◆◇◆日経新聞 「プロムナード」3月11日(木)夕刊◆◇◆


 3月10日は東京大空襲の日だった。正確には9日深夜から10日未明。8月15日の終戦と並んで3月10日は特別な日だが、昔からそれほど話題になっただろうか? どうもピンとこない……。

 私は1956(昭和31)年生れで、子供時代は「少年サンデー」「少年マガジン」の全盛期だった。『伊賀の影丸』『おそ松くん』『おばけのQ太郎』『ハリスの旋風』などなど漫画史に残る傑作ばかりだ。その他、毎号巻頭に絵をふんだんに使った特集があり、その特集の2回に1回は、戦車・戦闘機・軍艦など戦争関連だった。「2回に1回は多すぎないか?」と思って記憶を探っても、他の特集といえば、宇宙人とか世界の怪現象とかだが、どれも印象が薄い。少年雑誌の巻頭特集といえば戦争だった。断っておくが、私は子供の頃、プロレスは好きだったが戦争は好きではなかった。しかし、零戦・紫電改・メッサーシュミット・B29・P51ムスタングなどなど戦闘機の名前だったら次々出てくる。

 情報をふんだんに浴びるとは怖いものだ。一種の洗脳だ。『紫電改のタカ』という漫画もあった。『忍者部隊月光』という少年ドラマもあった。もちろん『コンバット』はみんなが見ていた。プラモデルも戦車・戦闘機・軍艦ばっかりだった。屋形船やクラシックカーがプラモデルで売られるようになったのは昭和40年代に入ってからだったと記憶する。戦車や戦闘機を好きなわけではなかったが、プラモデルを完成させる達成感が嬉しくて、私はそれらをせっせと作った。自分で作ったと思えば、戦車も戦闘機も格好よく見えたものだ。

 何が言いたいのか? 私が子供だった頃、NO MORE WAR つまり「戦争なんかこりごりだ」という雰囲気が社会にあったとは、私には思えないのだ。少なくとも子供には、当時の大人たちは「今度やったら負けないぞ」と言っているように見えた。私が“反戦”という概念と出合ったのは、フォークソングがアメリカから輸入されて、日本でも『戦争を知らない子供たち』などの歌が歌われるようになってからだった。時はベトナム戦争、真っ盛り。その反戦フォークを歌う若者たちを当時の大人たちは嫌った。これはどういうことか? その態度から“反戦”という言葉は私には浮かばない。

 戦争を経験した人たちの文章は枚挙にいとまがない。今も次々書かれている。ごく一部の例外を除いて、どれも主旨は当然反戦だが、その内容は二つに分かれる。ひとつは「戦争なんかいいことはひとつもない。失うものばかりだ」というもの。もうひとつは「どうして日本はあんな勝てるはずのない戦争をしたのか?」というもの。「軍備は貧弱で、食料もろくにない。終盤にいたっては作戦の体をなしていない。日本は負けるべくして負けた」というのだが、では勝てる戦争ならしていいのか? このタイプの文章を読むたびに私は、「あ、こ」人は勝てるなら戦争したいんだ」と思う。

 戦場の兵士の惨状を描いたのは田中小実昌『ポロポロ』(河出文庫)で、戦場の不条理ともいえる馬鹿馬鹿しさを描いたのが小島信夫『墓碑銘』(講談社文芸文庫)だ。この二つを読んで不愉快に感じる人がいるとしたら、その人はやっぱり戦争を肯定したいんだと思う。