第三回

お茶に通うようになって、着物を着る機会がぐんと増えた。
先生に「お家で着物を着るところからお茶のお稽古が始まるんですよ」と言われては
いたのだけれど、実際着れるようになったのは、今年になってからのこと。昨年の秋、
友達から着付けを習い始めた頃には、ほんとにひとりで着ることなんかできるように
なるんだろうかと、自分のことながら半信半疑だった。
はじめてからすぐに着物はなんとか着れるようになる、ところが、帯が曲者、まず、
ちょっと練習しただけで、二の腕が痛くてだるくて、もう、うしろにまわすのさえ億
劫になってしまうのだ。手順がやっとおぼえられるようになっても、形がうまくいか
ない、しめ方が弱くぐずぐずになってしまう。やっとうまくできたかなと思ったら、
こんどは着物の襟がだらしなくくずれていたりして、着るだけで、汗びっしょりになっ
ていた。
ところが、いつのまにやら、けっこうさまになってくると、こんどは着るのがたのし
くてたまらなくなる。どこにいくのも着物で行きたくなる。だれかに自分の着物姿を
見せたいというわけでもなく、なんとなく、いい気分なのだ、いや、ほんとは見せた
いんじゃないのーという声も聞こえてきそうだけど、へへ、実は最初のうちは必ず、
お茶のお稽古に行く途中、がぶんさんを叩き起こして、デジカメで写してもらってい
た。お正月には夫とふたりでお詣りに行こうと言うことになり、長谷から鎌倉の八幡
さまを周り、北鎌倉の円覚寺まで行き、また鎌倉に引き返す道程(途中でお茶を飲ん
だ時間も含めると4時間ほど)を、着物姿で歩き通した。

亡くなった母も、よく着物を着ていた。といっても、実際、自分ひとりでは、帯をし
めることができず、お茶やお琴の会があって着物を着るような時には、必ず、母の姉、
つまりわたしの伯母を家に呼んで、帯をしめてもらっていた。末っ子だった母には、
年の離れた姉が4人いて、みんな、お姉さんと言うより、世話好きで頼もしい母のお
かあさんのような感じだった。
だから、そうやって、着物や帯が広げられ、樟脳の香りが充満した家の和室にみんな
が集まってる時は、にぎやかで気楽で、子どものわたしにとってもたまらなく心踊る
時間だった。小学校から帰ってきて、せんべいかなんか食べながら、着物にさわろう
とすると、「だめだめ、食べ終わって手洗ってきたら、着せてあげるからね」とか、
言われるんだけれど、実際わたしは、着てみたいなとか思ってる訳ではなかった。た
だ、その部屋の雰囲気がすきだったわけで、小学生なのだから着物については、よく
わからなかったのは当然と言えば当然なのだけれど。それは母が亡くなった大学生の
時もそうだったから、死んだあとの形見分けの時には、どれもこれも、いらないなー
と思って、伯母さんを始め、親戚の人達にあげてしまったし、父が再婚して、残って
いた母の着物が送られてきた時には、たしか、20枚ほど、リサイクルショップに持っ
ていった。全部で2000円くらいだったと記憶している。ひどいなーと思ったけれど、
着ないで置いておくよりいいかなと思った。それに、母が死んでから、毎年、夏休み
になって実家にもどってくるとわたしは、伯母に教えられた通り、何十枚もある着物
すべてを虫干しすることになったのだ。出して干すまではまだいいのだけれど、しま
う時が大変なのだ。はじめのうちは、着物、帯、羽織り、長襦袢、道行き、雨コート
とそれぞれの畳み方も覚えられず、しかも、いろんな思い出が浮んでくるので、何時
間もかけて、ほんとに泣きながら畳んでいた。だから、母の若い頃の全く着ることも
ないような着物を処分した時には内心ほっとした。でも、今となってはやっぱり、ちょ
っと心残りだ。それでも、母が大事にしていて、よくきた紬や、小紋などは数枚とっ
ておいたので、わたしのサイズにあわせて裄丈と着丈をのばしてもらった。
先日、久しぶりに伯母のひとりと電話で話した時に、またお茶を始めたということを
伝えると、数日後に、着物と帯が送られてきた。「あなたのおかあさんが死んだ時に
いただいた着物ですが、あなたが着れるようになったら、返そうと思っていました。
一度だけお茶会に着させていただきました。この着物はわたしも一緒に行きましたの
で、よく覚えていますが、おかあさんが今のあなたとちょうど同じ頃、買ったもので、
それはそれはとても気に入っていたものです」というメモが添えられていて、感激し
た。中を見てみると、それは薄い肌色に近いピンク地で縮緬のようなぼこぼこした風
合いがあり、そこに割とモダンな感じの牡丹の墨絵が、いっぱい描かれているもので、
見た瞬間に母の顔を思い出した。高校生の時だったと思う。この着物をわたしに見せ
ながら、「どの帯にもあわないんだけど、この着物が一番すきなんだ」と困ったよう
な、でも、うれしそうな顔で言っていた。たしかに、これを着て、帯をしめた母の姿
を覚えていない。この着物と一緒に送られてきた帯は、伯母が使っていたもので、虹
色に光るような糸で織られた袋帯。その着物をあわせて見てみると、ぴったりと合う
感じなのだが、実際着てしめてみるとしっくりこない。着物好きの伯母が合わせた訳
だから、全くちぐはぐではないだろうが、それぞれの好みとか、着る人の雰囲気によっ
て、全然違ってきてしまう。
着物の色合わせはほんとに予想外というか、奇妙というか、洋服のセンスとは全く違
う見方が必要になる。同系統の色で合わせても、つまらなくなったり、ひどく地味に
なってしまったり、たとえば、紫の帯に水色の帯締めがものすごく似合ったりするこ
ともあるんだけれど、だからと言って、その色合わせで万事うまくいくとは限らず、
素材や模様、織リ方、などによっては上品にも下品にも成りうる。
結局、その着物にあわせた帯はシルクサテンのようなつるつるした黒地に大きな花の
刺繍が施された名古屋帯。友人が着物のリサイクルショップで5000円で買ったものを
借りたんだけど、一度、お茶のお稽古に着ていった。歩きながらショーウインドウに
映った姿にどきっとした。ほんとに、母そっくりだったから、久しぶりに25年前の生
きている母に会ったような気持になった。

 

END