◆◇◆寝言戯言 4 「ちくま」2010年5月号◆◇◆

 内側から語るか、外側から語るか。
 三つぐらいのことを同時にしゃべることのできる口(書くことのできる手)がないのがもどかしくてしょうがない。小説というのはある種の人たちにとってとてもわかりづらい表現手段であり、その人たちにとって私が言ったり書いたりするものはどうやらどんどん秘教的なものに見えてきているらしいのだが、秘教的に見えずに何かをちゃんと伝えようとしている文章など信じるに(あまり)値しない。小説というのは人間がはじめて内側から語る方法を得た表現なのではないか。といっても、ふつうに広く読まれているほとんどの小説は外側から語られる方法しか使っていない。
 私は『小説の自由』『小説の誕生』『小説、世界の奏でる音楽』という小説論の本を三冊出し、そのつど書評が出たり、ブログに感想が書かれたりして、いくつかの評や感想にものすごい違和感を感じたわけだが、その根本は私が内側から小説を語ろうとしていることが全然理解されていないからではなかったか。
 ある書評は、全体としては褒めながら(しかしこの褒め方が「本音を言えば、こいつなまいきだ」という感じがじんわり伝わってくるのだが)、一つはっきりと、
「この著者は、自分が師と仰ぐ小島信夫を盲信するあまり、小島信夫とカフカを同列に扱うという過ちを犯した。」というようなことを書いていた。この人は小島信夫をカフカより一段も二段も低くみてくさしたことはともかくとして、こういう書き方をすることでカフカを裏切った。ということは小説の精神も裏切った。
 こういううかつな短い断定は、何よりもカフカを読んでいない。私は小説を既成の評価によらずに、一行一行読めと、小説はそれを離れた批評によってはほとんど何も伝わらず、小説は音楽と同じようにそれを読んでいる時間の中にしかないと繰り返し書いているのに、この人は手垢にまみれたカフカ像でしかカフカを考えていない。
 戦後、日本でカフカがブームとなったことがあるらしく、そのとき小島信夫は、
「悪夢の中にいるような気持ちになる。」というようなことを書いたそうなのだが、それに対して、
「悪夢とは何と幼稚な読み方だ。カフカは実存主義小説であり、現代人の不安を描いたのだ。」という批判があったそうだが、私の本の書評を書いた人の頭もその時代と何も変わっていない。この風潮は一九七〇年代くらいまでつづいていた。
 一九七〇年代に私は高校〜大学だったので当時の感じをすごくよく知っているのだが、あの頃、小説というのはきちんとしたテーマを持っていて、自分たちが生きるこの社会と深くリンクしているもので、だから事前に作品に対する知識を仕入れておいて、その線に沿って読む。こういう態度を広くは教養主義と呼ぶのだろうが、これでは小説が完成したものとして、きっちりと構築されてびくともしないものとして読者の前にそびえ立つようなイメージになってしまう。教養主義の崩壊とか読者が小説を自分のサイズの「おもしろい/つまらない」で読みすぎだとかいう問題は今はおいておくとして、カフカは一行一行書いたのだ。カフカだけでなく小説家はすべて一行一行書く。時代が変われば社会のあり方が変わり読者の関心も変わる。しかし一行一行書くという行為とそれを一行一行読むという行為は変わらない。
 変わらないというのは嘘だ。「悪夢とは何と幼稚な読み方だ。」と小島信夫を批判した時代、批判した人たちは一行一行読んだのではなく、小説をもっと全体としてくくって、それを比喩や象徴やイデオロギーの道具のようにしてしまっていた。この「イデオロギー」という言葉も今では死語になりつつあるんじゃないか。私は学生時代、イデオロギーという言葉の意味がわからなくて困った。
 たとえば、『カフカ・セレクション』(ちくま文庫)に収録されている、『〔私に弁護人がいたのかどうか、それはきわめて不確かなことだった〕』と題された断片のこういう箇所。
「私には、われわれが裁判所の建物のなかにいるのかどうか、それすら定かではなかった。そのように受けとれる点もすくなからずあったのだが、多くの事情は、それに反していた。あらゆる細部はさておくとしても、もっとも強く法廷を連想させたものといえば、それは遠くから間断なく聞こえてくる轟音だった。」
 いかにもふつうにさらりと書いているが、どうして轟音が法廷を連想させるのか! こういう変なことを見逃さずに読むのがカフカを読む楽しさであり、しかも話は思いがけない方へ展開してゆく。『カフカ・セレクション』に収録された話でいえば、『万里の長城が築かれたとき』や『カルダ鉄道の思い出』などは、どうして話がとんでもなく変な方へと進むのか、二度や三度読んだくらいでは憶えられない。というか、私は何度読んでも話の流れを記憶できない。
 そのようにして読まれるかぎりカフカはつねに更新される現在の小説家だ。しかし、小島信夫と同列に並べられることを頭ごなしに否定してしまったら、カフカは読まれなくてもいい作家となってしまう。つまり、『論語』とかプラトンやアリストテレスとか。『論語』でもプラトンでも、実際にそれを読んでいる人たちは、
「バカ。孔子って変なやつでおもしろいんだよ。」と言うに決まっている。というか、そういう友人がひとりいる。実際に一行一行読んでみると、それまで聞いてきたイメージと全然違うものなのだ。人間の歴史を通じて長く残っている本とはすべてそういうものだ(きっと)。カフカの場合それが際立ち、文脈が予断できない。私はその真似を前回のこの「寝言戯言」でやってみた。

 エッセイと小説の違いは何かと言うと、内側から語るか外側から語るかにちかい違いで、エッセイの題材はそのエッセイに先行する知識に反しないが、小説では書かれる題材(素材)は先行する知識によってではなく、小説の進行によって確定される。全体にエッセイは小説より親切にできていて、前半三分の一くらいを読めば後半の話の落ち着くところは見当がつき、読者の抱くその見当を補助するように、ということは文脈をわかりやすくするように、「しかし」「だから」「あるいは」などの接続語全般が使われる。前回私は反則にちかいことをした、というわけだ。接続語を極力使わずに書いたので、文脈がつかみにくかったはずだが、読者は明確にそうは思わず、何となく「読んでいて居心地が悪い。」という感じ方をしたかもしれない。
 エッセイで「二〇〇九年夏は雨が多かった。」と書けば、読者は自分自身の記憶と照らして、
「そうだったかな? 言われてみると確かに雨が多かったな。」と思ったり、
「そんなことないよ。この人、間違ってるよ。」と思ったりするが、それはエッセイに書かれる話題が、そのエッセイに先行する事実に反しないことを前提としているからだ。しかし小説で「二〇〇九年夏は雨が多かった。」と書いた場合、それが事実と一致するかどうかを読者はふつう問わない。
「私は彼女を愛している。彼女はわがままだ。彼女は男の地位と財産にばかり関心を示し、私という人間そのものを見ようとしない。彼女は子ども、特に四歳から十歳までの男の子が嫌いだと公言して憚らない。私はどうしても彼女から離れることができない。」
 これがまたカフカの文章の真似なのだが、このような文章はエッセイではありえないと言っていい。エッセイだったら二つ目の文を、「とはいえ」「ただし」ではじめて、最後の文を「それでも」ではじめるだろう。なぜなら、わがままであることや本人よりも地位と財産に関心を持つことはふつう愛する理由にならない。これもまた、書かれる題材がそのエッセイに先行する事実に反しないことが前提となっていることのバリエーションと言える。しかし小説ではこの文章はありうる。そのとき読者は二つの可能性を考えるだろう。
 一つは、最後の文の前に置かれるはずの「しかし」とか「それでも」が省略されている可能性。もう一つは、語り手の「私」が、このような女を好きになるマゾヒスト的傾向がある可能性。前者の場合、省略されているのは逆接の接続語だけでなく、彼女がものすごく美人であるとかものすごく体がよくてセックスもうまいとか、「ごくまれに私にやさしく微笑んでくれるそれだけで私にはじゅうぶんだ。」というようなマゾヒストにちかい喜びとか、「はじめて好きになった女だからどうしようもない。」という、マゾヒストではないがふつうではあんまり考えられない理由など、とにかく三つの文で列挙した欠点を上回る理由が省略されている。
 書かれることの因果関係や原因・理由や動機や必然性などなどは小説の場合、小説それ自体によって決まる。小説に先行する社会的な常識や通念で即断することはできない。が、このように小説それ自体の運動によって因果関係や価値観などが決定されてゆく小説は実際には少なく、ほとんどの小説は小説に先行する知識・判断が小説の中に持ち込まれている。例に書いたような文章が書かれている小説があったとしても、それはほとんど"変態小説"みたいなジャンル化された小説であって、本の帯に「マゾヒスト」という言葉がひと言印刷されているだけで例の文章の意外性つまり難解さはなくなる。「マゾヒスト」のひと言があるだけで、その小説は小説に先行するマゾヒストのイメージですらすら読めてしまう。

 私は三冊の小説論の中でこういうようなことを書き、自分では親切すぎるほどいろいろ書いたと思っているが、それでもなお、「外部の人間の理解を拒む。つまりとても閉鎖的である。」というような書評を書いた同業の小説家がいた。その人は小説に先行する知識しか小説に持ち込まない人であり、私の小説観と激しくバッティングするから、私の小説論を理解するわけにはいかない。という心理学的な説明をするのは簡単だが、問題は"閉鎖的"という言葉だ。
 この書評を読んだとき、私がここ三、四年あれこれ形を変えては考えていたグローバリゼイションに対する批判がはっきりした。みんなグローバリゼイションを批判するがほとんどの人はグローバリゼイションとは何であり、グローバリゼイションが何を破壊したのかがわかって言っているわけではない。前回のメール的なものはグローバリゼイションの一角、といっても大事な一角だが、前回グローバリゼイションのことを書いたら話が唐突すぎただろう。なんて判断があったわけでなく、私はたんに忘れただけだが。
 いまみんな"閉鎖的""閉鎖性"という言葉を無条件に悪い意味で使っている。しかし閉鎖的であることはなぜ悪いのか?
 悪くない。車でふつうに道路を走ることは誰でもできるから運転免許があってそれを発行する。これはとても開かれたシステムだ。しかしレーシングドライバーとしてどんどん高いレベルまでやっていくときに運転免許は通用しない。ドライバーたちは数人のチームを組むなり何なりして、それぞれ独自に高めていくしかない。高めるのは技術だけではない。技術を前提条件とした勇気と判断力が高まっていかなければ上に行けない。これはもう言語による伝達の範囲をこえている。野球だってサッカーだって、ダンスだって歌だって楽器の演奏だって、プロというのはすべてマニュアルやコーチの指導する範囲でなれるものではない。
 そう言うと必ず、
「でも、F1も野球もサッカーも、いまあなたが例に挙げたものはすべて、世界中の人に対してプロになる可能性が開かれているグローバルなものだ。」という反論をする人がいる。それは市場と鍛錬の混同だ。
 プロになる道はすべての人に向かって開かれている。しかしプロとしてやっていくために必要なことをプロ以外の人全員がわかるような言葉で説明することはできない。プロ同士が一番自分たちが考えている中心的課題についてしゃべったら、周囲はよくわからない。高度で難しい言葉だからわからないのでなく、たいてい変な言葉だからわからない。科学ではないからプロといっても専門の言葉は持たず、ありあわせの言葉を比喩的に使ったり、身体感覚や経験に合わせて意味をズラして使うことになる。周囲の人が理解したければそこは、自分の知っている言葉の意味や用法では通用しないと覚悟しなければ中に入れない。
 そう、プロがプロとして本当に必要な話をするとき、外の人は自分の通念を捨てて中に入るしかない。外の人にわかるようにしゃべったら、それだけですでに嘘がはじまる。
 件の書評を書いた小説家は、同じ小説家とは言っても小説観が根本的に違うから私の書く小説観に対して"外"の人だった。しかしその人は自分が"外"であるという自覚に欠けるから、でなく自覚させられたからこそと言うべきか、私の小説論を「閉鎖的」と批判した。
 が、その小説家に「閉鎖的」と思われたということは、私が中に入らなければ理解できないだけの大事なことを書いたということを証明してもいる。"閉鎖性"を否定することはグローバリゼイションを肯定することであり、メール的フォーマット、パソコン的フォーマットに乗らないものをこの世界からなくそうという思想だ。
 "閉鎖性"というカテゴリーはもちろん特定の職能集団も指す。日本の刀鍛冶とか宮大工とかドイツのマイセン磁器とか。これらもまた閉鎖的な集団であるからこそ技術を守ることができた。技術の水準を維持するためには広く門戸を開くわけにはいかなかった。実際、蹈鞴(たたら)吹きという鉄の精錬法からはじまる、あるいはそれ以前に蹈鞴吹きにふさわしい鉄鉱石の確保からはじまる日本刀製作の技術は江戸時代前期にはすでに衰退しはじめたために、江戸時代後半以後は室町時代ほどの日本刀は作れなくなったとされている(らしい)。
 私はそれについて専門ではないからこの知識がどこまで確かか責任は持てないが、昭和初期に建てられた一般住宅と最近建てられた一般住宅を比較すれば、鴨居でも引き戸でも、昔の大工の技術と工業規格品を使ういまの大工の技術の差は明らかで、
「大衆化したからこそおまえだって、小さいとはいえ一戸建に住めるんだ。」なんていうのは論点のすり替えで、住宅メーカーによって大工という職能集団が切り崩されていった。
 私の話は雑で大ざっぱで直感的だから、私に対する反論は厳密な資料を持ってくればいくらでもできるだろう。しかし問題は保坂を論破することでなく、グローバリゼイションとの闘い方を探すことの方だ。