◆◇◆追悼・小島信夫◆◇◆
読売新聞 2006年10月27日(金)朝刊



 小島信夫さんが他界された。追悼の文章を書けと言われても、この狭いスペースで何を書いたらいいのか。小島信夫という作家はとてつもなく大きい。
 小島作品はふつうにイメージされている小説と全然違う。事前のプランがあり、作者がそれをコントロールすることが小説を書くことだと信じられている日本 文学の中で、作者のコントロールなどあざ笑うかのような、粘菌が広がるような小説を書いた。ふつうの小説は構成があり輪郭がはっきりしているから読後感が 作りやすく、それゆえ批評しやすい。つまり読んだ作品をコンパクトに記憶して持ち歩くことができる。それに対して、小島作品は「読む」という時間の中にし か存在しない。そのあり方は、読書感想文などで訓練された読み方を根底から突き崩すものなのだが、読後に何かを語りたいなどという思いを捨てて、ただ「読 む」ことに徹すればこれほど面白く自由な小説はない。
 そんなことをいくら喧伝しても現状は悲しくなるほど絶版が多い。食べなければ料理の美味しさがわからないのと同じことで、読めなければ意味がない。だか ら昨年私は代表作の『寓話』を個人出版することにした。『寓話』一作で約一二〇〇枚の長さがあるので、インターネットで呼びかけて一人百枚ずつ入力しても らうことにしたのだが、参加してくれた二十代三十代の人たちが、入力作業を心から楽しんで、「ほかの作品も入力したい」と言ってくれた。私は荒っぽく入力 する箇所のページのコピーだけしか渡さなかったのだが、それでも全員が書かれている一行一行を面白がった。これは批評や読書感想文を書くのと対極にある行 為で、参加者は入力という作業によって格段に濃密になった「読む」という時間に心底没頭した。「この入力がいつまでも終わらないでほしいと思った」と言っ た人さえいた。
 人の人生はしばしば一本の道に喩えられるけれど、小島さんは広大な平原だった。「道」というイメージしか持てない人は、小島さんという平原を前にして 「何もないじゃないか」と言うかもしれない。しかし「あなたの目の前に広がっているこの平原の全体が小島信夫なのだ」と私は答えたい。夏目漱石やドストエ フスキーやプルーストやカフカは、その後に生きる者たちに小説という表現形式のイメージをもたらし、人々は明確に意識しないままそれらを小説の基準と考 え、そこに書かれた言葉と思考法によって社会や世界を見るようになっている。「広大な平原」というのはそういう意味であって、小島作品もいずれはそうなる だけの活力を持っている。
 小島作品を実際に読んだことのない人は、小島信夫を私小説作家だと思い込んでいる。悪いことに(あるいは、「したたかなことに」か)、『抱擁家族』『う るわしき日々』などは私小説としても読めてしまう体裁をしている。しかしそういう人は初期の短篇の「小銃」や「馬」を読んでみてほしい。小島信夫はむしろ カフカの直系なのだ。『抱擁家族』以降の小島作品は、四十一歳で死んだカフカがその後生きていたらこういう小説を書いただろうような小説なのだ。深刻であ るはずの場面で突如笑いが噴出する。
 しかし最後の長篇となった『残光』が出版された今、小島信夫は若い人たちに新鮮な驚きとともに受け入れられつつある。現代美術・現代音楽・映画・写真・ ダンス……それら二十世紀後半の表現を経た時代を生きた人たちにとって、小島信夫は「小説にもこういうものがあった」と素直に接近できる作家になりつつあ る。小島さんがあと二十年生きていたら、小島信夫について熱く語る若い人たちを見ることができたのに。しかし、本当の作家というのは次の時代を拓く存在な のだから、それはどうすることもできない。

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