◆◇◆寝言戯言 20 最終回「 「ちくま」2011年9月号 ◆◇◆

 ホロコースト、戦争、災害、大事故など多くの死者が出た出来事・事件をくぐり抜けて生存した人は、その後、なぜ自分だけが生き残ることができたのか? 彼らが死んでどうして自分だけが助かったのか? と、助かった幸運を喜ぶのではなく、生き延びた自分を責める人生を送ることになるケースが多い。ということを以前知った。
 私はこれを誰が書いた文章で読んだのかは憶えているが、著書がいっぱいあるその人のどの本で読んだのかまでは憶えていないし、これを書いたその人もまた精神医学の文献からの引用としてこれを書いた。だからこれの出典をいちいち辿るのは煩わしいと私は言いたいのでなく、この話は出会って以来私の心に深く刻み込まれたので、誰が言ったのかという、文献上の正確さは私にはどうでもいい。私は折りにふれて、この、生存者が自分を責めるという話を思い出す。
 人間は、自分だけが生き残ったことを無邪気に喜ぶほど愚かではないし、自分だけがかわいいような利己心の塊でもない。ということだが、ふだんは生存者を「幸運」と見るようなモード(思考様式)が私たちを覆っている。
 人間というのは本性において利己的ではないのだが、「人間は利己的である」と人々に思い込ませて、人と人を分断することによって利益(金銭だけでない)を得ている一部の人たちがいる。彼らは、他人の問題を自分の問題として引き受けない。彼らは、他人の内面はわからないんだと言う。他人の心をわかろうとすることは、自分の内面が今ある状態を検証したり組み立て直したりすることだから、彼らにとって、これは革命のような危険を孕んでいる。
 たとえば飢餓に苦しむアフリカの子どもの内面を私たちがわかってしまったらどうなるか? 熱を出した小さい子どもを家に置いたまま仕事に出なければならない母親のように、私たちは仕事も何も手につかなくなってしまうだろう。赤ん坊だって母親にとって他人のはずだが、赤ん坊は母親にとって他人ではない。私のこの言い方は論理的に間違っているから言い方を工夫すべきだと思うかもしれないが、考えを前に進めるためには論理的に正しいかどうかは関係ない。論理への義理立ては直感を抑圧する。
 赤ん坊は母親にとって他人ではない、という言い方を自然に受け入れられる私たちが、どうして、飢餓に苦しむアフリカの子どもを他人だと突き放していられるのか? きっとそこにはイデオロギーによる操作が介在している。芸術とは、人間の内面につくこと。人間には内面があることを示し、人間の内面を絶対的に擁護することだ。人間の内面がじゅうぶんに守られていないから、自分だけの内面を過剰にセンチメンタルなものに仕立て上げて、窓を伝わり落ちる雨滴を詩にするような、間違った文学観・芸術観が生まれた。
 私たちは他人の内面はわからないんだという言葉によって、自分自身の内面までわからなくさせられている。私たちは、
「何かに熱中した一時間と何もすることがなくて退屈だった一時間では、違う長さに感じる。」
 と驚いたり不思議がったりするが、「一時間」という数字にだまされて、自分自身さえ外から見てしまうからわからなくなる。
 熱中した一時間と退屈だった一時間は同じじゃない。そんなのは違うに決まっている。同じ三千字の文章(だいたいこの「ちくま」のニページ分)でも、軽くスカスカの内容の文章とどっぷり重い内容の文章では、読む時間の長さも読後感も全然違う。それと同じことだ。文章だったらただ字数やページ数だけで一律に計ろうとしないんだから、時間だって外から一律に計ったって意味がない。
「しかしそれでは計りようがない(比較のしようがない)。」
 と言うかもしれない。が、なぜ計ったり比較したりする必要があるか? ない。「数字は公平だ。」「数字は嘘をつかない。」なんてことを言って、人間の内面を無視して、人間をただ外からだけ見て操作して、それによって利益を得ている彼らがこういう思考法を浸透させた。
「彼ら」と言っても、その人々が仕組んだわけでなく、彼らは便乗しているだけで、人間を外からだけ見て操作している主体は、社会やシステムや時代だ。ということは時代の流れなら必然であり、我々はそれに抗えない。と考えるのは悲観主義だ。時代や社会なら、それはいずれ終わりがくる。終わりがきて別のことが起こる。芸術とは現状を肯定することでなく、世界や人間の別のあり方を断固として夢見ることだ。夢見ることには気力も知力も体力もいる。夢見ることをやめてしまったら、ただただ現状に飲み込まれてしまう。
 思うに、工場での大量生産以前、職人が一つ一つモノを作っていた時代には、時間が誰にもどこでも一律に経過するなんてことは、ふつうは考えられなかったんじゃないか。時間はそのつどそのつど違うものであり、そのつどそのつど密度が異なる時間を長さだけで計るなんて意味がない。
 しかし、この意味がないことを私たちはふつうに受け入れてしまっている。私だって、一月十七日にジジが死んで半年経った七月十七日に、妻と、
「ジジがいなくなってもう半年だ。長いんだか短いんだかわからないなぁ。」
 なんてつい言ってしまうわけだけれど、ジジが死んでから経過した日々に「もう」も「まだ」もない。あの日はあの日としてずうっと私と妻の心に刻みつけられている。それは昨日のことのように近い。しかし昨日のことなら耳や目に残っているはずの生々しさはやはり確実に薄れる。そういう風に感じていることを承知しているんだから、夫婦二人しかいないところで、なにも第三者に何かを伝えるような解説みたいなことを言わなくてもいいはずだ。
 私たち近代人は科学的思考を合理的な思考として、日常の基礎を科学的思考に置いている。科学的思考の中心の一つが数字だが(他に、原因−結果の因果関係とか、部分は全体より小さいという思い込みとか、モデルに図形を使うこととか、科学的思考にはいろいろある)、その数字を使うことで私たちは自分の内面が最も鈍感で無神経な人にさえも理解されることをつい期待して、そのじつ自分自身からも自分の内面を遠ざけてしまう。
 世界とは、凸凹していて、濃淡があり、固定せずにたえず動いている。世界の実相とはそういう状態だ。ダイバーが潜る深い海がどうなっているか、潜ったダイバー本人でなければ感じられないことがいっぱいあるのと同じように、世界・自然・時間・人間……etc.これらも、自分の気持ちを対象に向かって一歩も近づけないような怠惰な人には何もわからない。
 道元は、悟りは一度悟ってもすぐ元に戻ってしまうから、修行をつづけて何度でも悟らなければならないと言った。というこの言葉をもちろん私は道元の解説書で読んだだけだが、精神の状態というのは悟りでなくてもこのとおりで、一つをクリアしたからそれは一生大丈夫というものでは全然ない。たえずそっちに気持ちを向けて努力していなければ、人はすぐに日常を覆っている思考様式に逆もどりしてしまう。

 芸術の起源は何か? 芸術はいつ、どこではじまったか? ある人たちは宮廷に出入りした画家や音楽家をイメージするかもしれないし、ある人たちはラスコーの壁画や縄文土器を思い浮かべるかもしれないが、私が考えるのは、アメリカ南部の広大な綿花畑でのブルースの発生だ。
 私は長いことブルースというと、綿花畑のきびしく辛い労働を終えた奴隷たちが、夜、粗末な小屋でひっそり身を寄せ合い、その中の一人が手製のギターを奏でながら歌う――という光景をイメージしていたのだが、ちょうど一年前、全然別の光景が私の中に生まれた。
 仲間がみんな綿摘みの労働をしている傍で、ブルースマンは働きもせず、一日じゅうギターを弾いて歌を歌っている。仲間は彼を怠け者よばわりするどころか、
「お前はすごい、お前は歌を歌える! 俺たちは歌を歌えないけど、お前は歌える!」
 と讃える。見回りの白人が来ると、ブルースマンは手製のギターを抱えてすたこら逃げ出し、仲間が代わりに殴ったり蹴ったりされ、白人がいなくなるとブルースマンはまたどこかから現われて歌を歌い、そのうちに綿花畑全体で大合唱がはじまる。
 ま、途中からは付け足しだが、大事なのは綿摘み労働をしているみんなが、歌ばっかり歌っている男を賞賛したりリスペクトしたりしたことだ。ここには「アリとキリギリス」のような世界観はかけらもない。ブルースマンの歌が聞こえたから、みんなも辛い労働にたえることができた――というともっともらしいが、そういうのとも違うんじゃないか。小学校の休み時間に、絵がうまかった子どものまわりにみんなが集まったように、彼らはブルースマンがいることを純粋に喜んだんじゃないか。
 私が忘れないのは、ティピティーナという鎌倉の御成通りにあった飲み屋で、そこはふだんはブルースかソウルかロックがガンガンかかっているのだが土日の夜だけライブがある。狭い店だから客は三十人も入ったらカウンターの中まで立ち見でいっぱいで、ライブを聴くために追加で払うお金は千五百円だったか。私が行った晩は九州から一人のブルースマンが来て演奏し、途中で自分でもブルースハープ(ハーモニカ)と歌をやるマスターのキンタも参加した。
 九州から来たブルースマンは旅費さえ払えばどこにでも行く。あのときは寝るのはキンタの部屋で、そこで当然食事も出る。このブルースマンに比べると私はずいぶん金勘定をしながら小説を書いていると感じ後ろめたい。ティピティーナは店が入っていた建物の家主から「うるさい」というクレームが来て、御成通りに店が移る前から通算すると二十五年くらいやっていたんじゃないかと思うが、昨年の七月に閉店を余儀なくされ、マスターのキンタは、
「夏は海の家で働いて、秋になったらどこかで再開する。」
 と言っていたが、いまだそれは果たされていない。
 九州のブルースマンみたいな生き方は昔はふつうだったんじゃないか。話によると私の母方の曾祖父の久衛文さんは女房子どもを置いて家を出て、泊めてくれた先でお礼に絵を描いて、たまにぷらっと戻ってきたそうだ。そういう話を聞かされた子どもは、みんな「カッコいいなあ。」と思う。だからムーミンのスナフキンのような風来坊のキャラクターが、子どもの話に必ずといっていいほど出てくる。「アリとキリギリス」の話を愛する子どもはいない。
 ブルースマンやスナフキンや逗留先に絵を残してくる絵描きは無為徒食の徒か?
 そんなことをいちいち説明しなければわからない人は、「ふむ、ふむ、わかった。」と言ってもどうせすぐに忘れてアリの側につくんだから説明しても無駄だ。少しでも心惹かれるなら、
「俺にわかるように説明してみろ。」
 と、土建屋のオヤジのようにふんぞり返っているのでなく、自分から近づこうとしなければ何も感じることはできない。答えはスナフキンに魅力を感じたその人の心の中にある。
 大事なことは、無為徒食の徒と見える人たちが共同体に貢献しているとかしていないということでなく、無為徒食の徒に憧れてもなかなかなれないことの方だ。しかしこれが冒頭の生存者の話とどう結びつくのか? 私は生存者が自分自身を責めることで苦しむという話を軽い話にしすぎたと思う。
 これは利己心とか利他心とかそんな軽い意味は小さく、現在と未来が過去からの呪縛の中に置かれるという、私が最近ひとりで戦っているつもりのギリシア悲劇と同じ構造の話でもあるのだろう。
 しかし人の心は死者を含めた他の人たちとつながっているという話でもあるし、人間は日常の思考様式で説明がつくような利己的存在ではないのだから、市場経済どっぷりの社会活動から身を退いて我に返ったとき、自分の利己心にだまされてやってきたことを必ずや後悔し安らかに眠れる夜はない、という話でもある。が、そんな教訓や脅しで落ち着いてしまったら、イソップ童話と同じことになってしまう。
 忘れがたい話は意味など関係なく心に深く刻みつけられる。無為徒食といえば猫もまた(猫こそ)それで、私は一月にジジが天寿を全うして、まだ壮年期の花ちゃんだけになったから日々の猫の世話から解放されたかと言えばそんなことはまったくなく、外の猫たちの世話にけっこう時間がかかり、おちおち外泊もできない。無為徒食の猫の世話をするのもまた無為徒食の一環だが、誰か私に給料を払ってくれないものかと思うほど私はそれを勤勉かつ熱心にやっている。これはもう芸術そのものだ。
『夜の果てヘの旅』や『なしくずしの死』で知られ、猫のベベールと一緒に亡命生活を送り、晩年は家の中に山羊まで飼っていたセリーヌは、『またの日の夢物語』の扉の裏に、
「動物たち
 病人たち
 囚人たち
 に」
 という献辞を書き、遺作となった『リゴドン』の扉の裏には、
「動物たちに」
 と書いた。