◆◇◆〈家〉の記憶をめぐって◆◇◆
2002年1月5日(土) 朝日新聞夕刊


 いま母の実家を舞台にした小説を書いている。一昨年の十月に書きはじめて、年がまた改まったので「足掛け三年」になってしまった。予定よりかなり長引いているが、その理由は長さではない。長引いているのは、建物自体を主役にしようと思って書いているからだ。
 街を主役にすえた小説は少なくない。しかし建物が主役となると、ユイスマンスという作家が十九世紀末に書いた『大伽藍』ぐらいしか思い浮かばないが、これは教会の話だから宗教という巨大な背景がある。私が書こうとしている母の実家には、そういう大きな物語や歴史は隠されていない。母の実家は地方の名士でもなければ旧家でもない。土間があって太い大黒柱があるような家でもなくて、祖父母の代に建てた田舎としてはやや大きめの家であるというだけだ。
 しかしその家で、男二人女五人の母の七人きょうだいが育った。代がかわって母の実家のいとこ三人がそこで生まれ育ち、私もそこで生まれて四歳まで住んでいた。私はいとこ達の末っ子みたいにして育ったので、ずっと長いこと自分の家よりも母の実家の方が好きで、夏休みや冬休みの半分以上をそこで過ごした。
 お正月には七人きょうだいから広がった親戚が集まり、炬燵が二つも三つも立った。私は二十人いるいとこ達の一番年下のグループで、中学生や高校生のいとこ達のしゃべるのを黙って聞いていただけだったが、いとこ達のしゃべるのは快活で騒々しくて馬鹿馬鹿しくて、お御輿を担ぐ男達の掛け声みたいで、ものすごく楽しかった。あの賑やかさが私の感受性や人間観の核になったのだと思う。
 しかし私が書こうとしているのはいとこ達のことではなくて、〈家〉そのもののことだ。そういう賑やかな何十年間かを経て、いまではひっそりとしてしまったその建物に、かつてそこにあった賑わいがどう記憶されているんだろうと思うのだ。
 「まるっきり何も記憶されない」と、科学的なことを言うのは簡単だ。しかし反対に、「場所は出来事を記憶する」と、超科学的なことを言うのも、じつは科学的なのと同じくらい簡単なのだ。小説はフィクションだから「場所に記憶がある」という考え方が許される、と言いたいわけではない。人は場合に応じていろいろな立場を使い分けているから、どんな考え方でももっともらしく表現されてさえいれば、相手はとりあえず納得してくれるものなのだ。
 人の姿が、そこからいなくなった途端に消えているのは間違いない。しかし匂いは長いこと残る。犬や猫だったら、数年後にも長年そこに住んでいた人の存在を感じているかもしれない。お客さんが帰ったあとの家の中はひどくがらんと感じられるものだけれど、それはさっきまで客がいたことを知っているからだという、合理的な説明だけでは片づけられない気がする。クリスマスからお正月へとつづいたデコレーションが取り払われた町は、元に戻るというよりしばらくは元の姿以上に殺風景に見える。そういうことには情緒を越えた何かがあるのではないか。
 だから場所と記憶についての私の立場は、「場所が何も記憶しないと言い切るのは簡単だけれど、それは洞察力の怠慢のような気がする。その場所にいれば何かが残っているような気がすることが確かにある。しかし、それは私のたんなる思い込みや願望にすぎないのではないか……」という曖昧なもので、つまり、現実の気分そのままだ。これは私の小説家としての欠点で、フィクションを書くのに一番不利な立場を選んでしまう。しかし私は小説として出来のいいものを書きたいのではなくて、現実の別の相を見つけたいと思っているのだから仕方ない。
 賑やかな何十年間かを経て、いまではひっそりとしてしまった建物が、日本にはたくさんある。そういう建物とそこに住んだ人達のために書きたい。


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