◆◇◆日々と拠点、またはコンちゃんの話◆◇◆   
『ことばのポトラック』(大竹昭子編、2012年4月春風社刊)所収 
2012年4月8日渋谷サラヴァ東京で朗読

 ピアニストは毎日ピアノを弾くのはピアノという楽器のためであり音楽のためだ。絵は発表する人に見せるよりも絵のためにこの世界のために絵を描くことが可能だという前提を肯定するところから考えをはじめれば、演奏者もまた聴衆の前で弾く時間は演奏行為の中心でなく、日々している演奏の結び目の一つにすぎなくすることができる。日野皓正は吹奏楽部の中学生に向かって、「何時間練習してる? 三時間? 四時間? 全然ダメ! 一日十二時間以上吹け、起きているあいだずうっと唇を鍛えろ」と言った。コンサートを特別な時間でなくすこと。
 小説家は小説を書く。私は手書きだから書きそこねた原稿用紙が床に散乱する。私は部屋を片づけないから原稿用紙が床に散って床が見えなくなり、不思議なことにいずれ捨てるそれをあんまり踏まないように床を歩くがやっぱり踏んでいるから捨てた原稿用紙は折れたり破れたり汚れたりする。しまいに見るに見かねて自分でゴミ箱に捨てる。パソコンで書いている場合そのようなことは物理的には起こらないだろうが同じようなことが機械かどこかの空間で起こっている。発表される小説はその一部で、演奏者のコンサートからそれを考えると発表された小説だけが特別なのではなく、書きつづけ書きそこねたものの結び目が形となった小説となる。書きそこねは小説の原初的な厚みとなる。形となった小説は書きそこねの試行錯誤を反響させる。小説についてその人が考えた小説には書かれなかった考えも当然反響させる。昔の書を見て「勢いがある」と感じる感受性によって人が書から何かを受け止めるかぎり、書きそこね、試行錯誤は小説の厚みとなる。
 文や言葉はそれが響くようなものでなければならない。朝礼で生徒が整礼するのを生徒の列の前に立って監視したり注意したりするところから学校がはじまるのだから学校は生徒を文章の中でも整列させる。マサイ族だったかどこか忘れたがアフリカのその部族は整列するということができない。六人集まったからといって日本人がすぐに組み体操のピラミッドを作ったりしないと考えればわかりやすいかもしれない。全然そういうことではないかもしれない。アフリカのその部族は外の人たちが来て食べ物とかを配るというときにぞろぞろ集まってきてまわりに輪なるだけで整列しない。列というのがどういうものか彼らは知らない。かと思えばピョンピョン跳ねつづける。
 整列して台の上から誰がどこにいて何人いるかすぐわかる文でなくピョンピョン跳ねつづけるような文。もともと整列が近代の西洋の軍隊から来た。だから幕末に西洋人に接した武士たちも整列を知らなかった。そんなことは恥だった。というような根拠はどうでもいい。根拠に保証を求める考え方もまた整列だ。ただ芸術家は自分が子ども時代整列のなんたるかを知らなかったといえ整列してしまった負債がある。それに目覚めなければならない。しかし私はどうして今ここで負債などと金融の用語を使ったのか。それは負債という比喩によってごまかされなければならないほど大きな出来事だったのではないか。
 あいつらはそういうものしか理解することができない。やっぱり生きるとは、つまり文を書くことや演奏することや絵を描くことは、あいつらと戦うことだった。それはここに来ていよいよはっきりしてきた。理解されるのでなく理解させないこと。私は整列した文が退屈でしょうがない。それは私がストーリーのある小説を書かないのだからもう残るのは文しかないのかもしれないが、まず何よりストーリーが退屈だったのだからしょうがない。ストーリーはストーリーであることだけで退屈になる。ストーリーは何も不意を突かない。書くときに書く文は人に理解されるためでなくまずはじめに自分の中にある何かを像化するために書かれる。像化とは何ものかに形や輪郭を与えることだ。しかし文が文であるように書くことによって何ものかは違うものとして像化される。その違うものだけを人は文と思っている。
 何ものかはもともとなかったというのは本当かもしれないがまったくなかったわけでなく、もともとなかったという考えは違うものとしての像化に力を貸すだけだ。そうでなく文によって文を書きながらすでに本人が書きながら忘れてしまった何ものかを文によって呼び寄せる。いま文で起こっていることを現実とする。どういうことかと言うと、冬の場面を書いたらまず読者が寒さを思い出すのでなく寒くなってもう一枚着る。五十人の人がいたらそれが子どもたちがごちゃごちゃいて騒いでいる教室のように五十人存在しはじめること。統治されざる内面、あいつらが利用できない内面を作ることが芸術の使命であり、それはここからはじまる。
 私は外にいる猫のコンちゃんのことを書きたい。こうう文章はここに至る試行錯誤の厚みがないから私はその厚みを現実のコンちゃんを見ている時間から借りるしかない。しかし去年の六月十一日にはじまったコンちゃんとのつき合いはやはりここに長くには与えられたスペースが少なすぎるし、何よりあと二日に迫った締切りの中でそれを二日に見合った分量に考えるのが面倒くさい。コンちゃんは六月十一日にボロボロの姿で私の前にあらわれた。目もうつろで死ぬ寸前だと思ったがキャットフードを出すと食べた。食べ方はすごく下手だった。歩くとき一歩目にびっこを引いた。しかし二歩目からわりとふつうに歩くので骨折ではないようだった。もともといた外猫たちは最初逃げたが一、二週間でコンちゃんを受け入れた。ボロボロでドブの臭いがしたから何日もドブのようなところにはまって出てこられなくなったんだと思う。
 それを猫保護のネットワークの田矢さんから捕獲器を借りてつかまえると一度目は状態が悪すぎるからしばらく抗生物質とステロイドを与えてもう少しよくなってからでないと手が打てないと言って戻されるともともとそばに寄らなかったコンちゃんはいっそう私に近づかなくなったが、七月八日にもう一度つかまえると今度は一週間以上入院した。私はコンちゃんとのつき合いが短く希薄だから気が楽だ。一年前、外のマーちゃんを二泊入院させたときは心配で心配でしょうがなかった。大好きなホタテを持っていってあげたがマーちゃんはケージの奥でちぢこまって何も食べない。マーちゃんは私にさわられるのがもともとうれしくない。そういう風に親に育てられた。私は入院しているマーちゃんの心をほぐしてやりようがない。
 それと比べてコンちゃんは何と楽だったことか。コンちゃんは入院中もよく食べる。まだ他の猫たちと体をすり合わせたりなめ合ったりする交流もない。かわいそうな子だが入院はかわいそうというわけではない。コンちゃんは心臓の血流が悪く、腎臓がひとつつぶれて膿がたまっている。去勢手術するにも全身麻酔に耐えられないだろうし、去勢しなくてもきっとこの子は発情しないと医者は言う。私は「この小ささはまだ生後半年とかぐらいじゃないんですか」と言うと医者は「うーん、わからない」と言う。帰って猫保護の田矢さんに報告すると「じゃあ冬は越せないわね」という。しかし私はそう聞いて動揺するほどコンちゃんとまだ関係が深くない。しかしマーちゃんのこともあり、今年の冬は暖かい寝ぐらを作ってやらなければならない。
 また二週間分抗生物質とステロイドをもらい餌にまぜる。薬が終わると食欲が落ちた。食べ方が下手なのはきっと口内炎でちゃんと?めない。食べ方はいっこうによくならない。子猫ではないにしても若いはずなのにあまり活発じゃない。雷雨のときは雨が上がってもしばらく出てこられなかった。ようやく隣りとの境いの生い茂った雑草の中から大儀そうに出てきた。私は医者を代えた。このあいだのところは遠くて治療費が高く見立てが間違うことがあると田矢さんから言われた。コンちゃんはあれからだいぶ油断して私の足元までくるようになっていた。八月三十日の朝田矢さんが作った特製の袋をかぶせてつかまえ、もう一度入院した。コンちゃんはそこでも入院中よく食べる。心配ない。九月二日の朝引き取りに行った。結局そのときは何もしなかったが先生は「うーん、そうかなあ、手術もできるんじゃないかなあ」と言った。私はマーちゃんの状態がよくないのでそっちばっかり心配だった。ついに十月十四日の明け方マーちゃんが息をひきとるとき、おばあちゃんのマミーはそばに寄り添い、コンちゃんはうちの敷地の外の道のところからずっと見ていた。コンちゃんはもうすでにみんなに受け入れられていた。ひっぱたかれても反撃しない。明るくぽんぽん駆け回る。
 しかしまたコンちゃんは食欲が落ちてきた。口内炎は抜歯でだいぶよくなる。去勢も一緒にやろう。もし全身麻酔に耐えられなくても私はまだ悲しくない。しなければコンちゃんはこのままどんどん食欲が落ちる。コンちゃんでなくても手術は選んだ。十一月十五日またつかまえた。一日餌を抜くとコンちゃんは食欲に負けて私のそばに来てしまってつかまる。入院中もふつうに食べた。私はまったく心配にならない。私はコンちゃんに情が移ってない。コンちゃんは手術も無事成功し十一月二十七日に退院してもどってきた。ケージから出すと大あわてでどこかに逃げた。しかし三時間後の餌のときにはあらわれた。いっそう近寄らなくなったがコンちゃんはどこにも行かずご飯には必ずくる。
 ここが、こんなところでもコンちゃんのスイートホームなんだと入院させた何日目かに私は突然知った。血縁は一人もいないが受け入れてくれる仲間がいる。並んで日なたぼっこして、寒いとくっつく。コンちゃんはあれから三ヵ月経つのに私のそばに寄らないということは、入院中マーちゃんと違ってふつうにご飯を食べるといっても、つかまえられて入院させられるのはやっぱりコンちゃんには絶対嫌なことだと、コンちゃんのその距離が語っている。近寄らないのは私は助かる。いつか来る、コンちゃんにはそう遠くない別れのときに気が楽だ。ここが、この路上と玄関前の車のない車寄せがコンちゃんのスイートホームだ。
 こんなはしょった話では読んだ人の心にコンちゃんが住むことはないが、ここでさえもスイートホームであることに気がついたということはコンちゃんの内面のごく一部が私と共振したことに、私は胸が熱くなる。私はいままで少しでも注意して見てきた路上にいた猫たちのそこがスイートホームだとは考えなかったその猫たちを思い出す。これがあいつらと戦う拠点の一つになった。