◆◇◆試行錯誤に漂う 2◆◇◆   
「みすず」2012年5月号
方向がない状態

網目状の運動かエネルギーがあり、それがある触媒や刺激によってしばらくのあいだ形らしきものになる。私にとって作品はだんだんそういうイメージになってきている。
 あるいは、作品になる前の広がりがあることを予感させる作品。それはたぶん試行錯誤の言い換えというか別の姿をとったイメージなのだろうが、別の姿をとったということは試行錯誤と完全には同じではないということになるのではないか。
 小島信夫の小説、おもに長篇小説は、私の気持ちを沸き立たせる。私は読みつつ小説に煽られているように次々といろいろなことを考え出している。カフカもそうだ。音楽に、聴く側をじっと黙らせてひたすら受け身の位置に置かせつづける音楽と、立ち上がっていっしょに踊ったり、思わずメロディをいっしょに口ずさんでしまったりする音楽があるように、すべての芸術には、観る者・聴く者・読む者をじっとおとなしくさせておかないものがあるのではないか。
 カフカの断片のおもしろさに気づいたとき、自分もこのように断片を書きたくてしょうがなくなった。カフカの断片には、どこまでという仕上がりの形を決めず、最初の一行目からただ前へ前へと書き進めた呼吸、あるいは運動がはっきりとあり、その開いた感じ(「息苦しい」という言葉の反対語がいま私は思いつかない、その「息苦しい」の反対)が、読んでいる私の胸をコツコツ叩く。
 音楽の聴き手を能動・受動にさせる違いは、ロックのコンサートで客席のみんなが立ち上がって手拍子をとったり体を弾ませたりするのが能動だという、そういう話ではない。ロックのコンサートにおける手拍子や総立ちは強制のようなもので整列と同じで、あれを能動だとは思わない。立っている姿や手拍子の叩き方は、お行儀がいいとさえ言える。といって私はクラシック音楽のcompositionであるところの作曲・構成はホントに全然わからない。――そういえば、モンドリアンのあの画面分割は「コンポジション」といったそのコンポジションには「作曲」の意味が含まれていたのだろうか。
 モンドリアンが多少とも、共感覚者で色を見て音が聞こえていたのだとすると、いよいよコンポジションに「作曲」の意味が強くなるが、作り手に聞こえていた音が観る側に共有されていなければしょうがない。が、観る側にかすかに残っている乳幼児期の共感覚の残滓に訴えかけることで、抽象であるモンドリアンの絵が体に訴えるということはじゅうぶんに考えられる。だいたいにおいて、抽象画というのは私には具象画よりずっと、視覚にかぎらず体に訴えかける。具象画は記憶や知識に訴えるところが大きいのだから、具象画の画面から発散されるそれはあまり具体的でなく抽象的だ。
 文章でいえば、私は、前段落で、
「抽象であるモンドリアンの絵が体に訴えるということは考えられる」
 と書いたのだが、これはリズム的に何かもの足りず、そのため伝わりにくいと感じたので「じゅうぶんに」を書き加えた。この「じゅうぶんに」は意味としては不要なのだが、これがある方がリズム的に伝わりやすい。「考えられる」を強調するという機能はあるようでない。
 こういう感覚はとても話し言葉的で、話し言葉に不要な「なんだか」とか「やっぱり」とか「ちょっと」とか、最近では「正直」などがしょっちゅう入る。
伯父が危篤のとき、病室に医者が入ってきて、
「うーん、ちょっと危ないなあ、……」
 と私たちに言ったとき、私が「『ちょっと』なんですか?」と医者に訊き質したのは、私も「ちょっと」でないことはじゅうぶんに承知していたが、もう少し気がきいた表現が使えないのか! という医者に対する腹立ちと、もう長いことがないこの状況に対する腹立ちと、しかしやっぱり本当に「ちょっと」なのかもしれない、というかすかな期待だった。もっともこの場面で医者が口にした「ちょっと」はリズムというより「危ない」の意味の緩和ということなのだろうが、“意味の緩和”もまたリズムの一部かもしれない。
 最近書かれる文章では、「なんとなく」とか「なぜか」という不要な語が使われると、文章は情緒の方に傾く(「秋になるとなぜか京都を思い出す」と「秋になると京都を思い出す」など)。ということは、そこで使われる語は不要どころでなく、立派に機能を果たしている。が、私はもともと“リズム”というのを「意味がない」という意味で使っていない。しかしいま、こういう風に書いても文脈の乱れとしか取られないだろうし、実際私は文脈が乱れたかもしれない。文脈は乱れず一貫させるためにあるのでなく、乱れようがどうしようが考えを前へ進ませるためにある。
 ここでもしモンドリアンの画面分割が共感覚の残滓に訴えかけているのだとしたら、前回書いた絵筆で何度も塗り重ねた話は、どうでもいいことになるだろうか。それはなるともならないとも言えない。だいいちに作り手のモンドリアン自身にとって、画面分割といういわゆる抽象を自分の体と結びつけるためには絵筆を無機的に使うだけではそれが生まれなかった、ということは考えられる。私のように手書きで文章を書く人間が、訂正箇所・削除箇所をただ棒線一本で記号的に消すのでなく、ごちゃごちゃと黒く塗りつぶすのと似ている、というか同じ体とのつながり方なのかもしれない。文章の場合には印刷されて活字になれば、黒く塗りつぶした形跡などまったくわからないが、しかしまったくではなく、印刷された文章には黒く塗りつぶした原稿用紙の響きがないと言いきる根拠がない。
 カフカに戻ると、断片でなくこれは長篇『アメリカ(失踪者)』の第一章「火夫」の終わりだが、
 「水夫のあとについて、二人は事務室を出て、小さな通路へと曲ると、二、三歩で小さなドアのところへ出た。そこから短いタラップが二人のために用意されたボートへとおろされていた。ボートの中の水夫たちは自分たちのキャップがすぐ一飛びでボートに飛び乗ると、立上って、敬礼をした。」(千野栄一訳)
 と、たちまち情景描写がはじまる。カフカの情景描写はクロード・シモンのようなしつこい描写と違って、狭く切り取られた空間を次々に書いてゆく。これは従来『田舎の婚礼準備』と呼ばれていた未完の断片(といっても長い)だが、
 「エドゥアルト・ラバーンは、廊下を抜けて、正面の入口をくぐって外に出たとき、雨が降っていることに気がついた。せいぜい小降りだった。
 すぐ前の歩道には、さまざまな歩調で往来している多くの人々がいた。そのなかからときおりだれかが歩みでて、車道をわたっていた。ひとりの小さな女の子が、前方に突き出した両手に、疲れた様子の子犬をかかえていた。二人の男性がたがいに情報交換していたが、その一人は両手の手のひらを上にむけて、まるで荷物を空中にささえているかのように、釣り合いをとりながら動かしていた。」(平野嘉彦訳)
 この、次々に焦点が移っていく軽快さがすごい。写真でも見て書き写しているように書いている、というと書き手の異能を矮小化しかねないが、文章を書く生理としてクロード・シモン的しつこさはある集中とか訓練によってできないわけではないような気がするが、カフカのような小刻みな焦点移動は集中や訓練と別なものが必要な気がする。
 こういう文章を読んでいると自分も書きたくなる。こういう文章を書きたくなるのではなく、全然こういう文章ではなくてかまわないのだが、読んでいると自分の中の書きたい気持ちが動きはじめている。小説家は、書く前に何を書くかが決まっているわけでなく、とにかく何かを書きたいと思っている。気持ちがノッたときに鼻歌が出るように、カフカの文章を読んでいると私は書きたい気持ちとともに鼻歌的に情景やセンテンスの断片が浮かんでくる。
 文章というのはよく訊かれるが、内容(話題や情景や人物)が先にあるのか、文(語り口)が先にあるのかといえば、どっちが先かはともかくとして語り口を得て始動する。毎週の連載など二回しかやったことがないが、そのエッセイを連載していた期間、私は折りにふれては書き出しのセンテンスを考えていた。何かを目にしたり、ある考えが頭をよぎったりすると、すぐにそこで書き出しのセンテンスを考えている。連載の最初の頃は服の袖の通し方がわからないみたいな窮屈な感じだが、四、五回も書くと要領がわかり、さらに「この話は長すぎる(短かすぎる)」という判断をしたりする。今日、朝日新聞の天声人語をちらっと読んでいたら、このことを思い出した。天声人語の担当者は、毎日毎日ネタ集めして、書き出しを考え、次に話の流れを頭の中でシミュレーションしているのだ。そのプレッシャーたるや体に悪い。体に悪いがやることは日々同じ長さの、同じ想定読者の範囲であり、一カ月もつづけるときっと得るものは苦労に比してあまりない。カフカの場合いいのは、頭をよぎる文章や情景は長さの限定がない。他でも書いたが、正岡子規は「日本」という新聞に死の直前まで毎日文章を書いたが、これには長さの決まりがまったくない。たった二、三行のこともあれば三千字に及ぶこともある。ということは、子規はその文章を書くにあたって書き出しのセンテンスにも制約や事前のフォームみたいなものがなく自由に書き出した。天声人語は何を書こうが、じつは、紙面のスペースの制約を逸脱しない、という規律正しさがある。それゆえ全体として天声人語は決して反社会のメッセージにはならない。あたり前だ、私は新聞に何を要求しているのか。
 しかし文章こそは反社会の砦だ。社会にとっても文章は砦だ。社会にとっても砦である文章と、小説の文章はクリティカルに対立する。いや、大げさな話は空疎なスローガンみたいになってしまうのでやめる。これはだいたい、直観的にわかるかわからないかの問題で、「同じ文章でも社会の側の文章はどうでこうで……」と説明しなければわからない人に説明するような話ではない。それにだいたい文章はそんなところで丁寧な説明を重ねてみても伝わらないものは伝わらない。
 誤読されるものは誤読される。意味じゃないところで激しい共振を起こさなければ文章なんて伝わらない。それを受け止める読者は少数だ。正しく書かれた文章はクリアで意味が間違われずに誰にでも伝わるというのは、社会の側が作り出した思い込みであり、誰にでも伝わる文章は誰の心も揺り動かさない。ところで役所の手続きの文章はどれも決まって面倒くさくて途中で読む気がしなくなるのは、誰にでも伝わるように意を尽くすとそうなるのか、その面倒くささでみんなが文章に対する不信感を持つようにさせたいのか、そういうことでなく、もっと全然つまらない理由ともいえないずぶずぶの理由によるものか。
 このあいだ中学高校の友達が集まった。二月十七日の朝、心臓マヒで急死した彼は愛すべき性格で同級生がたくさん集まり、お別れの会の後はただの飲み会になるわけだが、その騒がしさの中で、中学高校の頃のあの、教室の後ろの方ですぐにプロレスごっこがはじまるようなガシャガシャしたものの中にその後の人生がある、と思った。『ヨブ記』の、ヨブをめちゃめちゃな目に遭わせる神とは、善に目覚める前の、善を知らないリビドーのようなものであり、ヨブとの経験を経て、神ははじめて善になる、というような解釈をユングはしていると、誰かの本で読んだ記憶があるし、シェリングも『人間的自由の本質』の中でそのようなことを書いていなかったか。しかし、シェリングとユングが同じことを言うということがいったいありうるのか、その真偽はともかく、中学高校のあの状態というのは善にも何にも方向づけられていないエネルギー状態そのもので、そこにしかるべき刺激・触媒が投入されれば、小説や音楽や絵や何でも生成する。急死した友達はイラストレーターだった。
 これは一般化できることでなく私だけにかぎったことなのかもしれないが、こうして書くキャリアが長くなるにつれて、私は自分の十代に、なんと言えばいいか、応答を求めるとか、自分の十代に刺激を送ってそれが返ってくるとか、そのようなことをしているような気分が強い。
 そんなことを書いたちょうど翌日、近所でランチを食べているととても元気なよくしゃべる高校生くらいの女の子がお母さんと来ていて、私と妻は隣りにいるその子を見るのが楽しくて見ていた。その子は本当に元気だから私がセーターを着ているのにぺらぺらのTシャツ一枚だ。靴をぬいで上がる店で、その子は食事を終わって立つと足まで温かくなったのか、ソックスも脱いで裸足にスニーカーをはいた。いなくなると妻は、
「高校生は一日一日だから。」
 と言った。私は途中でその子のことを「発達障害なんじゃないか?」と思うほどその子はこだわりがなかった。しかしその子は発達障害と無縁にこだわりがなかった。「一日一日だから。」というのはそのとおりだと思った。一年後の自分がどうしているか、どうなっているかなど、考えることがあったとしても全然リアルじゃない。死ぬということもよくわかってなかったから怖いとも思わなかった。
 急死したその友達とは中三の二学期から高校を卒業するまで、私はほとんど毎朝、鎌倉駅のホームで待ち合わせて横須賀線に乗った。「死んだ」と言われても、あの情景には何か絶対的なものがある。鎌倉駅のホームは鉄道用語でいう島式という、上り下りの線路にはさまれて一本ホームがあるただそれだけのホームで、四十年経った今でも変わっていない。後ろの方に行くとホームがそこで終わって逗子との境いの低い山がすぐそこに見える。風景はビルに遮ぎられたりしないでじつにシンプルだから記憶に刻み込まれやすい。
 彼の死の知らせを受けて以来、一日に何度も鎌倉のホームの逗子寄りのはずれとその向こうの風景を思い返していたら、直線がずうっと伸びるという「無限」の否定でもない全然別のものとして、立ってその先を見るというイメージが出てきた。これにしたってイメージであり映像ではあるが、図ではないし俯瞰の産物でもない。
 ホームのはずれとその向こうが見える風景は自分の将来の比喩ではない。線路がずうっと向こうに伸びて風景もそこそこ広がっている、というのはいかにも将来の比喩みたいだが、私が毎朝見ていた風景は進行方向とは逆だ。
 中井久夫が『世に棲む患者』の中で、統合失調症で本当に苦しいのは幻聴以前の雑音が頭の中で鳴りつづけている段階で、幻聴・幻覚という形をはっきり取るようになると患者はむしろ安心すると、繰り返し書いている。中学高校の頃の方向づけられていない騒音状態とか試行錯誤の中に作品が漂うというのは似ているような似ていないような考えだが、何かを何かが似ていると思うとそこに真理があるように感じる心性、あるいは物理法則や宇宙の法則がシンプルな数式で表わしうると期待する信念、私もまたそれについ寄りかかりそうになるが、小説を書くこと、何かを作ることは、むしろそういう統一をほどいていくことなのではないか。問題は強い共鳴でなく、ごく弱い遠い響き合いだ。