◆◇◆試行錯誤に漂う20◆◇◆
「みすず」2014年6月号
『朝露通信』通信

私はいま連載中の『朝露通信』をほとんど先を考えずに書いている、これはいつものことだがいつもよりずっと先を考えていない、それどころか前に何を書いたかもあまり考えていない、だからいわゆる“流れ”はそれを見つけようとするとない、ないが現にひとりの人間が書きつづけているものだからないはずはない、流れは見つけられないこととないことは同じではない、現に書きつづけているものはもし仮りに流れはないとしても繋がっているかつづいている、前回書いたように木に竹を継ぐようなやり方をしたところはあるがそれもまた木に竹を継いだように繋がっている。
 私はいままでいろいろな文章を書いてわりとそのつど文章の繋げ方をいろいろ試してみたが、
「保坂さん、この文章つながってません。」と言われたことはない。私がいままで出会った繋がっていないと感じた文章は二つで、二つとも朝日新聞の夕刊、作家が近況を思いのまま書き綴っていいと依頼されて書いたに違いない文章で長さとしては新聞の一枚の面の三分の一くらい、だからたぶん四百字五枚前後の文章で一回は藤沢周平、もう一回は小島信夫だった。
 藤沢周平は近況を依頼されたが本当に今は書くことがないんだというのが見え見えで、三つの話題をぼこん、ぼこん、と書いていた、私はそのとき藤沢周平の境地の自由さに感心した。小島信夫の方はもうすでに小島さんとつき合いはあった、小島さんの文章はいっぱい読んでいたがそっちは小島信夫としてもひどいものだった、話題はやっぱり三つぐらいだったと思うが一つ一つについて考えがまとまってなかった、というかろくにそれについて考えてない感じだった。
 私が出会った繋がってない文章はその二つだけだ、文章はどう書いても繋がる、書く本人はあまり繋がっていないと思っていても読む側はもっと好意的に繋がりを見つけて読んでくれる、まさか繋がりのないものが印刷されて人の目にふれることはあるまいという思い込みもあるだろう。
『朝露通信』は子ども時代の回想という前提なので中学入学以降のことは基本的に書かない、それだけで枠はじゅうぶんにある。新聞の一回は約九百字なので私は「とりあえず一日の終わりまで」と思って書く、私は『朝露通信』は一回分ずつ切って書いている、たいていの新聞連載はトイレットペーパーのように切れ目のない原稿を渡して、新聞社の担当者が一回分ずつチョキチョキ切っていく、私はそれをすると一つの段落が長い、場合によっては一つのセンテンスが長いから切りたいところで切れない、それで一回分ずつ書くことにした。
それともう一つは、その一回の中で極力、右端と左端で別の話題になってることにする、コマの話でその回がはじまって、終わりは木登りになっているという感じ、そのために考えはなるべく深めない、一つのことを持続的に考えない、考えようとしても九百字なのですぐに一回分の終わりがくるから考えられないわけだが、そんなことを何十回か繰り返しているうちに持続的な考えはほぼ持たなくなった。
毎度毎度それができてるわけではないが私は書いているその情景、季節、空間、光、風を心に浮かべる、それを書くために浮かべるわけだが書いた量より多く心に浮かべている、いちいち季節、空間、光、風etc.を思い浮かべるのはわりと大変だ、そっちに気を取られるというか気持ちの中のその部分が大きくなるとその情景に至る話の筋はどうでもよくなる、気持ちがいかなくなってそのうちに忘れる、情景だけが気持ちの中にある、すると情景つながりで別の記憶が出てくる、時には記憶を装った創作も出てくる。
とにかく私は情景の数をいっぱい書くことにしている、はじめからそのつもりだったかどうかはもうあまり憶えてないが、たぶん最初は書こうと思っていた子ども時代の記憶はあまり多くなかった、その記憶を膨らませたりその記憶を核にしてまわりに小さい記憶を置くようなつもりだったと思う。しかし、書き進めるうちに記憶はどれも小さいまま大きくならず、小さい記憶を書き並べるようになった。
たんに私が未熟なのかもしれないが自分の小説を書くときそのときに読んでいる本に影響されるのとは違い、そのとき読んでる本を読めたり読めなかったり、頭にうまく入ったり入らなかったり、自分がそのときに読みたいと思っている言葉や文章のペース、速度感、息つぎの感じetc.がうまく合うものと合わないものがあり、読みながら、今書いている小説に使う部分の頭が活気づくと感じたり蓋をされると感じたり、がある。一番直接的には、こういう書き方がいいなと思うものがある。
『朝露通信』を書く前、東洋文庫に入っているモースが書いた『日本その日その日』という、ざっくり言えば日本の見聞録は、これはいいとあちこち拾い読みしたとき思い、書きながらこれを読もうと思ったが結局それは全然読んでない。『カンバセイション・ピース』を書いてるとき、私はドストエフスキーの『未成年』をずうっと読んでいた、読み終わるとまたはじめから読んでたしか三回読んだ、他の本も読んだが『未成年』はずうっと読んでいた。
『カンバセイション・ピース』のときには読んでいる『未成年』のことは一言もふれなかった、『未明の闘争』のときは、そのつどそのつど本を読み散らかして、読んだ箇所をしょっちゅう引用した、アマゾンでは関連本がいっぱい出てくる、売れている本の関連本はまあほとんど見るに値しないが売れ筋と関係ないマイナーな本の場合、全然知らない本や名前すら知らない著者が関連本で出てくる、その内容説明やときにはタイトルだけで次々本を買った、アマゾンは翌日には届くがマーケットプレイス商品の場合三、四日から一週間かかる、届いたときには関心がなくなり本を開きもしない、それでも何でもとにかくひたすら本を買いつづけた、ホントに小さな破片や石つぶのようなことでも何か外から刺激がないとその日一日が書けない、というそういう感じの日がしょっちゅうだった。
『朝露通信』は書き出す前、書き出しを何度も何度も書いた手さぐり状態だったときいろいろ本を拾い読みしたが、というか、どれを読み出しても感じが出てこない、自分の体や感覚と無関係に字を追うだけの本ばっかりでモースの『日本その日その日』も、ちらっと見て全然ダメ、意外にもカポーティの『草の竪琴』だった、私はこのことを前に書いただろうか? 『草の竪琴』を読み出したら心の中に朝の風景が広がった、
「九月だった。つんと伸びた真紅のインディアン葦の茂る草原を、秋の風がゆるやかに吹き抜け、亡くなった人たちの声を響かせているような、そんな夜だった。」(大澤薫訳)
 こういうところに今回は私は反応した、どうせこう書きはしないが、こういう風に書きたいと思って書き出しをまた新しく書き出した。
「ひとひらの雪にも似たドリーの面【おも】ざしは形をとどめたままだった。」
なんて、こういうちょっと文学的の軽めのレトリックを私も使いたい、と思った、じつは一箇所使った、ここを記憶にとどめて読めば気がつく人はいるかもしれないが私はこういう文章みたいな、いい意味でメランコリックな表現は書けない、でも読者として読むのはけっこう好きだ。
それで『朝露通信』を書き出したが書き出してからはほとんど何日間にもまたがって読みつづけた本はない、私はさっきから「小説」といわずに「本」といっているのは小説に限定していないからだ、二月四日に足を骨折して外出できなくなると、足の痛みやシーネ(副え木)のうっとうしさにもかかわらず意外に落ちついて本が読めた、特に最初の一週間は『朝露通信』も書くのを中断したから関係なく読めた、読んだのは四方田犬彦著の『ルイス・ブニュエル』と上田閑照による『エックハルト』だった、マイスター・エックハルトは中世ドイツの神秘主義の創始者とされている、次に井筒俊彦の『禅仏教の哲学に向けて』、これは井筒氏が英語で発表した禅についての論文をまとめて野平宗弘が日本語訳した。
この本で悟りというものが少しわかった。
「いや、「わかった」という表現は正しくない。」
と、人は言うだろうが、たぶん本当に私は少しわかった。
この地球で起きたことは物理的には時間の経過とともに消える。ただしここでいってる「物理的」というのはニュートン物理学の意味だ、もしかすると量子力学や超弦理論の立場でいうと消えるとはいえないかもしれないが私はそっちのことはわからない。
物理的には消えるのだが私がまったく別の見方、感じ方、思考法を持つことができたら、それらは消えない、あるいは消える/消えないという見方でない見え方になる。
ここまでは理屈だ、理屈ではわかっていてもそれは実感からはほど遠い、ではその実感とはどういうことか。私はいま、たったいま、この時刻は東京にいる、しかし鎌倉はある、ローマもある、モロッコのマラケシュもある、あるいはかつて明治時代がありその時代の社会があり風景があった、もっと前の戦国時代や平安時代もあった。
「ある」とか「あった」とか言っているが、巧妙な懐疑主義者によって、
「鎌倉はいまこの時刻にあなたはあると思っているが、では2011年3月11日の午後4時にもしあなたが遠く離れた、たとえばアフリカのマダガスカルあたりにいたとして、ニュースからも遮断されていたとして、そしてあなたが石巻出身だったとして、あなたが「ある」と心に思い浮かべた故郷石巻は「ある」とは言えなくなっていた、それと同じことが地球上のまして日本ではいつ起こっても不思議はないじゃないか。」とか、
「この世界は今からたった五分前に、すべての人日々が記憶している状態として突然出現したものなんだ、江戸時代もローマ帝国もアステカ文明もすべて、すべての人々にそのような記憶として五分前に植え付けられただけなんだ。」
という、バートランド・ラッセルの「世界五分前仮説」を言われたとして私はそれに対して反証できない。
というか、私はこのような懐疑主義的論理に反論する気はまったくない。このような懐疑主義の立場に立てば私が「ある」と思っている事や物は証明できないことばかりだ、そしてバートランド・ラッセルの「世界五分前仮説」を長いこと、
「こいつは中二みたいなやつだな。
無意味なことに時間と労力を注いだものだ。」
と思っていた、いま「中二」がわからなかった人、チュウニ、中学2年生のことです、ところがラッセルのような懐疑主義に立てば証明できないことだらけを人は「ある」と思って生きているのだった。ということは、思考の鍛錬によって人はきっとどんなことでも「ある」と思うことができる。ここでの「思う」は「信じる」よりずっと強い。「信じる」は能動性を伴なっているが「思う」は能動性や主体性を必要としない、生きているうえで最も深く揺がない前提、それを「思う」としていま私は使っている。
心あるいは心の思う作用を鍛えて鍛えて鍛えあげて、ニュートン物理学的見え方による日常的世界像を根底から作り替えること、悟りとはこのことだ。
心に深く刻み込まれた忘れられない事がある、別に大きな事件である必要はなく、たとえば私は隣りのおばさんが塩のツボを持って家の前の路地に出てきて何かしていたから、
「おばちゃん、何してるの?」と訊いたら、おばさんはナメクジに塩をかけていた。
「こうするとナメクジは溶けていなくなるのよ。」と、おばさんに言われて私は、「へー!!」と思った。
少しうがった見方をする人なら、一見ささいなことのようで、これはちゃんと「死」をめぐる出来事になっている、と言うかもしれないが、まあともかく、その日の雲や海からの風のように消えてしまうやりとりだ、物理的にはまったくそうだ、しかしこのやりとりもまた、消える/消えないの法則の外にある、この世界で起こることはすべて、消える/消えないの法則の外にある、そんな法則はこの世界に生起するものにはまったく当てはまらない、「消えないから、ある」というのでなく、「ある」と「ない」を超越している、……etc.
とにかく出発点は、私の心にいきいきとある光景がよみがえったとき、それを出発点とすること、私は昔を思い出すと「信じにくいことに」と敢えて言ってもいい、その人たちはほとんど死んでいる、あるいは、この人もこの人もこの人も死んでもうこの世界にいないことにそのつど驚く、思い出てくる人たちはそれほどイキイキしている、光も風もまるごとイキイキしている、それらはまったく断片、数秒の出来事として息をしている、私は悟りによって見る世界の入口に少し近づいた、と本気で感じる。