第五回

こないだ、初釜があり、ちょっとおめかしして行ってきました(ちなみに初釜とは、新年早々に行なわれ、家元がお弟子さんを集めて盛大に開く、一月のもっとも代表的なお茶会)。「おめかし」と、一言で言っても、それは、なんだかんだと、気を使わねばならないような決まりごともあるような感じなので、先輩たちに聞いてみた。
「うちの先生はうるさいこと言わないから、なに着ていっても大丈夫だけど、どんなにいいものでも紡(つむぎ)みたいな普段使いのものはやめておいたほうがいいわよ。
牛首の絵羽くらいなら、まあいいかしらね」
また、違う人は、
「なんでもいいのよ。でも、せっかくの初釜だし、若いんだから(50才くらいまでは若いほうなのよ)、華やかなものにしておきなさい。先生も、喜ばれるわよ。訪問着とか付け下げ、色無地でもいいし、紋付ならなおいいわねえ」
とかアドバイスしてくれて、話せば話すほど、めんどうくさくなりそうだったので、聞くのはそのくらいにしておいた。
初釜に限らず、年に何度か開かれるお茶会は、いつも、通っている長谷のお茶室とは違う場所で、準備も含めてあわただしく行なわれるので、わたしとしてはあんまりすきじゃない。濃茶、薄茶、点心の席も、たくさんの人達が、順番に、その部屋にびっしりつめこまれて、お菓子はたしかに、いいいものが出るので、おいしいけれど、なんだか、全然味わえない感じ。お茶も、陰でたてたものが出されるし、それはたいてい、あわも少なくてちょっと冷えてるしね。それでも、若いお嬢様たち、とくに、うちの先生は、新橋の芸者衆にお茶を教えているので、そういった筋の方たちのおめかし姿は、やっぱりいいもので、着てる着物はもちろんだけど、着こなしとか、立ち居振舞なんかが、やっぱりちょっと普通と違ってなんとなく色っぽいので、見てるだけでうれしくなってくる。そういえば、明治の噺家のインタビュー集で、「唾玉集(だぎょくしゅう)」という本に芸者の事がかかれてる箇所があるんだけど、むかしの芸者は襦袢を重ねて来るのは野暮だ、というので、どんな上等なものでも、素肌に着たんだって。
この本、ものすごくおもしろくて、話っぷりがいいのね、待ち合い茶屋についてのくだり。
「其の頃は、駿河町の亀の尾、日本橋の寿、芝では千歳と此三軒けァなかッたものです。外にも在ッったか知りませんが、此三軒が一番名うてでした。女を呼んで酒は飲みましたが、今のように寝泊まりはしません。情人(いろ)でもこさえて出会をするには、向島水神の八百松か植半、それから今は在りませんが、三囲の柏屋の云う意気なお茶屋がありましたが其所へ行ッったもんです。居廻りや近所で会ふのは情夫(いろ)じゃァないと云ッてた位でした」
今じゃ、芸者も、お茶屋さんもめっきり減っちゃったみたいで、この本に書かれた感じもとうになくなってしまったようだれど、新橋の吉兆のそばの黒塀のあたりを歩くと、中はどんなだろーーとか思いながら、想像するだけです。

ところで、わたしが習ってる先生は、夏には、茶花を、冬はお香の稽古をしてくれる。
お香は12月にあって、大磯の料亭で行なわれたんだけど、ちょうどそこの板前さんがお茶を習いにきてるので、お懐石料理まで御馳走になった。お香は「嗅ぐ」とは言わず、「聞く」と言うのだけれど、香を嗅ぐ動作が手を耳に当てるふうに見えるのでそう言うんだって。
この時に聞いたお香は7種類。伽羅(きゃら)羅国(らこく)真南蛮(まなば)真那
加(まなか)佐曽羅(さそら)寸聞多羅(すもだら)新伽羅(しんきゃら)。
それで、「三夕香」と言って、その中の三種類を嗅ぎ分けるゲームのようなもの。聞いたお香を三夕の歌になぞらえて、真南蛮が槙立山、佐曽羅が鴫立沢、新伽羅が浦苫屋ってことで、これは新伽羅かなと思ったら、紙に浦苫屋って書くのです。どの香りも口で説明するのはなかなかむずかしいんだけれど、佐曽羅は削りたての鉛筆の芯の匂いがしました。わたしは古伽羅が好きかな。

茶花のお稽古は、真夏に明王院という古いお寺であったんだけれど、「家のまわりにある雑草をもってらっしゃい」というので、ほんとに、わたしの家の庭の雑草をもっていったんだけれどね、やっぱり、あんまりだった。雑草と言えども、やはり、それは茶花に合う、今ではなかなかもうお目にかかれなくなっためずらしいものがいくつもあって、そういうのを、源氏山のハイキングコースとか、鎌倉山の人の庭とかからみつけてくるのが醍醐味らしいのね。かわいらしい提灯のような風船葛(ふうせんかずら)や、風情のある杜鵑草(ほととぎす)や晒菜升麻(さらしなしょうま)われもこう、今にも割れそうな玉紫陽花の蕾みなんかも、どこにでもありそうでなかなかないのです。
ところで、わたしは、今まで、茶花の他に華道と、フラワーアレンジメントを習ったことがあるんだけれど、同じように花を活けるということでも、ほんとに違う。華道は中学から大学まで習い、看板までとって、免許皆伝を通り越して、「なんとか教授」とかいう免許まで持っているんだけど、今では、全然生かされていない。それなりに一生懸命だったし、おもしろかったけれど、茶花をやってみて、思い返してみると、華道はかなり、花に無理をさせる。一番美しく見えるように、針金を巻いたりして、絶対自然ではありえない枝振りにかえてしまったり、全く水揚げできないような状態にさせたり、乾燥させたり、他の色に染めたりすることだってあるんだもの。
フラワーアレンジメントは、イギリスで、ダイアナ妃の結婚式にブーケを作ったオリーブという人から習ったんだけれど。それはほんとかどうかわからない。だって英語の説明だったから。オリーブはうちの近くで小さな花屋をやっていて、きさくで世話好きの、かわいらしい太った女の人で、とにかく、教え方が大胆だった。一度、大真面目で、きゅうりと玉葱を花と一緒に活けた時には、全然、変だった訳でもなかったけれどね、でも驚いたよ。
あ、それから全然関係ないけど、イギリスでヨガを習った時には、40才くらいの女性の先生で、わたしよりからだが固いんだけれど、日本の小学生がはくようなブルーマ姿で足をあげるので、目のやり場に困りました。そういう理由でうちの夫はヨガの教室を休むようになったんだわ、けっこう繊細な夫です。


END