第四回

お茶のお稽古に行くようになって、心からたのしみにしていることが、その日、出される和菓子。これは、花鳥風月、季節を連想させる自然のモチーフが多く、見た目がきれいで、それぞれには、「ぬれつばめ」「初木枯らし」「深山の朝」「花いかだ」などの、なるほど、ぴったりだわ、と思わせる銘がついている。それらは、大概、北海道や備中産の小豆とか、吉野の本葛、阿波の上質な和三盆など、「こだわりました!!」という感じの材料が使われていて、そういう説明を聞いただけで、ひとつの和菓子がなんだか、とってもありがたく思えてくる。大仰だけど、菓子盆を両手でおしいただき、自分の懐紙にうやうやしく取り、黒文字(これは茶菓子を食べる時に使う楊子のこと、黒文字とはそもそも落葉樹の名前で、昔は茶事があるその日の朝に、亭主が庭から伐ってきた黒文字を削り、お客に出したんだそう)で、ちょっぴりずつ切りわけて食べると、実際、ほんとにおいしいのだ。これは、同じものを自分の家で、テレビでも、見ながら、お番茶といっしょに、みくちくらいででパクリと食べちゃう時と、味までちがって感じるんだけれど、まあ、わたしは、どっちのシチュエーションも好きです。
ところで、幼い頃、わたしは、ほとんどの甘いものが苦手だった(チョコだけは例外)。お饅頭や羊羹、お汁粉も、ケーキもクッキーもドーナッツも、ジュースも飴も、その他、自然な甘味のさつまいもも、カボチャもバナナも柿もあんまり好きじゃなかった。だから、お茶を習い始めた中学生のころは、出された和菓子は毎回、懐紙に包んで、持って帰ってきていた。
それが、高校二年、初めて和菓子が美味しいと思ったのだ。それはちょうど、制服が夏服に変わった頃だったと思う。
その日、お茶室に入る前に、靴下をはきかえて袱紗(ふくさ)挟みを用意して、中に入ろうとした時、離れのようなところから先生の娘さんが出てきた。お茶の先生のところは、そのころ住んでいた街の中でも、ひときわ大きな家で、とりわけ、庭がりっぱで広くて、よくよく聞いたこともなかったけれど、印象としてはかなり由緒のある家という感じ。とは言っても、所詮、北海道なわけだから、そうたいした歴史はない。
だって、屯田兵が入る前までは、そこらへんは原野だったところだもの。その娘さんも一応、先生ではあったんだけれど、結婚して出産したりといろいろ忙しそうで、お稽古には、ほとんど顔を出さず、時々、お菓子を運んだり、お月謝とかお茶会の連絡などお世話役をしていて、実際に教えてくれる先生と違って、気さくにおしゃべりしてくれる人だった。
「きょうは特別にわたしが作ったのよ」
その娘さんは、直径30センチくらいの大きな菓子鉢をようやっと、かかえながら、そう言った。
中を覗くと、水が張ってあるその中に、ぷるぷるしたカエルの卵のでっかいようなものが、ぷかぷか浮いていて、お庭でとってきたグリーンの葉っぱも散らしてあって、見ただけで、涼しくなるようなものだった。
「なんですか、これ」
「ここの透明な部分は葛(くず)で、中はこし餡が入ってるの、おいしいわよ」
実はそれまで、甘いものがきらいだったせいで、みたらしだんご以外の和菓子については、ほとんど興味がなかったので、葛も知らなかった。その菓子はたぶん、「葛ざくら」だったと思うんだけれど、食べたこともなかったし、今でも葛ざくらをあんな風に水に浮かせていただいたことはない。
実際、お茶室で、そのお菓子をいただいた時は、ほんとにおいしかった。とろんとしてるのに、弾力があって、中のこし餡も思ってたほど甘くなく、さらりとして軽い口当りで、葛にしっくりなじんでいた。
そういえば、今思い出したんだけれど、そのころ、わたしは前の歯がなかったのです。
高校一年生の2月に、事故で前歯を、たしか、6本くらい折って、歯の骨までおれていたので、というのも、八重歯があったせいで、上の骨の方まで折れてしまったの、で、傷が直り、そこがしっかり固まるまで義歯を入れられないので、長い間ずっと前の歯がなかったのだ。前歯がなくなってはじめて気付いたのは、いかに食べる時に前歯が重要かってこと。ほんとに、やわらかいものしか食べられず困りました。なるほど、それで、そういう葛みたいなものが美味しく感じたんだわね、きっと。
そういうわけで、高校二年の時にわたしの味覚はぐんと、大人になり、それからは、だいきらいだった羊羹も、練りきりもすこしづつたべるようになり、つい最近までは、秋田のもろこしはお土産でもらっても絶対食べられなかったんだけれど、「生もろこし」という軟らかめのものを食べてからはそれもいけるようになりました。
お茶で出されるお菓子の中には、古くから、ポルトガルから伝わったお菓子がある。
「鶏卵素麺」もそうなんだけれど、これは糖蜜と卵黄を素麺風に作ったもの。食べてみると、実に抹茶にあうし、南蛮貿易のころ、ポルトガル人に教わったお菓子と聞かなければ、日本の古くからの和菓子と思うに違いない。ただし、けっこう食べにくい。
このあいだ、今、習っているお茶の先生がポルトガルでお茶会を開くお仕事があり、そのお土産に本場の鶏卵素麺を買ってきてくれた。食べ比べてみると、ほとんど味は同じ、ただ、日本のほうが、やはり見るからに繊細な姿だったけれど。
鶏卵素麺の他に金平糖もポルトガルから伝わったお菓子。
先日、保坂さんが、京都大学の文化祭で講演があった時、その実行委員長がお土産にくださった。それが、日本でただ一軒の金平糖専門店「緑寿庵清水」の金平糖。パンフレットによると、創業弘化四年、「金平糖は1546年ポルトガルからもたらされた異国の品々のひとつで、中でも、ひときわ美しく、人々の目を引いたお菓子でした。当時はとても珍しく貴重な品とされ、製造法はいっさい秘密でした。織田信長も宣教師から贈られたとされています。」なんですって。ちょっと驚きでしょ。
お茶の席でも金平糖は、「振り出し」という、瓢箪型の七味入れによく似た形の入れ物に入れられ出ることがある。いただく時は、懐紙の上で、お行儀よく、両手で小さく回しながら出すんだけれど、見てるだけでちょっと風流です。
作り方は、以前、テレビ番組で、見たこともあったんだけれど、とにかく、手間ひまかけて作られている。大きな釜に0.5ミリのイラ粉という餅米をくだいたものを入れ、がらがら回転させ、グラニュー糖を振りかけながら乾燥、この工程をくり返すこと、なんと、おおよそ二週間から20日間。完成するまでに、こんなに時間がかかってたなんて想像できなかったでしょ。
実行委員長さんにいただいたものは、かわいらしい手鞠の絵が描かれた赤い信玄袋に入ったもの、よく知ってるあの白とピンクのコンペ−ト−みたいに、何十個かを一気に口の中に流し入れてかりかり食べちゃう風にしたら、いっぺんになくなっちゃうほど、少量づつ、味別に小袋に入れられていて、種類は、天然サイダー、蜜柑、バニラ、黒豆紫蘇、わたしは、天然サイダーが気に入った!!
他にイチゴ、メロン、らいち、桃、さくらんぼ、トマト、ブルーベリーにカルピス、ラ・フランス、チョコレート、キャラメル、ブランディーから梅酒まで、その他まだまだいっぱいあるんだから、なんだか、味を想像するだけで、たのしくなってくる。


END