毎日仕事には出かけるし、買い物だって嫌いじゃないけれど、私が出不精なのは確かで、それは人ごみが嫌いだからだと思う。毎朝出勤するのもラッシュを避けて早めに出かけたり、乗り換えに不便なのを承知で空いた車両に乗り込んだりしている。そういう毎日を過ごしていると、もうそれ以上は出かけるのは面倒という気持ちになったりすることもある。でも不思議なものでいつだって旅行は好きなのだ。しばらく前に掲示保板でずぼらな人ほどいったん奮起するとマメになるという話があったけれど、私の旅行好きはそんなものなのかもしれない。
 もちろん、人ごみは嫌いなのでゴールデンウィークや旧盆といった時期はひっそりと地味に暮らし、ちょっとはずれた時期に出かける。あるいは仕事で出張したついでに、一人気ままに旅行気分で帰ってくることもある。遠回りしてガタゴトと列車に揺られてゆっくりと車窓の風景を眺めながら、一人旅の緊張感と開放感がないまぜになった不思議な気分を味わっていると、日ごろ住み暮らしている世界とは一歩隔たったパラレルワールドにいるような気持ちになってくる。もちろん旅先の空間というものは、私がいつもどおりの生活を繰り返していようといまいと常にその場に存在するもので、私がたまたまその場に居合わせているというだけなのだから、その意味でパラレルワールドなのだと思う。遠回りするルートをたどる旅行を好んでするのもパラレルワールドを楽しむためなのだが、それとは別に自分がいる場所がふだん住んでいるところからどれだけ離れているのかを体感したいからという理由もある。飛行機なら1時間で着いてしまう北海道へ寝台車に乗っていく、仙台まで新幹線ではなく常磐線で行ってみる、福島から新潟へと日本列島を横断してみる、などなど。たとえば東京・札幌間はおよそ1000キロといわれているけれど、それがどれくらいの距離なのかは実感としてつかみにくい。タクシーの初乗りは2キロの500倍といっても何がなんだか。東京・鎌倉間は50キロくらいだったと思うけれど、その20倍といったら少しはわかるだろうか。やはりそれは時間をかけて自分で行ってみるに限る。
 ずいぶん前になるけれど、ある夏の終わり、出張で出かけた京都から東京へ帰るのに新幹線を使わず、特急を乗りついで紀伊半島をめぐってきたことがある。紀伊半島と一口にいってしまうとまるで三浦半島のようで、都心から私鉄に乗って1時間半くらいで半島の先端まで行けるような感じがするのだけれど、地図をよく見ると三浦半島よりもずっとずっと大きく、時刻表を調べてみると京都から半島先端までたどりつくには特急に乗っても4、5時間かかる。半島というにはずいぶん大きな土地のようだ。そこで、仕事が終わった翌日は休暇をとって1日かけて半島めぐりをして東京へ帰ることにした。
 決行は9月1日、夏休みが終わったばかりの平日だから電車も空いているはず。まずは京都を午前9時ちょうどに出発する「スーパーくろしお」で大阪、和歌山を経由して終点新宮まで行く。この電車は運転席と客席との仕切りが透明で、先頭の座席からまっすぐ進行方向が見通せるという話を鉄道にくわしい友人から聞いたので、それならば先頭座席に座れるように指定席を手配するべくみどりの窓口へとまず出向く。そこまで座席にこだわるのなら海が見える側に座りたくなるのは当然だから、「進行方向の先頭で海側の窓側座席」と思いっきりわがままな指定席の指定をしてみた。駅員さんは端末を操作した後、「その席はもう予約されてますね」と冷たく言い放つ。夏休み明けとはいえ、穴場狙いで旅行に行く人が意外と多くいるのかもしれない。仕方ないのでなるべく前の方の席を頼むと、運良く隣りが空いていると言うではないか。先頭座席で通路側とはいえ海側ならば、まずまずよしとしなければならないだろう。とりあえずその席を押さえておいて、直前になってキャンセルが出るということもあり得るから、出発当日までは時々みどりの窓口に出かけて「海側の窓側席」に乗車変更ができるかどうかきいてみることにする。
      
               *   *   *

 9月1日、快晴の朝を迎えた。何度か乗車変更ができないかとトライしたが、一番いい席は予約済みのまま。それでも二番手の席は押さえてあるから、なにも心配することはない。京都駅に着くなり小さな鯖寿司を朝食代わりに購入して、ゆっくりとホームに向かう。ホームに到着するとまもなく電車の入線。白いTシャツがまぶしい小柄な青年が一眼レフカメラを構えて到着する電車をとらえている。真剣な表情でゆっくりと進んでくる電車と対峙する様子は、どうみても鉄道マニアだ。彼も「スーパーくろしお」(それにしてもスーパーいなげやのようなネーミングだ)に乗るのだろうか。
 電車が到着しドアが開くなり乗り込んで二番手の席に座る。私はせっかちではないが、混み合った車内を「すみません、通ります」と言いながら先頭の席まで進むのはまっぴらごめんだ(京都だったら「通しておくれやす、おおきに」と言うべきなのだろうか)。座ると運転席を通してその前方がよく見える。ロマンスカーのように運転席が2階にあるわけではないので、運転手さんの背中もよく見える。乗客に見つめられながら運転するのはどんな気分だろう。鉄道マニア、しかも運転席マニアなら垂涎の席に違いない。鉄道にくわしい友人の話によれば、鉄道マニアといっても非常に幅広いジャンルがあって、一口で「鉄道マニア」といってくくってしまうのは無謀ともいうべきことなのだそうだ。まず乗り物系でいえば、SLをこよなく愛するタイプ、現存する乗り物が好きなタイプがあり、現存系は通勤電車などの日常系と長距離系に分かれ、日常系では自分がふだん乗り降りするものが好きなタイプと各都市の通勤電車など自分が住んでいないところまで興味を広げるタイプがあり、長距離系では単に長距離なら何でもというタイプと特急などに限るというタイプ、とにかく新型車というタイプなどさまざまなのだそうだ。さらにそれらに乗り込んで楽しむタイプ、自動車で沿線をチェックして電車を風景の一部として楽しむタイプもあるらしい。また乗り物以外にも切符に興味をもつ人、レールが好きな人もいれば、現実の電車ではなくミニチュアで再現することにエネルギーを注ぐ人などもいる。つまり鉄道関係のすべての部分においてなんらかのマニアが存在すると考えて差し支えないらしいのだ。そういえばくだんの友人から、電車の中の扇風機には二種類あって、一つはファンデリア、もう一つはラインデリアというのだと教えてもらったことがあった。「へえー、すごいな」と感心したのだが、よく話を聞くと、ファンデリアは天井に取り付けられた丸い昔ながらの首を振りながら回るタイプのもので、ラインデリアは現在普通に見る天井にはめ込まれた細長い吹き出し口が左右に動きながら送風するタイプのものなのだった。名前こそ知らないがどちらも日常見ているもので、そういうものにまでいちいち商品名があるということに驚き、そういうことを知っている人がいるということに二重に驚いたのだった。
 「失礼します」という声に気がつくと、「スーパーくろしお」の一番の席に座ろうとしているのは、あの白Tシャツの青年ではないか。そして周囲を見渡してさらに驚いたのは、先頭車両に乗っているのは今のところTシャツ青年と私の二人きりだということだった。やはり9月1日は旅行の穴場の日らしい。それにしてもがらんとした車内で、見知らぬものどうしが先頭の海側(京都発の場合は進行方向右側)に並んで座っているというのはなんとも妙な感じだ。私は出張の帰りだから夏物のスーツを着ていて、となりの青年はTシャツで、そのこともちぐはぐ感を引き立てているような気がする。この青年が一番の席を予約していたのかと思うと、そのあたりのことも聞いてみたくなる。
「指定席発売開始の日に予約したんですよ」
「発売開始って1ヵ月前ってこと?」
「そうです」
ああ、そういう人には勝てない。何気なく話を進めてみるとやはり彼は鉄道マニアであった。九州の大学生で、夏休みを利用して電車で旅行をしながら写真をとっているのだそうだ。
 気がつけば電車は京都駅を発車し、新大阪へと向かい始めている。この間は東海道線を走るのだが、大阪から先は紀伊本線を走る。本来、この二つの路線はそれぞれ独立して存在しつながった個所はないのだそうだ。
「ほら、今走っているところは、東海道線から紀伊本線に入るための引込み線みたいなところなんですよ」
言われてみると砂利が新しくてあまり使われていないようなところを走っている。何しろ運転席を通して前方がよく見える席だから、砂利の古い新しいまでがはっきりとわかるのだ。架線がどこまでも伸びていくのもよく見える。
「架線が左右にジグザグになっているって聞いたことがあるけれど、本当にそうなっているんだね」
「くわしいですね。本当に見えますね。これはすごいな」
とTシャツ青年はカメラを取り出して架線の張り具合を撮影する。実は私の父は鉄道の架線を張る工事に携わっていたので、そういう話を聞いたことがあったのだ。電車はパンタグラフで架線から電気をもらって走っていくのだけれど、どうしても摩擦で金属が磨り減ってしまう。架線が減ってしまうと全線にわたって張り替えなくてはならないので、パンタグラフの方が磨り減るようにしているのだそうだ。パンタグラフだけなら取り替えは簡単だからね。そうなると架線がまっすぐに張られているとパンタグラフの決まった個所だけが磨耗してしまってすぐに使い物にならなくなる。なるべく平均に磨り減っていくように架線はジグザグに張っていくのがセオリーなのだそうだ。話には聞いていたけれど、通常線路を横から見ていると架線のジグザグなんてまったくわからなくて、線路の真ん中と言ってもいいような場所から見て初めてそれとわかるものなのだった。
 大阪を過ぎて和歌山に入る頃には、二人きりの車内にもほかの乗客が乗り込んできて、ようやく普通の車内のような感じになってきた。そのうちに右側に海が見え始める。京都で買った鯖寿司を食べてしばらくすると、和歌山の手まり寿司が車内販売のワゴンに載せられてやってきた。一応名物なのでそれも購入。電車の旅というのは特にすることもないのだけれど、常にレールからの振動が伝わってくるせいか、意外とおなかが空くものなのだ。手まり寿司はお昼過ぎに海を見ながら食す。
 午後2時を回ったころ電車は新宮に到着する。ここで特急「南紀」に乗り継ぐ。
「スーパーくろしお」はJR西日本の管轄で、「南紀」はJR東海の管轄だ。乗り継ぎ時間が5分足らずなので、到着するなり「南紀」に向かう。周辺の観光をするというTシャツ青年とはここで分かれる。
 「南紀」は電車ではなくディーゼル車であった。電化工事が全部終わっていない箇所があるということだろう。くだんの鉄道好きの友人は「『南紀』のディーゼルエンジンは今や数少ない○○系のものなんです。せっかくですから音をよく聞くといいですよ」と事前にアドバイスしてくれたが、興味のない人間にとってはやたらと音が大きいだけの代物だ。由緒あるエンジンを搭載しているだけあって車体全体が古いらしく、乗り心地も今ひとつである。新宮で乗り換えのついでに買った目張り寿司を食べながら旅は進む。四日市のコンビナートなども見えてくる。夕方5時半ころに「南紀」は名古屋駅に到着した。
 思えば朝9時に京都を出発してずっと電車と列車に乗り詰めだった。京都・名古屋間といえば新幹線で1時間足らずの場所である。ただ移動するだけで車窓の風景の移り変わりを見ていただけであったが、ずいぶんさまざまな景色を目にした1日であった。狭いといわれている日本ではあるけれど、私にとってはなかなかの広さの紀伊半島であった。まだ乗り物の振動が身体の中に残っているような不思議な感覚を味わいながら、名古屋から東京に向かうため新幹線のホームでひかり号を待つ。旅の締めくくりは最新の電車なのだが、ホームにたたずむ多くのビジネスマンたちを見ながらここはもはやパラレルワールドではないと痛感した。
 旅行から帰って1ヵ月後、Tシャツ青年から絵葉書が届いた。新宮で別れた後、少し戻って夕日に映える橋杭岩を撮影した写真を葉書に仕立てたものである。車中で話をするうちに、私の旅程を聞いてずいぶん興味を持ってくれたらしい。彼とはその後一度もあってはいないが、季節ごとに各地の写真葉書を送ってよこすし、私も時々旅行をしてはその旅程を書いて送ったりしている。いつかパラレルワールドのどこかでひょっこりと出会うこともあるかもしれない。


もくじへ