◆◇◆「鎌倉の風景」◆◇◆
「NHK 美の壷 鎌倉」収録 (2010年12月発行)

 下りの横須賀線が北鎌倉を出て、左にある円覚寺の木立ちを過ぎ、鎌倉街道の踏切を越えて、扇が谷トンネルにさしかかったあたりで、視覚が一気に緑で覆われる。この瞬間が私は大好きだ。鎌倉の山は意外なほど荒々しい。しかし若かった頃、私はそれに気づかずもっぱら海を見ていた。

 実家が由比ケ浜まで歩いて七、八分のところにあり、中学から大学を卒業するまでほとんど毎日、犬を連れて波打ち際を、由比ケ浜の西の端の稲瀬川から材木座海岸との境の滑川まで歩いた。滑川は幅五メートルくらいの狭い川だが、それでも旧鎌倉、というのは「鎌倉市」でなく鎌倉幕府時代の鎌倉のことだが、その中では一番太い。滑川には昔は鰻がいた。小学校の頃、野生児のようなR君は登校途中に竹で編んだ細長い籠を仕掛けて、放課後みんなと遊びもせずにすっ飛んでいき、「取れた、取れた」と喜んで私たちに見せた。

 それにしても滑川が旧鎌倉で一番太いということは、鎌倉には川辺の風景で見るべきところはないということなんじゃないか。だいたい今日の今日まで、「鎌倉の川辺の風景」なんて、考えてみたこともなかった。そういえば、運河はもちろん、用水路の類も鎌倉にはないんじゃないか。少なくとも私は全然知らない。

 小学校の郷土の地理歴史の時間に「鎌倉十井」を教えられたのはそのせいだろうか。つまり、昔、鎌倉には整備された上水がなかったから井戸の水が貴重であり、いまも代表的な十の井戸が遺されている。ただ、井戸のことは私はほとんど知らない。実家が長谷なので極楽寺坂の切り通しの脇にある「星の井」だけは数えきれないくらい見てきたが、他は、調べてみると、大町の奥、逗子との境の名越の入口にある「銚子の井」を除く残り八つは、鶴岡八幡宮の奥から北鎌倉の建長円覚がある山のあたりに集中しているみたいで、私はちゃんと見たことがない。いや、通りかかって立ち止まって見ているのかもしれないが、井戸を意識して訪ねたことはない。

 鎌倉では「七つの切り通し」が有名で、それよりもっと有名なのが「五山」。そしてだいぶマイナーな「十井」と、これらはどれも旧鎌倉を取り囲む山にある。鎌倉の地理と歴史の精髄はおそらくこれらに凝縮されている。しかし、建長円覚の「五山」はともかくとして、切り通しや井戸や、それからこれもまた鎌倉特有の史跡らしい「やぐら」、それらの場所と名前をすらすら言える人や全部見たことのある人は、郷土史家ぐらいのものなのではないか。やぐらは山の側面の岩を横に掘って、そこに供養塔が建っている、鎌倉時代にはじまったお墓だそうだ。

 しかし、歴史など何も知らなくても、切り通しややぐらに実際行ってみると、近世を通り越して一気に中世を感じる。風景全体の薄暗さと見通しの悪さで視界がひどく狭められる感じがあり、その中で、山の湿気、岩肌山肌のひんやりする感じ、羊歯など日陰に育つ植物……などを間近にしていると心と体が自然と緊張して、物音や気配に敏感になっている。人間が自然を支配するとか共存するとか、そういう世界観でなく、自然の霊的な力の怒りを買わないよう、控えめに生きていた時代の息遣いを感じる、というよりも自分が今ここでまさにその時代の人になっているような気持ちになる。

 が、そういう時間は鎌倉に住んでいるふつうの人たちには特殊な時間であり、ふだんは漫然と生きている(ここが現代人と中世の人たちとの決定的な差だ)。そうして私は毎日、犬と海岸に行った。鎌倉の海は、坂ノ下から材木座海岸のはずれの飯島崎まで、相模湾の中のそのまた小さな入り江のように凹んでいるから、左右の視界が稲村ガ崎の手前の出っ張りと逗子マリーナの向こうにつづく三浦半島によって切られる。水平線自体は、百八十度とはいわなくても百五十度くらいはあるはずの視界のおそらくやや右寄りの九十度くらいしか広がっていないのではないか。しかし水平線の部分は遠い先の先まで何もない。このようにずうっと先まで何もない海は、どうなんだろう、ふつうのようで案外少ないんじゃないか。

 日本海だと水平線のずっと先には大陸がある。それが海岸に立って見えるか見えないのか私は知らないが、見えなくてもずうっと向こうに大陸があると思って水平線を見るのと、ずうっと海しかないと思ってみるのとでは気持ちの構えというか開放感が違うのではないか。

 鎌倉の海は遠浅と言われている。干潮時と満潮時では浜の広さが何十メートルも違う。その変化はきっと子どもの心には驚き、あるいは畏れなのだろう、鎌倉に育った友達はほぼ全員、津波の夢を見る。津波でなくても台風のような大波にさらわれそうになったり、町が水没したり、人それぞれだが、すべて海への畏れが私たちに見させていることは間違いない。私たちにあたり前とも言えるこの海が荒れ狂う、あるいは豹変する夢を、海の近くに育たなかった人たちは見たことがないのだと言う。私にはこっちの方が不思議だ。

 鎌倉が名所旧跡観光の鎌倉から湘南の一角の鎌倉になったのは三十年くらい前のことだ。外の人が名所旧跡でなく海を見に来ることが多くなり、浜に降りて陽光にキラキラ光る乾いた砂浜を歩くわけだが、坂ノ下と材木座海岸のはずれまで行くと、浜はじくじくしている。油断して歩いていくと靴がずぶずぶはまって足が抜けなくなったりする。海のもうひとつの貌を私がはじめて感じたのは、まだ小学校に入る前に坂ノ下の浜で靴が抜けなくなったあのときだったのかもしれない。海は恐い。台風で海が巨大化して浜がなくなり、国道一三四号線の下の石垣までじかに波がぶちあたる恐さ。私は何度も夢で見たので、もう現実だったのか夢だったのか、いちいち区別がつかない。が、うららかな日は海はひねもすのたりだ。そんな日に江ノ電の鎌倉高校前駅のホームのベンチに寝っ転がって、本を読んではたまに海を見る、昼間から日が暮れるまでそうしているのが一番幸福だと言っていた友達がいた。鎌倉高校前は旧鎌倉の外だから旧鎌倉の浜から見える海より水平線がずっと長い。

「海はどっちですか?」と、はじめて鎌倉に来たらしき人に訊かれることがたまにあった。鎌倉に住んでいる人間にとって、これはとても奇妙な質問だ。歴史の授業で習うように鎌倉は、三方を山に囲まれている。ということは、まわりを見て、山が見えない方に歩いて行けば必ず海に出る。鎌倉の人たちがどれだけはっきり意識しているか知らないが、たぶん無意識に、低い家が並ぶ屋根の向こうにちらっとでも山が見えなければ、「あっちは海だな」と感じつつ行動している。鎌倉は古都保存法によって高い建物が建たず、低い家並が守られているから、山があるはずなのにビル群にじゃまされて見えないということがない。だから反対に山がみえなければ必ずその先に海がある。

 海の近くの、海と平行の道を歩いていて、家と家の切れ目、つまり路地をふっと見ると、路地の先がスコーンと抜けていたりする。スコーンと抜けた先は海だ。路地が海に向かって傾斜していれば路地の向こうに海が見えるが、傾斜がないと海までは見えない。しかし見えなくても向こうに何もなければ海がある。そういう風景は海辺の町にしかないだろう。

 だから鎌倉では海以外の方向はどこを見ても山がある。遠くに見える、近くに見えるの差は当然あるが、地図で確認すると旧鎌倉はどこにいても直線距離で五百メートル以内のところに山がある。山から一番遠い地帯は、海から鶴岡八幡宮へと真っ直ぐにつづく若宮大路の周辺で、そこから離れて住宅地をするする歩いてゆくと、すぐに、もう本当にすぐに山の手前に来てしまう。そうやって手前まで来た山は、なんというか、いきなり目の前にバッとある。

 山を前にして私は木で覆われた山の緑の色調の多様さに感心する。いきなり目の前に見えるくらいだから、鎌倉の山はどれも傾斜が急だ。つまり富士山のように緩やかな裾野があるのでなく、住宅などがある平らな(と感じられる)土地に迫るように山がある。だからいま自分が立っている場所と山がとても近いから、山を覆う木の分厚い層をなす葉の一枚一枚が見えるような気がする。半数くらいの高木(こうぼく―ルビ)に蔦の葉が絡まり、その一枚一枚が大きい。山によってはほとんどが蔦の葉で覆われているかもしれない。

 急な斜面に生えている木は真上でなく斜めに伸びる。ということはこちらに向かって葉を茂らせる。しかもその葉の上を蔦の葉が覆う。蔦の葉の厚みは十センチもないのかもしれないが、実際に見ている印象としては斜面の葉がすごく近くなる。鎌倉の山の木は一様でないから、葉の形も大きさも何種類もあり、それらが本当に全部色が違う。陽光を反射させている葉もあれば、影になっている葉もある。それを見ていると生命そのものを見ているような気持ちになる。

 鎌倉の山はほとんどが常緑樹だ。紅葉を思い出すのに一番不利な十月にこの原稿を書いているのだが、鎌倉の山を見て紅葉に感心した記憶が私はない。それでも冬の山を思い出すと葉を落として枝だけになった高木もあちらこちらに見えないわけではないが、全体としてやっぱり冬も山は葉に覆われている。しかしもう私はその山から生命という言葉を思い浮かべない。色調の多様さは失われ、緑の中でも一番深い、または暗い緑に山は支配される。

 二月のまだ新しい葉が芽吹かない頃、山は落葉せずに一冬を越した葉だけで覆われている。あとは落葉した木があるだけだ。早春のその時期に、北風が吹かず土地全体がぽっかり暖かい空気に包まれてまどろんでいるような日がある。空は青空でなく乳白色だ。自分の体のまわりの空気まで乳白色になったみたいだ。そのときの山がいい。山は暗い緑色ですらなく、墨絵かせいぜい濃い茶色で描いたように見える。

 その山をじんわりいつまでも眺めていられるスポットが二ヵ所ある。ひとつが江ノ電の稲村ケ崎駅のホームで、ここから見える山は近い。近いのに午後三時頃にはすでに色彩がなくなっている。それまで華やいだ気持ちでいても、あの風景を見ると不思議に憂愁に包まれる。もうひとつはJR鎌倉駅のホームの東京寄りのところで、鎌倉を取り囲む低い山が遠くにずうっと連なっているのが見える。人というのは緩んだ空気の中で静まり返った山を見るだけで、物思いに耽ってしまう。

 このホームが、北鎌倉を出て緑で覆われた扇が谷トンネルを抜けてきた横須賀線が止まるホームであるのは言うまでもない。私の記憶に間違いがなければ、鎌倉駅のホームは四十年以上姿を変えていない。両側に高い建物がなく、ホームが駅ビルの中に入ったりもしていない。下りと上り二本の線路に挟まれて、素通しのプラットホームがただひとつだけあるなんて、今では貴重な光景なのではないか。そこに降り立つと潮の香りがする。