◆◇◆遠い触覚  第十五回 『作品全体の中に位置づけられる不快』後半 ◆◇◆ 
「真夜中」 No.15 2011 Early Winter

 私は本当に小林秀雄(小林秀雄的文学観)と合わないんだなと思う。鈴村和成が未来社のPR誌『未来』に今年の六月号から連絡をはじめた『書簡で読むアフリカのランボー』という連載があり、それは詩をやめたアルチュール・ランボーがいわゆる「砂漠の行商人」となって活動しているあいだに、おもに自国の母親に宛てた手紙のおもしろさについて書かれている。私はその連載をこのあいだ八月に四回目の九月号を偶然読み、これがおもしろくて一回目からさかのぼって読んで、ランボーのアフリカ書簡を読みたくてしょうがなくなって、ジャン=リュック・ステンメッツ『アルチュール・ランボー伝』(水声社)の後半の、詩をやめてからオランダの兵隊となってジャワ島に行ってそこですぐに脱走してからあとのところを読み、鈴村和成の『ランボー、砂漠を行く』(岩波書店)を読んだりしても、手紙は全文載っていない。
 そしたら九月にみずず書房からその鈴村和成の個人全訳による『ランボー全集』が出た。六三〇〇円だ。高い。高いとか言いながら古本屋に入るたびに読みもしないだろう本をいっぱい買ってるくせに、高くて、一度本屋であまり時間がないときにその『ランボー全集』の書簡のページをぱらぱらめくってみたら、あんまり収録されているように見えない。それでまた、『アルチュール・ランボー伝』と『ランボー、砂漠を行く』の書簡部分を読んだり、もともと持っていた青土社の『ランボー全集』と角川文庫の『ランボオの手紙』に、アフリカの書簡が少しはあるかと思ってみると、これがまったく収録されていない。角川文庫の訳者は解説で、
「しかし、これらの手紙や紀行文は、多くこれまでの文学的手紙、「言葉の錬金術」の作者の作品(もの)とは凡そほど遠い内容のものばかりで、その文体は張りもなく、味もなく、実に平板で、もちろん文学的価値とか色調とかいうものはてんで感じられない。」
 と書いているがこの人が「この邦訳にとりかかった当時、わたしは事業の失敗やら女のことで、いっそ死んでしまい度いほどのつらい思いをさせられていた最中だったが、……」と書くような、典型的な無頼派気取りのくさぁい文学男で、こういうやつは小林秀雄で文学に入ったに違いないと思っていたら、別の方向から小林秀雄がアフリカ書簡を価値ナシとしていたという話を聞いた。
 で、結局しょうがないからみすずの『ランボー全集』を買うことになるのだが、なんということ! ランボーが書いた手紙はほとんど収録されていたではないか! 私はあのとき本屋で何を見たというのか。だいたいその本屋とはどこなのか。よくわからない。
 アフリカ書簡とは言っても、ランボーがまず行き、おもな拠点となったのはアラビア半島のずうっと先端に行った外れ、スエズ運河から一番遠い、紅海の出口に近いあたりのアデンというところで、ここはもう完全な砂漠で猛暑もひどい。もう一つの拠点がエチオピアのだいぶソマリア寄りのハラルというところでこっちは高原で過ごしやすく、ランボーはそこをとても気に入った。
 手紙の内容は、どこからどこへの行程がラクダを使って何日かかるということと、その土地の気候。フランスで買って送ってほしい本のリストと自分が今何を売り買いしているか(コーヒー、象牙、金、香水、武器)ということ。だいたいそれに尽きる。文学者の手紙とはとても思えない内容だが、そこを鈴村和成は素晴しいと言う。私もそう思う。感想もないわけではないが事実の記述がほとんどだ。一八八〇年から九〇年が中心だが、十九世紀のそんな時代に、

ソマリ砂漠を二十日間馬に乗りつづけて横断したのち、この土地に着きました。ハラルはエジプト人が入植した街で、彼らの統治に服しています。駐屯地は数千人の兵士がつめています。ここに商会の支店と店舗があります。土地の産物はコーヒー、皮革、象牙などです。高地ですが、作物がないわけではありません。気候は涼しく、体に悪くはありません。(ハラル発、一八八〇年十二月十三日の一部)

そちらは夏ですね。こちらは冬です。ということは、かなり暑いということです。しかし雨がよく降ります。数か月、こんな調子でつづくでしょう。コーヒーの収穫が六か月したらはじまります。(ハラル発、一八八一年五月四日の一部)

 こんな素っ気ない記述で、フランスに住む母親に現地のことがどれだけ想像できただろうか? 
 が、しかし。道の石を拾って理想宮を造った、郵便配達のシュバル。シュバルがそれをしたのは一八七九年から一九一二年までとされている。その頃ヨーロッパでは世界各地の風景・気候を紹介するイラスト豊富な雑誌がたくさん出版されていて、シュバルはそこからインスピレーションを得たと言われているから、ランボーの母親もそういう雑誌を集めればあるイメージは得られたかもしれない。
 が、一方、ランボーはフランスの地理学協会に自分が赴く土地の報告を出すことを画策し、ランボーがあまりに高い報酬を要求したからそれが受け入れられなかったというくらいで、そこはやはり未知の土地と言っていい。ランボーはイタリア人探検家と途中で知り合ったりもする。探検家が行くような土地だ。母親はイメージを自分なりに持ったとしても、それはかなり現実とかけ離れたものだ。それがイメージであるかぎり母親は現実とかけ離れたものでも現実と近いと思い込むことは可能だが、ランボーの文面は現地を知らない人が抱く想像を砕くようになっている(と、私は思う)。
 それにしても感情を混じえず客観的というより無味乾燥の記述ばかりの手紙やメールというのを私はもらった記憶がない。手紙とは一対一ゆえの親密な感情の発露の場であり、小林秀雄とまでとは行かなくてもやっぱり文学的なのだから、ランボーは違うことをやった。
 作者たる者、作品を無から生み出す、とかたく思い込んでいる人がいるが、作者が作品として表わせた(顕わせた)ものは、作者が受け取ったものの一部なのだと考えてみると、どうか。
「どうか。」というのは、私もそこのところが今はまだイメージを把めていないから、一番いい加減な「どうか。」という言葉しか書けない。
 このあいだある指揮者がテレビで、ベートーベンの交響曲の楽譜と演奏について、
「私たちはベートーベンの大きな宇宙の一部を楽譜で垣間見ているだけなんじゃないか。」
 と、たしかこういうことを言ったが、ベートーベン自身も同じことを感じていたのだとしたら、どうか。
 宇宙の中で壮大な音が奏でられている。その音の一角を聴き取れたと感じたときにベートーベンの中で一つ、交響曲が生まれた。
 ベートーベンが無から交響曲を生み出したと考えるよりも、宇宙で奏でられている音を聴き取ったと考える方が、ベートーベンがずっと大きなものに奉仕していたと私は感じる。ジミヘンは宇宙のイメージが大好きだったが、ジミヘンは少なくともそう感じていたんじゃないか。
 境地という言い方は、何かを極めたような響きがあるから、心の構え≠ョらいにしておく方がいいが、心の構えとして自分が何を今したいのかを自分の内面にぐっと掘って下っていくような構えでなく、外に向かって開く。自分をかなり無防備な状態にして、外に対して敏感であろうとすること。そこに訪れる音や言葉を風景のように素早く手短かに書きつけておくこと。ランボーはアデンとハラルでは本人の自覚では金儲けをつねにたくらんでいる山師というのが本当のところではないかと思うが、そのとき「自覚」は何ほどのものでもない。
 彼がせっかちで長期にわたるプロジェクトを練って金儲けを成功させる道を選ばなかったこととか、イギリスとフランスの力関係に振り回される土地だったためにもし彼が長期プロジェクトを練るほどの根気の持ち主だったとしてもそれはきっと成功しなかっただろうそのこともしかしやっぱりランボー自身、自覚せずとも彼の人生はそれをわかっていただろう。あれこれ画策するがどれもうまくいかない人は、画策それ自体がもともとうまくいかない類のものだったり、うまくいかないやり方を選択していたりするもので、とにかくその人はうまくいかない方に、ここで「主体」という言葉を使えるなら、主体的に関わっている。この主体は最も自覚から遠いところにあるように思えるが、自分の人生を少し冷静に振り返れば、うまくいかないことこそが自分の願望だったことがわりと簡単にわかるだろう。
 ランボーはそのように外的条件に振り回される人生を送る最中に訪れた音や言葉を素早く書きとめた。というのはランボーのことをほとんど知らずにこれまで来た私が、周辺の本を二冊ばかり拾い読みしたかぎりでのテキトーな想像だが、それをリンチに置き換えてみる。
『マルホランド・ドライブ』を作ったあと、作品としての結構をしっかり持った映画を作りたくないと考えるようになった。そこでどんなものになるかは考えないように努めて、まず身近なところでローラ・ダーンが出てくる映画(前・映画)を撮った。次に、ピーター・J・ルーカスの出身地のポーランドに行って映画(前・映画)を撮った。とにかくそういうことなんじゃないか。
 こういう風に書いていてもやはり、作品を作者が作り、作者は意図を持ってるようにしか聞こえないが、ここでの作者≠ニはもうふつうの意味での作者ではまったくない。
 ただ、リンチが撮るものには見ていて胸が苦しくなるような緊迫感というか、見ている私を「この人、これからどうなっちゃうんだ」という気が気でない気持ちにさせるものがある。『ワイルド・アット・ハート』で、ニコラス・ケイジとローラ・ダーンがどこか知らない土地に行って、そこにたむろしている男たちにじろじろ見られるシーン、もしそんなシーンがなかったとしたらそれに類するシーンを見ていて、私はこの二人が心配でたまらなくなった。それはしかしけっこうたわいのないシーンなのだが、私は心配でどうしようもなく、こんな気持ちのままずうっと観ていたら心臓がどうかなるかもしれないと思ったほどだった。だから『マルホランド』で、ナオミ・ワッツが記憶喪失のローラ・ハリングを引っぱって貸家みたいなところに大胆にも侵入していくところでも、ものすごくハラハラした。
 そのような緊迫感は二度目からは味わわなくなるから、すでに何度もリンチの作品を観た私はその緊迫感について書くのを忘れていたことを危惧するが、書いた気もする。たしか書いたはずだ。リンチの映画を一回目に観るときはまずこの緊迫感に引きずられるわけで、作り手のリンチとしては、この緊迫感さえあればストーリーやエピソードの整合性に関わりなく、映画として成立しうるという自覚はあるのではないか。
 映画や小説のことをわかっていない人は、ストーリーやプロットなど客観的に記述可能なところを取り出して映画や小説を説明し、ストーリーやプロットをきちんと作れれば映画や小説を作れると思っている。しかし映画を映画たらしめるもの、小説を小説たらしめるものは、そこにはない。
 前回私は、「すべての判断は感情の説明のようなものでしかない」と書いた。映画を映画たらしめるもの、小説を小説たらしめるもの、その一つが受け手をある感情の状態にさせることだ。観る側は映画の中にいる当事者自身かその人を思う人の気持ちから離れられない。ということはそこで起きてる観ている私の判断なり感情なりは、感情の説明でしかない。人が映画と呼ぶかどうか、ということは観た人たちの共通了解を取りつけられるかどうかが、リンチにとってこの緊迫感だけだとすれば、あとはもう退屈な(不快な)意味など捨てて、ストーリーの要素をどんどん解体することができる。その方が外からの要請に対して心の構えを開いていられる。
 私は二〇〇三年から世話をしている外猫のうちの一匹、私がとりわけ可愛くて可愛くてしょうがないその猫がいよいよ具合が悪くて、家の前にいるはずの時間にいないと心配で、三十分と机に向かっていられず外に見に行く。私は元気に遊び回っていたそのマーちゃんがもう一度、あの元気を取り戻せるように去年の夏からいろいろしたがすべて効果がない。私はいよいよ別れの覚悟を決めなければいけないと思うと、もうこの世界に楽しいことなど一つもないような気持ちにさえなる。死んだらどうするか? 区役所に連絡して引き取ってもらうか? 隣りの空き地に埋めてやるか? ペチャたちと一緒の霊園に葬るか? 
 区役所に火葬を頼むと、いろいろ言うが結局は他のゴミと一緒に処分されるという話だ。マーちゃんのお母さんといとこにあたる猫はこうしたが、いまはその頃よりずっと気持ちが移っている。隣りの空き地にもいとこが一匹埋めてある。私はこれが一番マーちゃんも望む場所だと思うが、隣りの空き地は埋葬した翌日にマンション建設の工事がはじまって、土が掘り返される可能性がある。妻は霊園に葬ってあげようと言うが、霊園にはマーちゃんの知り合いは一匹もいない。こんなことを私は最近毎日深刻に考えている。「死体は死体じゃないか。」と私には考えることができない。マーちゃんに関して私の判断は完全に感情だけによっている。