◆◇◆日経新聞 「プロムナード」4月1日(木)夕刊◆◇◆


 「保坂さん、ギフトとして何かお勧めの食品はありませんか?」と、通販カタログ雑誌が言ってきたのは去年の秋のことだった。あらたまってそういうことを訊かれると私は何も出てこない。それで思いつきで「鎌倉の地ビールがある」と口走った。その地ビールを飲んだことは2回しかないが、忘れがたい味だった。きっとこじんまりした会社だろうから紹介されたら喜ぶだろう。どんな人か知らないが、とにかく誰かが喜んでくれればいいじゃないか。そんな裏事情で雑誌の編集者がそこに下取材に行くと、その社長はなんと私の小学校の同級生だった。編集者はびっくりしたが、それを知らされた私はもっとびっくりした。

 で、年末年始などなど何やかやといろいろあってなかなか会えなかったが、先日やっと社長の今村と会った。長谷観音で待ち合わせして、コマを回したゲンちゃんも交えて小一時間お茶を飲み、今村のビールの醸造工場でビールを飲んで、その後、小学校の同級生の高野と森と合流。この森なのだが、私は小学校時代一度も同じクラスになったことがない。彼らは全員、第一小学校(一小)から第一中学校(一中)に行ったから親しいが、私は中学受験して私立に行ってしまったために森がここにいるのは唐突な感じがする。というか、私と森はある意味、大袈裟に言うと対立関係にあった。

 『団地ともお』という素晴らしくバカバカしいマンガがあって、私の愛読書だが、小学生のともおたちは何かというとクラス同士で対抗している。小学生というのはどうもすべてクラス単位で対抗するらしい。私の頃もそうで、私と森はその対抗の先頭に立ちがちだった。しかもクラスとは別に集まった、少年野球でもお互いがキャプテンだった。といっても、これがもう私のチームは本当の話をしても誰からも信じてもらえないくらい弱く、森のチームはリトルリーグ並みに強かったから対抗もへったくれもないのだが、とにかく二人はそういう関係で、クラスが一度も一緒になったことがないにもかかわらず、私は森をけっこうよく憶えていた。

 子供時代に対抗関係にあったということは、同じテリトリーの中に生きる同質の人間だったということだ。全然別の世界に生きていたら対抗しようがない。そういうわけで、森の顔を見たら、森の参加は唐突どころか必然で、4人で昔話をしていると40年以上前の記憶がどんどん戻ってきたのだが、私が嬉しかったのは森が私を一中に行った仲間と同等と見なしていたことだ。こう見えても、私は中学で私立に行ったことに対して後ろめたさとか、友達から切り離された淋しさとか、いろいろ込み入った気持ちを持っていたのだ。

 いま私は鎌倉の知り合いがいっぱいいるが、全員大人になって知り合った人たちだから、「あいつどうしてる?」という消息はわからない。わかってどうなるものでもないが、人生というのは知ってどうなるものでもないこと、できてどうなるものでもないことの集積ではないか? 子供時代の友達なんてその最たるものだが、そのどうなるものでもなさは文学と通じ合う。

 小学校の同級生が集まると、どこか小学生の顔に戻っているのがおかしい。というか、鎌倉には鎌倉の、漁師町風のしゃべり方があり、高野はそれが丸出しなのだった。