◆◇◆日経新聞 「プロムナード」2月18日(木)夕刊◆◇◆

 世の中には、当事者にとって深刻または悲惨であるにもかかわらず、正しく問題化(言語化)されていないために、笑い事としか捉えられていないことがある。たとえば「尿もれ」がそうだ。尿もれの悩みを抱えていた人は昔から相当数いたはずだが、「尿もれ」として誰かがきちんと問題化して「失禁パンツ」などの対策が講じられるまで、当事者は悩みを人に語れず、第三者にとっては笑い事でしかなかった。
 セクハラもつい十何年前までは、「若い子のお尻を触るくらい大目に見ろよ。キミも冗談が通じないねえ」という笑い事ですまされていたのではないか? 電車内の痴漢だって3、40年前なら「キミが若くて魅力的な証拠さ」なんて、一笑に付されていたんじゃないか? 誰かが正しく言葉にして問題化しないかぎり、当事者の抱える深刻さ・悲惨さは、世間に認めてもらえない。その無理解ぶりは後世の目からは信じがたいくらいだ。
 さて本題だが、首都圏で、電車が2時間立ち往生したというニュースがよくある。私はそのニュースを聞くたび、「車内で便意を催した人はどうなったんだろう」と思う。今ここで笑った人! だから笑い事じゃないんですよ。
 私は子供の頃から軟便傾向で、通学・通勤の電車から駅のトイレに何度駆け込んだか知れない。トイレには必ず他に何人か、迫りくる便意と必死の形相で闘っているスーツ姿のビジネスマンがいたものだ。国鉄時代の東京駅の北口通路のトイレには大便用がたしか六つあったが、それが空いていたことなど記憶にない。今もそうかもしれないが、いわゆるフォーク並びなどしない頃で、自分が並んだドアがいつ開くか、右も左も開いて順番が来たのに自分のところはまだ来ない……そのときの深刻さは、まあちょっと他に比べるものが思い当たらない。
 そんなときの便はゆるいと決まっている。それがズボンの中で出てしまったらどうなる? 学校や会社は休むとしても、ゆるいそれの残骸がついたままで家まで帰るのか? デパートかどこかで急遽買うにしても、ゆるい便の臭いが完全には取れていないズボンをはいて買いに行くことなんかできるのか?
 駅でもない線路の上で電車が2時間立ち往生して、しかもそれが朝の混んでいる電車だったら、ゆるい便の悲劇が起きないと考える方が無理がある。2時間と言わず、1時間でじゅうぶんだ。大でなく小の人だっているだろう。人に言えないという点では小だって同じだし、始末の悪さで言ったら小の方が上かもしれない。そして、この悲劇で何より始末が悪いのは、当事者が陥った悲劇の深刻さが誰からも理解されないことだ。しかしこれは本当に悲惨な出来事だ。そこで提案。
 電車は立ち往生せずに、どんなにのろのろ運転でもとにかく最寄りの駅まで辿り着くべきだ。大都市近郊の電車は前と後で2ヵ所くらいはトイレをつけるべきだ。一見ものすごく効率が悪いが、人間を大切にするというのは、この効率の悪さにつくことで、トイレのある電車の沿線は案外人気になって、土地価格も上がったりするんじゃないだろうか?
 しかし一番いいのは、「もれちゃった? 今日はみんなで臭いの我慢だね(笑)」という、ゆるーい雰囲気が社会に生まれることだ。