◆◇◆小説をめぐって(五)『フランドルへの道』、フロイト−ラカン◆◇◆

「新潮」2004年5月号


本題をはじめる前に傷痍軍人のことで、いままで全然知らなかったことを知ったのでそれを書いておこうと思う。
雑誌「東京人」の三月号、二〇〇号記念号が「東京からなくなったもの」という特集で、送られてきたその号をぱらぱらとめくっていたら、映画館や喫茶店や街並みといったノスタルジックな項目が並ぶ中で、一つだけ四方田犬彦(文中すべて敬称略)が書いている「傷痍軍人」というのが目についたので、それを読むとこういうことが書いてあった。
「彼らは旧植民地であった朝鮮、台湾などから出征して負傷した旧日本軍兵土である。戦後に日本国籍を剥奪されたため軍人恩給を受けることができず、かといって独立した「祖国」からも無視され、そのまま放置されてきた。」
四方田犬彦が最後に傷痍軍人を見たのは、一九九五年暮の討入りの日の泉岳寺の境内で、白衣の老人が一人で「平和祈願」という額を掲げて石畳の上でひざまずいていたということだが、私自身は最後に傷痍軍人を見たのがいつだったのか思い出せない。子どもの頃はどこに行っても傷痍軍人がいて、ハーモニカや小さなアコーディオンを演奏していたものだった。
傷痍軍人を見かけることが少なくなるのと並行して、私自身が成長して「かわいそう」という気持ちを感じるようになって、親にせがんで五十円ぐらいをあげにいったりしたのだが、親は「あんたがあげたいって言うんだからあげるけど、国から軍人恩給をちゃんともらってるんだから、本当はお金なんかあげなくたっていいんだよ」と言うのだった。
私の妻は浅草で育ったから、あちこちに傷痍軍人がいて、おばあちゃんと一緒に歩いているときに傷痍軍人を見ると彼女のおばあちゃんは、「働かずに人から金をもらって、あの人たちは怠け者だ」と言ったそうだ。
子どものときに教えられたことというのは恐いもので、大人になってもついうっかりそのまま信じてしまっていて、それの真偽を確かめる注意が働かなかったら、私たちはその真偽を確かめないまま漠然と(あるいは「自動的に」)「真」として、墓の中まで持っていくことになってしまう。
しかし四方田犬彦の短い文章によって、知識が置き換えられ、私自身の記憶も更新されることになった。私は傷痍軍人に謝まりたいともそのときに感じたが、大事なことは私個人が謝まりたいと感じたことではなくて、記憶が更新されたことの方だと思う。いくら記憶が更新されたって事実は変わらない。一九六〇年代まではそこらじゅうにいた傷痍軍人が、「恩給をもらっているくせに怠け者だ」と見られていた事実は変わらない、働く場所もなく恩給も支給されない貧しい生活を強いられていた事実はさらに変わらない———というこの理屈は本当だろうか?
書くこと、読むこと、考えること、事実を知ることは、過去にその力を及ぼしうる行為なのではないか。
人間の精神が立ち上がるプロセスを漢字の成立過程を跡づけることによって見事に照らし出す白川静が同趣のことを言ってくれているかどうか、あいにく知らないけれど、書くということは起源として、過去や死者に捧げる行為だったのではないか。過去や死者を称ええ、称えるだけでなく自分たちの記憶に刻み込み、そうすることで過去の出来事や死者の言動がさらに力を増す(キリストと呼ばれる人の言動のように)。書くとはそういう行為だったのではないか。
「(将来と現在のために)過去から学ぶ」というのは、近代的で明快でわかりやすい解釈だけれど、人間の精神はもともと未来に向いているものではなくて、過去に向いているものなのではないか。書くという行為をあらためて、人間と世界、人間と時間との関係に位置づける必要がある。それは時代錯誤の志向なのかもしれないが、書くことがただ明日の予定を書きとめておくだけだったり、数値化されたデータの羅列になったり、私や目の前にいるあなたのことにしか関わらなくなったりして、厚みを失って明快な意味だけを伝えるぺラペラなものになったら、小説や文学が書かれて読まれる意味もなくなるだろう。
私は傷痍軍人の知らされなかった事実を起点にして———つまりダシにして———、書くこと(の原理や本質)を考えたのではない。この全体が傷痍軍人に関わっている。人間の思考というのは、原理を考えるために個別を必要とし、原理を考えているときにもそれを導いた個別が息づいているという重層性を持っていて、個別を忘れたときには原理もまたリアリティを失うという、そういう円環をなしているものだからだ。

結局ここまでが本題と無関係だったわけでなく、全体としての小説をめぐる一環なのだが、前号からの流れの本題に入ると(しかし、もともと私は一回ごとにほぼ独立した、全体としての結びつきの緩い連載のつもりではじめたから、前回を読んでいない人にもわかるように書いているのだが)、前回引用したピエール・ブーレーズ著『クレーの絵と音楽』(笠羽映子訳)の中で、見ることと聴くことの違いを語っている箇所がある。
「音楽家にとって、眼と耳との間には、微妙ではないまでも、ひじょうに危険な関係が存在する。私の言っているのは、着想としての眼ではなく、現実化されつつあるスコアを眺める眼である。スコアが書かれるのは読まれるためにでもあり、作曲家自身、スコアを書く際には、それを心の中で聞くと同時に読んでいるのであり、時として作曲家は図形的な問題にとらわれがちである。音の視覚的な書き換えのひじょうに美しい配置に、その美的興趣に引きつけられるということもあるだろう。そして私たちは多くの作曲家がスコアのそうした外在的な側面に魅了されてしまうのを見てきた。バッハにおいてさえ、聴覚的であると同じくらい視覚的な配置がいくつも見い出せるし、いくつかのカノンにおいては、耳の糧よりは眼の糧になるものの方が多く存在するほどだ。それらの音楽が美しくないというわけではないが、諸々のシンメトリーは、耳によってよりも眼によっての方がはるかに直接的に知覚される。仮に、ある逆行対位法を眺めるとすると、眼は速やかにAからZにいたる線を、次いでZからAにいたる線を認め、すべての音程を同時に把握する。そうしたことは、聴取ではずっと困難である。記憶は時間という次元に刻み込まれるからである。眼には右から左へと読むことも可能であるが、耳には時間に逆らって聴くことは不可能である。拡大カノンと呼ばれているものを例に採ろう。オリジナルの声部は1分からなる線分であるとする。それが2倍にされると、派生声部は2分の線分になるだろう。2分の線分の最後を聴く時、1分の線分の最後はもはや正確には思い出せないが、その原因は、音楽の知覚に働きかける聴覚的な記憶が、視覚的な記憶に比べてはるかに全体性に乏しいという現象にあり、聴覚的な記憶は、瞬間に結びついているだけに、より確実性に乏しい座標しか自由にできないのである。」
視覚は一挙に俯瞰し、譜面の流れを逆に辿ることもできるけれど、聴覚は時間に拘束されているためにそのようなことは不可能かきわめて困難であるということだ。しかし思考というものは往々にして騙されるというか、代替物に取って替わられるというか、並行して進めている二つ以上の系列のあいだを都合よく往き来していることに気づかないというか、とにかくそういう不徹底を犯す。
よくあるのは、何かを論証するためにわかりやすいつもりで比喩を使い、結局本来論証しなければならない対象でなく、比喩ばかりを論じてしまっているのに本人はそれに気づかないというやつだが、ここでブーレーズが挙げているバッハの例はそのような粗雑な誤りではない。
音楽は耳で聴くものだが、譜面は目で見るものであるために、譜面を書くという作業の中で、耳で聴くという本来の音楽の受容のされ方を忘れて(?)、目で見ている形が優位に立ってしまうということだ。
今回、約十年ぶりにこの本を拾い読みして、この指摘を読んだときに私は『フランドルヘの道』の執筆に関わるクロード・シモンの話を思い出した。『フランドルヘの道』は十七、八年前に一回通読しただけで、全体が錯綜しているから、主人公が塹壕かどこかの中に何時間もいることとか、上官の死を語ることにだいぶ費されていることとか、馬の話がかなり出ていたこと(読んだ当時私は競馬ばっかりやっていた)などをぼんやり憶えているだけで、全体の構造も具体的なエピソードももう全然思い出さないのだが、一見ひたすら複雑にもつれたこの小説がいかに厳密な構造を持っているかという証拠(?)として、シモンが壁に大きな紙を張って、作中に複数ある物語系列の一つ一つに対応するように決められた色のピンを、順に刺していったというのだ。
その話を私はクロード・シモンが書いたエッセイで直接読んだわけではなくて、ヌーヴォーロマンに詳しい文芸評論家A氏と仏文学者B氏、二人から聞いたのだが、しかし本当は仏文学者のB氏から聞いただけで、文芸評論家のA氏の方は、いかにもその話をしそうだとか、B氏が知っているのだからA氏もそれを知っているに違いない、そして、それを私に話したのに違いない、という風に思い込んでいるだけなのかもしれないが、とにかく少なくともB氏から直接聞いたことだけは間違いない。
クロード・シモンは『フランドルヘの道』を書くときに、物語の系列ごとにピンの色を決めて、赤、青、黄、緑、黒、白……のピンを、小説の最初から順に赤、青、黄、赤、黒、青、黒、白、緑、黄……と壁に張った大きな紙に刺していって、小説の中間点でピンの色が左右対称になるようになっていて、最後……黄、緑、白、黒、青、黒、赤、黄、青、赤で収束するというのだが、その“厳密”さは本当に厳密と言えるだろうか。というわけで私は、ブーレーズが視覚と聴覚について語ったくだりから、クロード・シモンのこの話を思い出したのだった。
視覚的な構造を耳が聴き取ることができるとはかぎらない。時間の流れの中で展開されるという意味で、小説は音楽に似ている。いったん演奏がはじまってしまったら流れにそって最後まで聴くしかない音楽と違って、小説はすでに読んだ前の箇所に何度も戻っていくことができるけれど、そういう努力をしても絵画のような視覚的な一挙性は得られない。
前回引用した箇所でブーレーズが、曲の全体的な眺望は仮想的にしか得られない(この「眺望」というのも視覚に依存した言葉だが)と言っていたが、小説の筋や展開や仕組みや事件の連関やそういうことを読者は、あくまでも仮想的な次元でしか知ることができない(前回の引用でブーレーズは「仮想」とほぼ同じ意味で「想像」「回顧」という言葉も使っている)。
ここで言わずもがなのことをひとつ言っておくと、前回前々回に書いた視線の運動としての現前性は、頭の中で起こるということであって、バッハの譜面やクロード・シモンのピンのように実際の視覚を使うという意味ではない。小説を読むときに実際に(物理的に? 外面的に?)使われているのは字を読む視覚とぺージをめくる指先の運動だけで、小説の内容の理解に関わることはすべて頭の中で仮想的に行なわれる。仮想的に視覚や聴覚や嗅覚や運動の困難さや体の痛みが経験されるのが小説で、絵や音楽や映画とは表現の質がまるっきり違っている。

しかしところで、『フランドルヘの道』(以下『フランドル』)とはどういう小説なのか。具体的にはクロード・シモンがピンの色分けをした物語(あるいはただ“事”とでも呼ぶべきか)の系列とはどういうものだったのか。それを全然書かないまま済ますのも無責任だと思い、ページをぱらぱらめくってみたのだが、そういう読み方では全然わからないので仕方なく最初から読みはじめてみたのだが、これが面白い。
以前読んだときにも、読む苦労は普通の小説の比ではないがその苦労に見合う面白さがある(しかしこの苦労を二度して読み直したくはない)と思ったものだが、今回読み直してみて面白さに驚いているというか興奮している。前回読んだときには、腰までの深さの泥の中をうんうん唸りながら読み進むような気がしたけれど、部分としての文章自体はむしろ歯切れがいい。

彼は手に一通の手紙を持っていたが、目をあげてぼくの顔を見つめ、それからまた手紙を見、それからまたぼくを見た。彼のうしろに、水飼い場に連れて行かれる馬たちのたいしや代赭(たいしゃ)色がかった赤褐色の斑点が行ったり来たりするのが見え、あまりに泥が深くてくるぶしまでもぐりこんでしまうほどだったが、いまでも覚えているのは、たしかその夜の間に急に氷がはりつめ、ワックがコーヒーを部屋に運んできたとき、犬どもが泥をくらいました、といったことで、ぼくは一度もそんな言いまわしを聞いたことがなかったから、まるでその犬どもとやらが、神話のなかに出てくる残忍な怪物のように、縁が薄桃色になった口、おおかみのように冷たい白い歯をして、夜の闇のなかで真黒い泥をもぐもぐ噛む姿、おそらくなにかの思い出なのだろう、がつがつした犬どもが、すっかり平らげ、地面をきれいにしてしまう姿が目に映るような気がしたのだった。いまは泥は灰色をしていて、われわれはいつものように朝の点呼に遅れまいとして、馬のひづめ蹄のあとが石みたいにこちこちに凍った深いくぼみに、あやうく足首をくじきそうになりながら、足をよたよたさせて走っていたところだったが、すこしたって彼が、母上から手紙をちょうだいしたよといった。やっぱり、やめてくれといっておいたのに母が、勝手に手紙を書いたのであって、ぼくは自分の顔があかくなるのがわかり、彼も微笑かなにかそういった表情を浮かべようとしてだまりこんだが、きっと彼には、愛想よくすることではないとしても(たしかにそうしたいとは望んでいたのだから)あのよそよそしさを抹消することはできなかったのにちがいない。その表情はわずかに、ごましおまじりのごわごわしたちょび髭を左右に引きつらせただけで、年じゅう戸外で生活している人間に特有の、あの渋色に日やけした顔の皮膚、くすんだ色の皮膚には、どこかアラブ人的なところがあり、きっとシャルル・マルテル(カペー王朝時代のアンジュー公、一二七一−一二九五)が殺しそこねたアラブ人のだれかの名残りなのだろう、だから彼はおそらく、タルン県(南フランス)の彼の隣人である小貴族たちとおなじように、《わが家の祖先聖母マリア》の後裔(こうえい)だと自称していただけでなく、さらにその上、きっとマホメットの子孫だとも称していたにちがいなく、われわれはいずれにしろ親戚だからね、そう彼はいったが、思うに彼の頭のなかでは、すくなくともぼくに関しては、親戚というそのことばはむしろ、蚊とか虫とかが蛾とかなにかそういった程度のものを意味していたようで、(以下略、平岡篤頼訳)

これが冒頭で、一通の手紙を持ってきた「彼」と「ぼく」だけでなく、彼のうしろにいる馬のことや、前の晩に氷がはったこと、そしてワックなる人物が出てきて彼が変なことを言う、という具合に要素が整理されないまま矢継早に出てくるのだが、いちいち理解(ないし記憶)しようとして丁寧に読まずに、勢いに任せてダーッと読んでいく方がいいみたいで、そうすると文章もうんうん唸りながら進む泥でなく、歯切れよく活発で機敏に感じられてくる。
そんな調子でとにかくわからないまま読んでいると、冒頭の「彼」が大尉であって、その大尉が敵の機銃掃射に襲われたときに、家柄か血筋による反射運動でサーベルを抜いてしまって、銃弾にあたって馬もろとも倒れたことがわかり、もう一人同じような真似をして射たれて死んだ青二才の間抜けな少尉がいるらしいことがわかり、「ぼく」の所属する隊が敗走して、たった四人になったことあたりがわかったと思っていると、競馬場の話になって、緑の木陰にプリント地の色物のワンピースを着た女たちが出てくるあたり(一〇ぺージ目)でまた全然わからなくなるから、わからなくなったところで、もう一度最初の一行目に戻って、またダーツと読んでいくと、その大尉がド・レシャックという貴族で「ぼく」と親戚関係にあるというようなことがわかってくる。
ピンチョンの『重力の虹』は———ただし原文に限るらしいが三回通読すると、四回目からすべてが鮮やかになって一行目の A screaming comes across the sky. から実際の音が頭の中で鳴り響いてトランス状態になる!という話を聞いたことがあるが、『重力の虹』をいまだに翻訳ですら通読していない者としては比較のしようもないのだが、ついでに言うともう私には英語を読む力もないのだが、その種のトランスというか一種独特のドライヴ感が『フランドル』にはある。
昨日この文章を書きかけで、シモンのピンの系列が具体的にどうだったのかを知るために読み出して、まだ二九七ぺージあるうちの一一四ページまでしか読んでいないのだが、遅読の私が夕方から夜寝るまでと、朝起きてから昼までの合わせて三時間もなかったあいだにそこまで読み進んだのは驚きだ。夜は猫と遊んだり猫の世語をしたり(家にいる三匹の猫には三種類別々のエサを与えているので給餌だけで時間がかかる)、外の集まってくる猫たちにもエサを出さなければならないし、妻と夫婦らしい世間話をしたり、テレビも惰性で見なければならないし、朝は自分で食事をつくり、つくるだけではなくそれを食べて片づけ、洗濯をして、猫の世話もしなければならないから私は主婦のように時間がなく、その時間も細切れだ。
そんな言い訳(いや、自慢か)はともかくとして、全体を読み終わってから書くのが筋だと思われるかもしれないが、読み終わると遠のいてしまう高揚感が小説にはある。
小説でも哲学書でも、それを楽しんだり理解したりするために、読んでいるあいだにいろいろなことを自然と思い出したり強引に思い出したりしているもので、読み終わるとそれの何分の一かしか残っていない。それらをすべて忘れずにいたら私たちはすごいことになっているだろう。
『フランドル』は記憶や意識と同じように、話が次々と横にズレていき、ちょっとでもぼんやりしていると何についての話なのかわからなくなり、そのようなところはベケットの特に『モロイ』以下の三部作と同じで、読むことは読者としてなかば能動的に小説に関わることで、演奏をただ聴くのではなく奏者として参加するような持続的な注意力を必要とするが、ある種の無感動というか感動の麻痺か磨滅が作品全体を蔽っているベケットの小説と違って『フランドル』には凹凸があり、語られるイメージがくっきりしている。直観像体質者の記憶のような暴力性というか制御しがたさがある。
直観像体質というのは記憶の中の映像が写真や映画のワンシーンのように、つまりいま現実にそれを見ているのと同じように鮮明に見えてしまう特異な体質のことで、友人のKによると「その場合、記憶は(ラカンの言う)現実界として機能してしまう」らしい。私が「友人K」と書けばそれが誰を指しているか、私の『アウトブリード』か『言葉の外へ』を読んだ人ならすぐに理解できるだろうが、これはKが書いたのでなくしゃべった言葉で、私の記憶違いもあるかもしれないのでKとだけ表記しておくことにする。
ダーッと読んできて、たとえばこういうシーンに出会うと、映像がドドッと流れ込む、つまりシモンが作り出した直観像体質的映像をいきなり共有させられるような気がする。

逆光にくろぐろと浮かびあがったそのシルエットは色どりを失い、まるで馬も彼もいっしょにおなじひとつの材料、なにか灰色の金属に鋳込まれでもしたかのようで、日光がしばしはだかの刃の上にきらめき、ついで全体が———人も馬もサーベルも———ちょうど鉛の騎兵が足から溶けていってはじめゆっくりと傾斜しついでだんだんはやく横倒しになるようにそっくり片側に倒れ、依然として腕の先にサーベルを握ったまま焼けくずれてそこに遺棄された大砲の残骸、生きもののように子をはらんで腹を地面に引きずってゆく雌犬のようにあられもない姿のその残骸のむこうに消えてゆき、ひび割れゆっくり焼けこげてゆくそのタイヤから立ちのぼるあの焼けゴムの悪臭、春の午後のきらめくひかりのなかにただよう胸のむかつくような戦争の悪臭が、ただようというよりはむしろねばねばして透明だがまるでたまり水のように目に見える沈殿物となって、赤煉瓦の家々果樹園垣根がそのなかに浸っているかのようだった。一瞬処女のように純潔な鋼(はがね)の上に、一秒の何分の一かの間だけありったけの光と輝きをとらえ引き寄せでもしたかのように、引っかかったというよりむしろ凝集された日光の目もくらむような反射……

センテンスが長いが、そんなことは気にせず、早く読んだ方がグッとくる。一読でわからなければ二読三読すればいい。あるいはまたこういう箇所。

彼らは馬屋の奥に相変わらず脇腹を横たえている馬を眺めた。毛布を一枚かけてあるので出ているのは硬直した四肢、おそろしくながい首だけでその首の先にたれている、ごつごつ骨ばった頭、面が平べったく、毛がぬれ、まくれた唇から見える長い歯が黄色いいかにも大きすぎるその顔を、もう持ちあげる力もないのだった。まだ生きているように見えるのは、巨大な、悲しげな目だけで、その目玉のきらきら光るふくらんだ表面には、彼ら自身の姿、括弧のようにゆがみ、ドアの明るい色を背景に浮きだしている彼らのシルエットが見え、それがなにかかすかに青みがかった霧か、ヴェールのようで、すでにできはじめた角膜白斑みたいに、一眼巨人を思わせるそのやさしいまなざし、非難をこめ涙を浮かべたその目をくもらせていた。

ついでだが、こういう馬の姿を見ていると私はスタンダールの『パルムの僧院』最初のへんの戦争の場面を思い出す。

突然一行は駆けだした。しばらくすると、ファブリスは前方二十歩の耕地が、変なふうに動いているのを見た。畦の間に水がたまっていた。そして畦の頂の湿った土が三、四尺の高さに黒い小片となって飛びはねていた。ファブリスは通りすがりにこの奇妙な作用を眼に止めた。しかしすぐ元帥の武勲を考えはじめた。そばで鋭い叫び声がした。
二人の軽騎兵が弾に当って落馬したのであった。彼がそれを見たとき、彼らはもう護衛隊から二十歩、後ろになっていた。恐ろしかったのは一頭の血だらけの馬が耕地の中でもがいていることであった。馬は自分の腸を脚にからませながら、なおも仲間を追おうとしていた。血が泥の中に流れていた。(大岡昇平訳)

最後から二つ目のセンテンスがなんともすごい。実際に戦場でこういう風に死んでいった馬がいたんだなあと思う。
馬の死を書いていたときシモンはきっとこの場面を思い出していたことだろう。あるいは、思い出していることをわざわざ意識する必要もないくらいにシモンの記憶の深くに刻み込まれているかもしれない。
いや、すべての馬の死はこのように痛ましいものなのだ———と、馬が死んでゆくところを実際に見たことのある人は言うかもしれない。自分の腸を脚にからませたのはスタンダールの作家的想像力の功績で、そう書かなければ死んでゆく馬を見たことのない人には想像できない痛ましさがある、すべての馬は自分の腸を脚にからみつかせ、それでもなお仲間を追おうとするような必死さをあらわしながら死んでいくのだ、と言うかもしれない。
だから騎兵将校の家系に生まれ、自分自身子どもの頃から馬に親しんでいたシモンは『パルムの僧院』のこの一節を当然のこととして受けとめ、特に記憶に刻みつけることもなかったのかもしれない、……などという空想はやめよう。
『パルムの僧院』の一節はもし仮りにシモンが読んでいなかったとしても(考えにくい仮定ではあるが)、シモンにとっても意味がある。それは書くことと世界の関係、読むことと世界の関係から生まれる。作中で馬を一匹死なせることは、この世界で死んでゆきかつて死んでいった無数の馬たちにもう一匹の馬をつけ加えることではもちろんない。それによってはじめてこの世界で死んだ馬たちの死を私たちが知る、というと伝わりやすいが、やっぱりきっとそれは話がうますぎる。書かれる(読まれる)ことで死の別の様相があらわれる、というのは少し近いかもしれない。書かれることでかつて死んだ馬たちが永遠に死につづける、というのはなんだか文学的すぎる。
これを考えることがとにかく小説(広く「文学」)の役割なのだから、ここで私に結論めいたことを言えるはずがないのが道理で、とにかく書くことと世界、読むことと世界の関係の中に小説がある。

ところで、三〇八ページの「彼は手に一通の……」の引用にある「ぼく」と、311ぺージの「彼らは馬屋の奥に……」の「彼ら」の一員である「彼」は、同じ人物を指している。
回想する主体たる一人称「ぼく」がいて、その「ぼく」の頭の中に浮かぶ記憶が映像的で、自分を含む兵隊たちをまるでどこかに置いたカメラで撮った映像を再生するようにして思い出されるから、自分が「ぼく」でなく「彼」という三人称で指示されている、というわけではない。
そうではなくて、私(ぼく)にとって、私と彼は等価なのだ。私にとって、私は私であったり彼であったりするのだ。『フランドル』に限定した話ではなくて、『フランドル』を離れて、いまこの生を生きている私にとって、私は私であったり彼であったりしているのだ。
これはまたいずれ一回というか何回にも分けて書くつもりの、人称というか、語り手と作品世界、主人公と作品世界、書き手と作品世界の関係という問題の先取りになってしまうが、私はただ一人称として生きているわけではない。主人公は仮りに一人称であっても限定的な人称をこえて生きる。そういうときに私がいつも思い出すのは大江健三郎の『万延元年のフットポール』で、あの小説の主人公が「蜜三郎」でなく一人称「僕」であると、つまりあの小説が「僕」によって語られた小説であると記憶している人がいったい何人いるだろう。少なくともそういう人に私はまだ会ったことがない。あの小説を読んだ人はきっとみんな、三人称小説だったと思っている。
『フランドル』では、最初に提示されたのが一人称「ぼく」であったことを忘れるほど延々と「彼」がつづくがそこに違和感はまったくない(そんなことをいちいち気にしているヒマなんかない小説だとも書えるが)。
主人公がはじめて三人称で呼ばれるのは二三ページで、そのときはまず「ジョルジュ」という固有名詞で指示されるのだが、すべての人物が何の説明もなく「彼」という三人称や「ブルム」という固有名詞でいきなり登場するこの小説にあっては、「今度はジョルジュか? ジョルジュっていうのも兵隊の一員だな」ぐらいに思っているうちに、冒頭に登場した「彼」が「大尉」であり、その人は機銃掃射に向かってサーベルを振りあげた人であり、ド・レシャックという貴族なんだなという風に理解していくのと同じような感じで、自然に「ジョルジュっていうのは『ぼく』の名前なんだ」という風に気持ちに入ってくる。
そしてまた(「それどころか」と言うべきか?)競馬場のシーンにかなりな量が回想のようにして費やされるのだが、じつはそこには語り手(「ぼく」=ジョルジュ)は居合わせていない。読み返してみれば、回想と位置づけられるはずの競馬場のシーンのはじまりでは一回目に、ちゃんと「そしてぼくもその場に居合わせその情景が見えるかのようで」と書かれているのだが、そんなことはこっちはいちいち気にしていない。というか、その程度の記述はこの小説にあってはただの記号と化していて、こっちの気持ちを素通りしてしまう。
ジョルジュは競馬場での話を、兵隊仲間で騎手でもあったイグレジアから聞いたというのが、客観的な構造だが、語りはまるで自分がイグレジアであるかのようにしてイグレジアの内面をどんどん書いていく。読者はそれにも違和感を覚えない。
「ぼく」であった主人公が「ジョルジュ」ないし「彼」と呼ばれることにも読者は違和感を覚えずに移行し、「ぼく」であった「彼」がまるで「イグレジア」であるかのようにして、イグレジアの内面が語られる、というか競馬場のシーンではイグレジアが主人公の座を占める。そしてそれにも読者は違和感を覚えない! 読者とは書かれている書かれ方に融通無碍に身を任せるものなのだ。

読者は気がついているだろうか? 私は、ここで自分のことを「私」と書いたり「こっち」と書いたり「読者」と書いたりしている。しかもこの段落にも「読者」という呼び名が出てきていて、前の段落の「読者」は「私」から移行してきた「読者」であり、この段落の頭にある「読者」は私自身を含まないいま読んでいるあなたであるのに混乱は起こしていない。さらにまた「いま読んでいる」と、苦もなく書く私は、書いている私にとっては一ヵ月ちかく先になるこの文章が読まれる時間を平然と織り込んでいる。
実験的に「あなた」という呼びかけではじまる小説がある。「あなたはいま憂鬱とも期待とも呼べる重く華やぐ気持ちを抱えて列車の窓側の席にすわっている」というようにしてはじまる小説のことだ。実際のところ、「あなた」が主人公になる二人称小説も何度も書かれてしまえば、“実験”というより“意匠”のひとつで、実験小説のつもりで「あなた」を書いていたらもうすでに困った時代錯誤だが、かつて「あなた」が“実験”であった驚き・混乱・発見よりも大きなそれらが、ごく普通の一人称小説・三人称小説の中にあるのではないか。
たとえば一人称小説を少し注意深く読んでみるとすぐに気づくが、語り手の「私」にとっての本当の現在とはどこにあるのか。その混乱(ないし、曖昧さ)のまったくない一人称小説はどこにもない。三人称小説では、たとえば地の文で「人生はむなしい」と書かれているとき、それが書き手の感想なのか、主人公の感想なのか、あるいは読者がそこでそう感じたかのように誘導されたものなのか、はたまた一個人の感想という次元をこえた“真理”として提示されているのか、判然としないことが珍しくないが、読者はそれをいちいち厳密には整理しないまま読み進める。しかしそれは整理のしようがないとも考えられなくはない。他人の感想を自分自身の感想のように感じているのが人間の意識のあり方ではないか。
一人称小説の現在時の確定しがたさも三人称小説の感想の確定しがたさも、どちらも人間の意識のあり方に由来している。小説として稚拙だとか不徹底だからでなく、それが人間の意識のあり方なのだ。

ということを踏まえて『フランドル』を読むと、『フランドル』は“実験小説”“実験的な手法を駆使した小説”ではない。
これはロブ=グリエはじめヌーヴォーロマンの小説家たちが口を揃えて言っていたことが、こういう小説のあり方は実験でなく現実なのだ。これを“特殊”として括ってしまうと普遍がわからなくなるというか、書かれたものを読むサイクルの中に読者が真剣に自分自身を置かなくなってしまう。
この小説は、回想をしている最中に次の回想があらわれ、またその最中に次の回想があらわれるという、何重もの構造、複雑な入れ子構造になっているのではなくて、すべて思い出されることが強−弱や重−軽のないフラットな平面で起こっていると考えるべきだと思う。実際、記憶というのはそういう風ではないか。しかし記憶の実際がどうであるかということ以上に、書くこと、読むことがそうなっているのではないか。
この小説を回想が書かれていると決めつけて、たとえば A(B(C)B)Aという重層構造であるとか、A→b→c→a→D→b→cという強−弱を想定しようとすると、そこに主体が立ちあらわれてくるような気がする。構造を作り出したり、強−弱を決めたりする行為を主体と呼ぶのではないか。
そうではなくて、私はそういう記憶した事象の中に投げ出されている。記憶した事象———さらには競馬場のシーンのように記憶のようなものになった事象まで———が次々と展開するそれを、ただ見ているか追体験している。夢の中で私たちは、それが自分の頭の中で起こっていることであるにもかかわらず、出来事を自分でコントロールすることができない。
しかし夢の中だけでなく、私たちは自分の頭の中で思い描くことをコントロールできていないのではないか。買物の計算をしたりする特定の瞬間だけ、自分の頭の中をコントロールして一点に向かわせはするけれど、買物をしている最中はいろいろなことが頭に浮かんでいる。いまこれを読んでいる読者も、ここに書いていることを読むだけでなく、別のいろいろなことを考えていたはずだ。それらはほとんど考えようとして考えたことではない。何故そんなことを考えたのか説明のつかないことをいっぱい考えていただろう。「頭をよぎる」とか「頭を去来する」とか呼んでいる状態のことだ。
私とはそのようなもので、主体と呼べるもの———つまり意識を意識的にコントロールできているもの———は、意識のほんの一部分にしか関わっていない。しかし幸いなことに、人間は頭の中に浮かぶことに比べて実際に行動できることはずっと少ないので、ハチャメチャな言動ばかりやって奇人と呼ばれたりはしない。
これが人間というものの基本的な像だ。
私は私の一部しかコントロールできない。私はそのような私のメカニズムや私の来歴のほんの一部しか知らない。これがフロイト以降の人間認識であり、シモンがそれを知らないわけがない。
知らないわけはないのだが、それだけで主体信仰から、自由な小説を書けるわけではない。理屈(書物からの知識)としてはフロイトの人間像を知っていても、実際に小説を書くとなると主体がガチガチの揺るぎないものに、なってしまうことがほとんどで、フロイトと同じように主体を解体するにはその人自身もまた、フロイトが辿ったのと同じプロセスをフロイトの力を借りつつも自分で辿る必要がある。『フランドル』を書くことは、小説家としてフロイトのプロセスを辿るというか、作り直すことでもあると言えるだろう。そして、そういう小説がひとつ書かれるたびにフロイトがあらためてフロイトとしてこの世界に定着する。

「ねえ、ちょっと保坂さん。
ピンの話はどうなったんですか?」
「ピン?オイディプスのくるぶしに刺さっていたピンのことか?」
「色分けしたピンですよ。ピンを壁の紙に刺していったって言ってたじゃないですか。あれはどうなったんですか」
「だから『私は私の一部しかコントロールできない』って、言ったばっかりじゃないか。
『フランドルヘの道』を実際に読んで、まだ読み終わってないけど、読んで、それについて考えてるうちにその考えに引っ張られてるんだよ」

というわけで、色分けしたピンはどうでもよくなってしまった。終わりの一行だけさきに読んだかぎりでは、それは最初の一行とは対応していない。つまりシンメトリーの構造にはなっていない。全体として三部に分かれているTの中でもシンメトリーにはなっていないUはもしかしてそうなのかもしれない、『フランドルヘの道』というのは私の記憶違いで、他の作品のことだったのかもしれない。
いずれにしろ、そんなことを知ったところでシモンの小説を読んだことにはならない。シモンが本当にそんなことをやったのだとしても、それは作品構造の厳密さに関わる問題ではなくて、書くときに書いている自分の想像力を方向づけるためとかそういう小説の生成に関わる問題だったのだろう。
最初私が今回書くつもりだったのは、前回の現代彫刻の受け入れ方を受けて、「わかること」への批判、小説を安易に解釈してしまうことへの批判だったのだが、実例として出した『フランドル』が面白かったために思わぬ迂回になってしまった(もっともこの連載のすべてが迂回で、迂回として全体で小説を考えることになるとも言えないわけでもないのだが)。
ジグソーバズルのピースがばらまかれたみたいにして、説明なしにいきなり「彼」とか「ジョルジュ」とか「ド・レシャック」とか出てくる人物たちの像がしっかりと結ばれる瞬間は単純にうれしい。現実の世界で「そういうことだったのか」と、何かがはっきりする瞬間の喜びに似ている。小説の質感は違っても、そういう風に断片化された書き方ということではピンチョンとも共通しているし、フォークナーともまんざら共通していないわけではない。
これらの小説では著者は、知っているのにわざと書かないのだろうか。読者に「そういうことだったのか」という喜びをもたらすために、著者は過度に断片化して書いて———つまり小出しにして———、気をもたせているのだろうか。
一時期さかんに出版された『謎本』では、すべてが著者によって周到に計算されているという読み方をする。しかし私はその立場をとらない。ここで短い紙数で簡単に片づけられるような問題ではないから、これもまたいずれ時間をかけて考えるが、私の立場から言うと、著者は安定した私としての主体やその主体が見る安定した世界がすでにないことを知っているのだから、周到に計算しようがない。
断片化した書き方は、著者による計算の産物ではない。もちろん読者に与える効果なんていう小手先のものではない。そんなことでなく、もっと本質的な力学の結果なのだと思う———「本質的」「根源的」というのはもっともらしくて便利な言葉で、そのじつ何も説明していないことを承知でいまは使っているのだが。
これを書いているときにカフカを特集した雑誌『大航海』が届き、その中に精神科医の新宮一成の「カフカ、夢と昏迷の倫理」という文章が載っていた。詳しいことは次回に書くことにするが、新宮一成はフロイト−ラカンの立場からカフカを、カフカ自身が意識していなかったカフカとして解釈、というよりも解体にちかい読み方をしてみせている。
新宮一成の読みの前では主体はまったく出番がない。七〇年代頃は、フロイト的な読み方はたいてい裏読みかこじつけ読みだったが、新宮一成の読みをみると、七〇年代の似非フロイト式解釈が(そしてこれは一部でまだ生き延びているのだが)主体を別の主体に置き換えただけだったことがよくわかる。
『フランドル』はすでに小説自体が解体しているが、フロイト−ラカンの立場で小説をテキストとして解体する度合は、解釈者の(解釈者自身が持つ人間像の)主体の解体の度合と一致する。生半可なフロイト−ラカン式解釈は解釈者の主体が温存されているために小説の解体も徹底しないという、小説家にとって不幸であるが、何よりも小説それ自体にとって不幸な結果をもたらすことになる。
———と、こういうことを考えてみると、今回「わかること」への批判を書けずに『フランドル』のことになってしまったのは無駄ではなかったことになる。小説の書き手は解釈されることをやみくもに嫌っているのではなくて、小説家の意図として想定される主体が、主体が解体した人間像を持たない解釈者の主体の反映としての主体に置き換えられてしまうだけのろくでもない読みに対して腹を立てるということなのだった。次回こそそれを書くが、もちろん批判ばっかりしていても得るところはほとんど何もないので、つまらないわかり方では絶対に知ることのできない小説の生成、小説が小説として立ち上がる何ものかについて、可能なかぎり考えを伸ばしていこうと思う。
最後になったが、クロード・シモン『フランドルヘの道』(白水社)は現在絶版のため入手は難しい。

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