ちいさい だるまちゃんと
ちいさい てんぐちゃんが
あそんで いました。
「それ なあに?」
「これは てんぐの うちわだよ」
「ふーん いいものだね」
「だるまちゃんとてんぐちゃん」である。
1967年初版から、とてつもない版を重ねて現在にある。
生まれて何年目かでこの絵本と出会い、
「ちいさいおうち」と並ぶマイフェイバリットとして現在にいたる。
しかし加古里子と、かこさとしが同一人物だと気付いたのは限りなく現在に近い。
マヌケな話で申し訳ない。加古里子さんはこの絵本の作者である。
ほかに「だるまちゃんとかみなりちゃん」、「だるまちゃんとうさぎちゃん」
等のシリーズがある。だが「だるまちゃんとてんぐちゃん」である。
だるまちゃんはよく見ていて、
てんぐちゃんの持っているものを次々と欲しくなる。
てんぐちゃんのうちわや高下駄や、てんぐちゃんの鼻が。
そのたびに、父親のだるまどんに相談する。
加古さんは、ま白い顔のだるまどんの真剣な複雑な表情を目の下にクマのような線を何本も入れることで表現している。素晴らしい。
驚愕しているような困っているような考えているようななんともいえない表情。
ちなみに、だるまちゃんたちは手足があるだるまで、
うちわも持てるし、下駄も履ける。
だるま一家総出で、おもちで鼻を作るシーンはとにかく楽しい。
話はまったくかわって、
「鞍馬天狗」である。
嵐寛寿郎主演の日本映画である。
もう往年の人しかしらない映画だ。
ごくたまに私のような往年でない人もしっている。
これもシリーズで何話か作られた。
あのイカみたいな頭巾が好きだ。ちっちゃいピストルを持ってる。
そういうわけで、
私のホームページ、「ダルマテング」略して「ダルテン」または「だるてん」は1998年とともに立ち上がった。
キャラクターのだるてんちゃんはズキンをかぶりダルマ印のシャツを着ている。
錦糸町河内音頭が好きで、このところずっとパラパラ踊りとミックスして踊り続けている。
最初は「ダルテンニッキ」という日記と「だるまてじかめ」というデジカメのコーナーだけだった。
よく一緒に旅行に行っていた友人とは普段はたいして会わない。
報告がてら写真と文をアップしたりしていた。
しかし、当時彼女のコンピューター環境は発達しておらず、
たいして見ていなかったようだ。
よって、カウンターの回転の極めて遅いページだった。
それでもべつだん、どうしようとも思わなかったし、
たまに写真や日記をアップして、
みてみてと数人にメールを出し、見にきてもらればよかった。
「だるてんびーびーえす」なる借り物の掲示板もあるにはあったがほとんど活用されていなかった。
借り物なので最大20件までの記事が超えると削除されていく掲示板だったが、
それで十分満足だった。
そのころ、家にはコンピューターが2台あって私のはモノクロのノートパソコン。
ダルテンにアップするときだけもう1台のカラーのほうを借りていた。
2000年になり新しくマシンが増えると、
いままで重すぎて見られなかったウェブサイトも見られるようになった。
そして、あっさりと保坂和志公式ホームページに出会う。
そして、がぶん波にざぶんと押してもらい2000年10月22日「保坂和志を囲む会」に参加。
そして、保坂さんを囲む人たちと出会い、掲示保板を囲む人たちに出会っていく。
そして、現在「だるてんびーびーえす」はくるくるくるくる回っている。
ある数枚の写真を思い出す。小学校1、2年のころの写真だ。
学校が終わると近所の5、6年生と遊んでいた。
3、4年生もいたかも。つまり年齢がバラバラ。
家に遊びにさそいに来てくれていたのか、自分から入っていったのか。
どういうなりゆきかすっかり忘れている。
写真はある日たまたま近所の人が撮ったものだろう。
だからといって私が高学年になるにつれ、
低学年と遊んだかというとそうでもないように思う。
子供をとりまく環境がかわったのか、私にそういった関心がなかったのか、
記憶がないだけか。
おんなじ所らへんに住んでいたという共通点。一緒に遊んだという記憶。
あとからそれを思い出してあたたかい気持ちになる。
そして、現在「だるてんびーびーえす」はくるくるくるくる回っている。
光速で。
記事はあいかわらず最大20件までのままだ。
はじまりは保坂和志作品が好きで、保坂さんが好きという共通点。
年齢・地域バラバラ。
なんかよくわからないけれど、すごいことだ。
そして、私はあとからそれを思い出してあたたかい気持ちになると思う。 |