◆◇◆タフな時代の海水浴◆◇◆
神奈川新聞2007年8月6日(月)リレーエッセイ「木もれ日」



 八月といえば海水浴だ。海水浴といえば昔の鎌倉の家の賑わいを思い出す。
 昭和35(1960)年に私の家は山梨から鎌倉に引っ越してきた。両親そろって山梨生まれの山梨育ちなので、親戚も山梨に集中している。そんな中で一軒 だけ鎌倉に家があったのだから、夏といえば親戚がぞくぞくと海を目指してやってきた。
 山梨から鎌倉は、車も電車もどちらも不便で片道4時間から5時間かかった(いまでもあんまり変わってない)。だから海に来た親戚は全員が泊まりになる。 一軒の家に親戚が大挙して押しかけて、しかも泊まるなんて、いまではちょっと想像できないけれど、1960年代ではそれが常識だった。時代は高度成長期の 真っただ中、ということはいまだ日本が第三世界の一員だったということだ。現代の感覚では遠慮してホテルに泊まるところだが、当時は親戚があるのにホテル の部屋をとったりする方がよっぽど「非常識」だった。しかもうちは親戚が多い。一度に十人以上泊まったこともあった。
 「布団が足りない」
 「夏だから座布団でじゅうぶん」
 「寝る場所がない」
 「夏だから廊下で平気」
 すべて話は「夏だから」で済んだ(本当に廊下で寝たかどうかは、子どもの私の記憶ではわからない)。
 さて、私の家は由比ガ浜海岸まで歩いて七、八分。男は海パン一丁、女も水着の上に何か一枚羽織るだけ。そんな感じで、ゴザとビーチパラソルを抱えて海に 向かう。海に着くともう人、人、人でいっぱい(なにしろ今なら海外に行く人達が全員海に来たんだから)。先客にちょっとずれてもらってゴザを敷いて場所を 確保する。海に入ったって浅いところは人でいっぱい。しかしちょっと沖に出れば、ゴミがぷかぷか。で、気がつくと真っ黒い重油がべったり腕や背中について いる……。つくづく、タフな時代だった。タフで明るい時代だった。


もどる