『カンバセイション・ピース』初稿(267〜316枚目)

【夏休みに一人だったときに水を撒いて以来、庭の水撒きが私の楽しみになっていて、朝八時頃に一度撒き、夕方五時くらいの陽射しが弱くなったところでもう一度撒くという新しい習慣がはじまっていた。】(【 】の部分は赤の斜線で消してあります)

「さあ、水撒きの時間だ」
「ウキウキしちゃってる」
「三日ぶりの水撒きだからね」と、私は由香里に言った。
 みんなが休みで一人だったときに水を撒いて以来、夕方の庭の水撒きが私の楽しみになっていて、朝八時頃に一度撒き、夕方五時くらいの陽射しが弱くなったところでもう一度撒くという新しい日課がはじまっていた。
 もっとも野球に行く日はまだ陽射しが強すぎるので夕方の水撒きはできなくて、だから三連戦で三日あいてしまったのだけれどそれはともかく、いままでは妻から頼まれた由香里が朝に庭全体に撒いて鉢植えにだけは夕方も撒いていて、由香里がいない去年はどうしていたかというと私をあてにしない妻が朝出掛ける前にざーっと撒いて、夕方はというと去年の夏は夕立がやたらと多かったのでけっこうそれで助かっていたし、春に引っ越してきたばかりだったので鉢植えの数もいまほど多くなかった。
 妻の理恵は私のことを、猫の餌を出すのと、猫のトイレを片づけるのと、猫と遊ぶという、つまり猫のことだけは毎日きちんきちんと人一倍熱心にやるけれど、それ以外のこととなると家の掃除も料理も庭の草むしりなんかも本当に気まぐれに、よっぽど気が向いたときにしかやらないと決めつけているから、あきらめて何も任せようとしなかったのだけれど、みんながいないときに水を撒いてみたら、かつてここに遊びに来ていた頃に撒いていたときのように水を撒くことが急に楽しくなった。
 特に夕方撒くのが楽しかった。朝は八時ではもうすごく陽が高く強くなっているし、一日のはじまりのせいか、さっさとてきぱきすませることしか考えないけれど、夕方はホースから噴き出る水を見たり、水を浴びる葉を見たり、水がしみていく土を見たりしながらゆっくり撒いていることができる。
 西から東に長く伸びている敷地の入り口から玄関にかけてのあたりは妻の鉢植えで、小さくて赤い花を咲かせるバラは葉も小さく長円というよりもほとんど円にちかくて葉の縁のギザギザも二メートルも離れれば見えず、バラと同じくらい小さな実のなる野生種のイチゴはいまでもポツリポツリと実をつけていて今日はまだ取って食べるほどにはなっていなかったけれど葉は春にまだ私が興味を持たずに見ていた頃と比べてあきらかに大きくなっていて、長円というよりも菱形みたいな葉が一箇所から三枚ずつ広がって出ていて、縁のギザギザが大きく葉脈もはっきりしていて、ホースの水があたると、ギザギザと葉脈がはっきりした葉の群れが茂みがさわめくように揺れ、水のあたる葉の面積が広いので水と葉、葉と葉がぶつかる音がざざざざとする。三つあるイチゴの鉢の一番大きい鉢には、妻が寄せ植えをしたのか種が隣りの鉢から紛れ込んだのか、ひょろっと伸びた茎に葉がぽつりぽつりとついている感じがちょっとハコベのように見えるけれどもちろんハコベではなくて、ハコベより茎も太く高く伸びて葉が大きくてつまり全体に大きくて縁もギザギザで近づいて見ると白いうぶ毛でおおわれていて、白い小さな花もついていて、見ていると香りがしてくるような気がして、かと言って鼻をちかづけてもそれらしいニオイはしないのだが、指で葉をこすってみるとやっぱりミントらしきニオイがするからやっぱりミントなのだろう。
 小さなイチゴとたぶんミントの鉢が一番下の列にのっている三段の台の一つ上には「サラダバーネット」と買ったときのプレートを憶えにさしている鉢があって、サラダバーネットは一点から細い茎がせんさいなかんじに放射状に、あるいは噴水のように伸び広がって小さな小さな葉が舌平目の骨のように規則正しく左右に並んでいて、根元にちかいほど葉は小さく遠ざかるほど大きくなって、大きい葉はいわゆるふつうのやや長円の丸みのある葉の形をしているけれど、小さい葉は扇のような二枚貝の貝殻のような広がるだけで先がせばまらない形をしていて、小さいのから大きいのへと形の変化というか成長が一つの茎に並んでいるのを見ると植物というよりも貝か何かの成長を俯瞰しているような気持ちになり、ホースの水があたると規則正しく並んだ小さな葉が微細に刻まれたリズムでシャラシャラシャラシャラシャラシャラとゆれつづける【のは、小さい葉を貝殻にちかいと感じるからだろうか】。(【 】の部分は赤の二本線で消してあります)放射状に伸び広がる茎の根元と同じところから三本だけニョロニョロと丈が高くて太めの茎が伸びていて、その先にしなびたくるみのようなかたまりがついているのは花の形跡なのだろうが、いつ咲いていたのか私は憶えていなくて、細くて放射状に広がる茎からニョロニョロと全然ちがう感じの茎が伸び出ているのは本当に一つの株なのかと思うほどおかしなとり合わせになっていて、その鉢の隣の鉢にもやっぱりプレートがさしてあってそこには「アメリカンブルー」と書いてあって、アメリカンブルーはサラダバーネットよりずっとしっかりした茎が広がっていて、こっちには放射状のような規則性はなく、こまかく折れ曲がりつつ伸びている。葉は同じくらいに小さいけれど長円で縁にギザギザはなく、色はやや濃いめの緑で白いうぶ毛におおわれていて、ほかよりも厚みがある。たしかこのあいだまでは青か紫の小さな花をいくつもつけていたと思うがいまは花は咲いていなくて、葉に厚みがあるということはそこに水分をたくわえれらるのか、水を撒く前に他の葉はしんなりぐったりしているのに、このアメリカンブルーの葉は半日程度では陽射しにやられていないように見えて、水があたると不規則に折れ曲がって伸びている茎が隣のサラダバーネットと対称的な不規則さでゆらりゆらゆらゆらりゆらりとゆれる。
 しかし葉が肉厚といっても、すべてが水分をたくわえられるわけではなくてその隣りの大きめの鉢に植えられている私がいまだに妻から名前を聞いていないここに並んだ鉢植の中でも目立って丈があって大きく広がっている葉の植物はすぐに水分をつかい果たしてしまうのか朝も夕方も水を撒くときには全部の葉がしなびたみたいに弱々しく下に垂れている。茎も葉も白にちかい薄緑色というのかビロードのような白い毛が表面をおおっているから奥の色が隠されて白に見えるのか、太いけれど簡単に折れそうな茎が五本六本と一つの株から分かれていて、大ぶりの葉は蘭にちかいようだけれど何とも言いようのない不定形で縁のギザギザもはっきり大きく切れ込んでいるけれど、ギザギザにも丸みがついていて、水があたると水の勢いで茎が傾き、水があたっているあいだずっと同じ角度に傾いていて、水がこなくなると元に戻る。しばらく水があたったあとも葉はしなびたように下に垂れたままで、茎が吸い上げた水が葉にいきわたるのには時間がかかるらしい。その大きめの葉の生えている大きめの鉢の隣りに並んでいるのは雪柳で、四月だったか五月だったかには雪がつもったように白いこまかい花をいっぱいつけていた。
 いまは先がとがっているくらいに細長い小さな葉がほぼ放射状にまっすぐ伸びている細い茎にそってずうっと並んでいて、草ではなくて低木なので茎といっても枝なのだろうがそれで細い枝に葉がいっぱいついているので水があたると鉢から外に向かって広がった枝が、暴風雨に樹木がゆれるのをそのまま小さくしたように激しくゆれる。一日陽にてらされていた植物はどれも夕方になると葉の色が褪せて弱くなっていて、水があたると比喩でなく言葉どおりに生気をとりもどして生き生きとなって、葉の色が強くなって輪郭がはっきりしてくるのだけれど、雪柳はその中でも水があたると顕著に様子がかわって、葉の明るい緑と茎の濃い茶の対比がはっきりする。
 それでまた鉢を並べている三段の台の一番下に戻るとフキの葉をすごく小さくしたような葉が細くてニョロニョロした茎についているナスタチウムの小さい鉢があって、ナスタチウムのニョロニョロした茎からは細いツルみたいなヒゲみたいな茎か変形した葉が何本も出ているためになおさら全体がニョロニョロ、モシャモシャした感じになっていて、このあいだまで三つ咲いていた花はオレンジ色で朝顔を小さくしたような花だったと思うが三、四日前に妻がサラダに入れて食べてしまった。食べられる花だが味は菊みたいに記憶に残るものではなかった。葉が薄く、茎もまったく芯がないみたいにニョロニョロふわふわしていてしかもその全体が茂るというよりまばらなので水があたっても音は聞こえてこない。ホースの水は噴き出すだけで音がするし、水は私の見ているところ以外にも鉢植えの向こうに並んでいるツツジにもあたっているし、そのまた向こうの一段低い空き地のような駐車場とか必ずどこかにぶつかるのだから、ホースで水を撒いているあいだはずうっと水が何かにぶつかる音が水自身の音のようにして聞こえているけれどイチゴなんかは水が葉にあたる音がはっきり聞こえてくるけれどナスタチウムからは何も聞こえないように感じる。しかしだいたい音とは本当に耳だけで聞いて判断しているものだろうかと思う。ナスタチウムの茎がニョロニョロ、モシャモシャしていると感じるというときの擬態語は五官のどこから発しているのだろうか。言葉は本来が聴覚のものだから、視覚や触覚に聴覚を重ね合わせたということだろうけれど、擬態語が生まれるときに視覚と聴覚、触覚と聴覚がそれぞれ単独に機能しているとも私には思えない。その隣の鉢は鳥の巣のようにシュロか何かの材料で作った凝った鉢なのだけれどいまはイネの葉のような雑草しか生えていない。茎なのか土から出ている全体を葉というのかわからないが、イネのような雑草はどれも五センチ間隔ぐらいで節があって、節ごとに先がとがった細長い葉が伸びている。もしかしたらここからネコジャラシが生えてくるのかもしれないが、たとえネコジャラシが生えてくるにしてもそのために妻がこんな鉢を買ったはずがなくて、去年の夏にでも買った花が一年草でいまはなくなってしまったのだろう。全体に水を撒いていればホースから出る水はそれにもかかるけれど、ここからも音は聞こえてこない。
 その隣りとそのまた隣りの横長の鉢はたしかサフィニアという花で、二つの鉢とも白といくらか青が入ったような赤い花が咲いていて、朝顔を小さくしたというよりも昼顔か夕顔の形にちかいけれど花びらにはいくらか厚みが感じられる。同じ一つの株から白と赤の二種類が咲くことはないのだろうが、花と葉が密生しているために二色の花が同じ株から出ているのか別々の株から出ているのか中まで注意ぶかくさぐらなければたしかめられない。この花と葉は陽がてりつけても簡単には水分をうしなわないらしく、葉にも厚みがある。葉は茎と同じ色で育ちはじめは細長い長円だったものが育つと丸にちかくなるらしく、茎も葉もうぶ毛が生えている。しかしイチゴの葉ほど面積がある葉ではないので水があたっても強い音はきこえてこない。
 鉢植えに水をかけてはその向こうのフェンスにそって生えているツツジに水をかけ、また鉢植えにもどり、またツツジに水をかけてそのついでにフェンスの向こうの一段低くなった駐車場にまでホース口をひねって噴き出る水の形を切り換えて水を撒く。鉢に撒いていたあいだは水が扇形に横に広がる口にしているのだが、それではツツジまでしか届かないので、ふつうにホースの先をつまんだような、まっすぐで太く噴き出す形にするのだけれど、駐車場の隅の、車のタイヤが通らないスペースにはまずヒメジョオンが一メートルからそれ以上の高さに、ボーボーボーボー何本も伸びているのが目について、ヒメジョオンのまわりにはさっきの鉢に生えていたのと同じイネの葉に似た雑草が密生していて、ところどころにネコジャラシの穂も生えているのが見えて、そういう普段の雑草におおわれている一画に、ポツリポツリとコスモスが咲いていたり、カスミソウのような小さな白い花が咲いていたりするのだけれど、私が駐車場にまで水を撒くのはそういう花が咲いているからというわけではない。
 車のタイヤがまったく通らないところにはヒメジョオンがボーボー伸び、車のタイヤが毎日通るところにはイネみたいな丈の低い草も何も生えないけれど、たまに大回りしたタイヤに踏まれるようなところには丈の低い草だけが生えていて、それがタイヤに踏まれて寝ているのだけれど、寝ているだけで枯れてしまったわけではない。そういう草にこちら側から水をかけても、翌朝見てもやっぱり折れた茎は元に戻らなくて寝たままなのだけれど、このあいだ横浜球場からの帰りに何の気なしに覗いてみたら寝ているはずの草が普通の草と同じように上に向かって伸びていた。朝になるとまた寝てしまうのだけれど、どうやら一番涼しいときだけはタイヤに踏まれた草も立ち直ることができるらしく、そんな草の変化も少しはおもしろくてなおさら駐車場に向かって水を撒いていると、たいていいつも噴き出るシャワーのような水が描く弧に虹ができる。虹といっても空にかかった虹みたいに不意に発見するわけではないのでうれしくはないけれど、それでも光のスペクトルが見えるのはそのつどしばらく見てしまい、ホースから噴き出す水にかかる小さな虹を見る心理と空にかかった大きな虹をうれしいと思う心理はやっぱりきっと同じものだろう。その二つの心理を同じものだろうと思ったところで、空にかかる虹を見て「うれしい」とか「きれい」とか感じる理由まではわからないけれど勢いよく駐車場に向かって水を噴き出していると、
「そんなことしてた」
 と、綾子の声がした。
 由香里でもだれでも他の人だと至近距離から声をかけるものだと思うけれど、綾子が不意打ちするような近さで声をかけたという記憶はない。それが綾子のあのいつもの態度や心のあり方と関係しているのかどうかはわからないけれど、水を撒いていたあいだ私がさっきまで考えていた自己像にまつわる上方から自分を含めた全体の光景を眺めている視界を忘れていたというか、そういうものが消えていたことに気がついた。
「手伝いに来てくれたのか?」と私が言うと、
「見に来ただけ」
 と綾子が言った。
「もう全部撒いちゃったの?」
「これからだよ。
 まだ鉢に撒いただけだもん」
 私の返答に綾子は「しえぇ」とどこまで気持ちがともなっているのかわからない感嘆詞のような言葉を口走ったけれど、私の水撒きは駐車場からツツジに戻って七、八本並んだツツジの隣りの名前の知らない木に移っていた。私の背より少し低く鉢植えの雪柳と同じように、地面からじかに放射状に細めの枝が広がっているから広がりのカサ全体はけっこう大きいが、幹にあたるものがないらしく、枝からじかに☆こう描いた星と同じ形をした五枚の花弁の小さい白い花が咲いていて、水があたると木は鉢植えの植物よりもずっと激しい音を立てる。その隣りのアジサイは葉が大きいのでもっと激しい音をたてる。もう本当にザーザーというよりもバリバリというような打ちつける激しい音をたてて、葉が下を向いたり、水が下からあたる葉は上にまくれあがるようになったりして、水がそれると数秒間ゆれつづけたあとで静かになる。私はホースの口から出る五種類の水の形を切り換えて綾子に見せた。
 いま撒いていたのが扇形の横広がりで、二、三メートルのあたりを撒くのにはもう一つ、細い水が放射状に広がる口もある。水の強さはどっちも変わらないけれど、こっちの方が噴き出る量が少ない。その隣りに口をひねるとかすかな霧のような水しか出ないようになる。
「すごいだろ」と私は言った。「蛇口からホースまでは同じ水量で水圧が流れてきてるのに、ここの調節だけでこんなに変えられちゃう」
 綾子は例によって何も返事はしなかったけれど、ホースから出る水の変化はわりあい熱心に見ていた。かれこれ三十年前まで私がここで水を撒いていた頃は、こんなホース口は開発されていなくて、私はホースの先の絞り方をいろいろに変えて噴き出す水の形と強さを調節していたものだった。しかし指でつまむ調節ではこんなふわっとした霧のようなものは作れなかった。指のつまみ方で調節する噴き出し方は、流れを太くすると水圧が弱まり、細く絞ると水圧が強くなるという単純なものだった。
「でこれは太い水」と言って、私は駐車場まで水を飛ばした。指でつまむのと違って、このホース口では太いのに遠くまで飛ぶ。
「これはもっと遠くまで飛ぶ」と言って、五つ目の口に切り換えた。一つ前のが太めの滝のような噴き出し方なのに対して、こっちは細い水が真っ直ぐに飛んでゆく。この四つ目と五つ目の関係は単純に水量と水圧が反比例の関係になっていてわかりやすいと言うと、綾子はくすっと笑ったけれど、この「くすっ」は聴覚ではなくて視覚の「くすっ」でつまり声は聞こえなかった。綾子の「くすっ」を見て私はちょっとうれしくなった。沈んだ顔をしている子が「くすっ」と笑ったのを見たときと同じ気分だったけれど綾子は別に沈んでいるわけではなかった。
 私が子どもだった頃からこの庭のフェンス際にはツツジが植えられていたことは憶えているけれど、アジサイはなかった気がする。アジサイなんて珍しくないからかえって記憶に残らないのかもしれないけれど、アジサイの隣りの南天はよく憶えていて、アジサイがいま生えているところにはホオズキが雑草のように何本も生えていた気がする。ホオズキがあまりに無雑作に生えているので子どもの頃、私はホオズキなんてどこにでも生えているものだと思っていたけれど、地面からじかに生えているホオズキは思えばこの庭でしか見たことがないかもしれない。
 アジサイと南天まではツツジからの並びでフェンスちかくに植えられているけれど、ここから奥になると木が二列に、手前に低木で、向こうに丈のあるのが生えている。二年前の春先、私と妻の理恵がここに引っ越してくる少し前に英樹兄が植木屋を入れたきり手入れをしていないので木がだいぶ好き勝手に枝を広げはじめていて、縦長のこの庭の入り口側に立って東の奥を見ると、一番向こうは、木が不定形に枝を広げて雑然としている。といっても自分で水を撒くようになるまで私はそんなことは何も感じなくて、緑が猛々しくていいなぐらいにしか思っていなかった。しかし毎日見ていると隣り合った高い木の枝と枝がお互いの空間を侵し合ったりしているところもあって、見た目が混乱していると思うようになってきたけれど、そんな感想はともかく私は二列に生えている木の順番にそってまず手前のキンモクセイに水をかけた。私の背より少し高く肉厚の長円の葉の色が濃く、水があたるとバシバシというかバリバリというか、とにかく強い音をたてて葉が小刻みに揺れて、その全体がグラリグラグラと大きくしなる。その音を聞いてこの木の影で寝ていた猫が逃げていった。今日はこげ茶のトラ縞の猫だけだったけれど、他に白地にうす茶のブチと真っ黒い猫もいる。強くて激しい音の原因はそれだけではなくて奥に、笹のように細長くて色の濃い葉が一階の屋根ぐらいの高さまで伸びている夾竹桃があるからで、夾竹桃は濃い桃色の大きな花が咲いている。手前の金木犀も奥の夾竹桃も子どもの頃にここで見た記憶はなくて、どちらも木登りするような木ではないから子どもの印象に残らなかったということも考えられるけれど、ここの庭と鎌倉の家に咲いていた花のように見馴れた花は、別の場所で見かけたときに、いつもとは言わないけれどたいていは弱い親しみのようなものを感じることになっていた。あるいは親しみというのとは違って「この花知ってる」というただそれだけなのかもしれないが、とにかく夾竹桃の花にも金木犀の花にもそういう気持ちはまったく感じなくて夾竹桃という名前をおぼえたのもほんのここ数日のことだからやっぱり三十年くらい前まではここにはきっと別の木か花が植えられていたのだろう。それにだいたい金木犀の方はいまはまだ花が咲いていなくて、去年の秋に妻が「金木犀の香りがする」「香りがする」とさかんに言ったからこの木を金木犀だと憶えているだけで、どんな花なのかいまの私には思い出せない。
 水をかけて激しい音がするのはここまででここから先は奥は丈が高くて水があたるところはだいたい幹しかない感じになって、手前の低い木も金木犀のようにはいっぱい葉がついているわけではないし、下生えの雑草もほとんどドクダミかイネみたいな葉のやつばかりなので、土に水があたる音しかしなくなる。手前がカエデでこのカエデはまちがいなく憶えているが子どもの頃はとても登れるような幹の太さはなくて当時とかわらず丈が低く丈が伸びないように刈り込まれてきたらしく、幹だけが太くなっていて、奥のモチノキの方は私がよく登ったけれど、幹から五十センチ間隔ぐらいであっちこっちにY字に枝が広がっていて、いまこうして見ると、子どもの体格でなければとても枝と枝のすき間に入っていけないくらいに、枝が混み入っていて、綾子にそんなことを言って、
「よく登れたものだ」
 と言うと、
「特別小さかったんじゃないの?」
 と言ってきた。
「『特別』って言っても猫ほどじゃない」
 と言ってから私は「でも小さかったんだよ」と言った。
「前から三番目くらいだったもんな」
「そんな感じする。
 すわってても、ちょこちょこよく動いてるもんね」
「じゃあ、綾子は子どもの頃から大きかったから、あんまり動かないのか」
「自分じゃわからない」
 と、相変わらず綾子の返事は素気なかったけれど、いつもみたいに返事の声の振動が消えるのとともに気持ちまでどこかに消える感じと違って、いまは気持ちは確かにこの場にとどまっているみたいで、私はそれがなんだかうれしかった。
 モチノキの枝はYに分かれたものがまたYに分かれるために、こんもり丸くなった外観の中で枝が入り組んでいるのだけれど、三十数年の歳月のあいだにY字の枝分かれが増えて枝の入り組み具合が複雑になったのかもしれないが、やっぱり小学校の一、二年生の体格だったらいまでもじゅうぶんに入っていけそうだし、枝が入り組んでいるために一度枝の中に登ってしまえばジャングルジムの中にいるように、体を支えてくれる枝が多くて、とても安定感があったという記憶が、体の動きの記憶としていまでも残っているみたいだった。
 モチノキの隣りは松で、この松に登れるようになったのは四年生かせいぜい三年生からあとのことだった。というのは二メートルぐらいの高さまで横に出ている枝がないからで、一メートルぐらいのところで幹が一度三十度くらい曲がっていて、その曲がっているところを最初の足場にして、次にまた五十センチぐらい上の太い枝を切り落とした跡を足場にするという、なかなか高度な技を使わないと横に張り出している枝に辿りつけないからで、横に出ている枝を三つこえると、幹がおわって水平に三方向に広がる太くて安定感のいい枝があって、そこが終点ということなのだけれど、苦労して登るわりに登ってからの満足感が少なかったので、結局この松にはあまり登らなかった。隣りの凹凸の少ないモチノキの樹皮と比べて、松は手や肌に触れる感触も悪かったし、松ヤニもついた。登った回数が少なかったせいか、この松のてっぺんにいたときの気分も憶えていない。てっぺんにいるとだいたい一階の屋根と同じ高さで、いま私の部屋になっている部屋のほぼ正面になって、二階から丸見えということも気に入らなかったのかもしれないけれど、これはいま考える憶測で、子どもの頃、てっぺんでどういう風に感じたのかは本当に何も憶えていない。
 松の隣りには、サワラがある。モミ、スギ、ヒノキ、イブキ、イチイ、サワラというのはどれも似た針葉樹で、このサワラのことを伯母も母も従姉兄たちも漫然とヒノキとかスギと言っていたような憶えがあるけれど、図鑑で正確なところを調べてみたらサワラだったと、うしろに立っている綾子に言うと、
「スギじゃ間違いなの?」
 と言った。
「そういうこと言うなよ。
 おれは伝統的な呼称がわからないから図鑑で調べるしかないんだから」
 つまり私はモミ、スギ、ヒノキあたりはともかくイブキとかイチイとかサワラなんて聞き馴れない名前まで使って針葉樹をこまかく分類している図鑑の知識しか持ってくることのできない自分の、木に対する知識をとても不自然に感じているということなのだけれど、綾子は、
「スギとそれ、どう違うの」
 と、もっと単純な疑問を口にしていて、
「葉っぱの形が違う」
 と私は言った。
 近所の似た木を見て歩くとヒノキとイブキとサワラはどれも本当によく似ているが、こまかくて一つ一つバラしたらほんの二、三ミリかそこらのウロコのように分かれる葉が全体として広がるその広がり方が違っている。ついでに言うとスギの葉は松にちかくて光沢があるが、ヒノキとイブキとサワラは光沢がなくて、サワラの葉は扇のように平面で広がる。その広がりが平面でなく立体的にガチャガチャしているのがヒノキかイブキで、葉のひとつひとつがわりに長くてたれさがり気味なのがヒノキかイブキのどっちかだと言っても、綾子は全然わかったような顔をしていなかったけれど、私の説明に退屈している様子もなかった。
「葉っぱ取ってきて見せてやりたいところだけど、濡れるからいまはダメ」
 と私は言った。
 奥のサワラに辿りつくまでにジンチョウゲとクチナシをかき分けていかなければならなくて、どっちもすでにさんざん水をかけた後だった。おまけに地面からはドクダミやイネみたいな雑草も生えているので、そこを踏んでいったらスニーカーに泥がつく(私はサンダルを持っていない)。
「この木は登ったの?」と綾子が言い、
「この木はじつに登りやすくできてるんだ」と私は言った。
 一番低いところにある枝に両手を伸ばして軽く跳ねて飛びついて、そこで鉄棒の逆上がりのようにして体を一回転させて枝に登ってからは、太くてしっかりした枝が左右交互にだいたい一メートル間隔に水平に張り出しているので、その枝を順番に足場にして、すいすい登っていくことができて、二階の屋根より少し低いぐらいの一番上の枝に腰かけるとそこにはちょうど椅子になるような小さな枝も出ていて、私は足をぶらぶらさせてみたり、幹に背をもたせかけて、枝の上で膝を折り曲げてすわったりして、いつまででもまわりを眺めていた。
【記憶はそうなっていて、水をやるようになった最初の頃は、この木の枝もそういう風に見えていたのだけれど、毎日見ていると枝の様子があの頃とかなり違っているらしいことに気がつくようになった。横に張り出した枝からまた枝が出ていて、その枝の数がけっこう多くてそれが邪魔して、昔の記憶のようにすいすいとは登れそうにない。とくに一番上はあの頃のようにはすっきりしていなくて、かなりごちゃごちゃしている。ついでに気がついたのは隣りの松の幹の太さで、わたしが登っていた頃は松は今みたいに太くなかった。あの頃は母や伯母から「そんなとこ登ったら折れるよ」と言われたけれど、いま目の前にある松の幹が子ども一人登ったくらいで折れるとはとても思えない。】
(291−292頁のこの【 】の部分は赤の斜線で消してあり、「294頁に書いてある」の注があります)
「サルみたい」
「サル年生まれだもん」
 私の子どもの頃、伯父や伯母たちの古い代の世界観の名残りで干支になぞらえて人の性格づけをするのが流行っていたのか、それとも私個人がサル年というものに過剰な親和性を感じていたのかよくわからないけれど、この家では何かと言うと「サル年」と言われていた。ちょうど今どきの人たちが人の性格をさすときに「B型だからね」と血液型占いをひきあいに出してくるような感覚で「サル年」と言われていたのだけれど、英樹兄や奈緒子姉がなにどし何年生まれなのか私の印象には残っていないのだから、やっぱり私だけが特別「サル年」を強調されていたと考えるのが正しいようで、私は自分の「サル年」を完成させるために木登りに励んでいたのかもしれないけれど、木の上で何を考えていたのかとか何を感じていたのかというようなことはまるっきり憶えていない。
「きっとサルもそうなんだよな」と私は言った。
「え? 何が?」
 綾子は人の話を聞いていないと思っているから私は「サル年」に親和性を感じていた自分の話は口にしなかった。それで、
「ジャングルの高い木の上でサルがじっと何かを見ているような映像があるだろ?
 それを見て、人間はサルが何かを感じてるって想像しがちだけど、そういうことじゃないってことだよ」
 と言った。
「え? 何が?」
「だから、おれも子どもの頃に木の上に長い時間登ってたけど、何かを感じてたわけじゃないんだよ」
「でもやっぱり何か感じてたんじゃないの?」
「鋭いこと言うねえ」
「だってそうじゃない」
 私の水撒きはサワラから隣りのシュロに移っていた。シュロは昔より明らかに丈が高くなっていた。こんな風にして水をやるようになってわかったのだけれど、最初は全然変化に気がつかなかったサワラの枝の様子もあの頃とはやっぱりかなり違っていた。横に張り出した枝がすんなりしていなくて、そこからまた枝が出ていて、こまかい枝を見ていると昔のようにはすいすい登れそうもないし、特に一番上のところがかなりごちゃついている。サワラに注意がいくと水もついサワラにかかり、再びシュロにもどった。シュロの手前にはネコヤナギがあり、シュロとネコヤナギのあいだにはミョウガが生えている。茎が真っすぐに伸びて大きな葉が三、四枚、茎に巻きついていたのがじょじょにほぐれるようにして広がっているところはまちがいなくミョウガで、子どもの頃からこのあたりに生えていて、私はよくここのミョウガを抜いてこいと言われて抜いたものだけれど、水撒きが終わったときにはいつもミョウガのことを忘れていて抜きそびれる。
「何かを感じていたわけじゃなくても、何かは感じていたんだろうな」
 綾子を見ると「?」という顔をしていた。
「『感じる』っていう言葉は、自動詞と他動詞の区別もはっきりしてないし、能動態と受動態の区別とかも明確じゃないんだよ。
 だから大人の『感じる』と子どもの『感じる』は、対象との関係が全然違ってるから、大人の『感じる』の意味では何かを感じていたわけじゃなくても、子どもの『感じる』の意味では何かを感じていたことになるのかもしれない」
 私が言うと、綾子が「一度訊いてみたかったんだけど、いつもそういう風にきちんきちんと考えてるの?」
 と言った。
「おかしい? 不自然?
 おもしろくない? 興をそぐ? 疲れる? かったるい? 頭が痛くなる?」
「おしゃべり」
 と言うその言い方が、さっきの音に出ない「くすっ」と同じ効果を出していたが、肝心の返答はやっぱりなくて、
「大人の『感じる』は『考える』にちかいっていうか、感じたあとに必ず何か考えて感じたことを形にしないと感じたことにならないんだけど、子どもの『感じる』は感じるだけで形にする必要を子どもは知らないってことで、それは動物にちかいな」
 と私は言った。水撒きはシュロからその隣りの名前のわからない木と手前のムクゲとジンチョウゲに移っていて、さっきの西寄りのより大きいジンチョウゲとムクゲの葉に水があたって激しい音をたてたので、もしも綾子が何か答えていたとしても聞こえなかっただろうが、まあ、綾子は何もしゃべっていなかった。
 ムクゲも私は名前を知らなかったので図鑑で調べた。図鑑で調べるといっても木や花は系統立てて整理するのが難しいし、何巻もあるような大がかりな図鑑で正しく整理されていてもどうせわからないので、植物も動物も気象も一緒になった図鑑の「夏の花」などと大雑把に分類されたページを開いて、そこで見つけられたら幸運というもので、あてずっぽうに「フヨウ」を見てみたらフヨウの写真の隣りにうす桃色の大きな花びらが五枚に開いて、花びらの中心が深紅にちかい色の濃さになっていて、黄色のメシベがつきでている写真が目に入ってきて、これがムクゲだとわかった。葉もわりあい大きく桐の葉のようなヤツデの葉のような形をしている。
 それで名前がいちおうわかったあとで妻にたしかめると、「そうよ」と、さも当然という顔をされ、これが気にくわないから自分で調べるのだけれど、
「韓国の国花よ」
 と、言われてみると、日本人の私にとって桜や朝顔やチューリップやツバキが説明のいらない花のモデルというか標準型の役割りを果たしているように、このムクゲが韓国人にとって、誰でも知っている花の標準型の一つになっているのかと思い、そう思うとこのムクゲを見るときの気持ちが少し変わった。
 しかしその程度の場当たりの調べ方では奥の大きな木はさっぱり探し出せなくて、【この木のようにどうしても名前を調べられない木があると、】(【 】の部分は赤の斜線で消してあります)木や花のもうほとんど無秩序といってもいいような種類の多さにお手上げになる。同じ種類だからといっても同じように枝が広がるわけではなくて、木ごとに全部枝の広がり具合が違う。一番わかりやすいのは葉による区別なのだけれど、細長くて薄く、色も明るい緑のこの葉が私の持っている図鑑では探し出せないし、妻もこういう木のことはわからない。しかしだいたい木でも花でも何でも外観から名前という道筋は系統立って検索したり、際立った特徴を目印にして憶えるようになっているわけではないのは、人の顔を覚えるのを考えてみるとよくわかる。人の顔は、目が大きい—小さい、鼻が高い—低い、顔が長い—丸いなんて系統立てて分類して記憶するわけではなくてただ漫然と憶えていく。つまり、コンピュータなんかと違って、人間の記憶というのは整理なんかせずに雑然とどんどん詰め込んでいけるような容量を持っているということで、どうしてそういうことが可能かといったら、人の顔はたくさん見ているからその過程でいくつもの細かいチェック方法が醸成されているのだ、きっと。占い師が、いくつも手相を見なければわかるようにならないと言っていたことがあったが、それと同じことで、ここの庭のこの木だけをいくら一所懸命に見ていても、木の種類を作り出している細かい違いがわかるようにはならないと思うから最近では近所の木をやたらとじろじろ見るようになって、これと同じ木と思われる木も三つ四つ見つけたのだけれど、木にいちいち名札がかかっているわけではないし、その家の人に木の名前を訊くほどの熱意があるわけではないのでいまのところ名前にたどりつける気配はない。
 そんな自分の苦労はともかく、この庭のこの木は落葉樹で葉が細長く厚みは薄く色が明るく、幹の樹肌がモチノキやケヤキほどさらさらとはしていなくて、だからといってこの隣りのシラカシの樹肌ほどゴツゴツザラザラしているわけでもなくて、とにかくそういう木がどこに生えていても「この木はXXだ」と種類を固定した人間の認識力というのはたいしたものだと思う。人間の認識力にとってより根本的な能力は差異を識別する力なのかそれとも共通項を見つけ出す力なのかという議論が哲学にはあるらしいが、木に名前をつけるときには間違いなく、差異の識別と共通項の発見の両方が働いている。そそて木は木一般という範疇をはるかにこえ、種類一般という範疇もこえて、その木としての形を作り出していく。私が名前にたどりつけていないこの木も、この種類に共通の力が働いて、この庭のこの木になっているのだけれど、ほかに一つとして完全には同じ形がないこの木があることによって、この木の属する種類が確認される。私はこの木に水をかけるたびにこの木の名前がわからないことに視界に薄膜がかかったような気持ちを感じながらも木の種類の多さとそれぞれの木が固有の形を作り出すことの、そういう抽象的というか具体が極まって人間には抽象と感じられるしかないというか、そういう林の中に分け入っていくような気持ちになる。
「この木は本当によく登ったな」
 と私は言った。
「え? どうやって?」
 一番低いところにある枝でも二メートル以上の高さで地面からとびつくことができない。
「昔はあれがフェンスじゃなくて、石の塀だったから、塀からそこの枝にのぼったんだ」と私は水で枝をさした。
【庭を囲んでいる塀が、入り口の西寄りの方は低いフェンスだけれど、右隣りのシュロを境いにしてしっかりしたブロック塀になっていて、綾子はそれに気がついたのだ。ブロック塀の上に立つと名前を知らないこの木の一番下の枝に楽々手が届いて、そこからはどんな風にでも登っていくことができた。】(【 】の部分は赤の斜線で消してあります)
 サワラの枝は一メートル間隔でほぼ水平に伸びているところが少し人工的な感じがして、小学校の肋木を登るような物足りなさがあったのだけれど、この木と隣りのシラカシはいかにも木らしく自由自在に枝が広がっているので、登り方も何通りも選ぶことができて、いまこうして見ていても、下から二番目の枝から向こう側の枝に手をかけて、次にそこに足をまたがらせて膝でひっかけて上がって、、、、と、目が枝を見るのに合わせて体が動きをシミュレーションしていて、どうも子どもの頃の習い性で私にとっては登り方を想像しないと木を見ることにもならないようで、それはそうと隣りのシラカシも名前なんか知らなかったのだけれど、細長くて厚みがあって硬くて緑の濃い葉で幹の樹皮がゴツゴツしているこの木と同じ木が羽根木公園にあってその木に都合よく「シラカシ」と名札がかかっていたので調べがついた。まあ「調べがついた」というよりも「名前に出くわした」といった方がいいくらいのものだけれど、とにかくそれで左側の木は名無しではなくなって、視界にかかっていた薄膜もとれて、輪郭が鮮明になったように感じたけれど、シラカシも右側の名前のわかっていない木もどちらも物理的な形としては鮮明どころかものすごく入り組んでいる。こういう木の枝の広がりや入り組みはとても言葉で説明できるものではないけれど、ごちゃごちゃごちゃとあたり前の木の絵を描けば、どれもこの木に似て見えるだろうし、厳密に見たらどう描いてあっても正しくない。私が最初この木を見て変わっていないと思ったのは大ざっぱな方のレベルだったわけだけれど、ここにある木を下から見るのではなくて、登って、中から次の足場になる枝を見たり、木の上から隣りの木を見たりしていた私にとって、下から見上げる形となるといったい本当に見ていたと言えるようなものだろうか。
 シラカシと右の木の大きな違いは下から見ていると枝と葉に隠れていていまではほとんどわからないのだけれどシラカシの方が二階の屋根をこえたあたりで幹が二股に分かれていることで、シラカシにはてっぺんが二つある。幹の太さとか安定感というようなことではシラカシの方が上だったけれど、右の木は冬に落葉するので断然眺めがよかったと私は水を撒きながら綾子に言った。私が登っているとこの二つの木とそのまた左の柿の木には猫も登ってきた。猫はもちろん私に関係なく登っていたから、私が登っていないときも登っていたけれど、サワラは幹が垂直で猫は垂直を降りるのが苦手なので登らなかった。こっちの木は幹に少し傾斜があるのと(その少しの傾斜が登り降りには大きいのだ)、それ以上に枝の間隔が狭く、猫だと私がいけないような枝の先のあたりのこまかい枝が入り組んでいるあたりで上の枝から下の枝へとからだを伸ばして降りていくことができた。それで私が木の上にいると母や伯母や従姉兄たちが下に来て、「あぶないから降りてこい」と言った。
「いとこは登らなかったの?」
「そうなんだよ」と私は言った。
 自分たちも登ったら私のことだけ「サル年」を強調したりしなかっただろう。
「みんな子どもの頃からからだが大きかったから、木登り向きじゃなかったっていうか、運動神経自体が鈍かったんだよな」
 だから思えば英樹兄がおこられて屋根の上に逃げたというのは、英樹兄にしてみたら命がけの賭けだったのかもしれない。しかし私は屋根に登ったことはない。得手不得手があるのかもしれないし、関心の方向が違うのかもしれない。クーは猫の中でも飛びぬけて高いところに関心があって、まだココが来る前の一歳半ぐらいのときに猫を飼っている友達の家につれていったら、その二匹の猫が一度ものぼったことのないような本棚の上とかつり棚の上ばかり乗っていたし、前の家ではエアコンや換気扇のフードの上にも乗っていて、そんなことはココもミケもチャーちゃんもとうとう一度もしたことがない。ということは、私が木に登って従姉兄が登らなかったのも運動神経の問題ではなくて、たんに関心の問題ということなのかもしれないが、「うちの猫たちを外に出して、自由に木なんかに登れたら猫たちも楽しいだろうなと思うよ」
 と私は言った。
「出せばいいのに」
「さっきもこの辺で猫が寝てただろ」と私は言った。
「きっとココもやせるよ」
「それはわかってるけど、うちの猫は猫のつき合いを知らないからケンカになっちゃうよ。今だって、たまに一階の縁側の網戸ごしに外の猫と『ウー』とかやってんじゃん」
「あたしが見ててあげるよ」
「そうは言ってもなあ」
 と私はそこで黙ってシラカシの隣りの柿の木に水をかけた。手前のヒイラギの硬い葉にあたって激しい音がした。猫を外に出してやらないことについていつも小さな罪悪感のようなものを感じているとか、猫を外に出したらどうなるかということをいつも考えていてそして「やっぱり出さない方がいい」という結論を選択していると言ったらやっぱり嘘で、はじめてクーを飼ったときに私と妻の理恵は「家の中で飼う」という飼い方を選び、たまァに「やっぱり出してやった方がいいのかなあ」と言ってみては「でもね」と、ケンカをしてケガするのとか何かの拍子で迷い子になって帰ってこられなくなることとかエイズやチャーちゃんのかかったウィルス性の白血病がうつるというようなマイナス面がこわくて(しかしチャーちゃん自身は外に出さなかったのだから、拾ったときにすでに感染していたということだが)、「いまだって、そんなに出たがっているわけじゃないし」という話をして、これまでどおりの結論に落ち着くことになるというのが、猫を出す出さないにまつわる話のほとんどすべてだ。
「もう、メッチャ過保護だよね」
「それは認める」と私は言った。もし私に子どもがいたら、幼稚園や学校でいじめられやしないか、教師が私の子どもを含めたクラスの生徒みんなにせっかんしたり変なことを吹き込んだりしないかと、毎日毎日授業参加にいくだろうと私は言ったのだけれど、綾子はそういう架空の話には興味がないというようにホースから出る水を見ていた。
 綾子が返事をしないのはいつものことだから、綾子自身に特別な意味はなかったのだろうが、私は猫の話を子どもを持ったなんて架空の話にすりかえたことを非難されているような気持ちになった。外に出さないというのは私と妻が自覚して選んだことだけれど、自覚も時間とともにただの惰性になり、その惰性の中で一年二年とさらに時間が経って猫は年をとってゆく。それに、友達が飼っている外に自由に出入りしていた猫がエイズにかかって死んだという話を聞くと、私と妻はやっぱり「短い生涯だったけど、自由に出入りしてたんだから幸せだったよね」と言い合い、死んだ猫の霊をなぐさめるような気持ちになる。しかし同時にそういう飼い方はやっぱり無責任だとも思っていて、飼い主の方には慰めの言葉より非難をしたくもなる。
 と、こういうことはしょっちゅう考えていることなので、いちいち考えを整理しなくても、資料をパラパラめくって検索するようにして、頭の中でフィルムが流れるように簡単に出てくるのだけれど、いま斜めうしろに立っているのが綾子ではなくて由香里だったら私はきっとこれをひととおりしゃべっていたはずで、由香里だったらしゃべるのに綾子だとしゃべらないのはたんに綾子の反応が悪かったり全然なかったりすることが原因というのは違うのではないかと私は思った。それはどうも綾子に見られながらこうして水を撒いている気分に関係しているらしくて、早い話が私は綾子に見られているところで水を撒いていることが楽しかった。
 私はこの家に住んでいた頃独り言の癖があって、家の中のどこかや庭のどこかで一人で遊んでいるときに華々しく派手にしゃべりまくっていて、母も伯母も近所の誰かと遊んでいると思ってしまったらしいという話を思い出した。独り言をしゃべりまくっていたこと自体の記憶はないけれど幼稚園で絵を描いたりしているときに、つい独り言がはじまりそうになってそれを抑えるのに苦労したことの記憶はかすかとはいいつつもわりにしっかりと残っているから独り言の癖はまったく自覚がなかったというわけでもないのだろうけれど、その独り言に耽っていたときの視線というのがどういうものだったのかと、綾子に見られているところで水を撒きながら私は考えはじめたのだ。
 庭で遊んでいるときの独り言は、首にマントのつもりの風呂敷を巻いて、背中ではためかせて庭の木のあいだを走りまわっているときのことで、「逃げようとしてもそうはいかないぞ」とか「つかまるもんか」とか役割のはっきりした台詞のようなもので、この独り言はしゃべりながらはっきりと自覚していた。自覚している独り言は本当の独り言とはいえなくて、ごっこの埋め合わせのようなものだけれど、家の中で絵を描いたり積み木をしたりしていたときの独り言の方はごっこの枠に収まらないもっと深い内面の発現というか垂れ流しのようなもので自覚がない。自覚はないけれど独り言が出るのが手先に集中していたときだというのは、暗闇の先に何か確実に物があるとわかっているときのように確かに憶えていて、手の動きを仲立ちにして子どもの私は手の先にいる誰かとしゃべっていたのだけれど、私が綾子に見られているところで水を撒きながら考えはじめたのは、手とその先を見ている視線のことではなくて、私と独り言の相手の二人を見ている視線というものがたぶんあっ【て、その視線といま私の斜めうしろにいる綾子の視線が同じ性質のものな】のではないかということだった。(【 】の部分は、赤で、最初の「て」を「た」に直してありその後は二本線で消してあります)
 その視線がこうして水を撒いている私の斜めうしろから私と私の撒く水と水がかかる木という情景の全体を見ている綾子の視線と同じ質のものだなんて単純に結びつけるつもりはないけれど、斜めうしろに立って私と私を含む全体を見ているのが由香里だったら私は由香里に向かってひんぱんに振り返っていろいろしゃべっていただろうに、綾子であるためにほとんど振り返りもせずろくにしゃべりもしないでかまわないと感じていられることにはそれなりの意味があるはずだと思いながら一番隅の、私がここに住んでいたときに種を埋めたビワに水をかけた。
 このビワの木はすでに一階の屋根より高くなっていて、これを見れば木がいくら成長がゆっくりだといっても三十年から四十年という時間が木にとってもじゅうぶんな長さの時間であることがよくわかって、隣りの柿の木もその隣りのシラカシもその隣りの名前がわかっていない木もシュロをはさんだ隣りのサワラも松もモチノキも、私が思っている以上に姿を変えて、高さだって剪定しているとはいっても私の記憶より高くなっていると考えるのが正しいのだろうと思わざるをえないのだけれど、このビワの種を埋めたときのことはよく憶えている。
 私はビワが大好きで、好きで好きで実を食べおわっても種をしゃぶりつづけ、それでも足りなくて鼻の穴に入れたら種が出なくなって幼稚園に行けなくなったことまであって、その話をしたら反応のとぼしい綾子もさすがに声をたてて笑ったけれど、それはともかくビワは昔から値段の高い果物だったからそんなにたくさんは食べられなかったので、庭にビワの木があればいくらでも食べられると思って、この家の主人である伯父にいちおう許可をもらうような気持ちで、「柿の隣りにビワの種うめていい?」と訊き(子どもには、群れで誰がおさ長なのかを判別するサルのような心理があるのだ)、伯父は「そんなの高志の好きにしろ」と、いま思えば「どうせ生えてくるわけない」という口調で「好きにしろ」と私に言って、許可をもらった私は喜びいさんで、小さなシャベルとジョウロを持って庭のここに来て埋めたのだったと私は綾子の反応に関係なくしゃべりつづけた。私は子どもの自分が地面を掘ってビワの種を穴に入れた手先も、そこに土をかけてジョウロの水がかかっていくところも忘れていないのだけれど、それをしている自分のうしろ姿が大人の目の高さぐらいの位置から見えているところまでがセットになって記憶として出てくるのが記憶に内包されている視線の複雑なところで、その視線を単純にトリックとか嘘とかとおもっているわけではないのは今さら言うまでもなくて、私はいまこうしている私を見ているのは斜めうしろにいる綾子だけれど、この情景をあとになって思い出すことがあるとしたら、綾子も含めた二人のうしろ姿を見ている視線で思い出すのだろうかと思いながら、綾子に、
「子どものときに一人で遊んでたときのこと憶えてるだろ?」
 と訊いてみたのだけれど、やっぱり綾子はホースから噴き出る水を見ているだけで、何も答えなかった。それで私はホースの水を止めてもう一度同じことを訊いたのだけれど、綾子はどうもさっきから答えに困っていたようで、
「あたしんち、ほら、大家族じゃん」
 と言った。
「こんな広くない家に兄弟五人と両親とおじいちゃんおばあちゃんだったじゃん。すぐ上の兄貴には転がされまくりだったし、すぐ下の妹はぺたぺたくっつくし、だったから、一人で遊んだ記憶とかって言われても、ないんだよね」
「でも全然ないってことはないだろ」
「ホントに全然ないよ。だって、一日中うちん中に誰かいるんだよ。鍵なんかかけたことないしさあ。
 友達んち家行って、一人の部屋があっても、うらやましいとか思わなかったよね」
「一人の部屋ってものがイメージできないって?」
「ていうか、あたしにとっては一人で部屋にいるってことは、この家の階下に一人でいるくらいのもんだったのよね」
「でも子ども部屋に一人でいることぐらいあっただろ?」
「それがね」と言って、綾子は思い出し笑いみたいに笑い出した。
「けっこうみんな一人でいられない兄弟だったから、一人のときは絶対みんなが集まる部屋にいて、妹とか来たら一緒に子どもの部屋に行くって感じ」
 綾子のこわがりが大家族的な育ち方の結果だとは予想していたけれど、そこまで徹底した大家族だとはさすがに考えてみたことがなくて、なんていえばいいか、綾子の考え方や感じ方や人とのつき合い方や、この家で私や浩介たちといるときに感じている気分が、概念を共有することが難しいくらいにかけ離れているらしいことがわかって、私は感動した。昔の人に「プライバシー」という言葉を教えたとしても理解できないのと同じように、綾子もプライバシーという概念と無縁に育ったのかもしれないと思った。
「じゃあ風呂も一緒か」と私は訊いた。
「当然だよ。
 だからあたしの兄弟って、自分で背中洗ったり、頭にお湯かけたりちゃんとできないって知ってた?」
「お兄ちゃんもか?」
「アニキは知らないけど、ちゃんと洗うような性格じゃないもん。
 でも、家ん中じゃ、みんなお風呂から出たらスッポンポンで歩き回ってるよ」
「いいねえ」
 と私は、綾子みたいに胸が大きい若い女の子たちが裸で歩き回っているところを想像して「いいねえ」と言ったと聞こえるように軽薄そうにスケベそうに言ったけれど、本当はそういうことではなくて、綾子の家の大らかさのことを「いいねえ」と思ったのだ。しかし、スッポンポンで歩き回ることを何とも思わない綾子は「いいねえ」という言葉にも何も反応しないで、肩に止まった蚊をパチンと叩き、すぐまたふくらはぎに止まった蚊をパチンと叩いたので、水撒きを終わりにして、家の中に戻った。


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