◆◇◆日経新聞 「プロムナード」4月8日(木)夕刊◆◇◆

 今年の三月は風が強かった。風が吹くというのは等圧線の間隔が狭いということで、低気圧か高気圧がある。低気圧は遠くの大気を呼び込むから、北か西にあれば南の暖気を呼び込んで気温が上がり、南か東にあれば北の寒気を呼び込んで気温が下がる。春一番の天気図は日本海に低気圧がある状態だからまず暖気を呼び込み、その低気圧が太平洋に移動して左回りに大気を呼び込むから今度は寒気が来る。だから「春一番は冬を呼ぶ」という言い方があるそうだ。春一番は一回しか吹かないが、同じ気圧配置は何度でもあらわれるので、今年の三月は何度も気温が急上昇しては急降下した。
 気象予報士でもない私がこんなことを知っているのは、うちの二十歳のメス猫ジジの体調が気象と完全にリンクしていて、天候が変わるたびに具合が悪くなるからだ。それで気象の変化に先手を打ちたいと思って気圧計を買ったのだが、気圧計よりジジの体調の方が先に天候の変化に反応するから役に立たなかった。鎌倉の実家の母はリウマチで、やっぱり雨や冷え込みの前に肘や膝が痛むのだが、母の痛みも気圧計の変化より先に来る。体が気象の兆候を捉える敏感さは凄いものだ。
 春先に風が強いと私は決まって、幼稚園のときに一歳上の八百屋のコーちゃんに連れられて、浜にゴルフボールを拾いに行った日を思い出す。昔、鎌倉の浜ではおじさんたちがよくゴルフの練習をしていた。夏以外は浜に人はあんまりいなかったのでゴルフのボールを打っても危険じゃなかった。というか、昔は危険という意識が全体に薄く、おじさんがゴルフの練習をしていたら子供たちはボールが当たらない場所にいる、というその程度のものだった。
 ゴルフの練習を浜でする程度のおじさんはたいてい下手なのでボールをなくす。子どもはそのボールを拾う。ゴルフボールで子どもが何をして遊んだかなんて憶えていないが、落ちていれば拾う。それが昔の子どもだった。しかしその日はものすごく風が強く、浜に降りると砂がバシバシ顔に当たり、頬が痛く、目が開けていられなかった。私はコーちゃんに帰りたいと言ったが、コーちゃんと他の二、三人はボールを拾うと言う。しょうがないから私は一人で帰ってきた。身体的苦痛に対する私の圧倒的な弱さはその頃からすでにあった、ということだ。
 それで私は何年も、「浜」と聞くと頬が痛くなって、あんまり行きたくなかった。というのが記憶その1なのだが、もう一つの記憶では、同じ春先に幼稚園の同じクラスのマナブちゃんと毎日、浜に行って貝殻を拾い集めた。ゴルフボールと同じで子どもは落ちていれば何でも拾うのだ。今から五十年前のことだから、鎌倉の浜には桜貝のようにきれいな貝がけっこういっぱいあった。私とマナブちゃんは毎日毎日拾い集めて、大きなビニール袋いっぱいになって、子どもの力では持ち上げられなくなった。
 その重い袋を担いで浜から上の道路に出るのに、階段でなく石垣をフリークライミングのようにして上った。上まで三メートルくらいある。私たちは必死に掴まって這い上がった――というのは、きっと記憶の混乱で、貝の入った袋を担いでまさかそんなことはしなかった(はずだ)。しかし子どもの私にそれだけの分別があったか? 私は自信ない。