◆◇◆日経新聞 「プロムナード」3月18日(木)夕刊◆◇◆


 子供の頃から落ち着きがないことはなはだしく、今に至るまで自分より落ち着きがないヤツに出会った記憶がない。波乱万丈のかけらもない私の小説から受ける印象からは正反対だと言われることが多いが、私ほど落ち着きがないと波乱万丈の読み物こそ退屈と感じる。その辺のことを書いていると長くなるので書かない。小学校の五年から塾に通わせられたが、理由は中学受験のためではなかった。その塾が厳しいので有名だったからだ。

 旧・男爵が経営者で塾長だった。とても体が大きく、顔も怖かった。あるとき先生の到着が遅れ、自習していろと言われた私たちが騒いでいたら、太い丸太を持った塾長が現れ、一番前の机をドカーン!と丸太でぶっ叩いた。広い庭に畑を作り、子供たちは肥担ぎをさせられることもあった。車の上にごっそり薪を縛り付けてどこかから戻ってきたりもした。戦前から乗っているとしか見えないボロボロの車だった。つまり、英国貴族そのままのライフスタイルで生きていたということで、最近脚光を浴びている白洲次郎を思い出してもらえればわかりやすい。

 そこに同じ市内の別の小学校から来ていたハタナカという友達がいた。「畑中」だったか「幡中」だったか。41年も前のことなので全然違う名字だったかもしれない……。40歳をすぎた頃にか、突然彼のことを思い出し、それ以来たまに思い出す。ハタナカは得難い性格をしていた。ひょうきんで人を笑わせるのが好き、で同時に決して怒らない。あたり前みたいに聞こえるが全然あたり前でなく、人を笑わせるのが好きな人はけっこう怒りっぽいものなのだ。お笑い芸人を見ればわかる。

 しかもどうやらスポーツもけっこうできたらしい。というのは、ハタナカと一緒にサッカーをしていたというヤツと中学で知り合い、彼の話によるとハタナカは市で優勝したチームのゴールキーパーで、ペナルティーエリア内を縦横無尽に走り回って、ボールを持っている相手選手にどんどん突進していった。「ハタナカ見てると怖いんだよ」と、友達は畏怖半分あきれ半分で笑った。

 小学校卒業のとき、塾もお別れ会をした。私と幼稚園以来の仲良しのマーちゃんが煎餅を落として、食べずに脇に置くとハタナカは「そんなもん、汚くないよ。食べろよ」と言う。マーちゃんが嫌がるとハタナカは自分で食べてしまった。「ハタナカ、すげー!」と言って、私がもう一度わざと落とすと、それもハタナカは食べた。私とマーちゃんで交互に落とし、そのうちに遊びが高じて私はハタナカの手を上履きでかなり強く踏んでしまった。うっかりでなく、わざと。上履きの下でハタナカが痛みをこらえているのがわかったが、私はそれでもまだ踏んでいた。

 といっても全部で一分にも満たないが、「やりすぎた」と思って上履きを離すとハタナカは目に涙をためている。私は逆襲されると思って緊張したが、ハタナカは黙ってじっとこらえた。そのとき私は、逆襲されなかったことを安堵しつつ、まだそんな言葉は知らなかったが「非暴力」「無抵抗」の、大袈裟に言うなら、崇高さのようなものを感じて動揺した。

 ハタナカは中学入学と同時に新潟に引っ越すと言っていた。ああいう子は将来どんな大人になったんだろうと思う。