◆◇◆小説をめぐって(30)◆◇◆
涙を流さなかった使徒の第一信 (中編)
 「新潮」2007年3月号




 ようやくあらわれたマーちゃんは他の猫たちがご飯を食べている傍でぼんやりうずくまり、鼻は乾いてごわごわになった鼻汁で 塞がれている。ご飯だから出てきたわけで、食べようという気持ちがないはずはないのだが、ニオイがわからないのと体調の悪さから(たぶん)、大好きなホタ テの刺身を鼻先に出しても後ずさりしてなかなか食べようとしない。私が口にねじり込むようにすると少しずつようやく四分の一切れぐらい食べたが、それでや めてしまった。
 しかしその一時間後に様子を見に出てみると、マーちゃんはうちの門灯の上で丸くなってすわっていた。濃い鼻汁がまだおさまっていないから、鼻で息をする とプーッと丸く鼻提灯ができてしまい、私が呼んでみてもうっとうしそうにしているだけだったが、とにかくもうマーちゃんは快方に向かっていた。
 翌朝になるとマーちゃんはいままでどおりの機嫌のいいマーちゃんに戻っていて、私が出した缶詰をぱくぱく食べた。しかし鼻水はいつまでたっても完治しな い。季節はこれからどんどん寒くなる。抗生物質をいつまでも使いつづけるわけにはいかない。そういうわけで私は宇津救命丸をのませることにした。「赤ちゃ んの夜泣きカンの虫に」というあれだ。犬や猫は体が小さくて赤ちゃんのようなものだから、具合が悪いときには宇津救命丸がいいという話を聞いたことがあ る。本当に効いているのかどうか、鼻水は治らないし、日によってクシャミを連発していることもあるが、それ以上悪くはならないし食欲も落ちないので、毎晩 親指の先くらいに切ったホタテの刺身に宇津救命丸の粒を四、五錠入れて食べさせた。そんな感じで十一月十二月が過ぎた。
 マーちゃんが来なくなって以来、私は神経症みたいに熱心に毎晩エサを出しつづけるようになった。集まってくるのは六匹。まずマーちゃんに宇津救命丸入り のホタテを一カケラ食べさせ、それから三つの容器に缶詰を分けて、その上にドライフードをばらばらっとかける。小さい容器を隣りのMさんとの境いの一メー トルぐらいの高さの塀の上で待っているシロちゃんに置く。半年ぐらい前から突然ピースがシロちゃんを見ると攻撃するようになったのでシロちゃんだけは離れ て高いところで食べる。
 残り二つの容器を一緒に手に持って、一つ目を置くとマーちゃん、マミー、ピースがいっせいに顔を突っ込むのだが、数秒の時間差でもう一つを一メートルぐ らい離して置くとピースとマミーがそっちに移り、マーちゃんは移らずに一つ目を食べつづける(だから二つ目の方を少し多くしてある)。
 すでに食べている四匹をたいしてうらやましそうでもなく傍観しているのが、チャッピーとビジンちゃんで、二匹には地面にじかにドライフードをこんもり積 み上げるようにして撒く。チャッピーとビジンちゃんの二匹は缶詰を毎晩出すようになる前、ドライフードしか出していなかった頃もすぐには食べ出さず、他の 猫が一段落するまで傍で見ていた。この二匹にはドライフードだけだが、積み上げたドライフードに缶詰を乗せても食い意地の張ってるマミーとピースが来て食 べられてしまうし、チャッピーとビジンちゃんは缶詰をあまり好きではない。
 シロちゃんはさっさと食べてピースと目が合う前にそそくさと逃げ、マミーとピースの食欲の波がおさまった頃に、チャッピーとビジンちゃんが自分たちの前 に置かれたドライフードをゆっくり食べはじめる(マーちゃんはずっとマイペースで一人で食べつづける)。
 チャッピーはこの中でたった一人のオスだ。ビジンちゃん、マーちゃん、シロちゃんの三姉妹に対してやさしいお兄ちゃんのような立場にあって、三匹はいつ もチャッピーに体をすりつけてなめてもらったりしている。目の前にあるドライフードをビジンちゃんと二匹で食べずに待っているあいだも、
「ぼくたちは二人でゆっくり食べようね。」
 と語りかけているように見える。
「そう見えるだけ」と言ってしまえばそれまでだが、映画の演技などすべて「そう見えるだけ」だ。私たちには「そう見えるだけ」でしかないことなど本当にあ るのだろうか。ただの記号でしかない言葉を使って作られる小説と本当のところ同じなのではないか。
 本には猫は一匹あたり百メートル四方のテリトリーを必要とするとかいろいろ書かれているが、食べ物に不自由しないかぎり、猫同士は狭い土地でうまくやっ ていけるのではないか。食べ物があればそれを狙ってよそからおもにオス猫もやってくるが、自分の腹が満たされていれば、テリトリーに入ってくるよそ者とぶ つかることもあまりない。
 しかしそれでもやっぱりよそから来るオス猫とぶつかることはあるのだが、そういうときに矢面に立ってやり合っているのはマミーだ。マミー一族のボスはマ ミーであって、オスのチャッピーではない。チャッピーは保母さんみたいな性格で、争いごとには向いていない。夕方になると早々と家の前にやって来て、マー ちゃんとビジンちゃんがなついてくればなめてやったりしながらご飯が出てくるのを待つ。
 ご飯がなかなか出てこないと、マミーとピースはキッとした目で私を見るけれど、チャッピーはほっそりした体にわりと長い脚で、少年のような身軽さで私の 前を動き回るだけだ。
 死んだのはそのチャッピーだった。
 一月七日の日曜日の夜まではご飯のときに来た。その夜は風がすごく強く、風が強いと猫たちは決まって落ち着きがなく、ゆっくり食べず、特にマーちゃんが その夜は少ししか食べず鼻の具合も悪かったので、マーちゃんの方に気を取られがちだったけれど、チャッピーもいちおうは食べたとは思うのだが。少なくとも 前々日はふつうに食べたし、七日の夜だってチャッピーは鼻汁が出てたりはしなかった。
 一晩来なかっただけで私は心配になったが、まだ「どこかに遊びに行ったか」という口実を私は自分に作った。
 二晩目で完全に「何かあった」と思ったが、私はマーちゃんと同じネコ風邪だとしか考えず、四日目か五日目にぼろぼろになって出てくるのを待つしかない し、待っていればいいと思った。
 チャッピーが潜んでいるのはTさんの縁の下で、病気がひどいときにはチャーちゃんもマーちゃんもそうだったように、私が呼びかける声が聞こえても出ては こない。マーちゃんのときには隣りの空き地の廃屋まで探しに行ったが、結局マーちゃんがTさんの塀を乗り越えて出てきたのを見てしまっていたし、寒くて面 倒くさいという思いもあって、隣りの空き地まで探しに行かなかった。
 しかしチャッピーは五晩たってもあらわれず、その翌日の昼間に、私が怠けて探しに行かなかった隣りの空き地の廃屋から数メートルの日向で腹這いの姿勢で 死んでいた。うつ伏せの顔の鼻は鼻汁で汚れてなくきれいだったけれど、もしネコ風邪が原因だったのだとしたら食べ物を持って探しに行っていたら助かったか もしれない。猫は(人もそうだろうけれど)口から物を食べると見違えるように元気になることがあるのだ。つまり、口から食べられるくらいの力が残っていた ら食べれば元気になる、ということなのかもしれないが、死ぬ前日か前々日に見つけられていれば食べたかもしれない。ネコ風邪なんかでなく、チャーちゃんと 同じ白血病だったのかもしれないが、ネコ風邪だったら助けられたかもしれない。
 暗い所で死ぬと言われている猫が日向の、隣りのFさんの二階から見える平らな地面の上で死んでいたのも変で、チャッピーは空腹か咽の渇きに耐えかねて出 てきたのかもしれない。Fさんの奥さんは前日には間違いなくあそこにはいなかったと言うのだから(Fさんの観察はとてもしっかりしている)、チャッピーが 五晩つらい思いをしたかと思うとそれがかわいそうで仕方ない。
 私はFさんのダンナさんと二人で穴を掘っているあいだに自分が涙と鼻水でぐじゅぐじゅになるのであないかと思っていたが、穴を掘っているあいだも、タオ ルでくるんで穴の中に置いてやるあいだも、そして土をかけて最後にお線香を立てたときも、不思議なことに涙はまったく出なかった。
 埋め終わり、「じゃあ戻ろう」と言って、塀の端の乗り越えやすいところまでだいぶ近づいたときに、ちょうどそこに椿が咲いているのを先日妻と二人で見つ けたのを思い出し(塀越しに一輪咲いているのが見えたのだ)、手入れされていないから見事と言えるほどの花ではなかったが、とにかくその椿を一輪供えてや ろうと思って、花をひねり取って、チャッピーのところまで戻って、お線香の隣りに花を置いてやった途端に涙が止まらなくなった。それからしばらく涙がぼろ ぼろ出つづけた。
 いまもこうして書きながら(二六八ページ上段九行目で昨日は終わり、いまはチャッピーの死から一日たっている)、椿の花を供えたことを書いていたら涙が 出てきた。
 花あるいは花を供えるという行為が、気持ちの弁を開いたというか。私の中のイメージでは、繋がりきっていなかった二つの領域を繋げる働きを花がしたとい う感じなのだが。

 じゅうぶんはしょってはしょって簡単に書いたつもりだが、チャッピーの死に至る話が四百字で二十枚くらいになってしまった。これぐらいは時間的な変遷を 書かないと、「チャッピー」という言葉とか、猫が死んだという出来事がただの記号としか私には感じられない。外の猫たちにまつわるたったこれだけの話でも 読めば十分前後はかかってしまうだろうが、毎晩外に出てエサをやっているとき私は間違いなく猫たちにここに書いた以上の時間の厚みを見ている。
 たとえば、ビートルズの『ハード・デイズ・ナイト』のイントロのギターの一瞬の音(第一音の)イントロのギターの一瞬の音を聞いただけで、その曲を知っ ている人にはその曲全体がごく自然に喚起されているはずなのだが、外の猫たちを前にして私の中でそれと同じようなことが起こっている。記憶が喚起されるの に要する時間は、喚起された記憶が内包する時間的長さとは全然関係ない。私にとっての猫ということだけでなく、誰にとっても、親や恋人や子供や友達という のは、そういう圧倒的な時間の厚みをつねに持っている。
(ここでまた、書いている私の日付は替わるが、これから先は日付が替わることは特に書く必要はないだろう。)
 チャッピーの死は今回のこの連載にとって完全に偶然の出来事だったけれど、小島さんの死に対する私のポジションを言うにはひじょうに対照的な出来事だっ た。私が言おうとしていることが、死≠ノついてなのか生≠ノついてなのか、自分でもわかっていないが、これは二つの領域があることを示唆しているので はないかと思う。
 形而上-形而下という分け方をすれば、二つの領域ということになるが、ラカンの象徴界-想像界-現実界という分け方を考えてみると、領域は二つでなく三 つなのかもしれない。
 小島さんの追悼文とそれに関連したことのいろいろが終わったのが十二月上旬で、それからあと年が明けてこの連載を書きはじめるまでのあいだ、私はフロイ トとラカンの本をいくつか読んでいた。私はいつでも平行して本を読む癖があるからメルヴィルの『代書人バートルビー』、ホーソーンの『ウェークフィール ド』を含む短編集などなども読んでいた。『代書人バートルビー』と『ウェークフィールド』はどちらも小島さんが自作の中で話題にしていた小説で、一般の分 類ではアメリカン・ゴシックということになるが、分類はともかく、小島さんは奇妙な説明のつかない行動をする人物が書かれた小説が好きだった。アイザッ ク・B・シンガーなども含めて、作品の輪郭はとても明快だ。
 輪郭がないような小説を書く人が輪郭が明快な小説を好きであっても何も不思議なことはない。しかし蛇足だが、作家研究なんかを書く人はそのくい違いに驚 いたり、不思議がったり、かなり表面的なところで辻褄を合わせたりしようとしたがる。それと同じ短絡的な推論過程によって、作品執着当時の著者の個人的な 出来事と作品の題材やテーマをかなり表面的なところで結びつけようとすることが多いが、個人的な出来事と作品の題材は書いた本人も説明がつかない何重にも 屈折した繋がり方をしている。
 私がフロイトとラカンを読んでいた理由は、小島さんの死や倒れて回復の見込みがないと知らされたときに悲しくなくショックも受けなかった理由を知りた かったからなのかもしれない。しかし、自覚のレベルではそういう関心で読んでいたわけではない。平行して起こった従兄の死とチャッピーの死には激しく動揺 したし、歳とともに死を知った日常を生きることを余儀なくされることをあらためて認識させられた。日常はどんどん死とは無縁でなくなるということが、着る ほどに黄ばんでいく白のTシャツの黄ばみのように、私の気持ちの地になりつつある。しかしそこには小島さんの死が少しでも関わっているようには私にはまっ たく感じられない。

 私と小島さんとのつき合いは十六、七年間で、その後半の十年間ぐらいは月に三、四回のペースで電話で話をした。そのうちのさらに後半の数年間は小島さん からかかってきた電話に対して私が応対するという形がほとんどだった。それには理由があって、私の方から電話しても、「はい、はい」「あ、はい、はい」と いう感じで素っ気なく、話がつづかないことが何度かあったために、私は小島さんがそれまでしていた用事か考えていたことから私への受け応えに気持ちが切り 替えられないんだろうと勝手に判断したからだった。
 八十歳をとうに過ぎても、「小島さんはいくつになっても頭が衰えない」と言う人がいたけれど、私にはとてもそうは思えず、自分自身の関心の領域ないし連 続性みたいなものとそれと関連しないことの境界とでもいうものが強くなっていて、私には小島さんの関心と繋がることだと思って話題にしても――それぞれ人 の関心の結びつき方は違うから――小島さんの関心と触れ合っていないことは小島さんの記憶にも残らないようになっていた。だから『小説の誕生』として単行 本にしたこの連載の第二期にあれほど頻繁に名前を出した「ミシェル・レリス」という名前も小島さんは記憶していたとは思えない。
 しかし、「ミシェル・レリス」という固有名詞は記憶しなくても、そこに書かれたことのエッセンスのようなものは把握していた。変な例だが、長嶋茂雄は選 手の名前をなかなか覚えなかったらしいが、開幕前の春のキャンプで選手の動きを一度見ただけで名前でなく動きとして全員を記憶することができていたという 話があって、八十代後半からの小島さんの記憶はそれにちかくなっていたのではないだろうか。ものすごくおもしろくて筋もしっかり覚えているのに名前が出て こない短編なら誰でも三つや四つはあるはずで、程度こそ違え(その「程度」は問題ではあるが)それと同じことだと思えばいい。
 そういう小島さんからかかってくる電話なのだが、二〇〇一年だったかアルコール依存症だった息子さんが亡くなり、二〇〇三年の十二月だったかに痴呆の奥 さんが施設に入り、それまでは息子さんのことや奥さんのことが小説のことと一緒に話題になることが多かったが、それ以降は大半が小説の話題で占められるこ とになった。私からする話はほとんど小島さんに届かなかったのだが、しかし、二〇〇四年の一月号から私はちょうどこの連載をはじめていたので、私から言う べきことは全部この連載に含まれているからそれでいいと、私の方では考えるようになっていた。
 小島さんからの電話はまさしく小島信夫という小説家以外の何ものでもなかったことは確かではあるけれど、死ぬ前三、四年間のあの電話がもし小島信夫でな い人からの電話だったとしたら(そんな仮定が意味がないことはわかっているけれど)、私はあの時期の電話を、なんと言えばいいか、本気? まとも? まじ め? 親身? そういう気持ちで聞いていたか。ということは、たまにはひどい記憶違いや事実誤認にあきれながらも、私はいい加減な気持ちなどなしに聞いて いたということなのだが、電話でしゃべられる中身自体には驚いたり感心したりすることはなくなっていた。
 亡くなる前というか倒れる前の一年間は、私が『寓話』を個人出版するという話もあって、『寓話』の話題に終始することも多かったけれど、自作の『寓話』 についてしゃべったり考えたりする小島さんは、『寓話』を書いていたときの小島さんではなかった。
『寓話』は一九八〇年十一月号で連載がはじまって八六年八月号で終了しているから、六十代後半の仕事ということになる。小島さんは「これはいまの自分と同 じ自分ではない」とか「いまの自分の能力で完全に把握しきれる仕事ではない」という風には、はっきりとは自覚していなかったと思うが、現実は間違いなくそ うだった。
『寓話』は、一種の書簡体小説だが、いわゆる書簡体小説の枠に収まるようなものでは全然なく、手紙の中に「××さんがこういう話を私にした」というその話 の中にまた△△さんの話が入り、そのまた△△さんの話の中に著者である小島信夫がかつてした話が入り……という形になっていて、こう言うと入れ子細工のよ うになった形式の小説を連想させるが、そんなような明快に形式的なものでもなく、そういう作りが何層もの層となって、つまり現実の人間が存在するのと同じ 時間の厚み、存在の厚みとなって、小説の全編を通じて、そこまでに書かれていることを全部引き連れて話が進んでゆく。これはもう本当に、記憶力や注意力が 隅々にまで行き渡った脅威の達成としかいいようがない。
 濃厚な油をポタリと垂らすと表面張力によって卵の黄身のように丸くなるというそういう感じの凝縮力が全編に漲っていて、それに対して九十歳にして書かれ た『残光』は表面張力がかぎりなくゼロにちかく、垂らした液体がだらしなく広がってゆくイメージだが、これはこれで小説としての張力の限度を悠々下回る緩 さで、そんなことができるのは、九十歳でなくても六十歳でも三十歳でも小島信夫だけで、やはりどちらも小島信夫にしか書けない小説ということでは同じ人間 ではあるのだが、違っていることも間違いない。『残光』を書くにいたる小島信夫は『寓話』を書いていた頃の小島信夫ではなかった。(しかしそれと比べて、 『わが悲しき娼婦たちの思い出』を書いた七十六歳のガルシア=マルケスは保守的すぎないか!)

 だいたい、小説家というのは私自身も含めて、小説を書いていないふだんの時間はどこまで小説家なのか。
 人と話していて、私がけっこうおもしろい喩えをしたり他の人が気づかないことに気がついたりすると、「さすが小説家だねえ」と感心されたりするのだが、 同じことを私は小説家になる前から言っていたわけで、その頃は「おもしろいこと言うねえ」と言われただけで、「そんなおもしろいことを言う人はきっと小説 家になる」と言った人はいない。
 感じや雰囲気が小説家になったと言う人もいるが、その人は当然私を小説家だと知ってそれを言うわけだからアテにならない。しかしやっぱり小島さんはまさ に小島信夫という小説家としか言えない人であったことは間違いない。直接会えばもちろんのこと、電話でしゃべっていてもつまらないと感じることは一度もな かった。さっき私は「驚いたり感心したりすることはなくなっていた」と書いたけれど、それが「つまらない」を意味するわけではない。
 私は何が言いたいのか? 自分でもそれを見失いかけるが、つまりは、
「小島さんが死んでも私が全然悲しみを感じない理由は、小島さんが小説家として完全に言語の世界に生きていたからだったのではないか。」
 という結論に辿り着きたくて、ずうっと書いてきているのだが、現実に時間の中で肉体を持って存在し、肉声によって私としゃべった人間でもあったのだか ら、私自身の記憶やいろいろな要素を切り捨てて、期待する結論だけを簡単に導き出すわけにはいかないのだ。
 小島信夫の小説は、死んで焼かれて骨になっても焼き場の人が感心するくらいに骨が太くしっかりしていて骨壺に収まりきらず、「喉仏」と昔の人が名づけた 喉にある骨が本当に仏様が座禅している形をしていたのだと私がはじめて自分の目で確かめられるほどにしっかり残っていて、それほど頑健な形をした小島信夫 という人の身体性抜きには考えにくく、〈小説イコール言語の世界〉という図式に私はなかなか辿り着けないでいる。

 最初私が読んだフロイトの中に『不気味なもの』という論文があり、その注の中でホフマン『砂男』の分析をしている。
 主人公ナタニエル青年がその人への愛に溺れる対象であるところのオリンピアという女性は、じつはナタニエルの大学の先生である物理学教授スパランツァー ニと晴雨計売りコッポラとの共同製作による児童人形であった(晴雨計売りコッポラは、ナタニエルが子ども時代に家にやってきていたコッペリウスと瓜二つで あり、ナタニエルの空想の中ではコッペリウスは子どもの目玉をえぐり取る砂男と同一視されている)という話であり、フロイトはこう分析する。
「……こうして、オリンピアとナタニエルの同一性の証拠として意味を獲得する。オリンピアとは、言うなれば、コンプレクスのうちナタニエルから切り離され た部分が、人格として彼と向かい合っている姿なのである。ナタニエルがこのコンプレクスに支配されていることは、無意味なほど強迫的なオリンピアへの愛の 内に表現されている。われわれはこの愛をナルシス的と呼んでよいのであり、その虜となった男が現実の愛の対象から疎遠になっていくことが、よく理解でき る。」(『フロイト全集17』藤野寛訳、岩波書店)
 ナタニエルにはクララという婚約者がいるのだが、最近クララはナタニエルの関心の対象について露骨に退屈がるようになっている。それとは対照的にオリン ピアはじっと黙ってナタニエルの言葉に耳を傾ける。

 ナタナエルはこの世にクララという女性がいることをすっかり忘れてしまっていた。クララこそは本来なら彼が愛していた女(ひと)なのだ。――母親―― ロータール――誰もがナタナエルの記憶から消え失せていた。彼はひたすらオリンピアだけのために生きていた。くる日もくる日もオリンピアのそばにつききり で、自分の愛や生きいきと燃え立つ共感や心の親和力についてあれこれ有頂天でしゃべりまくり、オリンピアはそれに熱心に耳を傾けるのだった。ナタニエルは 書物机の底からいままでに書いたものをごっそり持ち出してきた。詩、綺想文、幻視の記述、長編小説、物語等である。しかもそれが日に日に天馬空を往く態の さまざまの十四行詩(ソネット)や八行詩(スタンザ)や小歌曲(カンツォーネ)を加えて増えて行く。これを洗いざらい次々に何時間も、倦(う)まずたゆま ずオリンピアの前で読み上げた。それにしてもナタナエルはこれほどすばらしい聴き手に恵まれたことはなかった。オリンピアは聴きながら編み物もしなければ 刺繍もせず、窓の外を眺めやることもしなかった。小鳥に餌をやったり、膝にのせた小犬と戯れたり、お気に入りの猫と遊んだり、ペーパーナイフや何かをいじ くり回したり、こほんとわざとらしく咳払いをしてあくびを噛み殺したりするようなこともしない――要するに――、何時間も目を据えてじっと微動だにせず恋 人の眼の中を覗き込んでいるのだった。そしてその眼がだんだんに燃えさかって生きいきとしてくる。しまいにナタナエルが立ち上がって、その手とおまけに唇 にもキスをすると、やっと「ああ、ああ!」と声を出し――それから「おやすみなさい、愛しいお方!」と言うのだった――「おお、きみの心はなんてすばらし く、なんて深いんだろう」ナタナエルは下宿の部屋に帰るとそう叫んだ、「ぼくの心を分かってくれるのはきみだけだ。きみ一人だけだ」日に日にオリンピアと 彼の間にどんな思いがけぬ共鳴が打ち明けられつつあることか。思うだにナタナエルは内心の恍惚にわななきふるえた。さながら彼には、オリンピアが彼の作品 を、彼の詩才そのものを彼自身の胸の奥処から語ってくれるように思えたのである。それどころか、彼女の声が彼自身の心の底から出てくる声のように思えた。 実際にそうだったのに違いない。というのも、前にも述べたように、オリンピアは一言も口をきけなかったからだ。ナタナエルのほうも、たとえば朝目がさめた ばかりのときのような、すがすがしい頭の冴えた瞬間には、オリンピアの受動性と無口のことをありのままに思い出しはしたが、それでもこう呟くのだった、 「言葉が何だ――言葉なんて!――彼女の天上のもののような眼の色は地上のどんな言葉よりも雄弁に物を言う。そもそも天上の子ともあろうものが、いじまし い地上の必要で引かれた狭苦しい輪のなかに身を沈めるなんて、そんなことができるものか?」(『砂男 不気味なもの』種村季弘訳、河出文庫)

 フロイトの『不気味なもの』は『砂男』の作品分析が主目的ではないのだから、その不徹底さについて不満をいっても的外れではあるが、ナタニエル(ナタナ エル)の前でオリンピアがじっと黙っているところは、この『砂男』という作品の中で最も印象的な箇所だと言ってもいい。
 私は『不気味なもの』の直前に『ナルシシズム入門』を読んでいたために、ナタニエルのナルシシズムのあらわれとしても特別ここに注意してしまったのかも しれないが、フロイト自身「われわれはこの愛をナルシス的と呼んでよいのであり」とまで書いているのに、オリンピアの沈黙については一言も触れていない。
 子ども時代に怖れていたコッペリウスがコッポラとして再び自分の前に登場したことで陥ってしまったナタニエルの逃げ場のない心理状態にあって、現実から 目をそむけて閉じた自己愛の世界に埋没するために、外からの力としては賛辞でなくただ黙って耳を傾けてくれていることの方がずっと有効だったという展開 は、ひじょうにリアリティがあるのだから、そこを素通りしたら分析として台無しなのではないか。推論の過程よりも結論が先に来てしまう。何故ナルシシズム にとってただ黙って耳を傾けてくれることはかくも大きな喜びとなるのか? それは何の沈黙を意味するのか? 等々。
 何故こんなことを書くのかといえば――『砂男』におけるオリンピアの沈黙はそれはそれで忘れがたいから書かずにはいられなかったのではあるが――、「小 島さんが小説家として完全に言語の世界に生きていた」という結論に簡単に行き着いてしまったら、オリンピアの沈黙について書かずにナタニエルのナルシシズ ムを書いてしまうようなものだということを強調したかったからだ。というか、小島さんのあの体の存在感に対するこだわりが書いているうちにどんどん大きく なっている。
 しかし、私は小説家・小島信夫とつき合ったのであって、その人の頑健な体やしっかりした骨格とつき合ったわけではない。

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