◆◇◆HRI生き方リサーチレポート◆◇◆
 vol.5『明日に向かい、いまを生きる同時代人たち』
2005年4月1日 ヒューマンルネッサンス研究所発行
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      「世代像がないから人生と向き合える」

 まず最初に、自分がどういう世代なのか、ということなのだけれど……、一九五六(昭和三十一)年の十月に生まれた私にとって、小学二年で東京オリンピックがあって、中学二年で大阪万博があって、大学に入ったときには学生運動は終わっていた。バブルのときには三十歳前後で職場で一番働くポジションにいて、やたらと大事にされて礼儀も知らないバブル採用の新入社員に「なんだ、こいつら」という気持ちを持っていた。
 いまは世代論が流行っているけれど、私の学年はどの世代にも属していなかった。というか「世代」というものを持っていなかった。私が中学、高校の頃、世代というのは「戦中派」とか「焼け跡闇市」とか、特別な体験や特徴を持った人たちを指す言葉だったはずで、のちに「団塊の世代」と呼ばれる「ベビーブーム世代」に遅れること数年だった私の学年は何の世代にも属していなかった。
 そこで指していた「世代」は五歳から十歳の幅を持った大雑把な区分けだったはずだ。今では嘘か本当か知らないが、「ウルトラマン・セブン」を見た世代と「ウルトラマン・レオ」を見た世代という風に細分化されているそうだが、それは本来の世代論で言ったら、「(全体として同質であるにもかかわらず)少しのことで差異化したがる世代」というグループに括られるのではないか。

 そんなことはともかく、「自分たちには世代の名称がない」「自分たちはどの世代にも属していない」というのが私の学年の自己認識だ。この認識が上下どの学年までのものなのか、、、確かなことはわからないし個人差もあるだろうが、私の学年(の近辺)はなんだか孤立している。それはネガティヴな意識でなく、かといって大威張りな意識でもないのだが、たとえばビートルズとの接し方において上下の世代と孤立している。
 お姉さんかお兄さんがいる子か、早熟な子でないかぎり、私の学年(以下「近辺」は省略)は中学二年か三年でポップス=洋楽を聴きはじめるのが普通で、中学二年、七〇年の秋に私がラジオでポップスを聴くようになったとき、象徴的なのだが、ビートルズの最後のヒット曲である「レット・イット・ビー」がトップ10に残っていた最後の週だった。六〇年代の終わりから七〇年代というのは、すべてにおいて今から思うととんでもなく回転・消長が速い時代で、解散したり引退したりしたミュージシャンはすぐに遠い存在になっていった。だからビートルズは団塊の世代のもので私には遠く、ほとんど懐メロ・バンドのようなものだった。
 それにしかも、ツェッペリンがいて、ストーズがいて、グランド・ファンク・レイルロードがいるロックの時代にあって、クリームは解散してもオーラを放ち、ジミヘンとジャニス・ジョップリンだって死んでもバリバリ現役だったが、ビートルズなんてあんなちょろいポップスは……という気分が支配的で、ポール・マッカートニーが大麻所持で税関でつかまって、外にファンが大勢集まって「イエスタデイ」を合唱したというニュースを見たときも、「なんてダサイことをするやつらだ」と思って、ビートルズ世代=団塊の世代を見ていた。
 ところが! ちょっと下の人たちから、まるで団塊の世代と同じようにビートルズからポップスに入り、他のバンドに行かずにそのままビートルズを聴きつづけた人たちが登場する。あるいは一方でもっとずっと先鋭的に、私の学年では同時代には聴いたことがなかったヴェルヴット・アンダーグラウンドなんかを中学から聴いてしまう人たちも登場した。
 そこで何か時代が変わったのだ。時代が減速して“同時代”であることの価値が弱まった、ということが一つと、もう一つは、日本が豊かになって媒体が増え、日本で発売されるレーベルが増え、それにともなって批評も増えて、ロックに“歴史”が生まれた、ということなのだと思う。私は「グランド・ファンク・レイルロード」という名前を出したが、“歴史性”でないところでロックを聴くということは、十年経ったら忘れ去られるものにある時期熱中するということであって、忘れ去られたものには、ヴェルヴット・アンダーグラウンドのように溯って確認される“同時代性”という価値もなく、熱中した自分たちの時間や行為はただ宙に浮くことになる。

 テレビ番組でも、私の学年は、自分たちが子どものときに見たのが「快傑ハリマオ」と「ナショナル・キッド」であって、「月光仮面」ではなかったことを強く自覚している。つまり、「月光仮面」の映像がテレビに映っても「懐かしい」なんて思わないのだが、下の学年の人たちは「月光仮面」のことまで懐かしがったりしてしまう。「月光仮面」そのものでなく「懐マン」という“歴史性”に反応しているに違いない。
 私の学年は「懐マン」という“歴史性”に反応するわけではなく、自分が実際に見たという記憶にこだわるから、上の学年とも下の学年とも共通のヒーローを持たない。「ウルトラマン」や「仮面ライダー」の何代目という差異化は、大きな流れの中での差異だから連続性があるが、「快傑ハリマオ」や「ナショナル・キッド」や「アラーの使者」や「スーパー・ジャイアント」は孤立している。だからこれらの名前を他の世代の人たちはきっと知らない。しかしもともと、子供番組のヒーローなんてその程度の限定されたものだろうと思っているから、小さい頃に見たテレビ番組を声高に語ろうとは思わない。つまりオタクになる素地がない。
 音楽に話を戻すと、私の学年は本当に厄介で、大学に入ってジャズを聴くようになったとき、コルトレーンはすでに死んでいて、マイルス・デイビスは休止期間に入っていた。クリーム、ジミヘン、ジャニスを同時代で聴きそびれたように、コルトレーンもマイルスも同時代で聴きそびれてしまうことになった……。
 団塊の世代が同時代で体験したものを「同時代で体験しそびれた」という意識を持ちつつ、彼らと同じものを聴いていた——というのが私の学年の特徴だ。もう少し遅く生まれていれば、“同時代”でなく“歴史性”において聴くことができたわけだが、それにもあてはまらない。じつに曖昧でビミョーで中途半端な位置だけれど、それは(少なくとも私個人にとっては)ネガティヴな意識ではない。
 人生とは本質において、誰にとっても、「遅く生まれすぎた」か「早く生まれたすぎた」かのどちらかしか感じられないようにできているものなのではないか。つまり、個人が人生において直接経験することなんてたいしたことではないし、他人に向かって語るべきものでもない。

 人生とは自分が生きることではなくて、人によって生きられるものなのではないか。それも傑出したヒーローでなく、自分のような人によって生きられる。
 人が自分の代わりに生きてくれたり、自分に足りない分を人に託したり、あるいは自分はたまたま今の仕事をしていると感じたり、、、人生は不確定要素だらけで、主体性を持った強い意志で今の自分になったわけではなくて、家族や友達の影響や、東京からの距離や学校と繁華街と自分の家の位置関係や、何歳で東京オリンピックがあって何歳で大阪万博があって、何歳でロックと出会い……などなど、それらいろいろな力学の産物としてこうなった。
 軋轢や影響や憧れがなかったら今の自分になってはいなかっただろうけれど、それらが自分を決定的に変えたわけでもない。どう表現すれば人に伝わるかわからないのだが、自分の人生においてすら、自分が当事者であることは些細なことなのだ。それは、
「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)/風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です/(ひかりはたもち/その電燈は失はれ)」
「たゞたしかに記録されたこれらのけしきは/記録されたそのとほりのこのけしきで/それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで/ある程度までみんなに共通します」
 という、宮沢賢治の『春と修羅』の序と通じる。〈私〉とは確固とした実体ではなく、現象なのだ。〈私〉は私を取り巻く力学の産物だから、虚無と言ってしまえば虚無なのだ。
 この感じは団塊の世代=全共闘世代には理解されることがないだろう。ビートルズや長嶋茂雄や毛沢東や三島由紀夫という圧倒的な人生の雛型とともに成長してしまったために、彼らは人生が自分のものであって、人生を自分の力で切り開かなければならないと思い込んでいる。彼らの人生の雛型は全員共通して、社会に向かって強烈にアピールする魅力を備えていて、つねに活力に溢れていて、老いることを知らない。彼らはいつでも「自分は何者かである」と思うことを必要としていて、「自分の人生においてすら、自分が当事者であることは些細なことなのだ」なんていう考えは、とうてい受け入れられない。
 下の世代のオタクの人たちはどうかというと、ここからはやっぱり人生の指針は生まれてこない。彼らと実際に話してみると、本当に驚くのだが、彼らは“自分”と“自分の周囲”と“自分の育った世界”にしか関心がない。関心の基盤がそういうものだから、彼らのしゃべり方はなんだか世界をすべて把握できているような、奇妙に訳知り顔のところがあって、自分に関心があることは他の人もみんな関心を持っていると思い込んでいる。だから、自分たちにとってのヒーローが他の世代や関心を共有しない人たちにとって、何の魅力もない人物であるということに思いが至らない。彼らは、自分というものが相対化される契機を持たないまま歳をとっていくようにしか見えない。
 彼らは現実とどれだけ関わりなく生きているとしても、「自分には何者かである」という幻想を持ったままの人生を生きてしまうだろう。団塊の世代は現実社会で自分が中心にいると思い(現にそうなのだが)、オタク世代は自分中心の幻想を作ってその中で生きる。

 世代論というのはマスコミが自分たちの都合のために作り出す概念だ。しかし、困ったことにその概念によって、それに属する本人たちまでが自己像をカン違いしてそれに守られてしまう。
「なになに世代」という呼称を持たずに来てしまった私の学年は、傍から見たら特徴がない。「傍から見て特徴がない」ということは、じつは「本人たちも自分の特徴を知らない」ということなのだけれど、それゆえ語るべき特徴に守られず、「個人レベルの人生とは特徴がないものなのだし、あったとしてもたいしたものではない」という〈真実〉を、抵抗なく受け入れることができる。(私のこの人生観は一貫していて、新聞のインタビューでこういうことを答えると、最初の頃はよく「なげやり」と書かれたものだった。マスコミは〈真実〉を語る場所でなく、幻想を生産する場所なのだ。)
 人生とは人からラベリングされるようなものではない。もともと人生に貼るラベルなんて存在しない。四十歳を過ぎるとそういうことが実感されるようになるはずなのだ。
 マスコミに喧伝される世代に属していて、その世代像どおりの性格や生き方をしている人は、幻想の外に出て個としての本当の人生に出会えないという意味では不幸だが、その幻想をまっとうできたら幸福だとも言えるだろう。
 しかしマスコミなんて無責任なもので、わかりやすく興味をひいてわかりやすく分類できさえすればいいのだから、本当のところはその世代像と一致しない人たちの方が圧倒的に多い。その圧倒的多数の人たちは、自分が偶然にも属することになってしまった世代像の幻想から、どうすれば自由になれるのかを知りたがっているはずなのだ。
 その人たちに、「あなたのまわりにいる一九五六年(近辺)生まれの人を見てみな」と言いたい。

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