◆◇◆試行錯誤に漂う27◆◇◆
「「みすず」2015年5月号
ラカンに帰郷した

 ラカンの『精神分析における話と言語活動の機能と領野』が訳者の新宮一成さんから送られてきた、新宮さんは私がカルチャーセンター時代に何度か京都から集中講座の形で講座を依頼したそれ以来おつきあいはつづいている、この本はこれ以前、もうずっと前に翻訳が出ている『エクリ』の全三巻の中の一論文として翻訳が出ている、ラカンの中でも最重要の論文とされている、私も『エクリ』の中で読んだ記憶がある、もう二十年か三十年以上も前のことだった。どちらも同じ弘文堂からの出版だ。
 この新訳はたぶん『エクリ』収録の訳よりだいぶ読みやすい、当然薄い本だ、「まえがき」「序」につづいてⅠ、Ⅱ、Ⅲと章立てされている、序からいきなり面白い、Ⅰで私はだいぶ興奮して新宮さんに電話して話をした、そこでしばらく他の本を読まなければならず一ヵ月かそれ以上あいだが空いてⅡ、Ⅲを読んだそれがまた二週間かそれくらいかかった、ラカンはやっぱりどう訳されても難しい、しかしラカンをわからないなりに読んでいると、
「自分の考えること書くことの拠り所はここだったんだな。」と、ある種の懐しさというか帰郷の感慨みたいなものを感じた、甲府から身延線に乗って妻は「平らだ」「平らだ」という甲府盆地を南に向かって走っていく窓の外を眺めているときのように、「ここなんだな。」と感じる、こちらの一方的な思いで完全な誤解でないという保証はどこにもないが読んでいるとその気持ちがたびたび過る、私は三十代の頃の真摯さを取り戻す気持ちになる、
「大変でもラカンを読め。」と友人Kから言われたことを思い出す、私はこの言葉をここ何年か思い出さないできたかもしれない。
 電話で新宮さんが言った。
「×××という人がいるでしょ? その人が『ラカンを読まなくてもジジェクを読めばラカンはわかる』って言ってるらしいんです、困りますね。」
 ラカンと「わかる」、というこの組み合わせは私はいろいろ思い出す、カルチャーセンター時代、私がまだ新宮一成という人を知る前、それでも私はラカンの講座をやりたくていろいろな人に相談した、若森栄樹さんはラカンのセミネールを元にしてラカンを解説する講座を三年くらいつづけた、その受講生にはいまラカンやフロイトの翻訳をしている研究者というか精神科医が私の記憶するかぎり二人いる、ラカンのことをそのような講義の題材にするのはそのときは若森さん一人だった。
 若森さんでないもう一人、その人は四回の講座のうちの一回をラカンに当てた、そういろいろ記憶を組み合わせると、それは若森さんが講座をする一年か二年前のことだった、その人はラカンの有名な「シェーマL」の話をした、大文字の他者Aと小文字の他者aと対象と主体だったか、対象が対象aで小文字の他者なんてものはなかったか、その人はとにかく四つの要素が四つの頂点になるたしか平行四辺形を黒板に描いた、
「これのどこがLなんだろう?って、いくら考えてもわからない。LはラカンのLなんじゃないか?」
 シェーマLのLが何を意味するか私はいまだに知らない、というか私はそういうことは関心ない、この人のシェーマLにこだわったというか、ラカンの話をするのにまずシェーマLからはじめたこの人の考え方には二つかそれ以上の特徴がある。
 ひとつは「シェーマL」という名前が内容を語る(語っていなければならない)ということ、もうひとつは図を出したということ。図の四つの頂点に項目を当てはめるのは学習参考書のやり方だ、この人はもちろん大学の先生なわけだ、大学の先生になってもなお子どもの頃の生徒根性が抜けてない、これはいまの作家も評論家もほとんどみんなそうだ、小学校か中学校の教室の中で先生の出した質問に生徒が答えるように考える、考えることが答えのある問いに答えるようなものになってる、だから「シェーマL」という名称も内容や意味を説明するものになっているというところで「シェーマL」という名前を考える、小説を出すとたいてい題名から書評が書かれる、私は題名から小説の意味やテーマを書き出す人を、
「ああ、この人もか、」と思う。
 それで「ジジェクを読めばラカンはわかる」と言った×××氏だ。×××氏はラカンをきちんと読んだだろうか? 本体を読まずに「それは△△△を読めばわかる」と言う人は多い、それは本体のそれを軽んじた態度だ、ラカンの場合それは理屈に合わない、フロイトなら「軽んじた態度を装うことによって無意識的に復讐している」と言うかもしれないが、ここは×××氏がラカンを読んだうえで「ジジェクを読めばわかる」つまり「ジジェクでじゅうぶん」と言っていると受け取るべきだろう、しかしそれは文の形の話で中身として、×××氏がラカンをちゃんと読んだうえで「ジジェクでじゅうぶん」ということはありえないだろう、ということは×××氏は、
「芥川賞は、いままで何人もの重要な作家に賞を出しそびれてきた、その最たる作家が谷崎潤一郎だ。」というような形は通るが意味はないことを言ったことになる。この本の序の終わりちかくでラカンはこう言っている。
「ここで指摘しておかねばならないのは、いやしくもフロイトの概念を扱おうと思うならば、たとえ字面が現行の概念と同じであっても、直接フロイトを読むという労を省いてはならないということである。……(略)……ところがある著者が、そんなことにはおかまいなしに、フロイトについての展望論文を書いた。彼のそうした軽率さはまあ無理からぬことで、彼はフロイトを読み込むべきところで、マリー・ボナパルトの仕事のお世話になったからである。彼は、彼女の仕事を、まるでフロイトのテクストの等価物であるかのように、しかも読者にはそれと知らせぬまま、ところかまわず引用した。」
 ×××氏はここに出てくる「ある著者」と同じことをやらかした、私はそれが興味深い。
 私はラカンとジジェクは全然別物だ、ジジェクを読むとすっきりとした解答というか見通しというか、とにかくそういうものが与えられる、満足感が高い、しかしそれこそが受験参考書根性、というものだ、すっきりした見通しが得られることがすでにおかしい、想像界とは何々で、大文字の他者とは何々で、抑圧とは何々で……と手際よく説明することはラカンでなくて受験勉強だ。
 ところで私は想像界とか大文字の他者とかそういう概念とかキイワードを理解することができない、もともと私はそのようなキイワードを押さえることを辞書的理解として侮蔑的に見ているからかもしれない、私がそうなったのは概念を理解することができないことに気がついたからでそれは高校の途中あたりだった、私はまわりで友達が口にする「イデオロギー」という言葉がどうしてもわからなかった、大学のときには「アイデンティティ」という言葉がどうしてもわからなかった、1970年代後半、「アイデンティティ」という言葉はいまのように当たり前でなかった、たまに出会うその言葉を私はそのたび辞書を引くのだが二分後にはもう意味を忘れていた、それにだいたい「自己同一性」と言われてもそれがどういうことなのかイメージがなかった。外来語というか哲学思想系の原語カタカナ表記は日本語に置き換えたところでわからないものはわからない、「わからない」「わからない」と思ってその言葉に繰り返し出会ううちに日本語に変換しなくてもそのまま読めるようになっている、昔からよく知ってる日本語の言葉と同様ひっかかりなく読める、読めるからといってその言葉を知らない人がわかるように説明できるわけではない。
 私は概念を理解することができない、それが私がデレク・ベイリーとかポール・ラザフォードとかセシル・テイラーとかそういう早い話がメロディがない音楽に違和感を持たないわりと大きな理由なんじゃないか。私はソナタ形式とかのテーマの提示とかテーマの変奏とかテーマの反復とか再提示とか、ソナタ形式がそういうものか知らないがそういうものだとして、そういうことが俯瞰的に理解できるような音楽の聴き方をしたいとは全然思ってない。
 それは私でもたしかに、コルトレーンの後期の『マイ・フェイバリット・シングス』の即興演奏が延々とつづいてとうとう最後、とてもよく知ってる、チャーチャッチャ、チャチャチャ、チャチャチャ、チャチャチャ――♪というメロディが聞こえてくる瞬間とかにものすごい快感を感じた頃があった、それは私にはフリージャズか即興中心のジャズに限られクラシックは私の耳には直接的じゃない、そして私はテーマの変奏や再提示を聴き取る迂回の回路を持たない、いまでは私はどこまでつづくか、どこで終わるのか、この先どういう音になるのか見当がつかないというより、そういう先の音をまったく考えない、いま鳴ってる音をただ聞く、聞くときは本を読むか眠る前か雑用をしているときだから音は鳴き終わって少ししてから終わったことに気づくかそれより前に眠りに入っている。
 私にとってラカンは明快な答えや命題を得られるものではまったくない、よくわからないまま難しさに耐えて読む、それはわかるに越したことはないがわかるなんてたいしたことじゃない、とにかくただひたすら読む、三十分は読みつづけられるが一時間はなかなかつづかない、それでもラカンが精神分析家と患者の対話が科学といわれている客観的に数値化可能なものではまったくないのだということをこの本の中で書いているのを読むと(それを私はいまこの本のどこに書いてあったか見つけられない、もしかしたら書いてなかったとしてもそれを私はこの本で読んだ)、それは最近しょっちゅう言ってるウィキペディアへの批判とウィキペディア的理解と対極にある小説のことだと思う、私はまったく手さぐりのままそれでも90年代の十年間くらい私はフロイトとラカンを読んできた、私はそこに何が書いてあったか、フロイトとラカンが何についてどういっているかは人に言えるような理解はまったくできないまま読んできた、まさに私はフロイトとラカンをただ読んでいた、それがラカンのこういう言葉に出会うと(私はそのページを捜し出せないのだが)、自分の考えの基盤のようなものがフロイトとラカンを読んだ経験によって作られたんだと感じる。
 だいいちこの本で最も重要だろう、この本でなくてもラカンの中で最も重要だろう「主体」というのがよくわからない。人間において? 精神分析の対話において? 主体はこの私、いまここにいるこの私は主体ではない、主体は言語にある、あるいは対話という行為が主体となっている、というようなところを読むとき、それは小説のことだ、小説を書くということだと考えると、わかったように思う、というか自分はそれを実践している、ないし進んでまたは努めてそれを実現させようとしていると思う。
 私は鎌倉のことを鎌倉を知らない人に説明することができない。源頼朝が武士の政権を置いた場所である、三方を山に囲まれ残る一方は海に面している、明治大正の頃は別荘地だった、そのようなことは夏目漱石の小説にも書いてある、その頃は漁師の町だった、たぶん戦後になってから東京の通勤圏となった、……とこのようなことは説明にならない、このようなことをいくら書き連ねても鎌倉という土地に立つ実感は生まれない、私は大人になってもう長いこと東京に住んでいるために横須賀線が鎌倉駅に停まってホームに降り立ったとき潮の香りを感じるようになった、鎌倉に住んでいた頃は鎌倉駅で潮の香りを感じることはなかった、潮の香りを感じたのはもっとずっと海に近づいたときだった。私は鎌倉を知らない人に鎌倉を説明することはできないけれど鎌倉の土地を道に迷わずに歩くことができる、鎌倉を歩いているといろいろなことを思い出す、海のそばの土地の風がこういうものだったと確認する思いで感じることができる。だいぶ上乗せした言い方ではあるだろうがラカンは私にとってそのようなものになっていた。

 六四ページに、言葉はあるものよりないものの方こそ指す、というようなことが書いてある、蜂のダンスとか哺乳類のあれこれとか、ここにある物や危険を知らせる信号はいろいろあるがそれはないものを指さないし伝言できない(私は上高地で見た地元のサルの群れは群れの先頭のサルの言葉を受けて最後尾のサルが自分のすぐ前を行く歩みの遅いサルたちに何か言ってたから私はこれには異存がある)とかそういうことがここか他の箇所に書いてあって、そして、
 「使用から解放された象徴的対象が、〈ここに今〉(hic et nunc)から解放された言葉(モ)になるにあたっては、両者の差異は、言葉というものが物質性の面から見て音からできているという質を持っているというところにあるのではなくて、むしろ、消失するという、言葉ならではの在り方にあるのであって、そこにおいてこそ、象徴は、概念の永続性を見出すのである。」
「一つの無の痕跡であることによってしか体を成さないもの、それゆえ決して変質することのないものを支えとしているもの、そうしたものによって、概念は、移ろいゆくものから持続を救いだして、物(la chose)を生み出す。」
 私はいま書き写すまで傍線部の「消失する」のが言葉によって指し示された対象の方だと思っていた、ここで消失するのは対象ではなく音である言葉だった、二つ目の方で言っているのは間違いなく対象の方だと思っていたが読み返すうちにこれも「無の痕跡」とは対象の方でなく音である言葉のような気がしてきた、というかそこに音である言葉がないものを指す大本の仕掛けがあるのかもしれない、いずれにしろ次のページに書いてある、
「言葉たちの世界は、物たちの本質に具体的な存在を与え、いつも変わりなく在るもの、つまり世々の遺産(クテーマ エス アエイ)に、どこにおいてもその場所を与えるのである。」
 消え去ったときそれを言葉で言うとき消え去ったそれが永続性を持つとここで言っているのだとしたら、
 「母は死んだが私の心の中に生きている。」という慣用句的なフレーズが、言葉の機能によるトリックだということになる、それは確実にそうだ、人間は本性においてそういう機能を持つ言葉以外の言葉を持たないでその言葉を使ってしか思考できないのだから死ぬことによっていよいよ生きるのは必然とも言える、
「ペチャは死んでからの方が身近になった。」と私は妻と話した、それはだからきっと食べ物に旨いまずいがあるくらいには真理なのに違いない。
 上高地のサルの群れが移動しているときに雨が降り出し、一匹が木の上に登って長くタテに伸びた群れの後方に向かってキーキー、ギャーギャーほとんど絶叫した、それを受けて最後尾のサルが自分の前を行く遅れ気味のサルを急き立てるような鳴き方をしたり木の上のサルに応答したりした。これがラカンが言う人間の言語にしかない伝達の一種なのだとしたら私は重苦しい気持ちをかかえることになる、それなら猫もまたここに今ないものが心に浮かぶ可能性があると言えないか、私は外で十年前には十二、三匹もいたファミリーの今も生きている、このあいだの冬に加齢によってはじめて寒さでダメージを受けた二匹の猫が冬の夜、寒さに身を縮こませながらファミリーがいっぱいいた幸福な日々をほんのわずかでも〈思い出さない〉でいること、今この時間だけを猫が生きていてくれることを願った、私はその思いが揺らぐ。