和歌山に住む祖母の家に帰ったのは二年振り。前回とおなじく八月の終わりだった。子どもの頃はバスに乗って海水浴に出かけたりしたものだが、この年齢にもなると墓参りを済ませてしまえば他に何もすることがなくなってしまう。そんなわけで座敷のタタミの上に寝そべって本を読んでいた。今年の夏はへんな夏で、梅雨の時期に梅雨らしい雨が降らず七月は異様な暑さだった。その影響でかセミの鳴き声が例年より少なく感じたりしていた。だいたいこの時分だとアブラゼミの鳴き声にツクツクボウシの高い声が重なっていて、それを聞くとほとんど手をつけてない夏休みの宿題のことが心配になり始めていたもの。高校を卒業してすでに十四年も経っていてそのような生活とは無縁な身分になっているというのに、この八月の終わりのセミの鳴き声を思い出すだけで当時の焦る気持ちがよみがえってくる。これは六・三・三の十二年間もこの時期には毎年必ず焦っていたために体が覚えてしまっているということなのかもしれない。老人になってもこの感覚を思い出している可能性は十分にあるだろう。
「おじいちゃんも子どもの頃はなぁ・・・」と孫に話している姿などは容易に想像がつく。継続は力なり、ということか。
 しばらくするとスイカが運ばれてきた。つい一時間ほどまえに昼ごはんを食べたばかりだというのに。寝ころんでいても、いろんなものが次から次へと出てくるのがこの家の特徴なのだ。ちなみに朝食と昼飯の間にはコーヒーと最中が出てきた。組み合わせとかそんな発想はそもそもないようで、とにかく何でも出てくるところがおかしい。「最中がなんやったら羊羹もあるよ」と言うぐらいなのだから。「おばあちゃん、ギャグにも磨きが入ってきたなぁ」と笑って返したが、これはものがない時代を生きてきたお年寄りの自然な気遣いなのだろう。「出すこと」がそのままもてなしで、こういう場合は出されたまんま食べるのが礼にかなっている(出されたものに口を挟んでいいのは「出すもの」にもてなしの心が盛り込まれている場合だけだ)。そう考えているので、まだ食べたい気分ではなかったが縁側にあぐらをかいて律儀にそのスイカを食べた。子どもの頃はほっぺたを濡らしながらかぶりついていた。たしか、塩を振って食べるのが好きだった。そんなことを回想しながら庭に向かってタネをはき出す。「プッ」という音が大人げなくていい。でも、なんで子どもの頃はあんなにおいしく感じていたのかが今となっては謎だ。大学に入学して一人暮らしを始めた頃からひと夏に一、二回しか食べる機会がなくなってしまい、たしかその頃からおいしいとは感じなくなっていたような気がする。だからといって、食べなくなったからスイカのおいしさを忘れてしまったのだと思ってはいない。ソフトクリームはいまだにうまいと感じているのだ。
 ところで、お年寄りがひとりで住む家というのは実に静かなものだ。テレビはあるのだが、朝の「ちゅらさん」の時間帯しかつけないのだという。「ニュースも見んの?」と聞いてみたが、新聞を読んでるから十分なんだそうだ。そう言われてしまえば無理にテレビをつけることはない。すでに高校野球も終わってしまっていたので、この時間帯にはただうるさいばかりの下らない番組しかやっていないのだから。しかしこの家がこんなに静かだと居心地が悪い。二年前も同じように静かだったはずだが、一泊しただけで高野山の方に出かけてしまったからこの静けさの向こうにまで想いが及ばなかったのだろう。最初からわかっていればディスクマンでCDでも聴きながら昼寝でもしてた、とは言い切れないが。さっきまで読んでいた本にしても、目が文字を追いかけるだけになって内容が頭に入っていないからまったく意味がない。台所から聞こえてくる水の音がこまめに途切れているのもはっきりとわかるほどなのだ。そんなに節約しなくてもどうせ基本料金以上はとられないと教えてあげたというのに。
けして痴呆がはじまったわけではない。
 古びたボウルを手に祖母が戻ってきた。「あんたは小さい頃から行儀の悪い子やった」顔に笑みを浮かべて咎めるのが十八番なのだ。こんどは「ペッ」にちかい音でタネを落とす。ブリキのボウルはいたるところに窪みができていてボコボコ。底の方は変色して黒ずんでいた。タネが落ちて当たっても丸く小さく響くだけ。ひょっとすると、小さかった頃もこの同じボウルにタネを吐き出していたかもしれない。一旦そう思いはじめると、なんとなく見覚えがあるような気さえしてきた。去年の夏なぜ帰れなかったのかがなかなか思い出せないというのに。

もくじへ