◆◇◆日本とはどういう国か◆◇◆
神奈川新聞2009年3月21日(土)リレーエッセイ「木もれ日」

 野球のWBC、サッカーW杯予選と、日本代表を応援する日が続くけれど、“日本”とは何なのか? 日本、ニッポン、 JAPAN……場面によって呼び方が換わっても、もとはひとつの“日本”という国だと誰でもたいてい考えている。しかしみんなが考える“日本”は同じ一つ のイメージなんだろうか?
 小泉時代の「改革」の名のもとに格差がどんどん広がり、新しい弱者が日々作り出されて、その人たちが救われる道筋がいっこうに見えず、その後の首相と いったら、歴史に残る無能な首相が取っかえ引っかえ。中でも安倍晋三、麻生太郎の頭の悪さは際立ち、この二人は、一般企業の部長をやったとしても、「なん であんな人が部長になったんだ」と言われるレベルであることは間違いない――という、これも“日本”だ。
 そんな日本だから何があっても不思議じゃないが、フィリピンやイランから不法入国した人たちの家族を、入管法を盾に国外退去の命令が下される時、私は、 つくづく嫌な国だと思う。十何年間、真面目に働き、地域社会にも溶け込んでいる人を、「不法入国」「国籍がない」という理由だけで、ほっぽり出す。
 その人が、現在にいたるまでどれだけ真面目に働き、現在どのような生活を送っているか? を一顧だにせず、ただ“国籍”だけを問題にする。個人としてど れだけ無能でも、家柄・血筋だけで首相になれてしまう政治の現状と、不法入国者に対する国の態度は同じことだ。つまり、“本人”より“出自”。日本という 国が持っている人間観は、いまだ封建時代のままで、個人が生きる権利を無視している。
 「高等教育の漸進的無償化」という国際人権規約があるのだが、日本はそれを批准していない。批准していない国は、締約国百五十七カ国中、日本以外にはな んとマダガスカルとルワンダだけなのだと言う。教育を受け、能力を伸ばすことは人間として当然の権利なのだが、国は全力を挙げて阻止している。働く権利に も教育を受ける権利にも無関心。それが私の“日本”だ。

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