由は、まず基本的なレベルでは、前述の《イデオロギーは物質的存在をもつ》に由来する。アルチュセールが《物質》の形而上学を、まだ部分的に保有していることは既に述べた。従って、そのことが《表象―実践》の体系的調整の問題に於て、非再生産の可能性を排除する図式化を進めることになる。つまり、社会的諸関係の再生産が諸個人の《表象―実践》の再生産の累積的結果であることを認める程度には、《物質》の形而上学は否定されるが、しかし社会的諸関係の結果的再生産は、当然そこに《表象―実践》の非再生産をも含んでいたこと、つまりその再生産は社会構成体に於ける種々の闘争の結果としてあるのだということを看過してしまう程度には、《物質》の形而上学は保存されているのである。
更に個別的な問題としては、ラカンによる定式を導入した際の問題がある。ラカンに於て、自我は生後六〜十八ヵ月に構成されれば基本的にはそのまま維持される審級である。従ってアルチュセールに於ても本来《主体》はイデオロギー(作用)の中で不断に生産され続けるものであるにもかかわらず、一度限りの生産のニュアンスが強くなり、諸生産即ち常に変異している《呼びかけ》としての定式化は弱くなる。加えて、ラカンの場合、自我の審級と疎外された主体との緊張関係はエロスとタナトスの絶えざる闘いとして持続されるのだが、アルチュセールでは、そのヘーゲル的流れをもつ部分は切れてしまっている。アルチュセールのSujetは、フロイトに於ける、生まれて来んとする赤ん坊への、安定したエディプス三角形に対応させられるものである(アルチュセール自身、フロイトの誕生に関する記述に言及している)。
最後に、やや別の文脈にはなるが、マルクス主義そのものの、近代合理主義的限界の問題がある。《呼びかけ》とは交換であり(所謂象徴交換も、当然一つの《教育活動》としてここに含まれる)、とりわけ市場経済での交換であるが、ここではポトラッチ型非交換は最初からあり得ないものとされている。G・バタイユが経済原論『呪われた部分』で述べる、代償なしの破壊性といったものは、ノモスによって閉じられたマルクス主義の合理的領野には無縁のカオスである。
これらのことをすべてふまえたうえで、アルチュセールに於けるイデオロギー=《呼びかけ》の運動の構図を最も積極的な形で再構成するならば、それは不断の社会的交換関係の中で遂行される《個人》の《主体》への絶えざる転形運動であり、その転形作用は、国家のイデオロギー装置という、それ自体多様な転形作用の結果であるひとつの制度(総体的運動過程)にとりわけ方向づけられつつ、逆に、国家のイデオロギー装置(=イデオロギー作用の社会的総過程)を構成し返す、と定式化できる。従って、アルチュセールが明確に述べない点を補足するなら、《主体》の形成を常に遂行する《呼びかけ》(=交換過程)を体系づける国家のイデオロギー装置とは、それ自体が矛盾=階級闘争の集積としてあるものであり、そこでは社会的諸関係の外見的持続にかくされた、階級闘争の多様な形態が生起しているのである。それ故、逆にそれによって調整される、諸個人の《表象―実践》の調整の非再生産が、個人という場に於て初めて生起するのでないのは事実としても(そう考えるなら前述した《観念》の形而上学に後戻りすることになる)、いずれにせよ、体系性の非再生産は、諸個人の《表象―実践》の場に於て、常に可能性として存在する。
以上の諸確認によって、アルチュセールの言う、国家のイデオロギー装置というものの内実も明らかになったと思われる。それは、所謂階級支配のための《道具》ではなく、階級支配、即ち一定の社会的諸関係、とりわけ生産諸関係の結果的、外見的再生産又は非再生産を条件づける、種々の体系的諸《表象―実践》の再生産と非再生産の総体的過程であり、又対立的諸《表象》の再生産の総体的過程である。従って、各個人が、どのような《主体》に転形され(続け)るか、ということは、その局面自体に於て決定されることでも、Sujetとしての国家のイデオロギー装置に規定されることでもなく、それ自体弁証法的総過程であるイデオロギー装置と、《主体》にされつつある個人の対抗関係の中で決定される。こうして、イデオロギー装置は、種々のイデオロギー装置として分節される固有の権利を有する、還元不能な闘争の諸《形態》なのである。
以上でアルチュセールがイデオロギー一般論として述べたことと述べようとしたことはすべて再構成した。述べようとしたことの記述は、バリバールの一九七三年の論文「歴史の弁証法について」をとりわけ有益な手助けとしたことを付け加えておく。

国家論水準でのイデオロギー論(略)

《前期》《後期》アルチュセールの差異

初期アルチュセールの活動に於て《イデオロギー》は一つの剰余として存在した、と導入部の最後で述べた。このことを論を終える前に解明しておく。
アルチュセールは一九六八年『資本論を読む』のイタリア語版序文に於て、以前の自らの立場をtheoreticistな傾向があったと自己批判している。これは、前期アルチュセールの所謂《科学主義》を念頭においている。
前期アルチュセール派に於て認識論的断絶はプロブレマティックの生産の問題としてのみあり、それは社会的交換過程とは、全く切断された次元の問題だった。しかし、既にイデオロギー論で見たごとく、表象の問題は孤立した観念水準の問題ではなく、《表象―実践》としての、社会的再生産の問題であり、社会的総過程と切り離すことはできない。最も単純な例をあげれば、《資本家から労働の対価をもらう労働者》としての自己意識をもつ主体の《表象―実践》と、古典派経済学の《労働(労働力ではない)の価値》というプロブレマティック(=表象)は全く同次元の問題であり、それは諸闘争の生起するイデオロギー(作用)の社会的総過程に接結されている。従って認識論的切断の問題を、諸プロブレマティックの領野間の移動の側面だけで論じきるのは《理論主義》即ち一種の《観想主義》なわけで、そのような立場にとって、《イデオロギー》の概念は一つの剰余だと言える。
更に、同じ所でアルチュセールは、《構造主義的組み合わせ主義》と、自らの立場を区別することを要求している。これもイデオロギー論として展開したことだが、組み合わせ主義とは、構造の結果的再生産を、構造の静的持続として見る一種の目的論であり、これは、それが看過する物の同一性に於て、前期アルチュセールの科学主義に相等しいと言える。
従ってアルチュセール派に於て、イデオロギー論は、認識論に於ける観想主義、存在論に於ける目的論双方への批判または自己批判に至るための不可欠な過程であったことを最後に確認し、ここで論を終えることとする。


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