◆◇◆ 解きがたい疑問◆◇◆ 

「新刊展望」2003年4月号

 この欄は、「思い出深い自作について、執筆当時の社会状況などを回想しながら書く欄」ということだけれど、いまの私は二〇〇〇年の十月に書きはじめて、まもなく書き終わろうとしている『カンバセイション・ピース』という小説のことで頭がいっぱいだ。
 その小説は、「住んでいる家と人がどのように関わることができるのか」という話であり、「人間を人間たらしめている言葉というものが、人間とどれだけ親しいものであると同時にどれだけよそよそしいものであるか」という話であり、「四歳数ヵ月で白血病で死んでしまったチャーちゃんという猫を失ってしまった私の悲しみが、死んでしまったチャーちゃんとどういう関係を持ちうるのか」という話であって、その他にもいろいろ詰め込まれた解答不能と思われる疑問が、〈私〉という語り手——というよりも、媒介項——を通じて展開されていくのだが、その〈私〉は熱狂的な横浜ベイスターズのファンであって、中でもローズの大ファンなのだが、そのローズは二〇〇〇年の十月に突然引退してしまう。二〇〇〇年の夏を舞台とするこの小説は、だから十月のローズの引退に向かって進んでいく小説でもある。
 しかし、何としたことか、当のローズは今年から日本球界に復帰して、千葉ロッテ・マリーンズでプレーすることになってしまった。一説によると、あの同時多発テロによる株価の暴落で、お金が必要になったということらしいのだが、それが本当だとすると、私の小説も思いがけないところで九・一一の影響を受けたことになる。——と書いたら、突然退団して帰国してしまったではないか!
 それはともかく、この小説を、どういう設定で、どういう人物配置にして、あれやこれやの解きがたい疑問にどういう風に接近していくか、というようなことを私は九七年ぐらいからずうっと考えていた。そのあいだに書いたエッセイはほとんどすべて、何らかの意味でこの小説と呼応している。二月に一冊にまとまめられた『言葉の外へ』というエッセイ集はそういう本だ。


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