◆◇◆日経新聞 「プロムナード」5月20日(木)夕刊◆◇◆



 半年前だったか、妻と二人で近所の、バス通りから一本奥に入った道を歩いていたときのこと。黒塗りの高級車が一台ゆっくりこっちに走ってきて、擦れ違うときに中を見たら、後ろの座席に70代と思われる、とても美しく気品がある女性がいた。私が立ち止まって、走り去ってゆく車を見ていると妻も同じく、ずうっと車を見ていて、二人で同時に「有馬稲子?」と、声にした。

 本当に有馬稲子だったかはわからない。有馬稲子さんは現在、横浜に住んでいらっしゃるそうで、私たちがその美しく気品がある女性を(こういう表面的な形容は有馬さん自身は喜ばないかもしれないが)見かけた場所は世田谷の裏道だから、たぶんご本人ではなかったのだろう。しかし、小説的に言えば、その瞬間のその女性は有馬稲子その人でしかなかった。あの人がご本人でなかったとしても、あの女性は「有馬稲子」と見間違われることを理想として生きてきたに違いないのだから。

 有馬稲子(すいません、以下敬称略でいきます)が現在横浜在住なんてことをどうして知っているかと言えば、本紙朝刊の「私の履歴書」を四月に書いていたからだ。動きとその映り方(見え方)が俳優という仕事を通じて鍛えられたからか、書いてある場面が一つ一つとても鮮やかで、私は毎日読むのが楽しみだった。中でも圧巻は、いずれ妻とは別れると言いつつ、若い有馬稲子とずるずる不倫関係をつづけた十数歳年上の映画監督が、盲腸で緊急入院した有馬稲子の病室に来た場面。

 監督は見舞いに来たのではなく、直前に公表された中村錦之助との結婚を思いとどまらせようとして来たのだった。しかしそこに、錦之助が「おーい、みつこ、どこだ」と、有馬稲子の本名を大声で呼びながら、廊下を足音立ててやってきた。「とたんに監督はレインコートをかぶると暗い隅にしゃがみこんだ」。

 私はこの一文にシビれた。世間の人は漫然と、小説にはこういう文章が並んでいると思っているが、情景をくっきり鮮やかに書いてある小説は意外にない。小説家は座ってばっかりで、動きを鍛えていないから文章に身体性が欠けるのだ。そして今は悪いことに、身体性に欠ける文章の方が読みやすく好まれる。

 身体性の充満、くっきり鮮やかな場面の連続なら、池部良の文章だ。そう、昭和を代表する俳優の池部良だ(こちも敬称略で、すいません)。池部良は1918年生れで今年92歳だが、今でもエッセイの筆は衰えない。日本で一番面白いエッセイを書きつづけていると私は思う。

 ハーモニカに憧れて、小遣いを少しずつ貯めてやっと買ってきて、庭の隅でおそるおそる音を出したら、聞きつけた親父がダーッと走ってきて、それを取り上げて、下駄でバラバラになるまで踏みつけた、とか。冬の朝、授業前の教室が寒くてしょうがないから、板をはがして燃やして暖まっていたら、高橋君が真っ青な顔で駆け込んできて、「おじいさんが殺された」と言ったところから始まる二・二六事件の話、とか。展開が唐突で何が起こるかわからない。よくぞここまでと思うほど、人物と動きと背景が、短い言葉できっちり書かれ、一つ一つが本当に映画を見るようだ。そこには『ALWAYS三丁目の夕日』にはない、濃厚な昭和の臭(にお)いがある。それは同時にとても荒々しい。