◆◇◆『カンバセイション・ピース』(初稿)A パターン(その3)◆◇◆



 しかし伯父はこの家だけは残して、英樹兄は転勤から戻ってこられなかったとしても定年になったらこの家に住むと言っているわけだけれど、伯父がそれを望 んでいたかとなると怪しい。いい木材を集めたといっても戦後の混乱期のことだし、総ヒノキ造りというような何代も残すような建物でもない。しかしもし英樹 兄が私に、おまえの好きなようにしろ、おまえの好きな設計で建て替えてもいいし、と言ったとしても、私はやっぱりこの家を壊さないだろう。
 私は東京で一人暮らしのあいだに五ヵ所、妻の理恵と暮らすようになって二ヵ所に住んで、いまのここに来たけれど、建物それ自体に愛着を感じたようなとこ ろは一つもない。英樹兄からここに住まないかと声をかけられる前の一年間はもう少し広いところを探して何軒も一軒家を見て回ったけれど、建て替えてかまわ ないと言われたら喜んでそうしたいような家ばかりだった。
 もっとも一つだけそういう気持ちで処理できないのは、ここの前の貸家で、あそこでチャーちゃんが死に、朝は東の窓辺で寝ていて、十一時頃になると居間の 陽の射す畳に移り、目が覚めると真ん中を通っていた廊下を走りまわっていたチャーちゃんの姿はやっぱりどうしてもあの家の中でのことで、それがあるから私 は一年間以上は別の家に移る気持ちがまったく起きず、死んで二年半たってこの家に来たわけだけれどチャーちゃんの姿をこの家の中に置き換えることができな くて、チャーちゃんを前の家に残してきたみたいな気分が抜けないでいる。
 しかし妻は私のこういう気持ちを共有していない。【何しろ深夜に自動販売機から手がぬっと突き出ていても「あ、困った」程度で帰ってきてしまう人間だか ら、いわゆる科学性とか合理性から外れるものは見ても見ないけれど、】(【 】の部分は赤斜線で消してある)前の貸家に住んでいた六年間は、私がずうっと 家の中で仕事をして猫の相手をしていたのと対称的に、妻は年中忙しく仕事をしていて出張や泊まりがけになることも少なくなかったので、あの家にいるあいだ もずうっと間借りしているような気分だったらしく、妻の中ではチャーちゃんとあの家の二つがきちんと結びついていなくて(クーとココも同じくあの家と結び ついていない)、
「そんなこと、たんにあなたの感傷なのよ」
 としか言わない。しかし何しろ妻は深夜の自動販売機の取出口から手がぬっと突き出ていても、「あ、手だな」「見なかったことにしよっ」程度で帰ってきて しまう人間だから、基準にならない。普段の考え方は科学的でも合理的でも何でもないくせに、こういうときだけ強硬に科学性や合理性を主張する。
 もちろんそれは「押し花絵を作っていた」ということだけで、それより奥まで伯母の内面についての想像の錨を降ろしていかないで済ますある種の防衛と共通 の、妻の心の働かせ方というか心の働きの遮断で、恋愛の最中だったらともかく十年以上も一緒に住んでいるいまは妻のこういう遮断を追求しようとか詮索しよ うとか思わない。しかし考えてみれば妻に対するこういう評価もいま作りあげた評価で、何につけても優柔不断でごちょごちょごちょごちょ、ああでもないしこ うでもないけれど、ああでもあるかもしれないしこうでもあるかもしれないというようなことを言ってばかりいる私に対して、「どっちだっていいじゃないの」 「早く決めなさいよ」「ダメならやり直せばいいじゃないの」と、不必要なことは極力排除して考えて行動に移すのが妻の理恵で、私はそこに魅かれたのだっ た。恋愛の最中にいれば自分と対極にあるものにはほとんど無条件に魅かれることになっていて、将来それが二人の苦労の種になるわけだけれど、自分と似か よったものでも恋愛の最中にいればやっぱり魅かれることになって、似かよっていれば将来苦労しないかといえばやっぱり苦労することになる。
 恋愛においてはすべての特徴が、特徴であるということだけで魅力と映る【、もしまったく特徴のない人間がいたら特徴がないことがまたきっと魅力と映って しまうのだろうが、】(【 】の部分は赤斜線で消してある)けれど、特徴があるかぎりにおいて将来それはすべて苦労の種となるのだろう。しかしそれもまた 後づけの理屈だと思った。十何年一緒に住んでいるいま苦労があるといっても、恋愛の最中の苦労と比べたら平穏なもので、恋愛の最中にその苦労を苦労と感じ ていなかったかといったらそんなことはなくて、やっぱり苦労と感じていた。たまに恋愛の外側に立っているような冷めた気持ちになったときには、恋愛を恋愛 たらしめている本当の根拠とは何かと考え、結局、根拠らしい根拠は見つけられなかった。
 とまあ、こんなことを二ヵ月に一回ぐらい考えていれば、一色になりがちの妻との気分に薄れたいろいろな感情が戻ってくるわけだけれど、一年半前の春にこ の家に引っ越すのを決めたときだけは私の側の決断で、妻はそれを追認する格好だったことを思い出した。決めたことは決めたことと割り切る性格の妻はいまま で何も言わなかったし私も聞いていなかったことをあらためて自覚して、夜、私は妻にこの家をどう思うか訊いてみた。
 ゆかりがいても浩介がいてもかまわなかったけれど、浩介は家に帰り、ゆかりは友達と遊んでくると言っていて、家には妻と私だけで、妻の理恵は、私の質問 に、
「この家?」
 と言ってほんの数秒考えただけで素っ気なく、
「好きよ」
 と答えた。
 その素っ気なさは、つきあいはじめた頃に「おれのことどう思ってるの?」と訊いたときにも同じように答えたのだろうと思わせるような素っ気なさだった (そんなやりとりがあったかどうか思い出せないが)。
「それだけ?」
 私は訊いた。
 妻は作ったようににこっと笑って、
「冬は寒かったよね」
 と言った。
「寒かったなあ」
「あそこに足つけた瞬間の冷たさ」
 と言って、縁側を指した。大きなホットカーペットを敷いて居間の床は暖かくしていたが、その分カーペットのないところに素足で出ると冷たくて、特に板の 間がすごかった。
「だって、ここ遊びに来ると、冬はジャンパー着て炬燵に入ってたりしたもんな」
「お風呂場の脱衣場もすごかったよね」
「布団から手を出して寝なくなったしな」
「いまはまだピンと来ないけど、『本当はこんな気楽な話じゃない』っていう記憶だけは、ちゃんと残ってるわよ」
 妻も私もTシャツ一枚だった。外から虫の声が聞こえていて、蚊取り線香もまだ炊いていた。クーは縁側の隅にいて、ココは台所の入口に陣取ってもっと食事 を出せと待っていて、ミケはたぶん二階の窓から外の音を聞いたりしているはずだった。冬の夜はそういうわけにはいかず、猫たちも三匹がホットカーペットの あるこの部屋にまとまっていた。
「ちっともよくないじゃんか」と私は言った。
「え? そんなことないじゃない。
 寒いのはきついけど、うち家だって昔はそうだったもん。
 森中君だって綾ちゃんだって、『寒い寒い』って言いながら、縁側の日向をありがたがったりしてたんだから、よかったんじゃないの。
 人間が猫に近づいたみたいで、なんかおもしろいよね」
 私は笑ってしまった。綾子と森中はこの夏も「暑い暑い」と言いながら、結局エアコンのない二階にいた時間の方が長かったくらいだった。私がそう言うと、 妻が、
「古いうち家って、夏は夏のように、冬は冬のように――って、ちゃんとなるのよね」
 と言った。
 それなら、マンションはマンションのようになって、古い家は古い家のようになって、もっと進めればこの家に住むとこの家のようになるという理屈もあるか もしれないと思ったけれど、「あなたの話はすぐにそういう風に極端になる」と言われそうなのでこれは言わないでいると、理恵が、
「あの、ナオねえでさえ、『こういううち家は時間が塵のように積もってていい』なんて言うものね」
 と言って笑った。ナオねえというのは奈緒子姉のことだ。奈緒子姉の印象は理恵にもやっぱり最初から強烈で、それ以来、理恵は奈緒子姉をナオねえと呼ぶよ うになって、ついでに英樹兄もヒデあにいと呼んでいる。ナオねえ、ヒデあにいと比べると、幸子姉と清人兄は普通だから、幸子さん、清人さんだけれど、それ はともかく、私はさっき私がもうひと言しゃべるのを抑えて、ここで面倒くさい話にならないようにしたのと同じように、理恵も私の気持ちに沿うようにしゃ べっているんじゃないかと思った。【ナオねえの話に私も笑い、「どこかから、そういうフレーズを仕入れてくるから怖いよな」と言った。】(【 】の部分は 赤斜線で消してある)理恵と私だって、つきあいはじめた頃には自分の気持ちよりも相手の気持ちを優先させていた。苦労といえばそれもまた苦労といえなくも ないかもしれないが、相手に沿って考えて相手に沿ってしゃべっている方が楽しいと感じられることだってあるわけで、そういう楽しさはなかなかえがたい時間 だと思う。
「ナオねえって、すごく体力もあるけど、愛情の発揮のさせ方もすごいと思うのね」
「毎日、ここまで通ってたっていう話か?」
 奈緒子姉は伯父が死んで伯母が一人になってから死ぬまでの八年くらいのあいだ、ほとんど毎日、所沢から世田谷のこの家まで伯母の様子を見に来ていたの だった。
「それもそうなんだけどさあ、もっと存在の全体で愛情を発散させてるじゃない。
 中学のときに、うち家の庭にいつもご飯食べにくる猫の親子がいて、わたしあんまりかわいかったから母猫が見てない隙を盗んで、三匹いた子猫のうちの一匹 をもらって家の中に入れちゃったことがあるのね。そうしたら母猫がその子猫を探して、一晩中『ニャオニャオ、ニャオニャオ』鳴いて家のまわりを探してる の。しょうがないから返して、『そんなことするな』って母にも怒られたけど、ナオねえ見てると、あのときの母猫を思い出すのよね」
 私は笑った。
「何しろあなたと一緒に木に登ってたんだもんね」
 と、そこまで言って、理恵はゲラゲラ笑い出して止まらなくなった。
 私は子猫をしたがえて木に登っている母猫の姿を思い出した。理恵もきっとそれを思い出したのだろう。猫は木登りも鳥や虫をつかまえるのも全部、子猫の前 で実演して教える。【しかしところで、この家に来てすぐの頃、奈緒子姉が私や清人兄と一緒に庭の木に登っていた話をしたときには、すでにナオねえと呼んで いた理恵は「ホント、愛されてたのね……」と、私の性格の厄介な部分のでどころ出所の一端を知ったという風な調子で、否定的な響きをこめて言ったものだけ れど、この夜は私はあのときのやりとりは思い出さなかったし、理恵もきっと思い出していなかっただろう。同じ話をうっとうしいと思うこともあるし、ただお かしくて笑うこともあるのだ。】(【 】の部分、赤で「カット?」とある)もっとも奈緒子姉が私や清人兄と一緒に木に登っていたのはまだ私がここに住んで いた頃の話で、庭の木の中でも低いところでうまい具合に幹が曲がっている木を這うようにあがっていって、下からせいぜい三本目くらいの枝につかまるとか、 低いモチノキの入り組んだ枝の中に私を入れて、下から尻を支えて上らせていたとかそんな感じで、その後私がサワラやシラカシの一番上まで上るようになって からは、もっぱら下にいて「あぶないよ」と言っていただけだった。
 それはともかく、理恵としゃべっているうちに、家族に中心になる人間がいるものなのだとしたら、伯父でも伯母でも英樹兄でもなくて、奈緒子姉だったのか もしれないという気持ちが生まれてきて私がそう言うと、
「そうなのかもね」
 と理恵が、今度は言葉は素っ気ないが思いはかなり強いような感じで同意した。
「競馬はいい血統しか残さないけど、突然、四代も五代もさかのぼった全部の馬の可能性が現実化したような馬が出てきて、その馬がまた新しい源流になるんだ よな」
「? また競馬はじめちゃダメよ」
「やらないよ。だから、奈緒子姉ちゃんの極端な個性は、代々の血筋の中に可能性として眠っていたもので、それがうまい具合にブレンドされて、ああいう風に 開花した」
「開花――」と言って妻は笑った。
「梅とか桜じゃないわよね。ダリア、……色のこい蘭、……○○○、……○○○、……」
 理恵は私の頭の上の鴨居のあたりに目をやって、花弁がしっかりしているような、アクが強い花の名前を挙げていった。
「存在するとは不思議なことだなあ」
「何よ、また」
「不思議だからうまく言えない」
「お風呂入れてくる」と言って、理恵は私のこういう話には面倒くさいからつきあわないという感じで立ち上がった。
 理恵が北の廊下を歩いていくと、階段を「ニャアニャア」甘えた声で鳴きながら降りてくるミケの声と、「何、何?
どうしたの?」「そうニャアニャアなの」という理恵の声が聞こえてきた。縁側の隅で寝ていたクーは理恵が席を立つのを待っていたように私のそばに来て、ご ろりとおなか腹を見せた。そこを撫でろという仕種だ。
 ココは「クゥ」と鳴いて起き上がってご飯の催促をした。しばらく無視してクーの腹を撫でていたが、ココが台所の床に置いてある紙袋をガサガサガサガサ耳 ざわりな音を立てて、さらにご飯の催促をしたので、ドライフードの入っているカップを持って階段の上にあるココの皿までドライフードを持っていった。ココ の運動不足解消のために、ココにだけはいちいち階段の上まで行って食べさせるのだ。
 理恵とミケは風呂場に行っていた。理恵が湯船を洗ったりするのをミケが見ているのだろう。窓の枠にのったり、湯船の縁にのったりして、人間の手の動きを 見ていて、たまにスポンジに向かって手を出す。階段の上でココのドライフードを少し皿に入れて、居間に戻ってクーの腹を撫でたり、脇の下を撫でたり顎の裏 を撫でたりをつづけた。八十七年の四月に理恵が和菓子の小さな箱の中に捨てられていた、生まれて間もないクーを拾わなかったら、私がこうしてクーを撫でる こともなかった。ココもミケもチャーちゃんもクーのように長い時間自分の身体を人に撫でさせない。生まれてすぐに捨てられてそのまま死んでしまった猫がい ままで文字どおり数えきれないくらいいて、そういう猫たちが成長していたら、クーやココやミケのようにそれぞれの個性を発現させて、人間たちといろいろな 関わり方をしたのだろうに、そういうことは可能性のまま形にならずに消えていった。これはもう本当に何百回も考えたことで、考えるたびに生きていることの 不思議を実感するが、さっき感じた不思議はそれとも違っていた。
【同じ父親と母親から四人の子どもが生まれても四人の子どもはそれぞれ個性の強さが違う。奈緒子姉の兄弟は上から順番に個性が弱くなっていくが、それは個 性の強い奈緒子姉の存在が下の三人の個性の発現を抑えたからなのか、そういうことではないのかわからない。奈緒子姉がいなかったら、ああいう個性が兄弟の 中に出てこなかったか、他の誰かに出たのかもわからない。奈緒子姉のような個性は、奈緒子姉の子どもか孫に出るのかもしれないし、他の兄弟の子どもか孫に 出るのかもしれない。伯父か伯母の血筋をさかのぼっていくと、どこかに奈緒子姉のような人がいたのかもしれない。
 伯父は勤勉な職人の家系に生まれた例外的な怠け者と言われているけれど、他の兄弟は怠け者になることを抑えていただけなのかもしれない。さかのぼればど こかに伯父のような怠け者が見つかるかもしれない。そういう怠け者が奈緒子姉や兄弟の子どもたちの中にすでに生まれているかもしれないし、次の世代で生ま れてくるかもしれない……。】
【【と、いろいろ順番組み合わせ風に可能性や潜在やその現実化について考えてみたが、そういうことを不思議だと思ったわけではなかった。】】(【 】の部 分は赤Xで、【【 】】の部分は赤斜線で消してある)四代分五代分の血統を合わせて現実化したような馬が源流となることで、私は存在することと存在しない ことが等価になるような気持ちがした、ということらしかったのだ。
 「新しい源流となる馬が何代かに一度出現する」と考えてみると「存在することと存在しないことが等価に感じられる」と言っても誰もその二つがどういう風 に論理的につながっているのかわからないだろう。しかし、そのつながりは私自身でもわかっていない。
 源流という想定によって、どうして存在することと存在しないことが等価になるのかわからない。それは生まれることと生まれないことが等価ということなの か、それもわからない。源流が新たに生まれるということは、源流が生まれなければいつまでも伏流がつづくということを考えたのか、それもわからない。
【ドストエフスキーがもし少年時代に死んでいたとしたら誰もドストエフスキーのような小説を想像しない。想像しないというのは本当にまったく頭に浮かばな いということで、ドストエフスキーをすでに知っている人間がドストエフスキーがいないことを想像することはできない。しかし少年時代に死んだもう一人小説 家になったかもしれない人がいたと言われても、その作品を仕上げる前に死んでしまったその小説家については本当に何も想像できないが、あまりに何も想像で きなすぎて、「いたとしたら」という仮定もまったく成り立たない。しかし、そういうことを不思議と感じたわけではなかった。】(【 】の部分は赤Xで消し てある)とにかくこの不思議さの正体は何とも説明のしようがなく、他の何かに置き換えてみることもできそうになかった。


(以上、437頁14行目から455頁4行目まで)



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