『カンバセイション・ピース(初稿)』(2001年2月〜2002年1月)
その1

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 伯母が死んで私と妻の二人が世田谷のこの家に住むようになったのが二年前のことで、去年の秋に友達が三人でやっている会社をここに移し、四月からは妻の姪の由香里も住むようになったので、勤めに出ている妻をぬかして昼間は五人がこの家にいるのだけれど、私の知っているこの家の住人の数と比べたらまだずっと少ない。
 もともとここには伯父伯母と四人の子ども(従姉、従兄、従姉、従兄)の六人が住んでいて、そこに私が小学校にあがる前の二年間、昭和三十五年から三十七年にかけて私の家族が同居していた。船員をしていた父が半年くらいずつ家をあけるのを不用心だと思った祖父母や伯父夫婦の判断で、母と私と生まれたばかりの弟を合わせて九人、父が帰ってきたときには十人というのが、私の記憶の中にある自然なこの家の人数で、子どもの頃に住んだ家というのは無条件に家とそこに住む人間の関係の基準になる。
 あの頃は、三部屋ある二階の八畳と六畳の二部屋にうちの家族がいて、二階のもう一部屋が従兄二人の部屋で、一階の奥が従姉二人の部屋で、手前というか中心の二部屋がみんなの集まる居間と伯父夫婦の寝る部屋、と一応そういうことになっていたけれど、昭和二十年代おわりころに建てられたこの家は、台所や玄関以外は全部畳で部屋と部屋の仕切りはすべて襖なので、はっきりと用途を決めて建てられているいまの家とは、人と部屋の関係が全然違っていた。時代も昭和三十年代半ばのことだから部屋を、決めたとおりの用途に使おうなんて律儀さはそこに住む人間の方にも育っていなくて、子どもがいればそこが子どもの部屋になり、布団を敷けばそこが寝室になった。下の清兄は上の英樹兄に泣かされると隣りで寝ている私たちの部屋で眠り、私は私でしょっちゅう直子姉と幸子姉の寝ている奥の部屋で寝ていた。
 それで小学校に入る半年前に私たちの家族は探していた手頃な家も見つかって鎌倉に引っ越すことになったのだけれど、この家にはそれからもちょくちょく遊びに来て、休みになると一週間から長いと二週間くらい泊まっていた。私はほかにも山梨の母の実家も好きで、そこでも従兄姉たちに囲まれて何日も泊まっていた。
 そういう子ども時代を過ごしたせいか、私は人の家で何日も泊まっているのが平気だし、誰かが自分のところに居候しているのもあたり前という感覚があって、伯母が死んだときに転勤でまだしばらく戻ってこられそうもない長男の英樹兄から「おまえ住んでくれないか」と言われたときに「いいよ」と簡単に返事をした。それを聞いて妻は少しあきれてしばらくためらってもいたけれど、もう少し広いところに移りたいと思ってもいたし、猫三匹を気がねなく飼える賃借の一軒家となると全然物件が見つけられなくて、この家と似たような古さで当然もっと全然狭いところが二十万から二十五万にもなるので、あきらめの気持ち半分でここに住むことを了承した。
 この家は家賃は払わなくていいけれど、固定資産税は私たちで払わなければならない。土地が百坪以上あるのでそれだけで百万円ちかくなるけれど、それが年間の家賃だと思えば安いものだ。二十万の貸家を不動産屋を通して借りたら、敷金礼金各二カ月分と仲介手数料一カ月分を合わせたら百万円になってしまう。
 それで猫三匹をつれて引越しをしたという話をすると、「猫は家につくと言うけど大丈夫だった?」というようなことを言う人が何人かいたけれど、それはまったく問題にならなかった。こと猫となると、実際に飼っている人までが、「病いは気から」みたいな慣用句でまず考えてしまうのはおかしなものだと思うけれど、それはともかく、私と妻と猫たちだけが引っ越したわけではなくて家具や布団も一緒に引越しをしたのだから、猫たちは最初の晩は馴れた匂いのついているクッションの上と洋服ダンスの中にそれぞれ居場所を決めて、翌日の朝あたりからそろそろと出てきて一部屋ずつ匂いを嗅いで回りはじめていた。
 直子姉と幸子姉が猫が好きで、下の幸子姉が結婚するまでこの家には猫が一匹か二匹ずつ途切れることなく飼われていて、その後もあんまりきちんとしていない飼い方で十八年前に伯父が死ぬまで二匹くらい飼われていたので、うちの猫たちは遠い昔にここに生きていた猫たちの匂いを嗅いだかもしれない。これは冗談や比喩ではなくて本心から私の気になっていることで、犬や猫はいつぐらいまでさかのぼって残された匂いをたどることができるのかと思う。匂いをたどることができるかぎり、匂いを残したかつてそこに住んでいた猫が存在しつづけていると、あとから来た猫は人間が了解しているのと別の仕方で感じているのではないかと思う。同じように、もうすでにこの世にいない伯母もうちの猫たちにとっては存在が消えきってはいないかもしれない。引越して三カ月ぐらいしたときに英樹兄がやってきたことがあって、そのとき一番上のオスのクーが一度は隠れたものの、五分かそこらで出てきて、まず玄関で英樹兄の革靴の匂いをしばらく嗅いで首すじのあたりをすりつけたりしてから英樹兄のすぐそばに来て、胡座をかいて坐わっている腰のあたりから尻、膝、爪先と、鼻をくっつけるようにして匂いを嗅ぎつづけた。
 うちの三匹の猫は、真ん中のメスのココだけはいつもマイペースで誰が来ても逃げたり隠れたりしないけれど(そのかわり寄っていくこともないが)、上のクーと下のメスのミケはこわがりで、ふつうは誰か来ると隠れてしまってなかなか出て来ないことになっていて、あんな態度をとったことはたぶんはじめてだった。もっともクーだけでココとミケはいつもと変わらなかったから断言なんかはできないけれど、それでもあのクーの反応を見て、私はここにかつて住んでいた猫や人の匂いがまだ消えきらずに残っていて、それが残っているかぎり存在もなくなりきらないという考えに少しだけ確証を得たような気がした。

 それはそうと、ここの跡取りの英樹兄は私のイメージの中ではバン・ジャケットを買いまくったり、年に一度車を買い替えたりするような洒落者の遊び人で、そのイメージは本人を目の前にしても変わらないのだけれど、実際は私より八歳年長の五十二歳になっている。英樹兄から見た私だって同じことで、五つ六つの小僧かせいぜい中学生ぐらいだった私が目の前にいてもなお存在しているという気分がはっきりと感じられて、そういう風に見えてるんだろうなと思えばなおさらこっちだって、四十四歳の男のようには英樹兄としゃべることができない。
 そんな二人の会話だから片方が「おまえも少しは人の役に立つようなことでも書いてみろ」と言えば、もう片方が「いい年して茶髪なんかに白髪を染めて」なんてことばっかりで、本題を切り出すのがお互いテレ臭いという空気がありありと漂っているのだけれど、やっとしゃべった英樹兄の本音は、
「おれは親父とおふくろとみんなでワイワイやってたこの家が好きなんだ」
だった。
「まったくだらしないもんだよなあ。
 親が一代で土地を買って家を建てたものを、子どもの代になると守るのが精一杯だ。
 あのときあっちを売ったことを俺はいまでも後悔してる」
 というのは、伯父が死んだときに相続税を払うために売った、ここの敷地の奥(東側)の三分の一の庭のことだけれど、そういうわけでとにかく英樹兄はいつこっちに戻ってこられるかわからないけれど、定年後はこの家に住んでこの家で死にたいと考えているらしかった。口は悪いが内実はとてもウエットな英樹兄らしいと思い、それを聞きながら私は「猫は家につく」という諺は、本当は人間が自分の気持ちを猫に託して語ったものなんじゃないかと思った。
 英樹兄は私に住ませるようになった、自分がいずれ帰ってくると考えている家の中をひととおり見て回るというようなことは全然しないで、一回だけトイレに立ったときに途中の階段を見上げたりして戻ってきて、「たまに帰ってくると古いな、この家は」
 と言った。かつて子どもだった自分たちがドタドタ走り回った床が場所によっては一足踏むたびに沈み、股すべりした階段の手すりはもたれかかっただけではっきりとぐらりとする。それでも階段に射す昼の光は昔と変わっていない。階段の下がL字に曲がる廊下になっていて、股すべりした手すりのある階段はいまどきの、両側が壁になっている空間効率よく作られた階段とちがって横の空間が一階から二階まで吹き抜けになっていて、二階の高いところにガラスがはまっていて、一日中光が射し込んでいる。窓自体は東向きだけれど、高い窓からの光は陽が西に傾くまでずうっと射し込んでいて、一人で黙ってこの一画に立っていると従兄姉たちがしゃべっている声が聞こえてくるような気分になることがある。
 それでちょうど英樹兄がここに寄る何日か前に友達の学生時代からもっぱら名前で呼ばれている浩介というのが、この家のどこかを事務所に使わせてくれないかと言ってきていたので、「かまわないよね」という言い方で了解を求めると、
「ああ、好きにしろ」
 と英樹兄は簡単に答えてから、
「そいつの会社っていうのは何人だ」
 と言った。
「三人」と答えると、英樹兄は「バカ」と言って笑いだした。
「まったく、おまえのまわり友達はどいつもこいつもいい年をして、子どもの遊びのようなことばっかりやってるなあ。
 このうち家だったら、十人くらい入れるじゃないか」
「そんなことしたら、おれと理恵の住むとこがなくなるよ」
「おまえたちなんかどこでもいい。姉ちゃんと幸子みたいに奥の部屋にでも住め」
 私が笑っていると、英樹兄は、
「人が多い方がこのうち家らしい」
 と言った。
 そういうわけで浩介が沢井綾子と森中の二人を連れて秋にここに引っ越して来て、玄関を入ってすぐの一階の二部屋を浩介の会社に貸して、私と妻は二階に住むことになった。普通に考えると上と下が逆かもしれないけれど、この家は坂道を上がったところに建っているので二階だと眺めがいい。襖で仕切られた六畳八畳六畳の、一番階段よりの部屋に私の机を置いて、一番奥を寝室として使うことにした。
 玄関が一番西で二階に上がっていく階段は東の奥にあるので、私が昼間いる部屋は二階の東側で寝室が西側ということになって、三つの部屋の南には廊下がつづいている。廊下と部屋の仕切りは障子だけれど、自分の部屋の障子は取り払ってある。
 本は本棚一つ分だけ二階に置いたけれど、残りは一階のいろいろなところに分散して置くことにした。そうしないと本の重みで床が抜けてしまうかもしれない。前の貸家に住んでいたときには、一箇所にまとめていたので一年たつ頃からだんだん床が沈んできて、友達の大工に頼んで補修してもらった。
 それで一階をどういう風に使っているというと、玄関からつづきの八畳が居間の機能が残されて、襖で仕切られたその奥の八畳に綾子と森中の机が並べられている。浩介の机というものはなくて、浩介は仕事をするときには居間の座卓に向かう。私たちが朝食や夕食を食べるのも一階のその居間で、私たちが夕食を食べるときに浩介たちの誰かがまだ残っていたら、それも一緒に食べることになる。
 台所は居間と対角線のような位置にあって、幅広のL字のような形で、居間とも玄関とも通じていて、台所と同じ幅で北側に廊下のような納戸のような畳敷きのスペースがつづいていて、それが一階の二部屋に接していて、そこに仏壇が置いてあったり、もとからあるタンスが並んでいたり、私の本があったりするのだけれど、トイレと風呂場はそこを通っていく。北側だからここは昼でも薄暗いのだけれど、そこを抜けると階段があって、吹き抜けの高いガラス窓から射す光がなおさら明るく感じられる。
 階段とその先にあるトイレと風呂場に行くのはこの北側の畳敷きだけではなくて、南側にふつうの縁側がつづいていて、階段の下で折れれば同じところに着く。その縁側を折れずにそのまま進んだところにあるもう一部屋が直子姉と幸子姉がいた奥の部屋で、この部屋とトイレと風呂場がある部分には二階はのっていない。そしてこの部屋に今年の四月から妻の姉さんの娘の由香里が住むことになった。由香里は十九歳で大学一年生だけれど、見た目は中学生くらいにしか見えない。童顔で身長が百五十センチのうえに、ここに集まっている人間が、森中の百八十センチの八十キロを筆頭に、浩介が百七十八くらいで綾子が百七十で女子プロレスラーのように厚みがあって、私が百七十で妻が百六十七、と大きい方に揃ってしまったために特別小さく見えてしまう。綾子と森中と由香里の三人がしゃべっているところを見たときに、この家にかつて住んでいた従兄姉たちの子ども時代が会話の仲間に加わっているような気持ちになったことがある。家にかつて住んでいた子どものことを座敷わらしと言うのかもしれないが、そういうのはだだの観念だから、綾子と森中の二人としゃべっている由香里を見て「座敷わらしだ」などとは当然思わなくて、ただ「この家にかつて住んでいた従兄姉たちの子ども時代」と感じただけだった。
 一つ違いの綾子と森中を、一つ違いの英樹兄と幸子姉と感じたということだったのかもしれない。子どもから見てとても大きかった英樹兄と幸子姉が(実際二人とも大柄ではあるけれど)、小さい由香里との対比によって、私のイメージの中に現われたということだったのかもしれない。しかしそれでもあのときの由香里は私とか誰とかいう特定の子ども時代ではなくて、ここに住んだ全員の子ども時代のように私には感じられた。
 そして由香里がこの家に住むようになったという事の流れも不思議といえば不思議なものだと思った。これだけのスペースの家でなかったら由香里は「理恵おばさん」の家に住もうなんて思わなかっただろう。由香里がいなかったら私は綾子と森中の二人がしゃべっている姿を見て、英樹兄と幸子姉を思い浮かべたりしなかっただろう。浩介がここに来てから由香里が来るまでの半年のあいだは綾子と森中を見てもそんなことを感じたことは一度もなかったのだから、由香里が私とこの家との関係に新しい要素を持ち込んだということになるのだと思った。
 そうは言っても実際には由香里は十九歳なのだから綾子と森中の二人とまあ普通に大人同士のように話をしている。英樹兄と幸子姉の前にいる私自身のイメージは小学生くらいが一番安定していて、私が小学校一年生なら英樹兄が中学三年で幸子姉が中学二年、私が小学校四年なら二人は高校三年と二年ということになって、車の話しをしているとか音楽の話をしているとか、同じ学校のどっちかの同級生や先生の話をしているという大枠だけはわかっても、中身についてはどれも全然わからなくて、私はもっぱら四つ違いの一番下の清兄が小学校から帰ってくるのを待って、戦争ごっこや「怪傑ハリマオ」ごっこや「白馬童子」や「赤胴鈴之助」のチャンバラごっこをやっていた。
 それがどういう遊びだったのか断片的な映像や会話しか思い出せないけれど、オモチャのピストルや刀を持って、ハリマオの十円のサングラスをかけたり、風呂敷を頭に巻いてターバンのつもりになったり、同じ風呂敷を首に巻いてマントにして背中でなびかせたりして(これは「七色仮面」か「まぼろし探偵」だろう)、庭の東側の一番奥を陣地にしてそこに潜んでいる清兄をやっつけるために板塀の下を這って入っていったり、木に登った清兄をパンパン下から撃ったり、塀の上から清兄に襲いかかられたりしているところに十歳年上の一番上の直子姉が帰ってくると、直子姉もつき合わされるというか自分からすすんで仲間に入る。
 直子姉はいつも高志つまり私の側で、清兄の人質にとられたり、高志のかわりに撃ち殺されたりするのだけれど、一度死んでも当然また別の役で登場して、そうするとまた清兄につかまってしまって、清兄が本気で後ろ手にしばったりするのだけれど、子どもの縛り方だから数分後には自由になっていて、逃げ出して隠れると、「しまった」と清兄が言って、「おい、高志探せ」と、いつのまにか高志は清兄と一緒になって直子姉の行方を探すことになり、そこにたまには幸子姉までが入ってきて、庭と家の中の全部を使って、結局は隠れん坊と鬼ごっこが混じりあったようなことをしているのだけれど、高志の主観の中ではあくまでも「怪傑ハリマオ」であったり、「七色仮面」であって、昼間のごっこがあんまりにも楽しかった日の夜には夢の中でもごっこがつづいておねしょをすることになるのだけれど、こうやって思い出すときに弟の姿がほとんど出てこないということは、やっぱりこのごっこは、鎌倉に引っ越す以前の、この家に住んでいた幼稚園の頃ということなのだろう。

 英樹兄と幸子姉を前にした自分の姿が小学生だったはずなのに、いつのまにかそれ以前の記憶にズレていることに私はこだわらない。記憶が思い出されるたびに変化するのだとしたら、固定されないことが記憶にとっての色褪せずにいまの自分の中で息づいているための重要なファクターなのではないかと思う。
 映画というのはいろいろな場所と時間で撮影したフィルムをあとで一つの流れにつなぎ合わせて出来上がるものだけれど、記憶というのも素材となった断片的な記憶をつなぎ合わせて思い返されるようになっていて、それは「ウソと本当」とか「想像と現実」というような二分法とは別の原理によって息づいているものだと思う。
 だから記憶のなかの高志は、小学四年生で奥の部屋で英樹兄と幸子姉が同級生の誰が一学年上の誰とつき合っているという話を横で聞いていて、英樹兄から、
「高志、わかったような顔して聞いてるじゃないか」
 と言われて、急に恥ずかしくなってわからない振りをしようとすると、
「四年生だもん、わかるに決まってるじゃない。
 高志は誰が好きなの? 言ってみな」
 と幸子姉から追い討ちをかけられたあとにどんな態度をとったのかを思い出すよりも、そこに清兄が帰ってきた音を聞きつけて、庭の東の隅で蟻の穴を小さなスコップと木の棒でずうっと掘り返していたのをほっぽって、清兄にまとわりついてきのうのごっこのつづきをはじめたりするのだ。
 それで私が記憶というのが本質的に不確かで固定されていないというようなことを言うと、暇なときにはたいてい二階の私の部屋にあがってきて、床の間の柱にもたれかかって畳にじかにすわって、セミアコースティックのギターでブルースやジミヘンあたりのフレーズを思いつくままに弾いている浩介が、
「それはあんたが幸福な子ども時代を送った証拠だよね」
 と言ったりする。浩介の指はほとんど自動的にフレーズを弾いているから、弾いている最中にこっちが話しかけても聞きもらすことはないし、しゃべるときでも混み入った文章でもないかぎり指が惰性でギターを弾きつづけている。
 さっき浩介があがってきたとき、北側の窓で寝ていたミケは起きて「ニャア」と一声鳴いて浩介のくるぶしの辺にからだをこすりつけて、それから靴下ごしに足の甲を一咬みした。浩介は「痛ッ」と一声あげたけれど、「ニャア」と鳴いてからだをこすりつけて一咬みするというのは、ミケのいつも決まっている一連の動作で、浩介もわかっているからミケの歯が実際にあたるかあたらないかぐらいのタイミングで「痛ッ」と一度言ったのだった。それからミケは胡座をかいてギターを抱えた浩介の足や膝のニオイをかいだりしてそのうちにまた元いた場所に戻って、ダラーンと体を伸ばして寝た。
 二階のこの部屋はエアコンをつけていないので、窓を開け放して風を通していて、北の窓で寝るのが一番涼しいということらしい。二階の窓はどこも建ったときのままの木枠のガラス窓だから、襖の敷居とおなじようになっている木枠の上でミケは寝る。外にはいちおう落下防止の鉄製のL字型の桟が付いているけれど、猫だからそんなものなんかなくても同じように窓で寝るのだろう。
 クーとココは襖で仕切られた隣の妻の部屋で寝ているはずで、夏だから二匹でくっつき合って寝ることはないけれど、クーとココはまあだいたいつも一メートル以内のところに寝る。クーが一歳半のときに生まれたばかりくらいのジョジョを拾ってきて、クーはオスだけれどジョジョのオシッコやウンチをなめとってやったりして、母乳を飲ませることをのぞけばほぼすべて母猫が子猫にすることをしてやったから、十三歳のいまでもクーとジョジョは仲が良くていつでもくっついていて、三匹目の猫はなかなかクーとジョジョの関係の中に入れなくて私のそばにいることになる。ミケの前にいた四歳半で死んでしまったチャーちゃんという茶トラのオス猫もやっぱりそうだった。チャーちゃんは生後二カ月か三カ月ぐらいで迷っているところを拾ったから、たぶんそれまで母猫や兄弟たちの中で育っていて、猫同士の付き合いもよくわかっていたし、クーと毎日、とてもうまく遊んでいたけれど(生まれたばかりで人に育てられるとこれがなかなかできないのだ)、それでも寝るときにはクーとココの二匹とは別のところで寝ていた。
 チャーちゃんのことを考えるといまでも悲しくなる。チャーちゃんが生きたその四年と数カ月という長さを「短い」とは思いたくないという気持ちが働くために、あれ以来私は「もう四年たったのか。早いもんだ」という言葉を口にできなくなって、そうしているうちに「四年」でも「一年」でも「十年」でも、歳月というものを、「長い」とか「短い」とか感じることがあんまりなくなってしまった。もっとも、そのことを浩介に前に言うと、「もともとそうだったんじゃないの」と言われた。
「——おれたちが『あれいつだったけ』って言うと、すぐに『九十三年』とか『八十五年』とか出てきて、あんたの記憶っていうのはもともと、年表みたいに時間で順番に並んでるんだよね。
 だから『いま』を起点にして『五年前』とか『十年前』っていう風になってないから、『長い』も『短い』も感じてないんだよね、きっと」
「『九十三年』とかがなかったら『何年前』なんか計算できないじゃないか」
「だからみんな計算なんかしないんだよね、ふつう。漠然と『三年前』とか『四年前』とかって思ってるから、『え? もう七年も経っちゃったの?』って驚くことになるんだよね」
 こういう風に会話の断片が自分の思考と同じように残っているから、思考というのが基本的にはしゃべったことや読んだことの寄せ集めだと感じるのだけれど、それはともかく、私が「おれだって、前の家に引っ越したのが九十三年の四月で、XXが結婚したのが九十四年だと思いこんでたら九十二年だったって言われると、前後が狂ってびっくりする」と言うと、浩介は、
「びっくりの質が全然違う」
 と笑って、
「そんな自分の引っ越しと友達の結婚なんて直接関係ないこと同士の前後の狂いなんか、みんな驚きもしないで、あたり前だと思ってる」
 と言った。
 浩介に指摘された年表みたいな記憶の傾向が、九十六年の十二月にチャーちゃんが四歳数カ月で死んで以来拍車がかかって、「いま」を起点にした「長い」とか「短い」とか「遠い」とか「近い」という感想はいよいよないのだけれど、その範囲を越えた本当に遠い記憶となると、場面が変わると平然と五歳くらい年齢が変わるように混在している。

 私と浩介がしゃべっていると、廊下を綾子が通りすぎていって、隣の部屋で寝ているクーとココにちょっかい出しはじめたらしかった。さっきガラガラと玄関の引き戸が開く音がしたので、由香里が買い物に出掛けたのだろう。森中は朝から仕事に出ていて、由香里がいなくなると綾子がした階下に一人で残されることになって、一人になると決まって綾子はうえ階上にくる。
 綾子にちょっかい出されてうるさがったココが「キャオッ」とか鳴く声が襖の向こうからして、綾子が、
「ココ、寝てばっかりいるとますます太っちゃうよ」
 という声が聞こえた。ココは七キロちかくある。うちは猫を外に出さないから運動不足で、そのうえ避妊手術をして卵巣がとってあるからホルモンのバランスがくずれて太ってしまったらしいのだ。太るとからだが重いからなおさら運動をしないという悪循環がはじまる。しかもココは小さいときから頑として自分のペースを曲げない非妥協的な性格だから遊ばせようとしたって遊ばない。それでも綾子はしつこく、
「ねえ、ココぉ、遊ぼうよお」
 と言っていたけれど、綾子の声が途切れると浩介が、「高校んときの友達が中古の家を買うって言うから一緒に見に行ったことがあったんだけど」と言い出した。「塩釜一高か?」「そうだよ。いまは銀行でひいひい言ってるけど、で、さあ、中古って、たいてい売れるまで住んでるじゃない、人が。
 そこも家具なんかはまだほとんど置いてあったんだけど、六十くらいの夫婦はもうマンションに住んでるらしいんだよね。
 で、誰か下見に来たときとかだけ、そこのおじさんが立ち会いに来るんだけど、二階を見てたら猫がいるんだよね。
『いつもこの猫いるんですか』って訊いたら、『今度のマンションは飼えないから、どうしようかと思ってるんだ』って言うんだよ。
 あの頃は『この猫、どうすんだろ』ぐらいにしか思わなかったけど、ここに移って毎日猫を見るようになると、人がいなくなった家ん中で、あの猫どうしてたんだろうと思うね。だんだんその気持ちが膨らんできてて、そろそろしゃべるだろうなって思ってたら、とうとうしゃべったね、いま」
「ていうことは、買わなかったってことだ」
「奥まったところで、建て替えるときが面倒っくさいらしいんだよね。けっこう広くて四千万とかだったから相当安いんだけど」
「猫がねえ——って」
「気になるでしょ。こういう話」
「この目で見たわけじゃないから、激しく気になるってことはないけどね」
「でも気になるでしょ」
 こんな話をしているあいだにだって、日本中できっと百匹単位で犬や猫が始末されているだろう。しかし浩介の話のように特定のシチュエーションを与えられることで、その中古の家に取り残された猫が特別な存在になってしまう。一般的な話には反応しなくても特定のシチュエーションが与えられると反応するというそのことが、人間の認識のメカニズムとして、関心があると私が言うと、
「それを利用してるのが小説じゃない」
 と浩介が言った。私は小説家なのだ。しかし小説じゃないものばかり書いていたために、小説の書き方を忘れてしまったんじゃないかと感じるくらいだった。浩介が言うとおり、小説は特定のシチュエーションによって読者にある感情を喚起させる。それはどうしてなのか。小説は小説らしくはじまってエッセイや評論とはすぐに区別がつく。それもどうしてなのか。そしてその小説らしさにどうしても違和感を持ってしまう。そういう状態で、私はみんなが階下にいるとき、階上のこの部屋に一人でいてもただ外を眺めているばかりで、仕事はたまに依頼されるエッセイぐらいしか書いていなかったけれど、外を眺めているのは退屈しないもので、外を眺めるのが退屈だったら仕事をするなり本を読むなり何かほかのもっと「何かしている」と感じられることをしていただろう。
 それで浩介としゃべっているあいだも半分は外を見ていたのだけれど、隣との仕切りの襖が開いて、綾子が、
「ちっとも遊んでくれない」
 と言って入ってきて、ミケが寝ている脇の、窓が切れた壁にもたれて脚を伸ばして畳にじかにすわって、綾子がそばにすわったのでミケはまた目をさまして、からだの向きをかえて綾子の髪の毛に顔を近づけてスンスン匂いをかいで、綾子もミケに顔を近づけて鼻と鼻をくっつけて猫式の挨拶をした。この部屋には私の椅子しかないから、ほかのみんなは畳にじかにすわるしかない。椅子は一つでも机は二つあって、もう一つの方にはワープロとしてしか使っていないパソコンが載っている。
 綾子との挨拶がすんだミケがまたもとの向きにからだをもどして丸くなると、綾子は、
「仙台の話、決まったよ」
 と言った。浩介は「ほいよ」と気楽そうな気のなさそうな返事をした。
「あんなもんで本当にいいのかって、いつも思うよね」
 綾子が言うと、浩介は不機嫌そうに、
「あんなもん以上にしてほしくないと思ってんだから、向こうが」と言った。「こっちは『いいのかよ』って思いながらやるしかないんだよね」
「民間だったら、もっと毎回いろいろ工夫しなかったらつづかないって思うよね」
「そういうことと別の原理で動いてるんだからどうしようもないんだよね、こっちは。
 いくら参加者の評判がよくても、予算が削られたらなくなるし、評判なんかよくなくても予算がとれてればなくならない」
 浩介の会社は生涯学習や企業研修のコーディネーターのようなことをやっている。だから綾子は肩紐をハサミで切ったらストンと床まで落ちてしまうようなワンピースだけれど、浩介はいつでもスーツでここに「出勤」している。森中はだいたいいつもアロハみたいな格好だけれどスーツの上下をちゃんとここに置いてあるし、綾子もきちんとした服をここに置いている。それで生涯学習や企業研修のほかにも企業のホームページを作ったり、映画やドラマのエキストラの手配をしたりといろいろほかのこともやっているが、一番安定して計算できるのがこの堅い方の仕事で、前にいた会社が部門を大きく削減したときに、人材派遣や人事教育の部門をなくし、そこにいた浩介がゴタゴタが嫌になって辞めて、つき合いのあった生涯学習を専門にしている大学の先生のところに挨拶に行ったら(ただ挨拶に行ったわけではなくて、読みもあったのだろうが)、その人が文化庁とつながりを持っていて、つき合いが長くて信用のおけそうな浩介に、地方自治体の生涯学習の担当者を集めるセミナーの仕事を紹介したのだ。
 浩介もそこまでうまい話があるとは思っていなかっただろうし、裏はまったく何と安直な仕組みにできてるんだと思うけれど、それで知り合いがうまくいってると思うと「まあよし」と思うし、浩介は不当なコーディネート料をとっているわけでもないし、これを足掛かりにして地方のなんとか博の事務局に食い込もうというようなことは考えていなくて、たぶん本音を言えばこれもやめたいと思っている。だから、綾子としゃべっていても不機嫌な顔になったり、もっともらしい事務所を引き払ってこんな一番もっともらしくないところに移ってきて、映画のエキストラの手配なんかすると手間ばっかりかかって、途中で「予算が、、、」とかプロデューサーからファックスが入って、それを持って階上にあがってきてブツクサ言っているけれど、こんな風に機嫌が悪くなるわけではない。
 それで浩介は、
「役所の仕事って、労働の実感を奪うどころか、もともと若いうちから実感なんか持たせないような仕組みになってんだよね」
 と言った。わざわざ頷いたりはしなかったけれど、浩介は自分の実感や嗜好だけで強引にやってきた人間だから、これはよくわかった。
「——労働には実感ないくせに、綾子なんか連れてくとスケベな目でじろじろ見やがって、性欲にはちゃんと実感持ってんだよね」
「そりゃあ見るだろ」と私は言った。綾子はからだの厚みがあって胸が大きいから、ブラウスを着てもボタンを外してある襟元から胸の谷間がのぞくし、ワンピースなんかでも襟ぐりが広いから前屈みになるとやっぱり谷間が見えてしまうのだけれど、
「しょうがないじゃん」
 と綾子は言った。
「——大きくなっちゃったんだから。
 無理に隠そうとする方が不自然じゃん」
 綾子がこういう外見をしているから、前の会社の人間たちは、浩介と綾子がデキていて浩介が会社はじめたら綾子がついていったんだと下衆な想像をするらしいのだけれど、綾子には「見られるために」とか「見られるから」という気持ちがなんだかないようにしか私には感じられないし、浩介は金にも女にもなんといえばいいのかとにかく関心がない。もっとも男と女のこととなると私の観察はザルそのもので当てにはならないけれど、とにかく綾子と浩介のあいだには下衆にカンぐるようなことはないし、二人とも結婚している(これも理由にはならないけれど)。
 それなら浩介は綾子の能力を買ったのかというとそういうことでもなくていわゆるキャリアウーマン志向のような野心を感じさせないところが、一緒にいる相手としてよかったらしい。それにもともと、綾子は浩介から声をかけられたから辞めたわけではなくて、会社のゴタゴタとそれに振り回される人たちがうるさくなって、浩介から声をかけられる前に退職の手続を済ませていたという話だ。綾子は二十三歳で結婚していて採用も正社員ではなくてアルバイトからはじまった契約社員で、正社員の女性たちがこれみよがしというか、たえずまわりの視線を意識してテキパキテキパキと動いている中で一人だけ庶務の席から、冷やかにでも何でもなくただ眺めていた、というのが浩介によるところの沢井綾子の印象だ。
 しかし浩介のこの印象はどうも半分あたっていても半分は外れだったみたいで、「まあだいたい男は派手な女は見るだけで——」という浩介の言葉に、
「少し野暮ったいくらいの女の子の方が男に人気があるって、理恵も言ってたな」
 と私が言い、
「おれなんかにはそういう女の子たちなんて、男に媚びてわざと野暮ったく作ってるようにしか見えないけどね」
 と浩介がしゃべっているその程度の短いやりとりの途中で、綾子は窓の外を横切った鳥の影にでも関心が奪われたみたいに不意に一点を見て、目の前にいる二人の会話に返事をしたり相槌を打ったりしなくなってしまう。つまり綾子は並外れて集中力のない子どもみたいに唐突に関心が途切れてしまう。ここで私が「おい」と綾子の注意を促して、「何考えてんの?」などと訊いたとしても、綾子は、
「別に、——」
 としか答えない。
 こうなるともう、つい今していた浩介と私の会話は聞こえていないで、伸ばした脚の膝を見たり、ワンピースの裾を見たりしている。「自分の世界に入る」という言い方があるけれど、綾子の場合その「自分の世界」があるのかどうもよくわからなくて、綾子のこの性癖に気がついたとき私はまじめにシンナーか何かのやりすぎの後遺症を疑ったものだった。庶務の仕事のように伝票を書いたりキーボードを叩いたりという、実際に指を動かしつづける作業をしているとこうはならないか、もしくはなったとしてもまわりからはわからない。だから浩介がこのことに気がついたのも今の会社をはじめてからだった。
 だからといって浩介が失敗したというようなことを思っている様子はまったくなくて、いまも浩介と私は綾子の目の動きにつられて一瞬窓の外を見たけれど何が見えるわけではなかったので、いつもの状態だと思い直して、
「とにかく、経済と労働は別の原理で動いてるってことなんだよね」
 と浩介が言った。
「——ていうか、本当は全部別々でさ、社会福祉は人間を幸せにするようでいて、実態は社会福祉という制度や概念の完成の方が目的で、福祉の概念の範疇から洩れる人間なんか、かりにもっと悲惨だったとしても対象にならないんだよね。
 物事は何でもすぐに自己目的化するようにできてるんだよね」
 社会福祉なんて普段まともに考えたこともないくせに、話のなりゆきでしゃべり出してしまう人間っていうのもおかしなものだと思って聞いていると、
「社会福祉ってさあ、しめすへんが三つもあるんだね」
 と綾子が言い出した。
「なんだ聞いてたのか」と私が言うと、パソコンばっかり使ってると漢字が書けなくなるから、四字熟語が出てくると頭の中で書いてみることにしてるんだと綾子が言った。
「頭の中で書いてみるだけでよく、しめすへんが三つあるなんて気がついたな」
「え? 気がつかない?」
 と綾子が浩介を見ると、浩介は、
「おまえ、はじめて映画を見た未開人みたいなやつだなあ」
 と言った。昔アフリカに行って映画を見せて感想を求めたら、「この映画にはニワトリが三羽出てきた」と答えたという有名な話があって(二羽だったかもしれないが)、それを聞くと綾子は笑って、
「あたしと一緒じゃん」
 と言った。
「だから一緒だって言ったんだよ」
「綾子、ほめられたと思ってないか?」
「ねえ、ココってあの鳥の羽でも遊ばないんだよねえ」
 綾子はまた突然ココの話をはじめたが、綾子本人の頭の中ではココのことはつづいていたのかもしれない。竿の先に糸でたらした鳥の羽がプロペラのように回る猫のオモチャがあって、ミケなんかだと狂喜して追いかけ回るのだけれど、やっぱり猫も年齢とともに何事にも反応が鈍くなって、その程度では遊ばなくて、「結局、外で遊ぶのが一番なんだよな」と私は言った。
「ココ見てると人ごとと思えないんだよね」
「ココと綾子じゃあ太り方の質が違うけどな」
 ココの太り方は小錦タイプだけれど、綾子は小錦のように横に膨んだりはしていない。顔だけ見たら綾子はからだの厚みも想像できないかもしれない。
「でもウエストのサイズなんか聞いたら、イヤんなるよ。自分でもからだが重いって思うもん」
「でも内股がすれたりするわけじゃないだろ?」
「そんなの、ココだってすれないでしょ」
 しかしココの歩き方は小錦と同じようにヨチヨチしている。一歩ずつこってん、こってん、と歩く。
「ねえ、やっぱり出してあげた方がいいよ」
 綾子に言われて私が返事につまっていると今度は、
「何考えてるんだろうね」
 と言った。綾子は私や浩介を見るわけではなくて、ただ、畳に投げ出した脚の爪先をこちょこちょ動かしながらそこに目をやっていて、浩介が
「そういう疑問はおかしいんだよね」
 と言った。
「なんで?」綾子は相変わらず爪先を見ているようだった。
「だって、人間のことだって、何考えてるかなんてわかってるわけじゃないじゃない」
「それはそうだけどさあ」
「だから、人間のことだってわからないんだから、猫が何考えるかなんてわかるはずないんだよね」
 ここでようやく綾子が顔を上げて私を見たけれど、助け舟を求めているというのではなくて、私の考えをただ知りたいという感じだった。
「退屈してるかそうじゃないのかが知りたいんだろ」
 と私は言った。
「そう——、かな?」
「前住んでたうち家の隣りに八十すぎのおばあちゃんがいてさあ。天気がいいと家の前の、ここと同じくらいの道に出て(と言って、私はこの家の前の道の方を指した)、三十分とか一時間とか、植え込みの縁のブロックにすわってるんだよ。
 あれ見てて、そういうもんなのかなって、思った」
「『そういうもん』って?」
「だから、『その程度で気が済むんだな』とも思ったし、『その程度のことでも毎日したいんだな』とも思った、ってこと」
 と言うと、「わかりにくい言い方するよ」と浩介が笑って、
「『その程度で気が済む』っていうのと、『その程度のことでも毎日したい』って、結局同じなんじゃないの?」
 と言った。
「同じって言えば同じだけど、——違うだろ?」
「ねえ、猫はどこに出てくるの?」
「猫は出てこないんだよね」
「なんだ」
 浩介は笑ったが綾子のとんちんかんさでなく私のまわりくどさの方をおかしがっているらしかった。
「おばあちゃんを見てて、うち家の猫のことを考えたんだよ」
「それで猫は退屈してるの?」
「わからない」
 綾子はくすっと笑って、また畳に伸ばした脚に手をあてて前屈するようにからだを前に倒して「暑いね」と言った。窓は全部開けてあるけれど、風が吹かないのでこんなことをしているだけでも三人とも汗が流れていた。ミケが北側の窓にいるということは、風の流れがミケには感じられているということなのだろうけれど、人間に感じられるほどではなかった。窓から見える空は雲がどこにも見えなくて、空の奥の奥にある闇まで透けているような、深い青さだった。
「じゃあ降りるか」
 という浩介の言葉につられて綾子も降りていった。


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