◆◇◆小説をめぐって(十)◆◇◆
  
現代性、同時代性とはどういうことか【前半】
「新潮」2005年5月号
  

最近、書店が大型になりすぎて、馴れていない店に行くと欲しい本がどこにあるのかわからない。社会の変化についていけていない自分を知ると「もう若くない んだなあ」と思う。
しかし書店がそこまで大型化してもない本はないわけで、私が欲しい本は結局古書店の方にたくさんあって、神保町に行くと、目的の東京堂書店にたどりつくま でに紙袋二つ分くらいの古本を買ってしまう。そして最後にようやく東京堂(こちらは新刊書の書店)について三階の思想書と二階の海外文学の棚をおもに見る のだが、先日、海外文学の棚の前に立っていたら、
「自分はこういう本を書いた人たちの継承者なんだなあ……」
という感慨が急に湧いてきた。
自分が名だたる作家たちと肩を並べているなんて思っているわけではない。しかし彼らがいて、彼らの書いた本を読んだからいま私はいて、形のうえでは彼らと 同じことを自分の職業にしている。
一時期――八○年代――だったろうか「文学は死んだ」という言葉が流行して、文学が死んだ・死につつあることをダシにして本を書いた人が何人もいたけれ ど、そういうことができたあいだはまだ文学は死んでいなかった。
何故?何故、死んでなかったの?
と思う人がいるかもしれないが、「死んだ」「死んだ」と書いてそういう本が書店で平積みされているあいだはまだ死んでいない。文学は人間や動物ではないの だから、「死ぬ」ということは、「興味を惹かなくなる」「忘れ去られる」ということだ。
私たちが、現在おかれている状況はそんな暢気なものではない。小説の出版点数はじつは多く、売り上げの数ももしかしたら増えている可能性もあるけれど、広 がりがない。小説というのはものすごく奥が深く、一人の作家を出発点にしてどこまでもどこまでも辿っていくことができるものだけれど、いま書店で平積みさ れている小説の多くは奥につながっていくように見えない。
小説というのは二、三年かせめて四、五年も読んでいるうちに、ドストエフスキーとかフォークナーとかボルヘスとかカフカとかフローベールとかバルザックと か(私が書き並べる作家もしかし偏向しているが)大きな流れに行きあたって、そこからまた読書の新しい局面が開かれてくるはずなのだが、いまの日本の状況 は、「いま書いている日本人作家」をただ横滑りしていくようになっているとしか見えない。

だって新しくない?
そこで、現代性、同時代性という問題が出てくる。
現代性、同時代性というと、私はまず現象として、過剰な暴力と、登場人物の精神が病んでいることを思いつく。
私は「そんなことが現代性、同時代性ではないんだ」と言おうとしているのだけれど、そういう私でもまず最初に現象として暴力と病理の二つを考えてしまうの だから現象というのは怖い、というか力がある。
たとえばプロレタリア文学のようなもので、時代が一斉にそっちに向いてしまうということが現象として起こる。
小説にとって、題材と登場人物の性格の二つは絶大な強みを持っていて、ほとんどの読者――一般読者ということでなく、評論家・作家を含めたほとんどの読者 ――は、その二つにしか反応しない。というか、本当は一般読者の方はあんまり反応していないにもかかわらず、「現代性」「同時代性」ということに敏感であ ろうとするあまり、評論家や編集者の方こそ、現象としての現代性、同時代性に過剰に反応してしまって、手っとり早いところで、題材と登場人物の性格の二つ に注意が向きすぎてしまうのではないか。

最近の出版状況は国会議員の選挙に似ている。国会議員は国政に関与する政治家なわけだけれど、国会議員となってそれをつづけるには自分の選挙区で必要な票 を集めていさえすればいい。国会議員なんてそんな人たちばっかりで、国民全体にはほとんど知られないうちに当選回数を重ねて、大臣になったり党の役員に なったりして、大きな顔をしている。しかし彼らを「国会議員」として認知してきたのは選挙区の人たちだけで、岸信介や田中角栄のような巨悪といわれた政治 家と同じ政治家の範疇におくことがおかしい。
出版も同じで、小説が五万部売れてもほとんどそれを買った五万人しかその作家を認知していない。永井荷風、志賀直哉、川端康成といった作家たちは読んだこ とのない人たちもその名前を知っていたけれど、いまそういう作家はほとんどいない。はっきりそうなってきたのはたぶん一九九〇年くらいからで――だからそ れ以前にデビューした中上健次、村上龍、村上春樹は知名度において強い、それ以降の作家はセールスとして大きくても、それぞれが選挙区のような小さな枠の 中に入ってしまっている。
出版に関わる人たちは、この変化が見えていないか、見えていたとしても深刻なものだとは思っていない。しかしこれは出版の存亡に関わることのはずなのだ。 よその業界で起こっていることがそのまま出版業界に通用するとはかぎらないけれど、たとえばHMVやタワーレコードといったCDショップに、もしビートル ズやレッド・ツェッペリンやジミ・ヘンドリックスなど六〇年代から七〇年代にいたるロックの黄金期のCDが一枚も置いてなかったら、四十歳すぎの人たちが そこにいくだろうか。もしかしたら三十歳すぎの人たちだって行かないかもしれない。
ツェッペリンやジミヘンは、ただロックの歴史に残って、ただ四十すぎのファンが買うだけではなくて、若い人たちがいま聴いているミュージシャンが「影響を 受けた」「これを聴いた」ミュージシャンとして、若い人たちにも買われているはずなのだ。

現代性、同時代性ということに話を戻すと、出版に関わっている人たちは、題材と登場人物の性格という二つの現象に注意が向きすぎていて、それが五万部とか 十万部とか、出版の規模としてはかなり大きな売り上げになっているとしても、質において九〇年代以降の小さな枠として括られうる部分としての出来事であっ て、その変化が小説の行方を決める変化であるとは私には思えない、ということだ。
変化というのはどうしても目につきやすいけれど、一般読者はあんまり気にしていないのではないか。そしてもう一度、音楽の話をこれに重ね合わせると、J− POPだヒップホップだと言われていても、四十歳すぎの人たちが六〇年代七〇年代のロックしか聴かないか、そこからさらに源流のブルースに向かっているよ うなことが、小説においても起きているのではないか?
といっても、ディープ・パープルだのイーグルスだの、昔のバンドが再結成されてそのコンサートにオジさんオバさんたちが集まっている光景は好きではない し、こういうことを書いていると、私がマーケットの話をしたいのだというカン違いしかされないと思うので、いつまでもつづけないが、ロックも歌謡曲もオジ さんオバさんの懐メロになっていることは、示唆的だ。ある時を境いに、新しいものが必要とされなくなる。それがそのジャンルが「死ぬ」ということだろう。
結局、小説は死んでしまった?
いや、やっぱりそうなのかもしれない。
夏目漱石、永井荷風、志賀直哉、三島由紀夫、……とつづいてきた「読んだことのない人でも名前は知っている」「作品を読むより前に作家の名前から知ってい く」という、大文字の小説の流れは本当に終わってしまったと考えるべきかもしれない。「大文字の小説」というのは、「小説が大文字の概念であることによっ て守られる小説」ということだ。
地方の公民館のような場所で無料の講演会をすると、「作家の先生がどんな話をするのか興味があったから来た」とか「作家の先生を生(なま)で見てみたかっ た」というだけの理由で、読んだことのない人たちが必ず何人も来る。大文字の小説が終わるということは、そういう聴衆が来なくなるということだ。
あるいは新聞の文化欄に「作家」という肩書きだけでエッセイが載ることがなくなるということでもあるし、新聞の連載小説という慣習がなくなることでもある だろう。

こういう風に書いてくると、自分の中で整理がついてくる。こういうことは書いてみないとどうしてもいろいろ混乱していて、読者もだいたいのところ私と同じ あたりで混乱しているだろう。
海外文学の棚の前で急に湧いてきた「継承者なんだなあ……」という感慨は大文字の小説に対するものではない。本国以外の国で翻訳されている作家なのだか ら、本国では「大文字の作家」なのだろうけれど、私は彼らを大文字の作家として読んだわけではなかった。ただ他の作家に導かれて、その作家を読んだ。
大学生の頃は、「他の人が読まないものを読もう」という色気や見栄があったということを否定することはできないだろうけれど、そんな気持ちだけでいつまで も読みつづけられるはずがないのは言うまでもないことだし、何人かの作家の魅力についてはいままでに実際に書いてきた。
ベケットは『ゴドーを待ちながら』という作品があることとノーベル文学賞を受賞したという二つの理由で、大文字の作家と思われているかもしれないが、ベ ケットは大文字の小説の流れに位置する作家ではない。
ベケットは読んだことのない人にも知られている――実際ベケットの小説を読み通す人はなかなかいない――し、私がここまで書いてきた大文字の作家・小説の 条件をすべて満たしていると言ってもいいだろうが、しかしやっぱり大文字の作家ではない。
日本において夏目漱石が中学生や高校生の必読書であるようには、フランスでベケットは必読書ではないだろう。彼の生まれたアイルランドでも必読書ではない だろう。なぜなら、ベケットが大文字の文学を終わらせた小説家の一人だからだ。カフカもその意味で大文字の小説家ではない。
しかし、ベケットもカフカも私にとって、世界と言葉をつなぐ小説家なのだ。一九八九年の十二月、死亡記事が夕刊に載ることになる日の午後二時頃「ベケット が死んだ」という話を聞かされたとき――あまりに出来すぎなのだが私はそれを吉増剛造さんから聞かされたのだ――、私は「言葉の底が抜けた」と感じたの だった。ベケットの言葉こそ言葉の底が抜けていたのだが、そのベケットによって言葉の底が支えられていた。
感覚的で抽象的な言い方だからほとんどの人にはわからないのではないかと思うけれど、言葉には本当は底なんかないのだがみんな底があると思って言葉を使っ ている。言葉を言葉たらしめている核とか、自分のしゃべる言葉が相手に通じたり物事を指し示したりすることができる根拠とか信用とか、そういうものを言葉 それ自身が持っているなんてことは全然なくて、だから言葉は底が抜けている。

しかし私たちが国語の授業で教わるのは言葉を信頼することであり、言葉の使用に熟達する方法である。
夏目漱石が本人の意識としてどこまで言葉を信頼していたか私は知らないけれど、中高生の必読書に挙げられたり、教科書に採用されたりしてきたということ は、「言葉を信頼するために夏目漱石を読め」「夏目漱石を読むことが言葉の使用に熟達することにつながる」ということを意味する。
最近、教科書から夏目漱石が消えたとか、「こんな人が」という作家が教科書に採用されたりしているけれど、いままで夏目漱石が占めていた位置を他の作家が 占めているだけだから、国語という制度は変わらない。もっとも、国語教育というのは言葉の伝統に根ざして行なわれなければならないのだから、夏目漱石が消 えて最近のぽっと出の作家を採用するのは制度としての国語教育が揺らいでいることを如実に示している以外の何物でもないと思うのだが、とにかく人は、国語 の教科書に採用されるような作家が遺した信頼するに値する言葉を使って、人とコミュニケーションをとったり自分の中で考えたりすることを学習していく。
“制度”というのはここにとどまる。というか、どこかで線を引いて、そこを“底”なり“核”なり“根拠”なりということにする。
王羲之(おうぎし)という四世紀の中国の書家というか文人というか役人というか、そういう人がいる。王羲之の遺した書は絶品で、その書がいまだに漢字の理 想のようなものになっているらしい。こういう不思議なことは絵や音楽など他の分野では考えにくいことだけれど、この考え方は言葉の本質をついているように 思う。
まだピンとこない人のためにもう一つ例を出すと、私がいたカルチャー・センターの書道の教室の説明文に「書は絵画と違って花鳥風月など自然の中にお手本を 持ちません。それゆえ、三筆(嵯峨天皇、空海、橘逸勢(たちばなのはやなり)) 三蹟(小野道風、藤原佐理、藤原行成)をお手本として……うんぬん」とい うことが書かれていた。つまり、書というのはある時点で完成していて、後世の人間はそれをお手本として学び、それを超えることはありえない。ということ は、私たちは時代とともに粗悪になっていく言葉を使ってコミュニケーションしたり考えたりしていることになる。
NHKスペシャル「故宮」からの受け売りだが、王羲之が詩集「蘭亭集」に付した序は、書においても韻律においても内容においても最高峰である、という風 に、書というのは形だけでなく内容も価値づけるという価値観があるから、書=形が先人を超えられないということは中身も先人を超えられないという意味にな る。
近代人とは世界が時代とともに進歩するという世界観にどっぷり浸っている人間のことで、その近代人である私たちにしてみるとなんとも不思議な考え方だけれ ど、「それは本当かもしれない……」という思いもある。
言語はどの言語においても、古代の方が現代の言語より文法が複雑にできている。私たちは平安朝の人たちのように敬語を使うことができない。言語が簡略化さ れれば簡単なことしか表現できなくなる、というのは道理だ。
言語だけではない。彫刻家の若林奮(いさむ)は前田英樹と対談した『対論◆彫刻空間』という本の中で、ラスコーの壁画が一番すごいと言っている。ハイデ ガーはソクラテス以前の哲学者たちが必要なことはすべて考えていたというようなことを言っている。そして文学はと言えば、ギリシャ悲劇が繰り返し上演され つづけている。
人間の歴史というのはそういうことなのかもしれないなあ……と思う。
無文字社会が一万年かそれ以上つづいて、それが「無文字社会」として大きくひとつに括られてしまうような観点に立てば、私たちが生きている時代は、一万年 後ぐらいには、ギリシャと中国を二つの起源に持つような三千年ぐらいの括りとして分類されるのではないか……。
話がどんどん逸れているが、ハイデガーと白川静は二人とも驚くほど似た人間観・世界観を持っていて、人間に根拠があるとすれば、それは人間が自然との闘争 を通じて人間という意識を立ち上げたプロセスにしかない、という考え方を持っているところで、人間が人間となった自然との闘争を知らない後世の人間たちは その遺産を使い果たすだけで、それを超え出ることはできない。
したがって文学でいうなら、ギリシャ悲劇を超えることはできない。ダンテかシェイクスピアか、ギリシャ悲劇に肉迫した人はいるかもしれないが超えたと言い きれる人はいない。何故なら、ギリシャ悲劇以降の人間たちは“劇的”ということや“運命”ということや“精神”ということをギリシャ悲劇とそれから派生し た文学作品によって学んだのだから。
こういう考え方を、文献学や文化の伝播の詳細な研究によって疑うことも可能かもしれないけれど、奈良時代の容貌魁偉で知られたなんとかいう僧はペルシャ人 だったというのだから古代の人の交流は果てしない(私は十数年前に知り合いからこの話を聞いたのだが、その後どうしてもその憎の名前が出てこない。もっと もその知り合いというのが、『プレーンソング』で競馬陰謀説を信じつづけている妄想史観の三谷さんのモデルとなったIさんだから怪しいのだが……)。
一九九〇年頃に世田谷美術館で世界の美術を歴史の流れにそって一堂に並べた大がかりな展示があって、それを見たときに私は、ギリシャ・ローマ美術と中国や 日本の美術はあまり変わらないと思った。ただ、アステカの美術とポリネシアの美術はものすごく異質だったから、何百年か前まではその二つの地域にはギリ シャ・ローマの思考様式は届いていなかったのかもしれない(アフリカについてはまったく記憶がないということは、展示されていなかったということだろう か)。
ただし、自然との闘争を人間の根拠とする人間観・世界観は制度とは関係ない。制度とはもっとよくわからないことを根拠に置いている。しかし制度は一概に批 判されるようなものではなくて、私たちがふつうに言葉を使うというレベルでは、なくてはならない役割を果たす。

話を現代性、同時代性ということに戻さなければならないが、その前にもう少しベケットについて書こうと思う。ベケットとカフカについて書いていれば基本的 には、現代性、同時代性の話は足りてしまう。
ベケットの『モロイ』には海岸で拾った十六個の小石をしゃぶる場面がある。もう一度ゆっくり読み直さないと、どうしてモロイが十六個の小石をしやぶろうと 考えたのか理由がわからないのだが、どうもそうすることがモロイにとって石=自然を手なずけることを意味しているらしい。
モロイは外套の二つのポケットとズボンの二つのポケットに石を四個ずつに分けて入れ、それを一つずつ取り出してしゃぶることにした。一つ取り出してしゃ ぶっては元のポケットに戻し、次に別のポケットからまた一つ取り出してしゃぶって元のポケットに戻す。こういう風にしていけば十六個の小石をすべて手なず けることになる。
と、いったん考えて、しかし、とんでもない偶然のいたずらによっていつもいつも同じ石を取り出してしまっていて、いつまでたっても十六個のうちの四個しか しゃぶらない結果に陥ってしまうかもしれない。それで取り出す前に四個をよくかき混ぜることにしたのだが、「しかしそれはやむをえない手段にすぎず、ぼく のような男が長いあいだ満足できるわけがなかった。そこでぼくは別の方法を探しはじめた。まず手はじめに、一つずつの代わりに、四つずつ動かしたほうがい いではないかと考えた、つまり吸っているあいだに、外套の右ポケットに残っている三個の石を手に取って、その代わりにズボンの右ポケットの四個を入れ、ま たその代わりにズボンの左ポケットの四個を入れ、またその代わりに外套の左ポケットの四個を入れ、そして最後にその代わりに外套の右ポケットの三個と、吸 い終わってまだ口のなかにある一個とを入れるのである。」(三輪秀彦訳)
しかしこれもダメなことにモロイは気づく。こうすれば石が四つのポケットをすべて移動することは確実であるが、同じ石ばかりをしゃぶりつづける可能性は まったく解決されていない。それで次の策として……という風にして、十六個の小石と四つのポケツトをめぐるくだりが、邦訳にして改行ナシで五六〇〇字!  つづくことになる――だから長すぎて引用できなかった。
はじめてここを読んだとき私は笑いが止まらなかったのだが、ここはかなり有名な箇所らしい。「有名」といっても、どういう人たちにとって有名なのかよくわ からないが、モロイはひたすら順列組み合わせに没頭する。
意味は何か?これは何かの象徴か比喩なのか?
そんなことではなく、こんな場面が書ければ小説はもうそれでじゅうぶんではないか。この小石とポケットの関係が、言葉とそれが指し示す対象との関係であり ――ついでに言えば小石が言葉だからモロイはそれをしゃぶる――、言葉と対象とはこのように根拠がないのだ。ということではなくて、言葉が根拠がないもの だから、このような無意味な順列組み合わせの場面を作り出すことができる、ということなのだ。
言葉の根拠、言葉への信頼を疑ってみたことのない人は、こんな場面を思いつきもしないだろう。

ところが、この小石をしゃぶる場面の前にこんなことが書かれていることに今回はじめて気がついた。

しかしあと少しのページをつぶすために、ぼくはたいした事故もなく、しばらく海岸で過ごしたと話しておこう。海が性に合わないで、山や高原のほうが好きな 人たちもいる。ぼく個人としては海がよそよりも悪いことはない。ぼくの人生の大部分は、大波や小波や磯波がとどろくそのふるえる無限の前で砕け散った。い や、その前どころか、それと同じ平面で、砂の上や洞窟のなかにくり拡げられて。……(略)……なぜならぼくはいつも自分に言いきかせているからだ――まず 歩くことをおぼえよ、それから泳ぎ方をおぼえるのだ、と。しかしぼくの地方が沿岸地方で終わるとは信じないでほしい、それはひどい誤解なのだ。何故ならそ れはまたこの海であり、その暗礁、はるかな島々、そしてかくれた深淵でもあるからだ。そしてぼくだってオールのない小舟みたいなもので、その海を散策した ことだってある、いや擢(かい)も一本つくったのだ。そして時にはその航海からよくも帰れたものだと思う。なぜなら海へ出て、長いあいだ波の上をこぎまわ るとき、ぼくは帰り道や暗礁の上での動揺を見ないし、もろい船底が海岸できしむ音を聞かないからだ。ぼくはこの滞在の機会に吸う石を手なづけようとした。 それは小石だったが、ぼくは石と呼ぶことにする。

傍線は便宜的に目立つように引いただけで、読んでもらいたいのは引用の全体だが、この箇所は次の詩と対応していないだろうか。

無気味なものはいろいろあるが、
人間以上に無気味に、ぬきんでて活動するものはあるまい。
人間は荒れ狂う冬の南風に乗って、
泡立つ上げ潮に乗り出し、
さかまく大波の
山の中をくぐり抜ける。
神々の中でも最も崇高な大地、
滅びず、朽ちぬこの大地をさえ、人間が疲れはてさせてしまう、
年々歳々掘り起こし、
行きつ戻りつ、馬で
鋤を引き廻して。
(以下略)

これはハイデガーの『形而上学入門』(川原栄峰訳)に引用されている詩で、ソフォクレスの『アンティゴネ』でコロスによって歌われる。
この詩の最初の「無気味なもの」deinonというのがハイデガーによれば人間の本質で、ギリシャ語のdeinonという言葉は「すごいもの」を意味して いて、「制圧的な支配という意味ですごいものであり、これは突然の驚愕、真の不安を無理にも起こさせるとともに、取り乱すことのない、均斉のとれた沈黙の 畏怖をも喚び起こす。強力なもの、制圧的なものが支配そのものの本質的性格である」ということになる。
モロイが海岸で十六個の小石をしゃぶるのは、傍点部に「吸う石を手なずけようとした」とあるように、自然に対して制圧的な支配をしようというつもりだった のだ。
パロディ? パロディではない。パロディというのは余裕がある遊びだが、モロイはそれを大真面目にやる。ベケットに馴染みの言葉で言えば、「なけなしの行 為」なのだ。これはベケットからのハイデガー――ハイデガー的なるもの――へのアンサーだったのだ。
ハイデガーは『存在と時間』第二十三節の「世界内存在の空間性」というところで、人間は自分の注意が向いている対象のことは意識するけれど、その注意の基 盤になっているもののことは意識の外になると言っている。たとえば近視の人が物を見るときに目の一番近くにあるのはメガネだが、メガネのことは意識の中に 入ってこない。歩くときにも同じで、こういうことを書く。

歩行しているさいには街路は、一歩ごとに触れられており、一見、総じて道具的に存在しているもののうちで最も近く最も実在的なものであるかのように思わ れ、足の裏といういわば特定の肉体部分にそってずれ動く。それにもかかわらず街路は、そうした歩行のさいに二十歩の「遠ざかり」で「街路上」で出会う知人 よりも、ずっと遠ざかっている。環境世界的にさしあたって道具的に存在しているものの近さと遠さに関して決定をくだすのは、配視的な配慮的気遣いなのであ る。(原佑、渡辺二郎訳)

歩いているとき最も自分の近くにあるのは足の裏がたえず触れている地面だが、地面は二十歩先にいる知人よりもずっと遠くになっている、と言っているのだ が、モロイはその歩くことがままならない。
正常な世界では二十歩先にいる。知人に向けられる注意が、モロイにおいては歩くことに気をとられてしまって世界の遠近法が成り立たない。
ベケットの文章はいつも「……というか、……というか、いや……でなくて……」という、自分が前に書いたことを否定して言い直すことの繰り返しだが、足の 裏が地面に触れていることが一度も意識から消えないように、自分が何かを語りたいその何かにだけ注意を向けきれずに、「文章を書いている」という意識がつ いてまわっているから、そういう文章になる。
ベケットは一九二七年に出版された『存在と時間』はどこかの時点で読んだだろうけれど、『形而上学入門』より前に『モロイ』が出版されている。『形而上学 入門』は一九三〇年代前半に行った講義がもとになっているけれど、ドイツの大学でなされていた講義にまでベケットがわざわざ出掛けていったとは考えられな いだろう。
だからベケットは『形而上学入門』を読まずに『モロイ』を書いたわけだけれど、第一次世界大戦から第二次世界大戦へと至る時代の中で二人は同じことを考え ていたのだ。
私はハイデガーがヒトラー政権に一時期であっても荷担したこととか、ハイデガーの思想が読みようによってはナチのように読めることとかでハイデガーをうん ぬんしようとは思わないけれど、ハイデガーの思想には全篇に雄々しさがみなぎっていてうんざりすることがある。
ハイデガーの著作の具体的にどの箇所がナチズムの擁護になるのかわからない――などと鈍感なこと圭言う人がいるが、ハイデガーの書くものには意志が充満し ていて、それがそのままナチズムなのだ。
先のdeinonという言葉の説明で言われているように、それ以前、自然の力に対して受け身一方だった人間が、ある時を境いに自然に対して「制圧的な支 配」を揮うようになる。そしてその意志は、芸術、表現行為の中に息づいている。芸術というのは雄々しくて暴力的で血なまぐさいものなのだ。
だからベケットはダメ人間となって、そういう芸術から落っこちなければならなかった。カフカの断片(『カフカ全集3』飛鷹節訳)にこういうのがある。短い ので全文を引用する。

あの野蛮人たち――かれらは死にたいという欲求のほかにはいかなる欲求ももたない、いやその欲求すらもはやいだくことはなく、むしろ死のほうがかれらを欲 求し、かれらがそれに身をゆだねる、いや身をゆだねるというよりも、ただ岸辺の砂のなかにくずおれて二度と起きあがることはない、と語り伝えられている ――あの野蛮人たちに、ぼくは似ている。そしてぼくの周囲にも、同族の兄弟がたくさんいる。しかし、この近隣の国々の混乱はじつに大きく、その濁流が日夜 おしよせて、兄弟たちはこれにおし流されるのだ。それはこの辺では「ひとの手助けをする」と呼ばれており、そういう援助態勢がつねにととのえられている。 理由もなく行倒れになってそのままいつまでも転っているような者を、人びとは悪魔のように怖れる。それが先例となり、この先例から真理の悪臭がたちのぼる ことを忌むのである。たしかに、表面はなにごとも起こりはしないであろう。一人、十人、いや全民族が行倒れになったところで、なにごとも起こらず、たくま しい生活が営みつづけられることだろう。屋根裏部屋には、いまだかつてひろげられたことのない戦旗がまだあふれており、この手回しオルガンにはただ一個の 曲目円筒しかなくても、永遠そのものがみずからハンドルを回しつづける。それでも不安がしのびよるのだ! 人びとはかれら自身の敵を、たとえ無力な敵であ るとはいえ、つねに体内にひめているではないか! だからこそ、この無力な敵がひそんでいるからこそ、かれらは……

時代を予感したと言われるカフカは、傍点部でハイデガー思想と正反対のことを書いているわけだけれど、予感したり先取りしたりすることはどうでもいい。一 八八三年に生まれたカフカと一八八九年に生まれたハイデガーが時代の同じ空気を吸って、正反対の打開策を考えていた、というかここが思想家と小説家の違う ところで、思想家はそこで俯瞰的な思考法を使い、小説家は俯瞰される側にいる一員として考えたり感じたりしていたのだ。この立場はベケットもまったく同じ だ。


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