◆◇◆『神聖喜劇』解説◆◇◆
『神聖喜劇』(光文社文庫)第3巻 2002年9月刊


 本書『神聖喜劇』をはじめて読んだのは、一九九四年の夏のことだったが、そのときも今回の再読でも、読み終わってもまだしばらく私から離れなかった作中人物は村上少尉だった。私は村上少尉を彷彿とさせる人を知っている。
 私の通った高校は中学からそのままつづいている私立高校で、そこに忘れがたい、私がただ一人「恩師」と思っていた先生がいた。一九七二年高校入学の私の学年ではすでに学園紛争はなかったけれど、二、三年前の全校集会の様子を知っている先輩によると、集会の場で生徒は教師の言うことなどいっさい聞こうとしなかったが、その先生が話したときだけは、「みんな黙って聞いた」。その先生が生徒に向かって何を話したのか、内容まで聞かなかったのか、聞いても忘れてしまったのか、定かではないが、おそらくその先生は生徒に対して一定の理解を示しつつも、「ここは学校なんだから、最低限のルールには従え」という学校側についた(?)発言しかしなかっただろう。
 そして私自身が高校生になり、三年生のときに同級生が八ミリ映画を撮り、それを文化祭で上映するために最低一人の教師の許可が必要だった。映画を撮った同級生と協力者である私ほか数人は、放課後の教室でその先生に映画を見せた。見終わると、先生は「おまえたちが学校に対してこんなことを感じていたのかと思うと、頭から泥をぶっかけられたようだ」と言い、当然上映は許可されなかった。さらに「他の先生がいいと言っても、私が許可しない」とも言われた憶えがあるのだが、この部分は私の記憶の創作かもしれない。仮に創作だったとしても同じことで、他の教師だったら「私は許可したいんだけど、他の先生がどう言うか……」という答えしか聞くことができなかったことは間違いない。
 本書を最後まで読んだ人には、村上少尉がこの「恩師」を彷彿とさせる理由がより明確に理解されるだろうが、しかし私には村上少尉の最初の登場からすでにこの「恩師」だった。最終巻で描かれる事件後の、村崎古兵(と「私」東堂太郎)の村上少尉に対する感想・評価の変わらなさは、人が人に対して抱く敬意やある種の愛着や期待についての、特殊な単純さとそれゆえの説明のつかなさを、文学作品という枠組みを離れて、現実そのもののように示している。ちょうど本巻・第六部「迷宮の章」第一「法」の「二」で引用されている、イェーリンクの『権利のための闘争』の、「悟性ではなくて、感情のみが、この(権利についての)問題に答えることができる」という言葉と同じように、この小説はとても論理的に作られているけれど、その論理的な構えの底を貫いているものは強いエモーションなのだ。
 エモーションは説明し尽くせるものではない。「私」東堂太郎に対して大前田軍曹ははじめから強い敵意を見せるが、その理由が明確に示されているとは言い難い。「私」は彼に対して脅威を感じつつも、ある敬意を捨てきることができない。この理由も明確に示されてはいない。神山上等兵が卑小な人間であることとか、片桐伍長が狡猾で薄汚い人間であることは、執拗に描かれ、それがそのまま「私」が彼らを軽蔑したり嫌悪したりすることの説明になっているけれど、大前田軍曹に対する感情の原因は説明されない。私は先に「敬意」と書いたけれど、「私」の大前田軍曹に対する感情は、通常の意味での敬意ではなく、ある種の畏怖でもあり、脅威でもある。しかし同時に憧憬でもあるような感情だ。そして「私」のこの整理されない感情はそのまま読者に共有される。
「私」とともに読者が強く惹かれる、村上少尉と大前田軍曹という二人の人物は、粗く振り分けると、村上=理性、大前田=暴力ということになるのかもしれないが、事はそれほど単純ではない。この二人がそういう図式に納まらないものを抱えているから、「私」は惹かれるのだ。そしてこれこそが、大西巨人氏の小説家としての真骨頂なのだと私は思う。
 氏にはこの『神聖喜劇』という大著があるがために、他の作品が軽視される傾向がある。飛び抜けた作品を持つことは、小説家にとっては功罪があって、その“罪”の最たるものが、他の作品に目が向かない(向きにくい)ことだ。実際問題として氏の作品は絶版が多く、他の作品を読むことがなかなかなできにくいのだが、小品だけからなる『二十一世紀前夜祭』のいくつかを読むだけで(幸いこれはホームページで公開されている)、氏の書くものすべてに“小説性”が息づいていることが理解されるはずだ。しかし、この“小説性”というのが極めて説明しづらい。外見だけいくら物語があり、人物に事件が襲いかかっても、“小説性”のない小説はいくらでもある。それに対して、氏の書くものは叙情と縁遠い文章が引用されていても“小説性”がある。「あなたのような人がいたことを私は決して忘れない」「このような光景を私は決して忘れない」という、強い意思がつねに働いているのだ。
「恩を感じると腹のなかにたたんでおいて/あとでその人のために敵を殺した」という詩句による、橋本二等兵に対する感慨など、その最たるものだ。しかしそれにしても、本書の引用の多さは、どういうエモーションによるものかと思う。大西作品は概して引用が多いが、本書の引用の多さはやはり常軌を逸している。引用はもちろん意図されたものであり、文学作品としての効果が考慮されたものではあるけれど、それを支えているのはエモーションだ。「私」東堂太郎が死ととても近いところに生きていることが、その理由の一つかもしれないと思う。
 引用される書物は大半が過去のもの、つまり死者が遺した言葉だ。仮に東堂太郎の時代にその著者がまだ生きていたとしても、いずれは死者の言葉になっていく。書物というのは本質的に「死者の言葉」であり、私達はそれを使って考えたり感じたりしている。あるいは、私達が考えたり感じたりするときにはつねに、書物という「死者の言葉」が響き、震える。生きている者が考えたり感じたりすることは、そのつど死者の言葉を我が身に呼び寄せることなのかもしれない……。
 では『軍隊内務書』や『砲兵操典』の引用はどうか。これはもしかしたら引用ではないのかもしれない。作品に描かれる建物の細部がどうなっているかとか、人物の家系がどういうものかというような、描写や背景説明の側に区別されるべきものなのかもしれないと思う。『軍隊内務書』はこの作品世界をある側面で規定するものであり、同時に多くの場合に上官や先輩たちの恣意的な制裁から「私」を守るように機能する。それは通常考えられている引用の静的な性格とは別のものだ。しかしそういう動的な性格は他の書物の引用も担っている。ということは、『神聖喜劇』の書物からの夥(おびただ)しい言葉は、そもそも「引用」ではないのかもしれない……。
 文学作品というのは読者がただ一つの「解答」を出すものではなくて、いくつもの疑問を抱きつづけるもので、解き難い疑問が長くつづくことがその作品の生命であるとも言える。この「引用」の問題にかぎらず、『神聖喜劇』では答えが得られないまま疑問として読者の中に残ることが多い。私はこの作品が、文学として安定せずに、現実そのままのように口を開けていると感じる。はじめに書いた「恩師」も本当は私が思うほど村上少尉と似ていないのかもしれないと考え直すことがある。しかし(繰り返しになるが)作品自体が文学という枠組みを食い破って現実のように見えるために、いくら時間が経っても「恩師」=村上少尉という思い込みを修正できない。そうかと思うと、第一巻終わり間際の、橋本二等兵の、
「砲身はちょうどええ塩梅に水平になっとるごたぁりますとに、あれから上まだ水平にするちゅうても、巻尺があるわけじゃなし、どげんしたもんか、橋本二等兵にゃようわかりまっせん。」
 という件(くだり)などではゲラゲラ大笑いしながら、かつて、小学校や中学の頃に教室や校庭で見たバカバカしい光景が、ここで一気に収斂され、その場を演じた同級生達に再び息が吹き込まれるような気分になる。文学作品によって読者の経験が書き換えられるのだ。経験が書き換えられるなどということは滅多に起きないけれど、そういうことが起きるのが本当の意味での文学なのだろうと思う。だから私は「文学作品という枠組みを離れて」とか「文学という枠組みを食い破って」とかと書いたけれど、本当はそういうものだけが文学なのだ。そんな難しいことを言わなくても、『神聖喜劇』の力は、読んでいる途中でいつの間にか日常の会話に九州弁が紛れ込んでいて、読み終わってもしばらく抜けないことが証明している。
 最後に、あまり誰も指摘しないので、『神聖喜劇』というタイトルが『神曲』の本来の訳であることを書き添えておく。ダンテの『神曲』の原題はDivina Commediaで、英語に訳せばDivine Comedyつまり、「神聖なる喜劇」なのだ。

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