◆◇◆猫とわたし:vol.02◆◇◆

 87年、バブル上昇期にペット厳禁のマンションで子猫を飼い出したところまでが前回のあらすじ。ここからペチャの波乱の前 半生が始まる。
 私と妻は猫を飼える部屋を探して東京・神奈川の不動産屋を何軒回ったことか。「猫が……」と一言言った途端に不動産屋は門前払い。2ヵ月探し歩いてとう とう無管理状態の老朽マンションを見つけて、そこに引っ越した。
 隣の部屋にはポンちゃんという先輩猫がいた。ペチャは弟が兄を慕うようにポンちゃんと一緒にいた。ポンちゃんは喧嘩は強いが気のいい猫で、猫としての礼 儀を教わっていないペチャと優しく遊んでくれて、楽しい毎日が続いていた。……が、1月のある日ペチャが苦しそうに何度も繰り返し嘔吐しはじめた。
 獣医さんにみせると「猫ジステンパー」と診断された。2匹ともマンションの廊下と屋上にしか出ていなかったが、何しろ無管理状態だったからまるで外の道 と同じように猫がとっかえひっかえ入ってきて、廊下にはしょっちゅう猫のオシッコが残っていた。ペチャはそれを踏んでしまったに違いない。まだ生後9ヵ 月。1歳に満たない猫は死ぬ可能性がかなり高い。
 1週間毎日、注射と水分補給の輸液に通った。やっと出た便は真っ赤な水様便。食欲が戻ったのは10日目くらいだっただろうか。病気のあいだ、人間みたい に泣き言も言わずに部屋の隅にじっとうずくまっている姿に崇高なものを感じた。そしてペチャが生きてくれた感謝から「人が死なない小説を書こう」と思っ て、私はデビュー作『プレーンソング』を書き始めた。
 91年4月、ポンちゃんが引っ越していった。ポンちゃんがいなくなった隣の部屋のドアの前に、ペチャは一日に何度も行って、心細い声で呼ぶ。ニャ ア……。
 30分も1時間もドアの前から動かない。家の中にいるときは沈み込んで、毎日つまらなそうに前足に顎をのせて寝ているだけ。そんな日々がつづくうちに運 動不足からとうとう尿道結石になってしまった。極細の尿道にカテーテルを通されて泣き叫び、その後1週間苦い苦い錠剤を無理矢理飲まされ……。ポンちゃん がいない落胆はひどく、ペチャはひと夏のうちに2度も結石になってしまった。
 10歳頃までペチャはガラス細工みたいで、獣医通いが欠かせなかった。しかしそのおかげで腎臓サポート食も早くから食べた(成猫の死因の大半は腎不全だ が、腎不全は悪化するまでわからない)。性格は歳とともに太くなって、いまではすっかりオッサン化して逞しい。20歳万歳!



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