◆◇◆小説をめぐって(十七)◆◇◆
  
 外にある世界と自分の内にあること、など(前半)
「新潮」2005年6月号


ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』が岩波文庫から新訳で出版された。『灯台へ』は七〇年代には『燈台へ』という表記で新潮文庫に入っていて、私はそれを長い こと持っていたのだけれど、何度読みはじめても頭に入らずに挫折していた。

「そう、もちろんよ、もし明日が晴れだったらばね」とラムジー夫人は言って、つけ足した。「でも、ヒバリさんと同じくらい早起きしなきゃだめよ」
息子にとっては、たったこれだけの言葉でも途方もない喜びの因(もと)になった。まるでもうピクニックは行くことに決まり、何年もの間と思えるほど首を長 くして待ち続けた素晴らしい体験が、一晩の闇と一日の航海さえくぐり抜ければ、すぐ手の届くところに見えてきたかのようだった。この子はまだ六歳だった が、一つの感情を別の感情と切り離しておくことができず、喜びや悲しみに満ちた将来の見通しで今手許(てもと)にあるものまで色づけてしまわずにいられな い、あの偉大な種族に属していた。こういう人たちは年端もいかぬ頃から、ちょっとした感覚の変化をきっかけに、陰影や輝きの宿る瞬間を結晶化させ不動の存 在に変える力をもっているものなのだが、客間の床にすわって「陸海軍百貨店」の絵入りカタログから絵を切り抜いて遊んでいたジェイムズ・ラムジーも、母の 言葉を聞いた時たまたま手にしていた冷蔵庫の絵に、自らの恍惚(こうこつ)とした喜びを惜しみなく注ぎこんだ。その冷蔵庫は、歓喜の縁飾りをもつことに なったわけである。ほかにも庭の手押し車や芝刈り機、ポプラの葉のそよぎや雨の前の白っぽい木の葉の色、さらにはミヤマガラスの鳴き声や窓を叩くエニシダ の枝、ドレスの衣(きぬ)ずれの音など-こうした何でもないものが、彼の心の中ではくっきりと色づけきわだたせられていたので、いわば彼には自分だけの暗 号、秘密の言葉があるようなものだった。だがそばにいる夫人にとっては、子どもなりに毅然とした態度を崩さず、人間の弱さに少し眉をしかめるような率直さ や純粋さがあり、秀でた額と青く鋭い目をしたジェイムズの様子ばかりが目に映り、彼がていねいに冷蔵庫の絵を切り取っているところを見ていると、白貂(し ろてん)をあしらった真紅の法服姿で法廷に現われたり、国家存亡の機に厳しく重大な計画を指揮したりする際の息子の姿が、われ知らず思い浮かびもするの だった。
「でも」と、ちょうどその時客間の窓辺を通りかかった父親が足を止めて言った、「晴れにはならんだろう」
手近に斧か火かき棒があれば、あるいは父の胸に穴をこじ開け、その時その場で彼を殺せるようなどんな武器でもあれば、ジェイムズは迷わずそれを手に取った だろう。ラムジー氏が、ただそこにいるだけで子どもたちの胸に引き起こす感情の嵐は、それほど凄まじいものだった。(御輿哲也訳 岩波文庫)

これは『灯台へ』の冒頭部分だが、こういう風にしてつづいていく最初の十数ページが、何度読んでも頭に入らなかった、というか頭の中で像を結ばなかったの だ。
それでたまに読みはじめてみては投げ出していたのだが、ある時、とても恩になった人の告別式に行くのに往復の電車の中で読む本がなくて、新潮文庫の『燈台 へ』を持って行ったら不思議にすらすら読めて苦もなく頭の中で情景が像を結び、そうなってみると、『灯台へ』(以下、『灯台へ』で表記統一)は他に類をみ ないくらいに面白かった。
私はもともととても気が散りやすく、小説を読み出してもその世界に入っていくのに苦労する。しかし最初の二、三ページでその世界か見えてしまう小説は面白 くない。劇的な展開とか意外な展開とかよく言うけれど、劇的なものも意外なものも類型化されていて手の内はわりと簡単に見えてしまう。『灯台へ』は劇的と 言えるような展開があるわけではないが、このような小説を他に読んだ記憶がない。
第二部の「時はゆく」という短い章では、誰もいなくなった家が荒廃していく様子が描かれる。それは私がいままで読んできた小説の中で最も感動的な情景だと いっても過言ではないくらいだった。
小説家だったら誰もが「こういう情景を書きたい」「こういう情景が書けたらもう別の仕事に転職してもいい」と思うような一章だ。ウルフは日本で不当に読ま れていない小説家の代表格ぐらいの小説家だが、英語圏では一つの産業といってもいいくらいに研究書が出版されている。しかしそのウルフといえどもあと二百 年三百年経つうちにはきっと忘れられてしまうのだろう。「ジョイスと同時代を生きてお互いが意識していた小説家」という風にだけ記録されて、そのうちに ジョイスの方も読まれなくなる時が来るのかもしれない。
それでも小説という表現形式がこういう一章を創り出すことができたという事実というのか、痕跡というのか、はるかかなたの記憶から消えた記憶というのか、 そういう何かは人間の言葉の中に残るだろう。

『灯台へ』はいろいろなことを考えさせられる。ひとつは小説というものの基盤の脆弱さだ。私がもしヴァージニア・ウルフという名前に一片の敬意も持ってい なかったら、一度読みはじめてみて頭の中で情景が像を結ばなかった時点で『灯台へ』をこれ以上読もうと思わなかっただろう。
読みもしていない小説家に対する敬意というのは先入見の一種だけれど、この先入見がなかったら読まなかった。ピアノのリサイタル会場で、「これから始まる 演奏が本当に素晴らしい演奏なら、俺が開演前から客席で弁当を広げて隣りの席の人としゃべっていても、しまいに俺を黙らせることができるだろう」なんて人 間が集まったらリサイタルが成立しないように、芸術には最低限の敬意が必要とされている。ロック・コンサートではそんな人間が集まっていても大音量で黙ら せることができるけれど、すべての表現形式がそういう強さを持っているわけではない。しかしそのロック・コンサートもまた聴衆の歓声の上に成り立っている わけで、了解をいっさい必要としないパフォーマンスはない。
小説の基盤の脆弱さは、読む側の敬意が必要とされるだけでなくコンディションに大きく左右されるところにもある。私が何故、あの告別式に向かう電車の中で それまで頭に定着しなかった情景がすらすら読めたのか、理由はわからないけれど、ともかくあの時、私の気持ちが『灯台へ』の書き方とうまく波調が合った。 「告別式に向かう電車」といっても新幹線のような長距離電車だったわけではなくて、都内の斎場に向かって、私鉄やJRを小刻みに乗り継ぐ細切れの読み方 だったのに苦もなく入ってきた。
それまで部屋の中で静かに読もうとしてもダメだったものが、五分か十分ぐらいずつで乗り換える電車とそれを待つホームで読み出したのに何故だか読めてし まった。こういう話をすると、
「ウルフの小説は駅や電車みたいな、いろいろ音がする空間とマッチしてるんじゃないですか?」とか、
「駅とか電車の中でする読書って、不思議と頭に入りますよね」
というようなことを言う人がいるが、こういう考えは紋切型で発見も何もない。私はあの時、何故だか読めてしまった。それはもうそうとしか言えなくて、部屋 の中で読めなかった小説だからといって電車の中で読めばいいというものではない、ということは言うまでもない。もっとも試してみる価値はあるだろうけど。
小説は読む側のコンディションに左右されるものだから、どんな時でも面白いわけではない。だからある小説がじゅうぶんに面白いと思えないとしたら、それは 読者の方に原因があるのかもしれないと考えてみる必要がある。何しろいい小説であればあるほど、こちらからの働きかけを必要とするものであって、それは小 説だけでなく、音楽にも絵にも共通している。

それで『灯台へ』ともう一冊、私が何度も読みはじめてはすぐに投げ出していた小説に、レーモン・ルーセル『アフリカの印象』がある。前々回、取り上げた小 説だが、私があれを読んだのはじつはつい最近だった。
本が無限に収納できるようなスペースを持っていない者にとって、買っても読まないままになっている本は処分するかしないかが悩みのタネで、年に一回か二回 古本屋に買い取りに来てもらうときに、ルーセルの『アフリカの印象』と『ロクス・ソルス』は、いつも一度手に取っては、「でもいつか読むかもしれないか ら……」と本棚に戻していた本だった。
私はあやうく、あの小説を知らずにこれから先を生きてしまうところだった。文芸誌でこういう連載をつづけていても別段読者から反響があるわけではなく、私 自身はじめから反響などアテにしないで連載をつづけているのだが、『アフリカの印象』だけは、あちこちから「面白かった」「すごかった」という声が聞こえ てきて、ずいぶん長い引用をしてしまったけれど、ルーセルに奉仕することができたらしいことがうれしくなった、とともにこの連載が意外に多くの人に読まれ ているらしいこともわかった(もっとも全員が直接間接に身のまわりの人たちだが)。
話は逸れるが、「新潮」は大手出版社が発行している雑誌だ。出版社は企業規模としてはどこもかなり小さくて、メーカーなどとは比べようもないのだが、「新 潮社」という名前は全国で知られていて、多くの人がハガキや電話くらいでは声が届かない組織だと思っている。私だってソニーの電話窓口に製品の使い勝手の 悪さを訴えても、それが開発している人たちに届くとは思っていないが、出版社もそういうものだと思われている。しかし思えば使い勝手というのは製品の生命 線なわけで、ソニーぐらいに大きな企業でもその声は思いがけず届いているのかもしれない。私が西武百貨店にいたときに、「お客様相談室」という主に苦情対 応の部署があって、そこに届いた苦情と店頭で直接口頭で言われた苦情がファイルされているのを見たことがあるが、「こんなくだらないものまで!」というく らいすべてファイルされていた。
もっとも普通の人は、店頭で苦情を言ってもそれが組織の上の方まで届いているとは思っていないから、苦情を言うより黙ってそこに行かなくなるだけで、わざ わざ苦情を訴える人はほとんど全員まともな人たちではない。苦情はそれを言う人の内面の表出でしかない。
新聞のテレビ欄の隅に載っている「番組の感想」みたいな投書も、末尾に「同趣投書三通」とか書いてあって、「同趣投書百通」を越えることは滅多にない。だ からつまり、新聞社に番組の感想を書き送る人もその程度の数しかいないのだが、その欄がいまに消滅せずに存続している。送り手や作り手は、受け手とのパイ プを何とかして作ろうとしているのだがメディアの環境がそういうものではなくなっている。
しかし現実には、声は届く!送り手や作り手は内面の表出としての苦情や感想でなく普通の人たちのまともな感想をほしがっている。しかし、それが一番聞こえ てこない。
私が二〇〇三年の暮れに出した『書きあぐねている人のための小説入門』のあとがきで、だいたいこれと同じようなことを書いたら感想の手紙がずいぶん届いた が、その半数には「保坂さんが感想をほしがっているようなので書きます」と書いてある。私は「この本の感想をください」と書いたのではなくて、「小説家は みんな自分の作品に対する感想が聞こえてこないので不安に思っている」つまり、面白かったらその小説の感想を書いて送ってくださいというつもりで書いたの だが、そのメッセージも歪めて把えられてしまう。

小説には感想の持ちやすいものと持ちにくいものがある。あるいは、読んだらすぐに「面白かった」と誰にでも勧めやすいものとそうでないものがある。「こう いう話はたいていみんなが面白いと思う」と思える小説だと簡単に人に勧められるけれど、ある種のタイプの小説は、まず相手の性格や好みや考えていることが わかった上で「(試しに)読んでみて」としか言えない。
そういう小説の典型が私の小説だったわけで、最初の五年間(もしかしたら十年間)ぐらい私の小説は読者のロコミでは全然広がらなかったし、どんな人が読者 なのか本当にわからなかった。
そうなると小説家は、評論家と編集者と何人かの友人の感想しか聞けないことになる。しかしその三者の誰も普通の読者ではない。評論家は前提として自分が考 えていることの流れがあり、意識するしないに拘わらずその流れに捕われてしか読んでいないのでニュートラルな読者ではない。編集者はいろいろな読者を頭の 中に持っていて、それらの感想の組み合わせを感想として持つのだが、「いろいろな読者」というのは前に書いた「こういう話はたいていみんなが面白いと思 う」という判断と同質で、自分が単純に面白いと思ったかどうかと別のところにいて、それが空白になる。友人は自分自身が評価にさらされるような気分で、そ れをつねに感じながらハラハラしながら読んでしまう。私が友人の映画を観るときがそうで、他人事と思えたことは一度もない。
私自身の話をすると、デビュー作の『プレーンソング』で私がある程度確信を持てたのは、実家のある鎌倉の向かいの家のおばさんと山梨にある母の実家の伯母 (母の兄の妻)、七十歳をすぎたこの二人が「面白かった」と言ったことだった。失礼な言い方だが二人とも本を読むような人にはとても見えない。山梨の伯母 など女性週刊誌をパラパラめくっているところしか記憶にない。そういう人が「面白かった」と、義理でなくわざわざ言ってくれたということは、何か単純な面 白さがあるということを示しているはずなのだ。ストーリーテリングの巧みさは単純な面白さのひとつだが、「ストーリーがない」「何も起こらない」と言われ る『プレーンソング』にもまた別種の単純な面白さがある。
しかしそういう、単純な面白さはひとつだけではないというような、単純さについての込み入ったことは送り手の立場にある人たちに理解されなかった。彼ら彼 女らはすでによく知られている面白さだけを面白さだとしか思っていず、それに訴えかけるものしか流通しないと思っていた。
出版社の人たちの頭の中には売り上げのヒエラルキーができている。三角ピラミッドの図式でも同心円の図式でもどちらでもいいが、とにかくそのヒエラルキー は単一のものであって、いわゆる「幅広い」読者層を持つ本から「コアな」読者層だけに限られる本に至る何段階かの階層になっていて、それに応じて部数と配 本先が決まってゆく。
しかし『プレーンソング』を「面白い」と言った二人の七十代女性は「コアな」読者ではない。かと言って、「幅広い」読者層を持つ本を読んでいるわけでもな い。私の読者はその外にいるのではないか。
つまり私には戦術が必要だった。「計算高い」と思う人がいるかもしれないが、私は小説を書いて小説とエッセイぐらいの収入で生活して、それ以外の仕事はも うする気がなかったのだから自分の読者を自分で想定して、その人たちに訴えかけるしかない。しかし私の手元にはサンプルが何もない。七十代のおばさん二人 は『プレーンソング』に単純な面白さがあることを確信させてくれたけれど、私と一面識もない七十代女性が読者になってくれるはずがない。もともとその人た ちは本なんか読まないのだから。
しかし、サンプルなんて本当のところ誰も持っていない。出版社だってアバウトなデータがあるくらいで、届いてくる声と言ったら内面の表出でしかなくて、そ れを一般化することはとてもできない。
白夜書房という出版社に末井昭という編集者がいた。「ウィークエンド・スーパー」とか「写真時代」とかの伝説の雑誌を創刊した人で、その後も「投稿写真」 や「パチンコ必勝ガイド」という雑誌を創刊して、彼がすごいところは、彼がそういう雑誌を出すまでその種の雑誌が世の中に存在しなかったか、細々(ほそぼ そ)としか出ていなかったものを一挙に売れるジャンルにしてしまったところで、私はカルチャーセンター時代に末井さんに「創刊にあたってマーケッティング をしたのか?」と訊いたことがある。
末井さんは「そんなもの全然ダメだ」と言った。そして末井さんは「パチンコ必勝ガイド」のイメージについてこう言った。
「毎日パチンコばっかりやってる人がいますよね。たぶん定職にもちゃんとついてなくて。
そういう人がだいたいすられて、店が閉店になって、家に帰る途中でセブンイレブンでお弁当買ったりするついでに雑誌コーナーで立ち読みするでしょ。
そのときに『あ、これを読めば』と思うような雑誌にしようと思ったんですよ」
「他には?」
「その人、一人でいいんです」
言われてみればそのとおりで、私自身カルチャーセンターの講座を企画するときに、せいぜい三人ぐらいの受講生しかイメージしていなかった。「この人とこの 人とこの人がくれば二十人ぐらいの受講生は集まるだろう」カルチャーセンターは二十人も受講生を集められればとりあえず成功という規模だから説得力があま りないけれど。
それで私は自分の読者を、「一時期は小説をずいぶん読んだけれど、いまは小説を読むことよりも庭いじりをしたり山歩きをしたりする方が楽しいと思っている 人」あるいはもう少し漠然と、「小説を読むのは二の次で、もっと没頭できる趣味を持っている人」という風に想定することにした。
その人たちに向けて小説を書いたわけではない。小説それ自体を書いているときには、いま書いている小説がどうなっていくのが一番いいのかを考えるだけで読 者がどう思うかまで気にしていられない。そうではなくて、書き上がった小説を誰に向かって訴えるかという時点で、宣伝を兼ねたエッセイを書いたりするとき に、私は、いつも熱心に小説を読んでいる人たちでなく、私がイメージした人たちに伝わるようなことを書くようにした。
“小説でないもの”“小説の外にあるもの”というと、映画、演劇を考える人が多いけれど、それらは全部、文学だ。それらは小説の外部ではない。私は自分の 小説の読者を、出版社の人たちが想定しているヒエラルキーの外に想定して、たぶんそれは成功だったと言えると思うのだが、現実には出版社のその売り上げの ヒエラルキーは崩壊している。
出版社の売り上げのヒエラルキーの全体は年々縮小していて、百万部を超えるようなベストセラーもそのヒエラルキーの外で、ヒエラルキーと無関係のところで 生まれている。

私はこんなことを出版社の人に向かって書いているのではない。二十代後半から三十代ぐらいの、すでにデビューしているけれど状況がなかなか思うに任せない 小説家の人たちと、小説家になろうとしていま小説を書いている人たちのことを考えながら書いている。
状況が思うに任せないと、どうしても自分がやっていることに自信が持てず、ついついつまらない計算をしてしまって、「こんなこともともとやるつもりはな かったんだけど……」というようなことをやってしまう。私だって、二冊目の『草の上の朝食』を出した後、ある文芸評論家と話していたときに、
「しかし君もこれじゃあ売れないよね。ひとつ、殺人でもしてみるか」
と言われたことがあり、それに対して「そうですねえ……」という暖昧な返答しかできなかった。これもまたこの人なりの助言ではいちおうあるわけだけれど一 般論でしかない。文芸時評などでの批評もつまるところ一般論との擦り合わせでしかない。
デビューする前、まだ『プレーンソング』を書きはじめてもいなかった頃、カルチャーセンターの担当者として橋本治さんと会って長い時間話をしていたときに 彼が突然、
「保坂君、もしかして小説書きたいと思ってない?」
と言ってきた。私が頷くと彼は、
「だったらねえ、自分がこれから書こうとしているものが、どこがいいのか、ちゃんと自分でわかりやすく言えるようにしておいた方がいいよ。
今は編集者も評論家もわかってる人なんかいないんだから、その人たちにもわかるようにこっちで考えておいてあげないと伝わっていかないよ」
と言ったのだった。橋本さんは「今は」と言ったけれど、私は「今も昔も」だと思う。
それからまた数年経ったデビュー間もない頃、今度は小島信夫さんがこういうことを言った。
「小説のことは小説家にしかわからない。編集者もわかっていないし文芸評論家だってわかっていない。新聞の文芸担当の記者はなおさらわかっていない」
私はいま、橋本治と小島信夫の二人の言葉として書いているけれど、この言葉を忘れずに憶えていて、さらには文字にして書くということは、とりもなおさずこ れが私自身の考えだということだ。二人とも出版社が想定しつづけてきたヒエラルキーの外にいる。ピンとこない人もいるかもしれないが、橋本治は八○年代に は一人で「橋本治」というジャンルだったと言ってもいい。
「今も昔も」と書いたけれど、小説のことは小説家が一番考えていて、小説についてどういう風に考えているのか、ということは小説家にしかわかりようがな い。それはもうどうしようもない。江夏や松坂が本気で投げてくる球がどういうものなのか、それはもう打者として対戦した人にしかわかりようがない。
しかし単純な読者として小説を読むとき、小説を書いたことがない人にも、小説家が小説を書きながら考えていることがわかるのではないかと私は思っている。 小島さんが言った「小説のことは小説家にしかわからない」の「小説」とは「自分の小説」のことではなくて、「他の人が書いた小説も含めた小説」つまり「小 説」それ自体のことで、小説を読むという行為においては、小説家も小説を書いたことのない人も違いはない。
ただ読めばいい。しかし読んだものを言葉にしようと思って読むと、その途端に小説は小説ならざるものに変わっている。もう何度も書いたことの繰り返しにな るが、小説は言葉で書かれているけれど小説を構成している言葉は日常や批評で使われている言葉と別種のものになっている。この意味では小説は音楽にちか く、音楽を言葉で再現するのが不可能なように、小説もそこに書かれた言葉を離れて再現することはできない。
さっき「小説には感想の持ちやすいものと持ちにくいものがある」と書いたけれど、小説の一番肝心なところはすべて感想として持ちにくく、言葉による再現不 可能性の中で、記憶の深いところにゆっくり降りてゆく。『ミシェル・レリス日記』の一九六一年七月二十五日にこういうことが書かれている。

数日前から、書棚の本の整理をはじめ、まったく思いがけない場所にかなりの数の本が移動しているのに気づいた。おそらく使用人のダニエルがこっそりと読ん で、彼なりのやり方で元の場に戻そうとしたものだろう。彼の選択眼のたしかさに驚く。というのも別な場に移されていた本は、マックス・ジャコブ『黒いキャ ビネ、その二』、ロブ=グリエ『嫉妬』、クノー『オディル』、デフォレ『乞食たち』、それにいましがた気づいたものとしてはカフカ『城』など。(千葉文夫 訳)

使用人のダニエルはただ読む人だったわけだ。
助言の話に戻ると、外からの言葉はすべて一般論でしかないのだから、それに惑わされて小説が良くなることはない。ただし、書き手が編集者よりも小説のこと をよく考えているかぎりにおいて――という留保つきだが。

しかし私もやっぱり読んだものを言葉で伝えようとしている。もともと、レーモン・ルーセルの『ロクス・ソルス』のことを書こうとして、それが何度か古本屋 行きになりかけた話を書いていたのだった。『アフリカの印象』も『ロクス・ソルス』も古本屋に行ってしまっていたら私はたぶんそれらを生涯一度も読むこと はなかったわけで、「ある小説が一度現実に書かれ、それが出版されて、その後の小説家たちに読まれたということは、その小説自体が後世の人たちに読まれな かったとしても、その小説の言葉は後世の小説や小説を離れた世界の中で反響しているはずだ」と書いてみて、自分でそういうことを肯定したいとは思っていて も……。

とにかく私は『アフリカの印象』と『ロクス・ソルス』を古本屋に出さなかった。そして『灯台へ』のように何度か読みはじめてはすぐに投げ出していたもの が、レーモン・ルーセルを最大の作家と考えている、ミシェル・レリスの日記を読むことがどうやらレーモン・ルーセルヘの回路となってくれたらしく、三ヵ月 ぐらい前にまず『アフリカの印象』から読んでみたら面白くて、つづいて『ロクス・ソルス』も読むことになった。その『ロクス・ソルス』の面白さの一端を書 こうとしているのだが、書けるだろうか?
その前にボルヘスの短篇『円環の廃墟』から少し引用する。そうした方が『ロクス・ソルス』のことが伝わりやすいのではないかと思う。『円環の廃墟』はこの ようにして始まる。

その静かな夜に彼が上陸するのを見た者はいないし、竹の小舟が清らかな泥に乗り上げるのを見た者もいない。しかし二、三日もすると、その寡黙な男が南部か らやって来たこと、そして彼の故郷は川をさかのぼった、険しい山の斜面に点在する無数の村の一つであり、そこではまだパーラビ語がほとんどギリシャ語に汚 されておらず、癩患者などまれであるということを知らぬ者はなくなった。事実を言えばその白髪まじりの男は泥に唇を押しつけ、繁茂するみずがやに肌を切ら れながら、それを払いのけもせず、(おそらくそれを感じることさえなく)堤にはい上がり、血にまみれてふらふらになりながら、重い足を引きずって、かつて は炎の色であったものが今では灰色に褪せている、石の虎だか馬だかに見守られた円形の空き地までやって来たのである。空き地は神社の境内だったが、神社は とうの昔に火事に焼かれ、それから森の瘴気に冒されて、そこに祀られた神はもはや崇められてはいなかった。その余所(よそ)者は台座の下に横になった。 (牛島信明訳 ちくま文庫『ボルヘスとわたし』所収)

ボルヘスの特徴はいきなり情報をギュッと詰め込むところにある。前々回『アフリカの印象』で書いた、空間的・幾何学的な配置を理解しようとして読むことで 生じる負荷がリアリティを作り出す、ということと同じ負荷がボルヘスの場合には情報の多さによって作り出される。
こうしてどこかからやってきた男は夢の中で人間を作り出すのだが、一度目は失敗する。

何の脈絡もない目眩(めくるめ)く夢に、秩序ある形姿を与えることは、人間――かりに高次元の、また低次元の謎を見抜く力を備えているとしても――が考え うる最も困難な企図であることを、彼は理解した。砂で縄をあざなったり、風で貨幣を鋳造したりすることよりはるかに困難である、と。そして最初の失敗はや むをえないと考えた。そこで、これまで彼を翻弄してきた、人の密集したあの幻覚を忘れ去ろうと誓い、新たな方法を探求した。そしてそれを試みる前に、一ヶ 月を費して、錯乱のために消耗してしまった体力の回復をはかった。夢を見ようという考えを一切ふり払ってみると、ほとんど瞬間的に眠りに入り、その日のか なりの部分を眠ることができた。この休養期間中にも数回夢を見たが、その内容など気にも留めなかった。月が完全に丸くなるのを待って、ふたたび仕事にとり かかることにした。そして満月の夕刻、川の水で身を清め、天体の神々に祈りをささげ、全能者の名前を定められた通りに唱え、眠りについた。すると直ちに、 脈打っている心臓を夢見た。
彼はひそやかに、温かく鼓動しているものを夢見たのだ。それは人体のうす暗がりのなかに揺らいでいる、まだ顔も性もない拳大の暗紅色をしたものであった。 まるまる二週間、彼は夜毎濃(こま)やかな愛情をこめてそれを夢見た。それは日に日に明確になっていった。彼はそれに触れようとはせず、ただ見守り、観察 し、時どき視線でそれを修正するだけであった。近くから、あるいは遠くから、また角度を変えてそれを感じ、それを生きた。十四日目の夜、まだ肺動脈に、そ れから心臓全体に、内側から、また外側から指で触れてみた。この検査は彼を満足させた。意識的に一晩夢を見ることをやめ、それからふたたび心臓を手にし て、ある惑星の名前を唱えながら祈願し、もう一つの主要な器官を心に描き始めた。一年もたたぬうちに、頭蓋骨と瞼にとりかかることができた。おそらく無数 の頭髪が最も困難な作業であった。ついに骨と肉を備えた完全な人間、一人の若者を夢見たが、その若者は立ち上がることも話すことも、また目をあけることも できなかった。男は毎晩毎晩眠ったままの若者を夢見ていた。(同)

傍線部は何度読んでもしびれる。映画の『ポゼッション』を思い出す。といっても、テレビで見ただけで全体をちゃんと把握しているわけでは全然ないのだが、 イザベル・アジャー二がただ妄想の力だけでビルの一室で怪物を産んで育てる。成長していく怪物の二度目か三度目に映る五十センチぐらいの大きさの姿が私に は一番気持ち悪いのだが、妄想の力だけで怪物を作るというのが「ヨーロッパだなあ」と思い、それ以上の言葉が出てこない。私が「ヨーロッパ」ということを 考えるようになったのは、小説でも映画でもなくて競馬に熟中していたときだったのだが、そこで感じていたものが『ポゼッション』の怪物に結実しているよう な気がしたのだ。
ボルヘスは短篇でこういうことを書いたわけだけれど、ルーセルはそれを長篇にする。正確には、長篇の中でこういう世界を展開すると言った方がいい。つまり ルーセルの場合も基本は短篇で、短篇を集合体としてひとつの世界にまとめあげる舞台を考える。『アフリカの印象』の場合はそれがアフリカの架空の王国で次 々に繰りひろげられる見世物という設定だった。『ロクス・ソルス』の場合には、広大な敷地にあって、ラテン語で「人里離れた場所」を意味するロクス・ソル ス荘という大邸宅に住むカントレルという科学者の発明として、ひとつひとつがボルヘスのような話が展開される。
だからどちらの長篇も“筋”ではなくて“場”があるだけだけれど、考えてみればガルシア=マルケス『百年の孤独』も全体をまとめているのは“筋”ではなく て“場”だ。『ドン・キホーテ』もまとめているのは“筋”ではない。この場合は“場”ではなくて、ドン・キホーテという人物ということになるだろうか。カ フカの『城』では“城への関心”だろう。これらは例えば、バルザック『ゴリオ爺さん』、フローベール『ボヴァリー夫人』、トルストイ『アンナ・カレーニ ナ』、ドストエフスキー『罪と罰』など、時間を追って話が進んでいく長篇とは別のものだ。
もっとも、ドストエフスキーでは本筋と直接的には関係のないエピソードが多く使われていて、『罪と罰』の酒びたりのマルメラードフの一家の話とか、『悪 霊』のスタヴローギンの回想とか、それらはなしですまそうと思えばなしにすることができる。が、それはともかく、長篇といってもすべての長篇が“筋”に よって長篇になっているわけではないということは憶えておいた方がいい。すべての小説家が、バルザックやトルストイやドストエフスキーのように、とめどな く湧き出る物語の源を持っていたわけではないのだ。

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