『カンバセイション・ピース(初稿)』(2001年2月〜2002年1月)その2


 年々暑くなるとみんな言うけれど、私の記憶の中のこの家はもっと暑かった。夏休みにここにいると、昼飯のあとで階下の二間でみんなトドのようにごろごろ横になって昼寝をしていた。扇風機は回っていたけれど、扇風機の風よりも自然に流れるくらいの風の方がよくて、みんなが寝ている中でテレビから昼の「よろめきドラマ」と当時は呼んでいた、主婦の不倫ものみたいな番組が流れていた。子どもはそういう番組を通して不倫というものを知るのだろうか。そんなことはどうでもいいが、昼間の一番暑い時間帯に昼寝をしていられたら夏もいまみたいに不快とは感じないだろう。それで小一時間の昼寝が終わると、一番下の清兄に引き連れられて私と弟は歩いて十分の区営プールに行った。プールの近くにはいつも一人、子ども相手にミソ田楽を十円で売っているおばあさんがいて、ボール紙の上でクルクル回る時計の長針のようなのを指で回して「アタリ」に止まるともう一本もらえる。子ども相手のそんなことで商売になっていたのだからおもしろい。そんな商売は六十年代の半ばくらいで消えてしまったけれど、そのときに建っていた家はこうしていまも残っていて、私はその二階から外を眺めていた。ここの南隣りの家は八十二年の伯父の葬式のときにはすでになくなっていて、もうずうっと駐車場になっている。石が敷かれて、車のタイヤが通るところは地面から葉だけが広がるような低い草しか生えていないけれど、タイヤに踏まれない隅のところにはネコジャラシやヒメジョオンが生えている。ヒメジョオンは八月になったら一メートル以上の丈に伸びるだろう。かつてここに建っていた家には私より一つ年下の男の子がいて、幼稚園から帰ると遊んでいたというような話を聞かされたことがあるけれど、私自身はその子の顔は全然思い出せない。汲み取り式のトイレの脇の陽の当たらないところに、地面から家の壁に五センチくらいの長さでくっついている筒状のクモの巣の中に住んでいる「土グモ」と呼んでいたクモがいて、それを一匹ずつ筒状の巣から取り出しているところだけが、うろ覚えの夢の薄暗い映像のように浮かんでくる。あの「土グモ」はもう東京あたりには棲息しなくなってしまったのだろうか。「子どもにだけ見えている生き物」とか「子どもにだけ聞こえている声」というようなことがファンタジーに出てくるけれど、私の経てきた四十年間は空想の次元でなく文字どおりに、子どもだけが興味を示した生き物がいなくなっていた時代だったと思った。
 駐車場をはさんで向こうにある家はここと同じように私がかつてここに住んでいた頃から建て替えられていない。駐車場寄りの東の隅つまりここから見て左の隅に一本桜の木が生えていて、それが視界を遮るほかは瓦ぶきの平屋建てなので向こうまで見えて、その先がだいたい二階建て分くらいの傾斜地になっている。といっても瓦屋根と三階建て止まりのマンションが並んでいるだけで、視界の先に山が見えたり鎌倉のようになんとなく海の気配がしたりするわけではないけれど、とにかくこの窓からの視界は上半分が空が広がっている。日が沈む頃には、町全体がシルエットになって、遠くの高いビルが三つポコンポコンと棒のように伸び、それより手前のせいぜい十階建てぐらいのマンションがオモチャのレゴブロックを組み合わせたように点在し、その合い間にこんもりとケヤキの大樹のシルエットが見えるのだけれど、昼間の明るい光の中で眺めると、建物のひとつひとつがバラバラの形をして色もグレイの屋根と白い壁を基調としつつも赤い屋根が見え青い屋根が見え、レンガ色の壁が見えて、マンションの外階段が見えて塗装店の看板が見えて、と目がそれぞれの特徴にいちいち反応してしまって、全体としての印象がまとまらない。
 見えるということはすごいことだと思う。一カ月も仕事をしないで毎日三時間ぐらいずつここから外を眺めているのだけれど、見えるものが多すぎて外を見るたびに何も記憶できていないような気持ちになる。外を見ないで頭の中だけで思い浮かべるととりあえず思い浮かぶものが風景のフレームの中に点在して、それなりに風景らしくはなっているのだけれど、実際に見るともう全然こんなに思い浮かばなかったと思い、記憶していたつもりの建物も実際の視覚に押し出されてしまったかのように、記憶していなかったような気持ちになる。しかし、なのか「だから」なのか見えているものはすべてきのうもおとといも同じところにあったようなつもりで受け入れている。「土グモ」のことを思い出したのは、隣りの家がいまはなくなっていて、そのあとの駐車場も椅子に腰かけている姿勢では見えていないからで、見えてしまっていたらそこに止まっている車と車がいまは止まっていないスペースの石や草のことしか考えなかったかもしれない。
 見えているという状態の中では頭はあんまり働かないのかもしれないと思う。「目をつぶって考えてごらん」と言うように、思考力や想像力は目がいろいろなものを見ていない状態の方が働くようだし、SFなんかで圧倒的な妄想で世界を構築するのは地下や洞窟の中に住んでいる人たちで、太陽が照っている明るい世界で妄想を肥大させるというイメージはなかなか出てこない。
 そんなことを考えているあいだに玄関の引き戸がガラガラと開く音がした階下から聞こえてきて、台所で水を流したり冷蔵庫のドアをしめたり、棚をしめたりする音を聞くともなく聞いているあいだ、私は伯母が帰ってきて、台所仕事をはじめたのだと思い込んでいた。最後にここに何日も泊まったのは高校二年の夏休みで、私は当時ちょっと本を読む高校生だったらたいていみんなが読んでいた安部公房か大江健三郎の文庫本をうえ階上のこの部屋に寝そべって読んでいた。あるいは私は大学二年か三年で、前の晩友達と飲んで鎌倉まで帰るのが面倒くさくなって「世田谷」に泊まって、昼すぎに伯母が買い物から帰ってきた音で目が覚めたときに戻っていたのかもしれない。
 買い物から帰ってきてしばらくすると伯母は、「高志、何か食べる?」と言いに階段をあがって来ることになっていて、それを期待していたというわけではなくて、一連の流れとしてそうなるはずのものがならないことの違和感を自覚したときに、玄関の開く音や台所から聞こえてきた音が伯母ではなかったことに気がついた。
 記憶が本人の意志でコントロールされているわけではないと感じるのはこういうときで、記憶はつねに意識の少し下あたりで勝手に動きつづけていると思うのだけれど、こうしていったんは伯母じゃないと自覚しても外を眺めるのではなくて、ガラス窓の桟あたりにぼんやり焦点をあてたままになって耳が知らないうちに伯母の立てる物音を聞こうとしていた。階下では子ども四人が自立して以来、父親としての義務からいっさい解放されたように一日中満州事変のころを題材にした小説を読んでいる伯父がいるはずだった。
「友子、何かないか」と言うと、伯母が「何かないかって、さっき食べたばっかりじゃないの」と言う。風呂場を洗って、伯父の前を横切って洗濯物を取り込み、たたむより先に台所に行って米をといで炊飯器を仕掛け、「あ」と言って買い忘れたものを思い出してせかせかとそれを買いに出て、戻ってくるとさっき取り込んだ洗濯物を二、三枚たたんだと思うとまた立ち上がって、「少しは落ち着いていろ」と伯父に言われると、「自分は何もしないで、いいご身分だこと」と言い返す。
 もう十年以上前、世間はバブルの真っ最中の頃ビデオで毎日小津安二郎の『秋刀魚の味』を見ていたことがあって、毎日見ているうちに、次々と地上げ屋に取り壊される日本家屋のいまはまだ取り壊されずに残っているけれどもう人が住んでいない日本家屋の中で、かつてそこに住んでいた人たちが昭和三十年代前半の暮らしを毎日毎日無限に繰り返しているような気分になったことがあったけれど、階下で伯父と伯母がかつての時間を繰り返していることのどこが不都合なんだろうと思う。英樹兄もそんな風にして思い出しているんじゃないかと思った。自分は前の晩から飲み歩いて家に連絡も入れずにどこかに泊まって夕方ちかくに帰ってきたくせに、「幸子はどこだ」「清はどこだ」「姉ちゃんはどこだ」と言ってドシンドシンと足音を立てて家の中を一通り歩き回って、みんながどうしているかを確認して、きょうだい三人がいると安心して、伯母に「風呂沸かしてくれ」「飯を早く食わしてくれ」「紺のチェックのシャツが見つからない」などと二時間ばかり騒がしく動き回って、伯父が帰ってきてみんなが揃って夕食を食べる頃にはまた出掛けていなくなっている。伯母は「さかりがついた犬のようだ」と笑い、伯父が「あんなバカは見たことない」と言うと、伯母が「お父さんなんかもっとひどかったって言うじゃないの」と言う。伯父は「黙って食え」と言うが、伯父から怒られたことのない直子姉は「色気ばっかりでデモに行くわけじゃないんだからいいじゃん」と笑っている。英樹兄の転勤以来七年間一人で暮らしていた伯母にとって、この家はそういう家だったのではないかと思う。ドラマでは死んだ夫の残したものを引き出しを開けてしみじみ見たりするけれど、人はそうそう特別なものを残すわけではないし、特別なものをわざわざ探さなくても家には家族の記憶が濃厚に染みついたり漂ったり澱んだりしている。

 そうしていたら知らないうちに外から戻っていた森中が、
「麦茶飲みますかぁ?」
 と言いながら、自分の分と私の分のコップを片手に一つずつ持ってあがってきて、
「もう丸ノ内のビルなんか寒くて自律神経がおかしくなっちゃいますよ」
 と言って、部屋の真ん中あたりに置いてある折りたたみ式の小さなテーブルの上に二人分の麦茶を置いた。
「——ビルで冷えたと思ったら、電車で冷えて、駅降りて歩いてるあいだにちょっと血行が良くなったかなぁって思ったら、下で綾子さんとか由香里ちゃんなんかガンガン冷房きかしてんだから」
 と言いながら、森中はドラム缶のようなからだから汗を吹き出させているから、そう言うと、
「汗ぐらい出ますよ。夏なんだから」
 と言った。
「——おれ金ないからずうっと冷房なんかない部屋にいたじゃないですか。肉はあるんだけど表面とかがもう涼しい風を受けつけないように訓練されちゃってんですよね。ていうか、もう冷房に対応できないんだよなあ。
 だいたい、あんな部屋で冷房なんか入れたら効率が悪すぎますよ。地球環境に全然やさしくないじゃないですかぁ。おれがゴミ分けないで捨ててると、『ブンベツ、ブンベツ』ってやかましく言うくせに、あんなに冷房きかしてたら意味ないですよ」
 森中はいつでも何かグチを言っている。相手が聞いてるかどうかなんて関係なくブツブツ文句を言ったり泣きごとを言ったりしていて、「で、どうだったんだ」と訊くと、
「もう、からだ冷えちゃって、それどころじゃなかったですよ。行きに缶コーヒー二本飲んじゃって、向こう行ってもいきなりアイスコーヒーなんか出るから飲んじゃうじゃないですか。
 もうションベンが近くなっちゃって、十分に一回『トイレ行ってきます』ですよ。みっともないから冷や汗になって出てってくれればいいんだけど、寒いから冷や汗もションベンになっちゃって、『トイレ行ってきます』ばっかりで、もう全然説得力ないですよね」
 と、ブツブツ、ダラダラと切れると思っても切れないしゃべり方でここまでしゃべって、それで麦茶を飲んで一息ついたと思ったらまたしゃべり出した。
「トイレばっかり行ってたらメチャメチャ恥ずかしいじゃないですか。振ったりするとズボンのここんところに滴がついて丸く跡になったりするじゃないか。なりません?なりますよねえ。ああ、よかった。よかないんですけどね。ちっとも。それでそうすっともっとヤバくなって恥ずかしくて、向こうにはインターネットのことなんか全然わかんないくせに偉そうにしてるオッさんと、なまいきそうなメガネかけてる若いやつと——」
「オッさんはメガネかけてないのかよ」
「かけてますよ。オッさんなんかメガネかけてるに決まってるじゃないですか。話の腰を折らないでくださいよ。
 それに若いなまいきそうだけどけっこう美人なお姉ちゃんがいて、それってヤバイじゃないですか」
 森中の形容には「偉そう」と「なまいき」しかなくて、私が、「何がヤバイんだよ」と言うと、
「ヤバイですよ。だってこっちはズボンに染みつけちゃってんですよ。そんなヤツの言うことまともに聞くと思います?
おれがもし生徒で先生が教室入ってきたときにズボンにションベンの染みなんかつけてたら、爆笑もんで呼びつけられて、頭はたかれますよ。
 でも先生の方は何で笑われたかわかってないからそんな強い態度に出れるんだけど、こっちはズボンの染み自覚してますからね。もう全然強い態度になんか出られないし、だいたいこっちは仕事をさせてもらってる立場なんですから、もう全然そんなわけにはいかないんだから」
 と、またそこまでしゃべって麦茶を飲んで、
「ほらもうなくなっちゃったじゃないですかぁ。こっちもらっていいですか?
 なんて言ってるうちに飲んじゃうんですけどね」
 と言って、私の分と言って持ってきた方も飲んで、「あーあ、なくなっちゃった」と言った。
「——だいたい二階建てって不便ですよね」
「どこが」
「不便じゃないですか。おれんとこみたいに六畳一間だったら三歩も歩けば冷蔵庫に手が届いて、飲みたくなったらいつでも麦茶でもアイスコーヒーでもビールでも何でも飲めるけど、二階なんかにいると下までわざわざ行くのがコンビニまで買い物に行くような気がしちゃうんだよなあ。
 しません?
『しない』って顔が言ってますよ。
 どうしようかなあ。下まで取り行こうかなあ。でも昔の人って変ですよね。あんなもんいちいち彫るんだもんなあ」
 と言った森中の視線の先には襖の上の欄間があって、欄間には竹林の中で虎が大きく口を開けて吠えているような威脅しているようなところが彫られていて、森中は三日に一度はこの同じ欄間を見て「変だ」と言う。
「魔除けのつもりだったのかなあ」
「このあいだは『おめでたいつもりだったのかなあ』って言ったじゃないか」と私は言った。
「人の言ったことなんかよく覚えてますねえ。わからないからいろいろ考えてるんじゃないですか。それぐらい理解してくださいよ」
 と言って、欄間をじっと見た。子どもの頃、家には欄間があるのが当然だと思っていて、鎌倉に引っ越したときに欄間がなくて、「伯父ちゃんちは立派だ」と思ったが、その後どこかに行って欄間を見つけても、鷹の剥製やかぶと兜の置き物と同じように「野暮ったい」としか思わないようになった。それでここの欄間も野暮ったいと思うようになったかといえばそんなことはなくて、この家には欄間があるものだと納得していて、いまでも立派とさえ思うこともないでもない。
「入れ墨と一緒のつもりだったのかなあ。どうなんですかねえ。
 昔の人は入れ墨、好きだったじゃないですかぁ」
 二週間ぐらい前にも森中は同じことを言っていて、
「いまの若い子たちもしてるじゃないか」
 と私は言った。
「あれ、ヤバイですよねえ。趣味なんかころころ変わるんだから、二十歳とかで入れちゃったらヤバイですよねえ。
 すげえやせてるヒョロヒョロのヤツとかもヘビメタのジャケットみたいな、地獄の怪獣みたいなの入れちゃってるけど、ダサイとか言ったら刺されそうじゃないですか。陰気な目つきしてるから。ヤバくて言えないですよねえ」
「じゃあ、やっぱり魔除けになってんじゃないか」
「なんでですか?
 おれが言えないからですかあ。おれなんかの口、黙らせたって意味ないじゃないですか。喧嘩なんか一度もしたことないんですから。
 逆に入れ墨してるヤツとかに寄ってこられたりして、類は友を呼ぶになったりしたらもう最悪じゃないですか。
 まあどうでもいいですけどね。
 そんなことより麦茶をどうするかですよね」
 と言って、森中は口が止まると欄間を見つめて、「こんなことして耐震性は大丈夫なんですかね」と言った。
「——耐震性がダメになってたら、魔除けなんて全然意味ないですよねえ。
 でも昔の人の考え方って全然違うからわかんないですけどね。地震で家がつぶれても『欄間のおかげで命は助かった』とか、地震で誰か死んじゃっても『欄間のおかげで苦しまずに死ねた』とか、もうもう全然わかんないじゃないですか」
「バカ」と私が言うと、森中はムッとしたような顔でこっちを見たけれど、ブツブツ不平や泣きごとを並べるようにしゃべる森中にはそれがいつもの顔で、
「バカぐらいわかってますよ。いちいち指摘しないでもいいですよ。
 昔の人なんかいくら悪口言ったって生きてないんだから安全じゃないですか。気が弱くて、生きてるヤツのこと悪く言えないんだから、昔の人の悪口くらい言わせてくださいよ」
 と言って、「やっぱり階下いって麦茶飲みますよ」と立ち上がった。
「いります?」
「いい」
「なんだ、いらないのか。じゃあ最初からそう言ってくださいよ。せっかく持ってきたんですから」
 階下が冷房をきかしすぎて寒いから階上に来たと言っていたのに森中の頭の中では、私が麦茶をほしがったから持ってきたということにすり替わってしまったらしかった。それで森中が階段を降りるあとについて降りていくと、
「なんでついてくるんですか」
 と言う。
「出掛けるんだよ」
「なんだ。それならそうと先に言ってくださいよ。心配になるじゃないか」
 何が心配になるというのか訊き返しもしなかったし、どうせものの弾みで言っただけだろう。私はバッグからメガホンを出して叩いて、
「横浜球場行くんだよ」
 と言った。
「また野球ですか。
 ホント毎日やってるじゃないですか。いい大人が毎日野球ばっかりやっててよく飽きないもんですよね」
「仕事だからな」
「エッ! 仕事だったんすかあ!」
「おれじゃないよ。選手がだよ」
「あー、びっくりした。
 野球見るだけで金が入ってきてるのかと思っちゃいましたよ。
 選手が仕事なことぐらいおれだって知ってますよ」
 階下では由香里が綾子にパソコンの使い方を教わっていて、メガホンを手に持っている私を見て、
「あ、いってらっしゃい」
 と、こともなげに言う言い方がおかしかったから、綾子と浩介も由香里の口調を真似て「あ、いってらっしゃい」と言った。
「帽子忘れてますよ」
「大丈夫」
 帽子は下駄箱の上に置いてある。
「負けても機嫌よく帰ってきてくださいね」
「それが余計なんだよ」と私は言った。

 外は完全な無風でケヤキや桜の葉はそよとも揺れていなくて、アスファルトにできたすべての影の輪郭がくっきりとしていた。サルスベリのピンクの花が満開だった。濃い青の絞りの朝顔がしおれずに咲いていて、塀に張った糸に絡ませてある風船カヅラが実をつけていて、いかにも南の国から来た時計草の花や「なんだあれはハイビスカスか」と言ったら妻から「ノウゼンカヅラよ」と笑われたツルを木に巻きつかせて高くまで這い上がっているノウゼンカヅラのオレンジ色の花も咲いていた。車の下で寝ている猫は私がすぐそばを通りすぎてもシッポひとつ動かさなかった。小学三年生くらいの女の子が退屈そうに空缶を蹴りながら歩いていて、追いこしてもしばらく後ろからカランカランと空缶が転がる音が聞こえてきて、午後四時の住宅地は昼寝をしているようだった。
 横浜球場のライト側外野スタンドには、開門と同時に前川が陣取っているはずだった。前川は球場通いが高じて今年の開幕前に吉祥寺から横浜に引っ越した。さっきこっちから前川の携帯電話に連絡して、「今日は?」「行きますよ」「じゃあおれの分もとっといて」「はいよ」といういつもの簡単なやりとりをしておいた。横浜球場は外野席が一番先に埋まることになっていて、内野席がガラ空きでも外野は毎日立ち見が出る。
 関内駅で降りてホームから改札までの階段をおりていく途中で「オーオーオ、ウォウウォ、横浜ベイスターズ。燃える星たちよ」という球団歌が聞こえてくると魂の故郷に帰ってきたように高揚して「今日も来てよかった」と思う。「あまったチケット買うよ、あまったチケット」と言って道の真ん中に仁王立ちしているダフ屋の脇を通り抜けて、球場に近づくと歓声と太鼓の音が聞こえてきて、両チームのバッテリーが発表されたところだった。
 前川はライトスタンド右端の中段あたりにいて、通路から見上げた私に手を上げた。私は席取りのお礼のビールを売り子から買って、両手にビールを持って階段をのぼった。ビールは「ドライ」で二試合負けて以来「一番しぼり」で、「一番しぼり」に替えてからは四勝一敗で連敗がない。私もそういうことは忘れないが前川は私以上に忘れなくて、勝った試合にやったことと負けた試合にやったことを記憶していて、きちんきちんとそれを守る。一度の負けは仕方ない。負けないチームはない。だから二連敗しないかぎりきのうまでの行動はやめない。
 前川は今日も関内駅のホームから見えるモスバーガーで腹ごしらえをして、ダフ屋から声をかけられたら一人一人に「大丈夫、大丈夫」と意味のわからない返事をして、十二歩以内で片側二車線の信号を渡って球場まで来ただろう。
 野球は九人でやっているわけではない。ファンも一緒に戦っている。選手や監督はよその球団に移ったりもするけれどファンは生涯横浜ベイスターズを応援しつづける。スタンドの一番上では私設応援団の女の子たちがハッピに着替え終わっていた。もっとも応援団は全員「私設」だけれど、それはともかくスターティングオーダーの発表が終わると、一番から九番まで、選手一人一人の歌を歌っていく。名物となったハチマキのアンチャンはもうずっと立ちっぱなしで、自分が太鼓とトランペットをリードしているかのような手拍子を打つ。彼の叩き方は応援団のリーダーより堂に入っている。スピードガンコンテストに出てきた子どもたちは鈴木尚典とローズと波留と福盛と川村のファンだった。最高でも八十七キロだった。いつもそんなものだ。
 事もなく一回表が終わり、その裏、一番の石井琢朗がライト前にヒットを打ち、金城の二球目で盗塁した。ヘッドスライディングからすぐに塁上で立ち上がり、胸についたアンツーカーをはたき落とし、ベルトを緩めてパンツに入ったアンツーカーを落とす。スタンドはメガホン叩いて、「WOOO、ヘイッ、——ヘイッヘイッヘイッ」。
 三番鈴木尚典の歌は「駆け抜けるダイヤモンド両手を高く上げ、とどろきわたる歓声が君の胸をこがす」だ。尚典のスイングは誰よりも格好いい。右足の踵が地面から離れるタイミングとダウンスイングの軌道とフォロースイングでの左手の離し方が、「これぞスイング」と完成されていてほれぼれする。身長一メートル八十五センチ体重八十二キロ。静岡県生まれ、横浜高校出身。背番号「7」。尚典の低い弾道は一塁手の頭上をドライブがかかって越えてライト線を破った。石井は三塁を回ったあと、外野の中継を見ながらゆっくりホームイン。尚典も滑べり込まずに立ったままセカンドへ。
「WOOOOO」とみんなで調子を揃えて、次にメガホン叩いて「ヘイッ——、ヘイッヘイッヘイッ」。そして球団歌。
「オーオーオー、ウォウ、ウォ、横浜ベイスターズ
 燃える星たちよ レッツゴー!
 オーオーオー、ウォウ、ウォ、横浜ベイスターズ
 夢を追いかけろ」
 そして、「バンザーイ バンザーイ バンザーイ」。打球が外野を破る瞬間がたまらないのは言うまでもないが、点が入って「バンザイ」を三回言うのがまたたまらなくうれしい。テレビでは絶対わからない。
 四番は当然セカンド、ローズ。ロバート・ローズ。ボビー・ローズ。背番号「23」。ローズは強靱な下半身で堅牢な建造物のように、ググッと広くスタンスをとる。股がほぼ百八十度に開き、靴—膝—膝—靴の線がほとんど長方形になる。ローズの上半身は年々鎧のようにたくましくなりそれにつれてスタンスが年々広くなる。
 一度股間に手をあてて玉の位置をなおして、からだの中心線までで止めるゆっくりした素振りは、尚典と対照的だ。粘り強そうな振り切らない素振りを二度三度やって投球を待つ。ガムをずっと噛みつづけている。一九六七年三月十五日生まれ。三十三歳。
「カモン、ローズ、ヴィクトリー
 ハッスル、ボービー、ゴゴーゴー」
 が、ローズの歌で、「ヴィクトリー」と「ゴゴーゴー」のあとに「ヘイッ」と言って飛び跳ねるのを「ローズ・ジャンプ」と言う。はじめてスタンドでみんなが跳ねてるのが見えたときには何が起こったのかびっくりしたと言っていた。優勝した年は髪が長くて「ゴースト−ニューヨークの幻」のときのデミ・ムーアに似てた。好きな曲は安室奈美恵の「スウィート・スウィート・ナインティーン・ブルース」。いいやつなんだよ。ローズのことを思うといつだって胸が熱くなる。ファウルが一塁側内野席に飛んでいき、応援の音がいったん切れたときに、私は「ローズ」と叫ばすにはいられない。百十メートル離れたローズに私の声は届くだろうか。私はローズと共有している空間に向かって「ローズ」と叫んだのだ。私の声はローズと同じ空間を共有することの感謝と歓びに満ちていることだろう。
 ローズの打球は力なくセカンド後方に上がった。今年の横浜は尚典が打つとローズが打たない。ローズが打つと尚典が打たない。それでも何でもローズはローズだ。
「こういうピッチャーは打てないんだよな」
「横からのヘロヘロだま球は最悪ですね」
 打席に悪役面の中根が入る。現在打率三割X分X厘。
「中根は野球人生でいまが一番いいんじゃないかなあ」
「いいよな」
「今年の中根には感動しますよ」
「いいよな」
「もう立ってる姿が真っ四角だもんね」
 本当に中根は横に広い。腰痛に苦しみながらも六月からライトを守りつづけている。横からのヘロヘロ球は、中根も得意じゃないが、中根にはチームへの使命感がある。一人でスターを張れない選手はチームに貢献することでファンの支持を得る。みんながみんな一人でスターを張れるわけじゃない。よそのチームのファンは中根の背番号「6」なんて、何年たっても憶えない。しかし横浜ファンは二十年たっても中根がいたことを忘れない。私には二十年後に今年の中根を熱く語っている自分が見える。
 中根の打球は詰まり気味だったがレフト線に飛んだ。鈴木尚典はセカンドからスライディングでホームイン。これで二点目。メガホン叩いて、「WOOOO、ヘイッ——、ヘイッヘイッヘイッ」。
「オーオーオー、ウォウ、ウォ、横浜ベイスターズ
 燃える星たちよ レッツゴー!
 オーオーオー、ウォウ、ウォ、横浜ベイスターズ
 夢を追いかけろ
 バンザーイ バンザーイ バンザーイ」
 これで二度目のバンザイ三連発だ。前のロン毛茶髪の三人組が飛び跳ねてメガホンでハイタッチする。パシンパシンパシン。こっちも前川とメガホンでハイタッチ。パシンパシンパシン。叩き合ってると前のロン毛茶髪と目が合って、前の三人ともメガホンでハイタッチ。
 パシン、パシン、パシン、パシン。
 ロン毛茶髪の喜んでる顔が前川と同じだ。私も同じ顔で喜んでるんだと感じた。それがまたうれしい。個性とは獲得するものでなく捨てるものだ。このとき人間的自由の本質が到来する。夏の空がようやく暮れはじめた。空に乳白色から濃紺のグラデーションがかかる。スコアボードの上の旗がゆっくり風になびいている。横浜の夜は涼しい。長い攻撃が終わり相手の攻撃がはじまるとぞろぞろぞろぞろトイレに向かう。
 トイレの入り口にはテレビが天井から掛かっていて、トイレの行き帰りの人やホットドッグや焼きソバを買いにきた人や煙草を吸いにきた人がテレビを見上げて試合の進行を見る。男も女もほぼ半数がユニホーム姿で、37は金城、5は石井琢朗、2が波留で16が川村。34が福盛で43が横山で0が万永。いいとし年齢したオヤジが揃って野球帽をかぶっている。こんな場所ほかにない。勝ったあとの酒はうれしい。
 前川と私はいつもの野毛の店へ向かう。
「石井が出て盗塁すると全然違うね」
「盗塁って勢いづくんだよな」
「川村も今日はよかったよ」
「谷繁はやっぱりクソッたれだったけどな」
「ちゃんとホームラン打たれるもんねえ」
「今日は何しろ尚典がよかったよ」
「でもあそこで多村が捕ってなかったらけっこうヤバかったよ」
 十五分歩くと野毛にあるいつもの店に着く。横浜ファンのたまり場でも何でもない店だけれど、関内、伊勢崎町、野毛あたりにいるとみんな横浜ファンのように見える。「関内、伊勢崎町、野毛」で「横浜」全体じゃないところが淋しくもありうれしくもある。野球はローカルなのだ。
 次の日は大峯も来た。きのうより右中間よりの外野指定席だ。大峯は大手町の会社から試合開始ギリギリに紺のスーツで息を切らして汗をかいてやってきた。頭には帽子をかぶっている。ロータリークラブの役員みたいだ。着くなり大峯は崎陽軒のシュウマイ弁当を広げてしゃべりはじめた。
「これから10連勝二回すれば追いつくよな。おれ毎日パソコンで計算してるんだよ」
「電卓でいいじゃん」
「なんせマシンガン打線なんだからよお。こっちもそれなりのことすんだよ。
 そんで10連勝するだろう。その最中に巨人の松井がよお、明け方女乗せて第三京浜走ってるところによお、これから女こまそうと思って下り車線走ってる高橋由伸の車がよお、偶然ぶつかんじゃん。両方がそれで大破するだろ。死んじまったらかわいそうだから骨折ぐらいでいいんだけどよお、それで二人が今シーズン絶望になんじゃん。
 そんでもって、今度名古屋に遠征行ったときに工藤がよお、高校時代の女のとこかなんか行こうとしてるところに、山崎とゴメスが相乗りして金津園から帰ってくる車にぶつかっちまえば、巨人も中日ももう関係なくなるからな」
 大峯はこういうバカバカしい話を笑わずにしゃべるから聞いているこっちは笑うタイミングを見つけられなくていよいよバカバカしくなる。大峯がバカな話をしているあいだに七月はじめに突如二軍から上がってきた細見が一回表を三人で抑えた。
「いまシーレックスが本当にいいんだよ」
 まともな話をするのは前川に決まっている。シーレックスは横浜の二軍のことだ。金城も多村も石井義人もシーズン途中に二軍から上がってきた。
「田代がいいんだよ。あいつバッティング練習のときにピッチャーのすぐうしろに立って、腕組みして『オイ、コラッ。もっと体重を右足に残せ!』とか怒鳴ってんの」
 前川は一軍の試合だけでは足りなくなって、横須賀でやるシーレックスの試合まで見に行っている。言ってることは大峯よりまともだけれど、やってることは全然まともじゃない。大峯は紺のスーツにネクタイ締めて大手町で働いている。前川はといったら野球のために引っ越しをして、野球のために四月から九月までは最低限の仕事しかしない。ベイスターズ依存症だ。
「試合がはじまると田代は一塁のコーチスボックスに立つんだけどね、一人一人に指示しまくるのよ。ファームの試合って、客が入ってないからグラウンドの声が丸聞こえじゃん。阿波野なんかもう全然あがってくる気ないでしょ。だから秋元とか荒井と一緒になって、『戸叶が三回までもったらイチ、四回までもったらニ』とか、賭けしてんの。
 で、田代ひとり恐い顔して若い選手にらんでさ、『緩い球はおっつけるな! 強く打て!』『カーブは捨てろ! 速い球だ、速い球!』って、相手に聞こえるのなんか眼中になくて、指示しまくり。すごい迫力よ。ビビリますよ。
 でも、それがズバズバ当たるの。最初の打者一巡のあいだ、コーチスボックスからこうやって腕組んで仁王立ちで、じいっと黙ってピッチャーにらんでて、二巡目から田代の指示どおり打つやつはちゃんと打てるの。で、言うとおりにしなかったやつは、コーチんところからズカズカッて歩いてきて顔面パンチ。
 グーだもんね。パーじゃなくて。鉄拳制裁だよね。そういう人たちなんだなあって思いますよ。
 だからもう言うこと聞くっきゃないんだけど、田中一徳なんか調子こいてばっかりだから、田代の言うとおり全然できないの。あいつは当分ダメだね。でもあいつは足が速いから、田代に殴られる前にライトの方まで走って逃げてんの。
 小学校じゃないって」
 つまり二軍の打撃コーチの田代はすごいという話だ。田代のことは現役時代、大洋ファンもよそのファンも、田代について何らかのイメージを持っていた人は全員がバカだと思っていた。ところが引退してラジオで解説するのを聞いたら、投手の配球も打者の調子も全体の状況も全部適確なことをしゃべっていた。けっこうすごいじゃないかと思ったら、コーチになってもすごかった。山下大輔とか斉藤明夫なんか、解説するのを聞いて大バカだと思ったら、やっぱりコーチをさせても役立たずだった。
 試合は三回表までたんたんと流れた。大峯はすでに三杯目のビールを飲んでいた。一杯四百八十円。三百五十ミリの缶ビール一缶がちょうど紙コップに入る。大峯にはジンクスも何も関係なく、「ドライ」でも「エビス」でも何でも飲む。売り子の女の子がかわいいかブスかも関係ない。いつもの上段のハチマキ兄ちゃんは声をかける売り子が決まっている。だいたい大峯みたいにバカ飲みしない。毎日来てたらそんなに金は使えない。ハチマキ兄ちゃんのユニホームはなんかちょっと形がおかしい。裾がヒラヒラしすぎる。自分で縫ったか、カノジョに縫ってもらったのかしたんだろう。しかしカノジョなんているだろうか。ハチマキ兄ちゃんは、相手の攻撃になるとエキサイトする。
「人の球場来て、騒いでんじゃねえ!」
 レフトスタンドの応援団に向かって怒っているのだ。
 中日の攻撃が終わり、大峯はトイレから戻ると三杯目のビールの紙コップの底をくりぬいてメガホンにして野次を飛ばしはじめた。メガホンは最近はもっぱら叩くもので、大峯みたいに野次に使うやつはなかなかいない。
「おい、井上ェ! こんなうしろに下がって守ってんじゃねえぞ。コラッ! 自分とこのピッチャーが、おまえはそんなに信用できねえのかァ!
 もっと前行ってやれ、前へ! ヘヘッ!」
 大峯の野次は草野球のように長い。長くて、最後に「ヘヘッ」と言う。「ヘヘッ」は本人も気づいてないかもしれない。もっとも大峯の野次はどこにも届かない。何故ならライトスタンドはいま、一番ショート石井の歌を歌っているからだ。
「駆けぬけるスタジアム君の勇姿
 明日の星をつかめよ石井その手で
 かっとばせ! イ・シ・イ!」
 横浜ベイスターズの応援のリズムは全選手共通の「チャン−チャン−チャッチャッチャッ——、チャン−チャン−チャッチャッチャッ——」で、憶えやすいし叩きやすいが、大峯はそれが全然できないしやる気もない。大峯はひたすら自分のペースで野次ったり騒いだりしていて、川崎球場の時代を思い出す。
 あの頃ライトスタンドには応援団なんかいなかった。大峯のようなアンチャンが試合の途中で突然立ち上がって音頭取りになっていた。赤いアロハシャツにサングラスのアンチャンは五回裏あたりで立ち上がってスタンド最前列に進み出て、ものすごく間伸びした三三七拍子を笛で吹きはじめた。彼は笛持参で来ていたのだ。あの夜の川崎球場はアロハの彼が応援団長だった。巨人のライトを守っていた柳田に向かって、一回裏からずうっと、「柳田ーッ、おまえの嫁さん、ブスーッ」をひたすら叫びつづけていたアンチャンもいた。前の晩酔っ払ってボコボコに殴られて、そのままやってきたみたいに顔を腫らしていて、ライトスタンドの一画は四回あたりからずうっと「ヤナギダーッ、おまえの嫁さん、ブスーッ」を連呼するはめになった。
 半分に切った薄汚れたシーツに、水彩絵の具のにじんだ文字で「25 松原誠 セ・リーグ選手会長」と書いて、竹刀に縛りつけて振っていたアンチャンもいた。松原の気力をな萎えさせるような代物だったけれど、とにかくその夜は彼が応援団長だった。仮面ライダーのお面をかぶってタンバリンで三三七拍子を叩いていたのもいた。ライオン丸ならシピンの渾名だったが、仮面ライダーはまるっきり意味がわからなかった。しかし彼もその夜は応援団長だった。そういうアンチャンたちがみんないまでも横浜球場に来ているのだ。なにしろ、ファンは生涯つづくのだから。監督がかわろうが、選手が全員代替わりしようが、チームカラーが一新されようが、ファンは生涯つづく。大峯のように手拍子をまともに叩けないオヤジがいたら、それはみんな川崎球場で一晩限りの応援団長になったアンチャンたちかもしれない。ローズの打球が右中間にぐんぐん伸びてフェンスを直撃した。石井と金城が帰って二点。メガホン叩いて「WOOOOO、ヘイッ——、ヘイッヘイッヘイッ」
「オーオーオーウォウウォ、横浜ベイスターズ
 燃える星たちよ レッツゴー!
 オーオーオーウォウウォ、横浜ベイスターズ
 夢を追いかけろ バンサーイバンザーイバンザーイ」
 今夜はじめて「バンザイ」が言えた。
「WOOOOO、ヘイッ——」には乗り遅れた大峯も「バンザイ」三連発には参加している。セカンド塁上ではローズが腰に手をあてて静かに立っている。風船ガムを噛みながらベンチに向かって、口の端を左右にギッと引っぱって頬に深く縦ジワを作るローズ特有の表情がオーロラビジョンに大映しになった。オーロラビジョンを見なくても、ローズの後ろ姿だけで私たちには見えている。

 野毛のいつもの店で連夜の祝杯をあげ、桜木町からの東横線の中では、ローズの右中間の二塁打やレフトスタンドに弾丸ライナーで飛びこんだ中根のホームランや三遊間のゴロにダイビングして振り向きざまに投げた石井の送球が、本を広げても熱を持ったみたいに次々頭の中で再生されていた。渋谷駅の乗り換えを歩いている最中にそれがぴたりと止むというかすっと消えていくのは前川が吉祥寺に住んでいた去年も今年も同じことで、コンパ帰りや会社帰りと一緒になる駅の構内は昼間と同じくらい暑く、下北沢の乗り換えはもっと暑く空気が澱んで匂いまでして、小田急の駅を降りても風はたまに吹くだけだった。
 夜空を見上げても月は見あたらず、星もまばらにしか出ていなかった。夏の東京の夜空は雲がなくても星が見つけにくい。風が吹かないと昼間の水蒸気を含んだ熱気が空の低いところにたまって星を隠すのだろうか。商店街を抜けて、少し大回りして歩いた道にはこのあたりで一番大きなケヤキがあり、近くで見上げると胸がすくような畏怖のような気持ちが出てくる。樹は明るいところで見るときと暗いところで見るときで、出てくる感情が違う。
 私は子どもの頃よく空耳が聞こえていた。まわりの母や伯母や直子姉に「何か言った?」と訊くと、みんな決まって「きのせいだよ」と答えるその「きのせい」というのが「木のせい」だと思っていた。「木の精」なんて気の利いたことは知らないから、「せい」は「おまえのせい」と言うときの「せい」のことだ。子どもというのはそれで「そうか、木のせいなのか」と納得してしまうもので、「木のせいか」と思いながら庭に立っている木を見た。空耳は家の中で遊んでいるときも聞こえたけれど、庭で一人で遊んでいるときの方が多かったので「木のせい」を私は疑わなかった。
 空耳がしなくなると「木のせい」という言葉も思い出さなくなり、そのうちに「木のせい」という作用があるなんてことは考えないようになっていたけれど、子どもと同じ感情や思考の回路はいくつになっても消えてなくなるわけではなくて、簡単にはバレないように何重かの粉飾をこらして残りつづけていると最近よく思う。子どもに四角と見えるものが大人に丸に見えるわけではなく、子どもに「ヒューヒュー」と聞こえる風の音が大人に「ズガガガガーッ」と聞こえているわけではなくて、知覚の基本設計が成長とともに変わるようにできているわけではないのだから当然のことだ。
 それでも小学校の一年か二年くらいで空耳が聞こえなくなったのは、たぶん脳にとっての言語の定着の度合いのせいで、子どもは大人ほど言語の回路が完成していないから、いろいろな音を言葉のように聞いてしまうのだろう。言語の回路の完成とともに空耳が聞こえなくなったとしても、やっぱり完成以前の回路もまた活動をつづけていると感じるのだ。
 夜を怖いと思う気持ちもそれと同じことなのだろうか。ここに住んでいた幼稚園の頃、このあたりはもっとずっと暗くて、家の一軒一軒がひっそりとしていて、曲がり角ごとに何かが出てくるようだった。戦争の空襲で死んだ人たちが防空頭巾をかぶって、ただ黙ってぬっと立っているというような話を幸子姉から聞かされて怖くなるのは、小学校に入って「伯父ちゃん家」に遊びにくるようになってからのことで(話した幸子姉自身が本気で怖がっていたみたいだった)、幼稚園の頃はそういう具体性と全然関係ないところで、ただ夜道を歩いているだけで怖かったし、あの家でトイレに行ったりするのはもっと怖くて、面倒見のいい直子姉にいつも一緒について来てもらっていた。
 しかし聞くところによると幼稚園に入る前後くらいまで、私は夜中に一人であの家の中を怖がりもせずに歩き回ったりしていたらしい。昼間眠りすぎたようなとき、夜になっても眠れなくて退屈して、一人で二階の真ん中の部屋を出て手が届かないから電気もつけずに階段を降りて、直子姉と幸子姉の寝ている奥の部屋に行って直子姉の布団に入ってみて、そこでまた眠れなくて退屈して、伯父と伯母の寝ているところに行って……というようなことをしたことが何度もあったらしいのだけれど、私自身はまったく憶えていない。だからその頃は夜一人でとことこオシッコにも行ったりしていて、トイレの電灯のスイッチを入れるための高志専用の踏み台が置いてあったりもしたらしいのだけれど、記憶しているかぎりで、私は夜に一人であの家のトイレに行ったことはない。
 夜中に退屈して二階と一階を電気もつけずに歩き回るなんて、猫みたいだ。猫は人に甘えもするけれど、暗いところが怖いわけではまったくなくて、トイレに行く廊下の途中で寝そべっていたり、私と妻が階下にいるのに二階の窓から月でも見ているみたいにぼんやり外を眺めていたりする。それどころか、生まれて三カ月くらいの子猫でも、夜中にひとりで駐車場の隅で伏せのような姿勢でじっとしていて、通りかかった人をただ見たりする。こっちはつい「淋しくないか」とか「怖くないか」なんて思ってしまうけれど、子猫はそんなこと感じていなくて、もし感じていたら私の方に甘えるようにか救いを求めるようにかして寄ってくるだろう。子猫は私のことを怖れているわけでもないから逃げたりすることもなく、ただじっとそこにいる。
 夜中に一人でとことこあの家のなかを歩き回っていた頃の記憶が私にあったら、それを元にして猫たちの内面を推察することができるかもしれないけれど、私自身にその記憶はまるっきりない。記憶している自分はすでに夜のトイレや家の暗いところを怖がっていて、三つか四つの弟の明雄が夜一人でとことこトイレに行くのを見ながら、母が独り言なのに目の前にいる私に聞こえるように「明雄はちっとも怖がらないのにおかしいねえ」と言うのを聞いたときには、精一杯怖さを隠して一人でトイレに行っていたつもりなのに知られていたと思って、すごく恥ずかしかった。
 しかしその弟の記憶も、「鎌倉の古い家の便所は怖かった」になっている。夜を怖がる子どもの頃の気持ちは意識の底で大人になっても息づいていて、だからこそ怪談は夜に話されるわけだけれど、しかしそれでは、それより前の怖いとも何とも感じずにとことこ夜中に家の中を歩き回っていた頃の気持ちというのはどうなったんだろうと思う。それは消えてしまったのだろうか。
 フロイトが言うように赤ん坊だったときからの記憶が消えきらずに歪められた形とはいえ無意識として残りつづけているという考えはよくわかる気がするけれど、消えてなくなってしまうというのは理解しにくい。フロイトはネガティブなものを強調するから理論としては辻褄が合っているけれど、怖いとも何とも感じない時期は確かにあったのだ。家に帰ると妻と由香里と、まだ帰らずに残っていた浩介の三人がワインを飲んでいて、浩介はライナスの毛布のようにギターを抱えて(これは妻が言った言葉だ)、二人に評判の悪いブルースではなくてボサノバ風のフレーズを弾いていた。
 玄関に入るとすぐにみんなのいる居間だから、三人が囲んでいるテーブルの上でゴロリと横になっていたココが体をねじって私の方に振り返り、クーとミケは玄関の開く音を聞きつけて奥から小走りして出迎えに来た。人間の方は三人とも「おかえりなさい」と言うだけで、試合については何も聞かないが、クーとミケが一緒に出て来たということは二匹が行動をともにしていたということで、二匹を指して「階上にでもいたのか」と訊くと、妻が、
「どしんどしん遊んでた」
 と言って、私は、
「遊べるようになったか」
 と言って、クーとミケに鼻をくっつける「鼻キス」という挨拶をした。子猫の動きは荒っぽくて唐突で、クーはミケに追いかけられて逃げてばっかりだったが、最近少しずつミケが猫同士の遊び方の呼吸がわかるようになってきた。それからテーブルまで行ってココにも鼻キスをして、私が手と顔を洗いに風呂場に行くとミケが足に絡まるようについてきて、私がいるとやっぱりミケはクーでなく私と遊んでしまうのだけれど、居間にもどって竿の先から糸で垂れた鳥の羽を振り回してミケを遊ばせながら、
「おかしいと思わないか」
 と、さっき歩きながらずうっと考えていたものごころつく前の記憶がなくなる話をはじめると、妻は「ミケと遊ぶかしゃべるか、どっちかにしなよ」と言ったのだけれど、浩介が、
「『ある』とか『残る』とかって考えてる浅川さんの方がおかしいんだよ」
 と言った。
「男の人って、二ついっぺんにやろうとするよね」妻が由香里に言っていたが、浩介はブルースのチョーキングをきかしたフレーズを弾きながら、
「誰がどうしたとかっていう個別の記憶が残ってるっていうのはまだしもだけどさあ、『怖いと思わなかった』っていうのは心の状態のことでしょうが。状態は変わっちゃったら消えるもんだよ」
 と言った。
「器用だよね」と妻がまた由香里に向かってしゃべっているから、私が「女の人って、人がしゃべってる横でしゃべるわよね」と言うと、「聞いてるわよ」と言った。
「——だからそんなの、ビデオとおんなじなんじゃないの?」
 妻の発言はいつもどおり唐突で、浩介はギターを弾きながら妻を見て、私は鳥の羽を振り回しながら、妻を見た。
「——ビデオだって、上から新しいのを録画したら前のは消えちゃうじゃないよ」
「だから、重ね録りして消えたみたいでも、消えずに残るのが記憶だって、言ってんだよ」
「だってそんなの、フロイトが言ったことでしょ?」
 妻は酔っぱらっていた。しかし酔っていなくても、フロイトはフロイトを読まない人に評判が悪い。みんな心理テストを好きでやるくせに、他人から見透かされたようなことを言われると反発する。フロイトかぶれにはそういう見透かしたがりが多いのだ。もっとも妻は心理テストさえ嫌っている。強情なのだ。それは由香里にも共通している。妻はさらに言った。
「この前、詩穂ちゃんが来たとき、段ボールがかぶさった途端に『ワッ』て泣き出したじゃない」
 詩穂ちゃんというのは友達の三歳半の子どもだ。あの子は一メートル四方くらいの段ボール箱がかぶさって一秒もしないうちに怖くて泣き出した。私と弟が怖がらなかったことの方が例外なのだろうか。
「でも詩穂ちゃんは『用心深い』とか『臆病だ』とか先生から言われるって、エッちゃんも言ってたじゃんか」
 エッちゃんは詩穂ちゃんのお母さんだ。しゃべるとどうしても手の動きがおろそかになって、ミケに羽をつかまえられてしまう。
「じゃあ、詩穂ちゃんは例外だって言うの?」
「例外っていうか。まあ、自我の成長が早いってことだな」
「例外」なんて言ったら怒り出すに決まってる。浩介のギターはボサノバに戻っていて、
「無理にあてはめなくてもいいんじゃないの?」
 と言うと、由香里が「キャハッ」と笑った。由香里の笑い声で休息が乱されたとでも言うみたいにココが「アウッ」と一声あげて、由香里の膝を足場にしてテーブルから降りて、縁側で寝そべっていたクーのところにいって、クーの頭をペロペロなめた。そうするとクーがココの頭をなめ返す。つまりココは自分がなめてほしいとき、クーの頭を先になめるのだ。
 私は竿を上に向け、鳥の羽を胸より高く上げて手を休めて、由香里を見て、
「記憶は消えてなくなるもんなの?」
 と訊いた。
「え? あたし」
 と言って、由香里は黒目がちで切れ長のはっきりした目で真っ直ぐにこっちを見た。ミケは垂直に飛びはねるけれど羽に届かない。
「記憶の話とかっておもしろいけど、自分の中で特別に考えたことないから、わかんない」
 由香里が言うと妻は、由香里と同じ黒目がちで切れ長のはっきりした目で私を見上げて声に出さない笑いを作って見せた。
「十九の頃って、どう考えてたんだろう」
 と、私が妻と浩介に言うと、
「考えてなかったよね」
 と浩介が言い、由香里がちょっと安心したようにこっちを見た。
「思い出せないなあ」
 私が言うと、「だから考えてなかったんだよ」と浩介が同じことを繰り返した。妻は何も言わなかったけれど、酔っぱらったからでなかった。
 たぶん妻は叔母と姪として、由香里とつき合うときに由香里と同じ年齢だった自分をしゃべってはいけないと思っているのだ。私と英樹兄の関係のような照れ臭さも混じっているかもしれないが、保護者の代わりとして、十九歳を相手にするときに十九歳の自分は意味がない。保護者は理解するのではなくて抑圧的ぐらいの方がいい。と、そう思っていてもこうして一緒にワインを飲んでしまうくらいだから、「理解しよう」なんて妥協的な気持ちになったらどこまで緩んでしまうかわからない。こういうときには母や父がどう思って十九歳の頃の私のことを見ていたんだろうと思ったりもする。十九歳なんて言いたい気持ちだけはいっぱいあっても、具体的な中身がないから気持ちをまとめる手がかりが何もなかったかもしれない。自分の理解の外にあるロックやジャズをガンガンかけている子どものことなんて、父や母の世代にはわかりっこないと思ってたかもしれないが、由香里の聴く音楽は理解の外ではない。
 羽に飛びつけないのでミケが憤慨して私の足の甲に咬みついた。私は「痛ッ」と声を出した。
「ほら、ちゃんと遊びなさいって言ってるよ」
 妻の言葉は「もうこの話はやめよう」という風にも聞こえたけれど、浩介には関係なくて、
「あの頃なんて、音楽と映画と女のことしか考えてなかったけどさあ、あの頃、そういうこと考えてなかったやつって、信用できないよね」
 と、話がつづいていた。私はミケを羽で遊ばせながら「ハハッ」と笑った。同感の笑いだ。
「—— 一番興味が持てることが一番エネルギーを引き出せることなんだよね。
 青春っていうのは大人には可能性のかたまりに見えるけど、本人には可能性すら必要ないんだよね。未来もなければ過去もない。過去って知識のことじゃん。現在の中でさまよい歩くのが青春なんだよ」
「浩介君、どうしちゃったの」と妻が言った。
「こいつはこういうやつだよ」と私はいった。
 浩介は飛躍して強引なことを言う。いつもギターを抱えているが、考えていることは青くさいほど真面目なのだ。もっともムーミン谷のスナフキンのしゃべることも考えようによっては青くさい。しゃべると浩介はジミヘンの聴き馴れたイントロを弾き出した。『ブードゥー・チャイルド』だった。弾き馴れたフレーズを弾くのは聴き馴れたフレーズを聴く以上に快感なんだろう。
「大人はいいよね」と由香里が言った。
「——そうやって全部、過去形で話せるんだから」
「よくねえよ」ギターを弾く手を休めずに浩介が言った。「過去形だぜ?」
「いいですよ。いまの自分の気持ちがいつか浩介さんみたく言えるなんて思えないもん」
「いまはね。でも言えるんだよね」
「わかってても思えないです」
「思えないんだよね」
 と、浩介は笑って、また最初から同じイントロを弾きはじめた。二十五年前の私が、もしこんな会話を母としたら(絶対にしなかったけど)、「若さがない」と言われただろうと思った。私たち自身も、由香里みたいに思うことはなかった。だいたい三十すぎた大人の言うことなんか信じていなかった。時代のコードが変わったんだと私は思った。由香里は特別内省的なわけでも暗いわけでもないから、時代の風潮ということなんだろう。つまり、今の自分は苦しかったり空虚だったりで否定的なことだらけだけれど、いつかそこから抜け出て、「あんな時もあったよね」と心にゆとりを持って思い返せる時がくるにちがいないということだ。
 私と妻が黙っていると、浩介が「でも、若いやつのことをわかったように話す大人っていかがわしかったよね」と言った。
「いまでもいかがわしいよ」
 私が言うと浩介は短く笑って、
「だからさ、由香里が三十くらいになって、過去形でしゃべれるようになってると、『ああ、いかがわしくなっちゃった』って、思うんだよ」
 と言った。妻は笑って、小さく「バカ」と言った。
「自分が三十になるなんて信じられない」
「三十くらいにならないと、まあ過去形ではしゃべれないな」
「だから過去形でしゃべれるようになれるなんて、信じられないってことなのよ」
 妻に言われて、浩介が「まあな」と納得していると、由香里が、
「でもなるんですよね」
 と言った。
「なるんだよ」ミケと遊びながら私は言った。
「なってみるとどうってことないんだよね。
 十九のときに、三十すぎの自分がギター弾いてるとは思ってなかったよね。
 ところが、三十代になってテクが上がっちゃったんだよね、これが」
 私はクーを拾ったのが三十歳だったことを思い出した。それまで私は猫にはまったく関心がなかった。三十歳と半年でクーを拾い、その一年半後にココを拾い、その三年後にチャーちゃんを拾った。チャーちゃんは四年三カ月私たちのところにいて、私が四十になって二カ月して死んだ。こういう計算をした記憶はあまりないが、つまり私の三十代は猫の成長だけで、死は知らなかったということだ。いま思うと明るい三十代だったということだ。妻は三十代の最後に猫の死を知ってしまったということだ。
「浩介さん、バンドやらなかったの?」
 と、由香里が訊くと、浩介が、
「やってんじゃん、いま」
 と言った。
 由香里はキョトンとした。
「綾子と森中ひきつれてやってんじゃん。
 うち家帰れば奥さんと子どもがいるんだぜ。二つもバンドやってればじゅうぶんだよ」
「バンドだったのかぁ」妻が言った。
「由香里も入りたかったらいつでも入れてやるよ」
「給料は保証されないってことだ」
「バンドだからね」

 結局浩介は家に戻らずにそのまま居間に布団を敷いて寝た。妻はだいぶ酔っぱらって由香里が手を引っぱり私が尻を押して階段をあげて寝かせたが、一度布団にどたんと倒れこんだと思ったらむくっと起き上がって「由香里ちゃん、ちょっと」と由香里を呼びつけた。
「ここにすわりなさい」
「なあに?」由香里も酔っているのでダラケた返事をした。
「このあいだあたしあなたの夢を見たの。
 あなたが窓から外を見てたから、『由香里ちゃん、何してるの?』って言ったら、あなたが振り返ったの。そうしたら、あなたじゃなくてココだったの。
『なんだ、由香里ちゃんだと思ったらココだった』って言ったら、ココが、
『ココだと思ったら、由香里だった』って言って、由香里に戻っちゃったの」
 バカバカしくて由香里は吹き出して、廊下に立っていた私を見上げた。部屋の明かりはついていなかったし月も出ていなかったけれど、外から街灯の明かりが入っていて、由香里の瞳がキラキラ光った。
「ちゃんと聞いてるの?」
「聞いてますよ」
「ねえ、あれは由香里ちゃんの夢だったと思う? ココの夢だったと思う?」
「そんなの、わかんないよ」
「だってあなたが出た夢なのよ」
 と言って、妻は布団に倒れたが、またすぐガバッと起き上がって、「あ、メイク落とさなきゃ」と言った。
「もう落としてます」
「じゃあ、お風呂入らなくちゃ」
「もう入りました」
「ああ、そう。ほら、やっぱりいろいろわかってんじゃない——」
 と言い終わる前にバタンと横になってそのまま眠ってしまった。それで由香里は階下の奥の部屋におりていき、私は一人で廊下の南向きの膝より少し高い窓の敷居に腰かけて、洩れ込む外の明かりだけに照らされているためにガランとして見える妻の部屋と私の部屋をしばらく見ていた。
 私はただ腰かけていただけで何か考えごとをしていたわけではなかったけれど、こうしているところをもしも誰かが見たら、間違いなく考えごとをしているように思われるだろうと思った。そんなことを思うということは、自分がこうして夜中に窓に腰かけている姿が自分に見えているんだろうと思った。小津安二郎の『秋刀魚の味』の笠智衆の姿も思い浮かんだ。小津安二郎の映画では深い疲れをにじみ出させながら人はどこかに腰かける。しかしそういう演技を小津安二郎は俳優が無表情に何も考えずに、演技というよりも意味のないただの動作になるまで、繰り返し「ダメ」を出して、させた。
 その動作がもの思いに沈んでいると見えるように私の姿ももの思いに沈んでいるように見える。偶然それを見るかもしれない誰かにそう見えるのではなくて、こうしている自分の姿が自然にイメージとして思い浮かんでしまっている自分自身にそう見える。私にはもの思いに沈むような何もなかったけれど、私はもの思いに沈んでいるのかもしれなかった。
 猫の姿もそう見えるけれど、猿なんか特にもの思いに沈んでいるように見える。イグアナが夕陽に照らされた映像を見たときもそう見えた。爬虫類は歩いている途中のような姿勢で何分も動かなくなる。彼らと人間の違いは、そうしているときに何かを考えているかどうかの差なのではなくて、そうしている自分自身の姿が自然に思い浮かんでいるかそうでないかということなのではないかと思った。


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